勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 64

2010-06-09 06:51:36 | 平和
5月15日に京都の葵祭に行ってきました。
私とかみさんの親と一緒に、80歳になりますが足腰が強くていまだに一緒に
旅行できることをすごく嬉しく思います。

京都の観光協会で御所の指定席を予約したのですが、両方の母は背が小さく、
2人とも終始立って葵祭の行列を見ていました。(それなら予約席いらなかっ
たな~と、たのしそうに見ている光景にうれし思いました。)

葵祭は、音がないんです。
お囃子とか、祭の掛け声とか一切なし。あるのは、馬の蹄の音と牛車の輪の音
のみ。解説をしていただくのですが、以前御所に拝観に来たとき御所を案内し
ていただいた方でした。80数歳とお聞きしましたが、立派に説明をされてい
ました。両親とも紆余曲折の人生でしたが、自分自身の花をきれいに咲かせて
います。

勝手に思うままに64 指針

 小さい花でいいのだ。人にほめられるような大きな美しい花ではなく、だれ
からも足をとめて見られなくてもいい。本当の自分自身の花を咲かせたらいい
の、それを神さま仏さまに見てもらえばいいのだ。
 これは、坂村真民先生のお言葉です。
自らの指針とした一語はそのまま、人々に託したメッセージてもありました。

まだこうして親と過ごせる時間を頂いていることに感謝です。


勝手に思うままに 63

2010-06-04 06:36:17 | 平和
私は沖縄が大好きで年に2~3回遊びに行きます。
エメラルドグリーンの美しい海、南の島の風を感じ、自然にどっぷりと浸かると、
繊細な緑のグラデーションがやさしく癒してくれて、南の島のリズムは心と体を
ゆっくりと整えてくれます。
島の人たちも穏やかで、やさしくて、またあの方言もステキです。

その穏やかな日常に、時折爆音が響きわたります。 
バキッーーーといった戦闘機の音であります。
あの音が自分たちの住む町に毎日あったらどんな生活になるのだろう。
想像すらできません。
ずーーーっと 我慢しているんです。沖縄の人たちは・・・・
その分、保障があるじゃないかという人もいますが、あの爆音を自分の住む町に
もってきたとしたらどうでしょう。 これは、沖縄だけの問題ではない。
お願いするにしても、首相ひとりが頭を下げるのではなく、国民全員が頭を下げ
るべきであり、知らん顔はよくない。

勝手に思うままに63 断を下す

断を下す 松下幸之助

 ひとすじの道をひとすじに、ひたすら歩むということは、これもまたなかなか
容易ではないけれど、東と西に道がわかれて、それがまた北と南にわかれて、わ
かれにわかれた道をさぐさぐり歩むということは、これも全く容易でない。

 どうしようか、どちらに進もうか、あれこれととまどい、思い悩んでも、とま
どい悩むだけではただ立ちすくむだけ。
 自分ひとりなら、長い道程、時に立ちすくむこともよかろうが、たくさんの人
があとにつづいて、たくさんの人がその道に行き悩んでいるとしたら、わかれた
道を前にして、容易ではないとグチばかりこぼしてもいられまい。

 進むもよし、とどまるもよし。要はまず断を下すことである。みずから断を下
すことである。それが最善の道であるかどうかは、神ならぬ身、はかり知れない
ものがあるにしても、断を下さないことが、自他共に好ましくないことだけは明
らかである。

 人生を歩む上において、企業の経営の上において、そしてまた大きくは国家運
営の上において、それぞれに今一度、断を下すことの尊さを省みてみたい。

これは、1968年の松翁の言葉です。
リーダーの想いがブレれば、就いていけなくなるもの、ましてや国家運営におい
ては国民が路頭に迷うわけです。


勝手に思うままに 62

2010-06-01 06:04:48 | 平和
私の今年のテーマ『守るもの』その中でも、家族は優先順位が高いほうにあります。
取り分け、子どもはまだ未成年 親の責務としては当然のことであります。

子どもたちの教育を母親にまったく一任というのは、いまや許されない時代でしょ
う。といいましても、父親がこと細かに小言や叱りつけを連発することは、これこ
そ『父親軽視』の種をまくようなものであります。

よき父親として、よき仕事人として、子どもにどのように接していったらよいので
しょうか? 森信三先生(不尽先生)教育論のなかに、子どもの扱い方について書
かれていました。

勝手に思うままに62 忍耐

 子どもの扱い方についてよく心得ていると思われている家庭においても、まだま
だ足りないところがあるように思われ、それは次の2つではないかと思います。

1.子どもの扱い方に関する一般的知識については、一応わかったとしても、それ
  を実行に移す上での具体的、実際的な知識、即ち世間でよく言われているコツ
  とかツボというような種類の知識については、まだまだ大いに不足している。

2.その上に今一つ大切なこととして、そうしたコツとかツボというようなものが、
  仮にある程度わかったにしても、いざ実際にそれを実行する段になりますと、
  その基盤として、親さんの方に絶大な忍耐が必要だという点
  が、まだ十分にわかっていないということ。

 自分のカンにさわったからとすぐに腹を立てて叱ってはならぬ とは、皆さん方
が常にお聞きになっていられることですが、そのために実際に我が子を叱ることが
なくなったかと申しますと、多くの人が合格しているという保障の出来る人は少な
いでしょう。我が子に対して怒らぬようになるということは、よほどの決心、覚悟
なくして、実行できない。
 つまり、我が子を正しく育てるような親さんになるためには、非常に強い忍耐が
必要だということがお分かりになられたことでしょう  不尽先生のことば

大阪にあります高貴寺 慈雲尊者のお言葉に「忍の徳たる持戒苦行の及ばざる処な
り」忍耐というものは、色々な規律を守ったり、また苦行するよりも、はるかに大
きな功徳のあるものである と言われました。
 自分の徳を積む上でも 子育てにおける忍耐心 そこに我が子の素晴らしい成長
はついていくものなのでしょうか 拝