勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 33

2009-12-30 10:36:44 | 平和
 今年も残すところ2日、今年は波乱万丈の年でありました。
経営の方は、中々きびしいものがありました。
まだまだ辛抱の時なのでしょうか。;;

デフレスパイラルという言葉をよく耳にします。
景気悪化の原因というわけですが、すべてにおいて贅沢ですよね。みんなが
国も国民に手を掛けすぎ、子供手当とかお金ばら撒かなくってもいいと思います。なぜか、お金はあっても邪魔にはならないですが、お金がすべてではない。それを操作する心のほうが大切だと考えます。

勝手に思うままに33 無財の七施

仏法に「無財の七施(しちせ)」という教えがある。
財産が無くても誰でも七つの施しができる、喜びの種をまくことができるという教えです。
財産が無くて、どうして施しができるのか。何を施せるのか。

『雑宝藏経(ぞうほうぞうきょう)』は、「仏説きたもうに七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん」
として、七つの方法を示している。

 一は「眼施(げんせ)」──やさしいまなざし。
 二は「和顔悦色施(わがんえつじきせ)」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
 三は「言辞施(げんじせ)」──あたたかい言葉。
 四は「身施(しんせ)」──自分の身体を使って人のために奉仕する。
 五は「心施(しんせ)」──思いやりの心を持つ。
 六は「床坐施(しょうざせ)」──自分の席を譲る。
 七は「房舎施(ぼうしゃぜ)」──宿を貸す。

大きなことでなくともいい。
人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、花を咲かせることができると釈迦は教えています。
自らのあり方を調えよ、という教えでもあるのでしょう。

物の豊かさより心の豊かさは、絶対にしあわせです。
あっ笑顔、笑顔。

本年はお付き合いありがとうございましたm(。 。)m 
新しい年もよろしくお願いいたします。

勝手に思うままに 32

2009-12-28 10:14:34 | 平和
先日、NHKで食についてのお話をしていました。
料理研究家の辰巳芳子さんのお話の中に、働き盛りの若い人たちが、いかにひどい食生活をしているかを浮かび上がらせていました。菓子パン、お菓子が主食。あるいは、夜遅く自宅に帰って食べる夕食が、カップラーメンやフライドチキンといったファーストフード。誰が見てもこれでは身が持たない。と、そこで登場するのが、健康補助食品、サプリメント。数10種類もの錠剤を一気に飲み込む。 
「食べるものが貧弱になることは、愛情を失うことと同じである」と、辰巳さんは、語っていました。

勝手に思うままに32 いただきますの意味

ある中学生の母親から「給食費を払っているのだから、子どもに『いただきます』を言わせないでほしい」という要望が学校に出された。それが話題となり、母親の考えを理解できるかどうか、週刊誌が読者アンケートを実施しました。その結果、「まったく理解できない」「あまり理解できない」という人が92%でしたが、「理解できる」「理解できる点もある」という少数意見もあり、その中には、「『いただきます』という画一的な言い方を押し付けるのはおかしい」などと、学校の「管理しすぎ」に対する批判も含まれていました。

他の生命を食すことによって、人間が生かされていることに議論の余地はありません。
そのことへの感謝の表れが「いただきます」「ごちそうさま」であり、それは人としての慎みともいえます。しかし今や、費用や言い方などのレベルでクローズアップされるほど、感謝のこころは遠いものになってしまったのでしょうか。
「食前・食後の挨拶」を通して、生かされていることへの感謝の念を高め、人としての品性を磨くべきではないでしょうか。

私たちが生かされている感謝の言葉「いただきます」「ごちそうさま」は、未来へ伝承していく責務がある。感謝の心を育むこと とても大切なことであります。

勝手に思うままに 31

2009-12-26 10:12:54 | 平和
人を許すことで安らぎが手に入る
「あいつ絶対に許せない」って誰かを責めているときって、私たちは安らぎを感じることができません。
この状態が続くと苦しくなってきます。
幸せな人生をもたらすために、“許す”ことはとても大切なことであります。
許せない原因は様々あるでしょう。
自分が不完全な人間であるように、他の人も不完全であることを理解しなければなりません。
自分のことは棚上げって人けっこういるんじゃないでしょうか? 
(私を筆頭に・・・・・)
もちろんイヤなことはイヤと伝えて、お互いにとって居心地のいい関係を築くことが大切です。

勝手に思うままに31 鏡の法則1

現実に起きる出来事は、一つの『結果』です。
『結果』には必ず『原因』があり、その原因は、あなたの心の中にあるのです。
つまり、あなたの人生の現実は、あなたの心を映し出した鏡だと思ってもらうといいと思います。・・・・
鏡を見て「今日、少し顔色悪いな~」とか「あっ髪の毛に寝癖がついちゃった」って気づくことがありますよね。
鏡がないと、自分の姿に気づくことができないですよね。
人生を鏡だと考えて見てください。人生という鏡のおかげで、私たちは自分の姿に気づき、自分を変えるきっかけを得ることができるのです。
人生は、どこまでも自分を成長させていけるようにできているのです。

野口嘉則 著 「鏡の法則」より抜粋

今ある問題を根本的に解決するには、自分の心の中の原因を解決する必要があります。
一度 心を丸裸にしてみるのも一つの手かも・・・・
変なプライドってまったく必要ないですものね。


勝手に思うままに 30

2009-12-24 10:09:58 | 平和
 世の中にはいい人ばかりはいないです。相当いい人もいるが相当悪い人もいるわけです。ですから、きれいな人、心の清らかな人、そういう人ばかりを世の中に望んでも実際にはなかなかその通りにはなりません。十人いたらその中に必ず美ならざる者も正ならざる者も入ってくる。そういう状態で活動を進めているのが、この広い世の中の姿ではないでしょうか。そこに寛容ということが必要になってきます。力弱き者、力強き者があるならば、両者が互いに包含し合って、そこに総合した共同の力を生み出してゆくものです。その交わる仲間、住む環境により大きく変化していくものではないでしょうか。

勝手に思うままに30 ヨモギと麻

『蓬(よもぎ)、麻中(まちゅう)に生ずれば、たすけずして自ら直し』この意味は、「ヨモギが、麻の中で育てば、手助けしなくても、自然に真っ直ぐに伸びていく」というものです。ヨモギは自然の土手に生えているときは、茎が曲がりねじれていく性質があり、麻は真っ直ぐに天を指して伸びていく性質があります。このヨモギが、麻の畑に生えると、周りの麻が真っ直ぐに伸びていくので、それにつられて、手助けしてやらなくても、自然に真っ直ぐになっていきます。私たちも心の素直な人々の中に入っておれば、たとえ心のひねくれた人でも、心の曲がった人でも、いつの間にか素直な心になっていくでしょう。
『交わる仲間、住む環境というものは、人間にとってまことに大切なものである』と言っている、味わい深い言葉であります。 毛涯章平 著 「ふきのとうの餞別」より

二度とない人生 大切に、丁寧に生きたいものです。

勝手に思うままに 29

2009-12-23 08:22:43 | 平和
知覧には以前からずう~と行きたいと思っていました。そして今回の鹿児島に行こうと決めた理由は、テレビでもお馴染みのブリキおもちゃ博物館 館長の北原さんのお話を志民会議で聞いたことが切っ掛けでした。
北原さんの友人が知覧で人形博物館をオープンさせたという内容でした。
そして、特攻隊の人たちが戦地へ行くときに持っていたという人形が展示してあるということでした。
知覧特攻平和会館にもたくさん展示してあったマスコット人形は、自分の父、母、兄弟、恋人、妻、子等々の身代りの人形なのです。
館長は寺西照子さん。なぜ、寺西さんは人形博物館を知覧の地へ開設されたのでしょうか

勝手に思うままに29 人形への思い

寺西さんは旅で訪れた知覧特攻平和会館で見た人形がきっかけとなり、それまで以上に人形を集め、晴れて御自分のミュージアムを開設されました。 そしてそのきっかけを与えてくれたこの知覧に、生まれ慣れ親しんだ東京を離れ、ご家族で移られてきた。
東京の骨董市に知覧で見たとてもよく似た人形を発見しそれを購入。「お金がたくさんあって人形を購入したのではないのです。朝は新聞配達、昼は食堂で皿洗い、夜はビルのクリーナーと自分で人形を集める資金を調達しながら少しずつ集めたんです」と、寺西館長から丁寧に館内の説明をしていただきました。
その骨董市で買ったといわれる人形は、あの時見た人形の作者と同じであったと鑑定していただき、寺西さんの人形への思いはさらに深くなっていったそうです。

涙ぐみながら説明される姿に、特攻平和会館で彼果てたと思っていた涙がまたここでも。
お土産に、木彫りの人形の中に、手紙を入れて、郵便として送れるものを購入してきました(ここにしかないそうです)寺西さんとそれを応援する旦那様の志に学びを得てまいりました。 拝

勝手に思うままに 28

2009-12-22 10:13:23 | 平和
「私は困った人を見るとほっておけないんだよ」その文章がとても印象的であった本「ホタル帰る」。私は、知覧へ行くにあたってその本を読み上げ旅に出かけました。読んでいる途中にも幾度も号泣してしまい、その本の中の出来事は胸に突き刺さりました。
昭和4年に開業した「富屋食堂」は、「軍の指定食堂」になり、トメさんの優しい人柄、どんな人に対しても決して分け隔てしないところが若い兵隊さんの心を和ませたんでしょう。最初は「おばさん」と呼ばれていたトメさんが、だんだん「小母さん」と呼ばれるようになったといいます。昭和19年、ついに「神風特別攻撃隊」が編成されることになります。悲しいことに知覧飛行場は、その出撃地として選ばれてしまうんです。
 鳥濱トメさんが「特攻の母」として、そして戦後は「アメリカ兵の母」として贈った生涯について書かれている。トメさんのみならず、彼女を取り巻く兵士たちの模様が生々しく書かれていた。

勝手に思うままに28 生還

 板津さんは民間のパイロット養成所出身で、戦局の悪化に伴い陸軍を志願。特攻隊員に指名され鹿児島県の知覧基地を出撃したが、エンジントラブルで生還した。再出撃の機会に恵まれずに終戦を迎えてしまった。
板津さんは、仲間に済まないという気持ちと同時に‘生き残り’と言う声にならない通罵の声が飛んでくるのにも耐え切れなかった。そんな中で、トメさんに会いにいった。「生き残ったと言うことは、残されたと言うことだよ。神様があんたをこの世に残してくださったと言うことだよ。残されたと言うことは、なにかやることがあるから残されたんだよ。神様があんたに、やりなさいとおっしゃてる仕事があるはずなんだよ。世間が何と言おうとも、かまうことはないよ。何かやらなければならない仕事があるはずだよ。よく考えてごらんなさい」と、トメさんは慰めた。

板津さんはこの言葉に天の声を聞き、特攻の死は崇高な死であり、これを風化させてはならない。と彼は誓った。

 戦後は名古屋市職員として働きながら、特攻隊員の遺影や遺書を探して全国行脚。定年退職後の84年、知覧特攻平和会館の初代館長になり、退任後も各地で講演活動を続ける。

勝手に思うままに 27

2009-12-21 11:16:52 | 平和
 今回の鹿児島への旅は、前半が維新の旅、後半が鳥濱トメさんを慕う旅という目的を持っていきました。 そしてテーマは「守る」でした。
空港に到着後、レンタカーを借りてまずは鹿児島市内へ維新の旅、島津斉彬について見学をしてきました。過日の勝手に思うままにでも紹介しました井伊直弼とは、対立する立場の人でした。廃藩置県により城がなくなった島津家は仙巌園というところに移った。その仙巌園を訪ねました。斉彬は藩主に就任するやいなや、この激動の時代を生き抜くため、薩摩藩を近代藩にするべく、徹底的に新しい改革を始めました。その取り組みは非常に多岐にわたりますが、今でも薩摩切子は有名であります。また、下士階級出身の西郷隆盛や大久保利通を育てた、まさに名君であります。

勝手に思うままに27 島津義久教訓

一、百姓をあわれび、憲法たるべき事。民の飢寒をおもひ、苦悩貧富をしるべし。
一、屋作をけつこうする事、いにしへの賢王ふかく是をきんず。
一、治罰をうすらめて、勧賞をあつくすべき事。
一、民のかうさくのいとまをまもつて、めしつかふべき事。
一、君の利を本として、わたくしの利をたしなむべからざる事。
一、民の利をさきとして、をのれの利を次にすべき事。
一、ほしいままにたみの物を取べからず。民まづしき時は、君財なし。たとへば枯  たる木の本のごとし。民は君の財なり。忽緒すべからざる也。
一、人の心をやしなうをもって情とす。眷族をかへりみるべき事。
一、威勢をもつて人を冤時、其身をしたがゆれども、心はしたがはず。正直をもつ  て、民を随ゆる時は、身命をかろんじて、心をそむく事有べからざる事。
一、下らう(下臈)のとがを、いふべからず。下臈の無礼をいふべからず。
一、ざんげん(讒言)と讒訴とを用へからず。虚言中言(告げ口)を信用すべから  ざる事。」
一、我あひする者なりといふとも、科(とが)あらば罰すべし。我にくむ者なりと  いふとも、君に忠あらば賞を行べき也。
一、家をおさむるほどの者は、国を治めべし。ただ民を憐む者をもつて、君の器と  なすべき也。
一、人は罵詈誹謗するとも、うけとりてこれをとがむべからず。
一、隠密してはづかしき事、是をなすべからず。人の眼、天にかかる事。
一、独言なりといふとも、此興(非興。卑怯と同じ意味っぽい)のこと葉はつかふ  べからず。人の耳は壁につく事。
一、利口を云べからざる事。
一、ふるき「ほうぐ」(反故。書き損じの紙とか)よむべからず。人の文を置を取  て、これを見べからず。
一、あしき若たう、是をつかうべからざる事。
一、あしき友に、まじはるべからざる事。

以上廿ヶ条、此旨を守て、殊に成敗人也。

上から6行目の民の利をさきとして、をのれの利を次にすべき事。 そんな考えの人ばかりなら、きっと幸せに暮らせることでしょう。

勝手に思うままに 26

2009-12-10 08:17:43 | 平和
 「事あらば敵陣に、あるいは敵艦に向かい自爆せよ、私もかならず行く」藤井中尉は陸軍航空士官学校を卒業後、熊谷陸軍飛行学校に赴任し、中隊長として少年飛行兵に精神訓育を行っていた。その後、特攻作戦が開始され、自分の教え子たちが教えのとおり特攻出撃していく事となってしまった。あの純粋な教え子たちが次から次へと特攻出撃していく中、自らも特攻に志願した。しかし、妻と幼子二人をかかえ学校でも重要な職務を担当しており、断られても2度も特攻に志願していた。妻、福子さんは夫を説得しようとしましたが、藤井中尉の決意は最後まで変わらなかった。 夫の決意を知った福子さんは、二人の幼子を連れて飛行学校の近くにある荒川に身を投げた。次女千恵子ちゃん(1歳)をおんぶし、長女一子ちゃん(3歳)の手と自分の手をひもで結んだ3人の痛ましい遺体が発見された。その遺書には「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」という意味のことが書かれていた。藤井中尉はこの事件の直後、3度目の特攻志願を行った。今度は自らの小指を切り、血書嘆願であった。今度ばかりは軍も諸般の事情から志願を受理した。それから約5ヶ月後、パイロットではない藤井中尉は、小川少尉の操縦する機に通信員として搭乗し、隊員10名と共に沖縄に向けて飛び立ちました。そして、『われ突入する』の電信を最後に妻子の待つ黄泉の国に旅立ちました。終戦の僅か2ヵ月半前のことでした。

勝手に思うままに26 娘への手紙

冷え十二月の風の吹き荒ぶ日
荒川の河原の露と消し命。母と共に殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父と殉じた哀れにも悲しい、然も笑つてゐる如く喜んで、母と共に消え去つた、幼い命がいとおしい
父も近く御前達の後を追つて行けることだらう
厭がらずに今度は父の膝に懐でだつこして寝んねしようね
それまで泣かずに待つてゐて下さい
千恵子ちゅんが泣いたらよく御守しなさい
では暫く左様なら
父ちゃんは戦地で立派な手柄をたてて御土産にして参ります
では
一子ちゃんも千恵子ちゃんも それまで待つて頂戴

 知覧の特攻平和会館で心に突き刺さり、子を持つ親として、とても考えさせられました。 2度と起こしてはならない戦争。いろいろなことを伝承していく責務が私たちにはあります。 広く深く伝えて行きたいと心から思った次第です。

勝手に思うままに 25

2009-12-04 09:18:55 | 平和
プロ野球セリーグ優勝監督の原監督は、選手たちを信じ切った、練習も他チーム以上にこなした。そんな自信や信頼が大きな力となったに違いない。 詳しい中身はよくわからないし、巨人ファンでもないのですが、威圧感のあるものが多く君臨し、選手のやる気や成長を妨げているのではないかと思われる巨人。WBCもしかり。私もそうですが、人に押さえつけられることほど不愉快なものはありません。
今日は、そんなお話を・・・・

勝手に思うままに25 他を圧する存在

京都の南禅寺のすぐ西に真々庵がある。
松下幸之助翁のPHP総合研究所 発祥の地であり、今は、人間国宝の作品だけを展示する美術館でもある。また、素晴らしい庭園、そして、その庭園の中には、根源として松翁が自らの哲学を思考した社が建てられている。 一般には非公開であるが、松下電器の迎賓館となっている。松下電器の役員でさえ足を踏み入れたことのない真々庵に、私は、運良く平成14年4月17日に上甲さんからご招待(無理矢理たのんだ><)を受けて行きました。

「かつて、一本の立派な松がありました。この真々庵の庭の中でも、とりわけ名物とも言うべき立派な松だったようです。その松を、松下幸之助は、ある時、切りたいと言い出しました。庭園を管理している庭師の親方は、そんなもったいないことはできませんと断りました。庭の中で一番欠かせない銘木を切るなんてとんでもないというわけです」。と言うのは、松下美術苑の苑長である徳田樹彦氏。その話の続き「最初、専門家の反対に遠慮していた松下幸之助ですが、あきらめ切れません。繰り返して庭師の親方に、切りたい と言い続けました。庭師の親方も最後には根負けして、しぶしぶ銘木の松を切りました。すると、どうでしょう。庭がぱっと明るくなり、今まであまり目立たなかった周囲の平凡な木が急に輝くような存在感を示し始めたのです。」そして徳田氏は、「松下幸之助は、他を圧するような存在感のあるものをあまり好まなかったようです」と話を締めくくった。
私は、その話を聞きながら、松下幸之助の人使いを知る思いがした。
平凡な人達を生かす、それが松下幸之助の人づくりであり、人使いの真髄ではないでしょうか。

鹿児島 知覧に行ってまいります。 土産話たくさん持ってきますので。

勝手に思うままに 24

2009-12-03 09:07:12 | 平和
年賀状の整理をしていたら写真入りの年賀状に、昨年はニューヨークシティーマラソン、今年は富士山登頂のはがきを見つけました。
差出人は、沖縄出身 義足のランナー島袋勉さんです。
島袋さんは交通事故で両足を切断、頭にも高次機能障害をおこし、目にも複視という障害がのこった。
事故から3年半後、義足でホノルルマラソンに挑戦する決意をしました。

勝手に思うままに24 あきらめない

「島袋さん運がよかったですね」足を切断した島袋さんに看護婦さんは言った。それほど凄まじい事故であった。
島袋さんは、足がなくなったんだから自分は運が悪いのだとずうっと思っていた。
そんな島袋さんの気持ちを変えたのはお母さんの一言だった、「それだけ痛い思いをして何も学ばなければ、ただの馬鹿だよ。」その後、過酷なリハビリーを経て、義足を使用するようになる。

障害を一生背負っていかなければいけなくなったわけです
皆さんならどんな風に考えますか?想像つかないですよね

島袋さんは、現状を受け入れようと考えたのです。
障害を受け入れる三つのポイント
1.「足があれば」という言葉は使わないでおこう
2.なにごとも足のせいに、障害のせいにしないでおこう
3.障害をかくさないでおこう
つまり裸になった、つらいことが多いのは裸にならないからだと考えたのです。

自分に苦手なことって何だろう?そんなことをいつも考えて、「ものが出来なくなるということは自分の体の状態ではないんだ。出来ないとあきらめたとき出来なくなるのだ」ということに気づいた。

また、人の表情についてもよく見分けがつくようになってきた
それは、人の表情を気にしてみていると「明るい人」「暗い人」がいます。
暗い人は、自分の将来の不安や出来なかったことのいい訳ばかり言っている。
これに比べて明るい人は、将来の夢を語る。
人は、体の状態で落ち込むのではない、暗くなるのではなく、夢をなくした時に人は暗い表情になり、出来ないとあきらめたときに人は暗い表情になるんだ、ということを島袋さんは、同じ病院で生活する人々を見ながら気づきを得ました。
そして、将来の夢としてフルマラソンを思いついたのでした。

義足のランナーはそれまでは何人かいたそうですが、いずれも片足義足でした。両足義足の挑戦ははじめて。無理だ。だめだというそんな意見を押し切り、見事ホノルルマラソンを完走した。

何事によらず、志を立てて事を始めたら、少々うまくいかないとか、失敗したというようなことで簡単に諦めてしまってはいけないと思う。
一度や二度の失敗でくじけたり諦めるというような心弱いことでは、ほんとうに物事を成し遂げていくことはできない。世の中は常に変化し、流動しているものである。一度は失敗し、志を得なくても、それにめげず、辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに、周囲の情勢が有利に転換して、新たな道が開けてくるということもあるはずだ。
世に言う失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに原因があるように思われる。

最後の最後まで諦めてはいけない。
夢をあきらめない。 私たちに、子供たちに感動と大きな夢を与えてくれた島袋さんに感謝。 拝