勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 21

2009-11-17 06:48:52 | 平和
11月15日に弊社の27回安全講習会が行われました。
この日、私は「ほうき」と「ちりとり」を全員分用意しました。
以前から行っているクリーン大作戦2と銘打って、各メーカーの作業する場所、荷を降ろす場所などを清掃しましょう。と、言うものです。場を清めるということは、お客様の荷物をより大切に思う気持ち、仕事の大切さを育む取り組みであります。職場を磨き、自分の心も磨かれる。そんな気づきを教えていただいたのが、日本を美しくする会 相談役 鍵山秀三郎さんです。

勝手に思うままに21 真の幸せとは

数年前から新宿駅を中心とした地域の早朝掃除が毎月1回、雨の中でも合羽を着て続けられています。
この活動は、日本を美しくする会が主となって、広島県警察本部長(現・警察庁安全局長)竹花豊氏が東京都治安対策副知事として就任されるに当たり、新しい職場である都庁の周辺をきれいにしてお迎えしようとして始めたことでした。
 在任中ほとんどの会に一市民として参加し、活動を支えた竹花副知事。途中から新宿区役所職員や、新宿商店街の方々の参加と支援があり、一層勢いが増しました。

多くの参加者は、新宿駅周辺が、自分の暮らしや職場環境、あるいは事業においてもまったく縁が無く、そういう地域のために、自分の貴重な時間と費用を使って参加をしています。

このように、人から顧みられないような些細な作業によって心が満たされる人と、反対に次々と大きな刺激を求め続ける人と、両極端な人が現れました。

日本ではいま、私たちの生活感覚とは大きくかけ離れた巨額のお金が飛び交い、一瞬のうちに多額な利益をもたらされる事象が相次いで起きています。
内容はそれぞれで、時には相手の無知やミスに付け込んで得た利益であったり、巨額なお金の力によって相手を捩じ伏せたりと様々ですが、一点だけ共通していることがあります。
それは、「相手が喜んでいない」ということです。

事業とは本来、長い年月と手をかけて育てていくものであり、農業者が土を愛するのと同じ気持ちで育てていくものだと思います。心血を注いで育てるから愛着があり、育てる幸せを感じるもの。

J・S・ミルが、「真の幸せとは、他人の幸福を奪うことなく、自分自身の幸福を追求することである」と述べております。タイガー・ウッズが快勝した時「相手のミスによって勝ったのではなくてよかった」とコメントしていました。若いウッズのフェアな精神に敬服しました。  以上 月刊致知 巻頭のことばより

竹花さんが副知事を退任するとき石原知事が見せた涙に同じ思いを感じました。

勝手に思うままに 20

2009-11-16 06:26:30 | 平和
京都へ行ってまいりました。 紅葉には少し早かったようですが、はんなり(上品で、明るくはなやかなさまをあらわす)とした時間をすごしてまいりました。 
写真は、清水寺のライトアップを写してきました。上の青いラインもライトです。
圓徳寺、高台寺、二年坂、三寧坂、清水寺のライトアップに至福と悠久なる時を過ごすことができました。
また、午前中は京都御所を申し込んで参観し(またの機会にアップします)、青蓮院を見て回りました。青蓮院では、説法の時間にあたり貴重なお話をお聞きすることが出来ました。
自分のあり方、いかに生きるべきかといったお話の中で、ふと気づいたお話を思い出したので、今日はそのお話を・・・・

勝手に思うままに20 誰かが見ている

サラリーマンのMさんは、出張中の駅のホームで、取引先の営業マンK氏を見かけました。携帯電話で的確に指示を出し、手帳にサッとメモを取る。服のセンスもよく、「一緒に仕事をしてみたい」とMさんはつねづね思っていた。ところが、改札を出て駅前の横断歩道にさしかかったとき、K氏は赤信号にもかかわらず平然と渡り、走ってきた車を止めたのです。Mさんは、その瞬間「仕事の能力はすばらしいのに、残念な行動だ」と思いました。ルールを守ることは、人間関係を良好に保つ最大の条件であり、ビジネスにおいては、さらに厳格に求められます。信号ひとつ守れない人が、ビジネス上のルールを適切に履行してくれるとは思えません。「この程度なら」とか「誰も見ていないだろう」という甘い考えで犯したルール違反を、誰がどこで見ているかわかりません。「誰かがみている」という意識を持ち、
日々暮らしていけたら、仕事ができたら、きっと幸せな人生が送れるだろうと、和尚の説法から学びを得る時間も頂きました。 拝

勝手に思うままに 19

2009-11-13 06:57:33 | 平和
ドイツの哲学者カントは、馬の蹄鉄屋の子に生まれました。生まれつきのくる病であった。背中にこぶがあり、乳と乳の間はわずか2.5インチ、脈拍は絶えず120~130、喘息で、いつも苦しげに喘いでいた。ある時、町に巡回医師がやってきた。少しでも苦しみを和らげられたら、と父はカントを連れて診せに行った。診てもらってもどうにもならないことは、カント自身も分かっていた。
 そんなカントの顔を見ながら、医師は言った。その言葉がカントを大哲学者にするきっかけとなったのである。

勝手に思うままに19 大哲学者の誕生

「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒と思うのは、体を見ただけのことだよ。考えてごらん。体はなるほど気の毒だ。それは見れば分かる。だがあなたは、心はどうでもないだろう。心までもせむしで息が苦しいなら別だが、あなたの心はどうでもないだろう。苦しい辛いといったところで、この苦しい辛いが治るもんじゃない。あなたが苦しいと言えば、おっかさんだっておとっつぁんだってやはり苦しい、辛いわね。言っても言わなくても、何もならない。言えば言うほど、みんなが余計苦しくなるだろ。苦しい辛いと言うその口で、心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。体はともかく、丈夫な心のお陰であなたは死なずに生きているんじゃないか。死なずに生きているのは丈夫な心のお陰なんだから、それを、喜びと感謝に変えていったらどうだね。そうしてごらん。私のいったことが分かったろ。それが分からなければ、あなたの不幸だ。これだけがあなたを診察した私の、あなたに与える診断の言葉だ。分かったかい。薬は要りません。お帰り」
 カントは医師に言われた言葉を考えた。
「心は治っていない、それを喜びと感謝に変えろ、とあの医師は言ったが、俺はいままで、喜んだことも感謝したことも一遍もない。それを言えというんだから、言ってみよう。そして、心と体とどっちが本当の自分なのかを考えてみよう。それが分かっただけでも、それが分かっただけでも、世の中のために少しはいいことになりはしないか」
大哲学者の誕生秘話である。

体が丈夫でも心がやすらかでなかったら、健康とはいえない。いや、たとえ体が病弱でも心が康らかなら、生命は健やかである。これは人間個々から小さな組織、国家まで、あらゆる生命体にいえることであろう。カントの逸話は私達にそのことを教えている。

勝手に思うままに 18

2009-11-12 06:45:06 | 平和
後悔のない人生はないけれど、後悔は少ないほうがいい。

「死が現実的なものになってくると、人は過去を振り返ります。
ライフレビューといって人生を回顧してもらうケアもあります」

日本最年少(当時)のホスピス医となってから5年、
大津秀一さんは、これまで1000人以上の死を見届けてきた体験から
『死ぬときに後悔すること25』(致知出版)を出版した。

勝手に思うままに18 死ぬときに後悔すること

会いたい人に会っておかなかったことを後悔する人。
故郷に帰らなかったことを後悔する人。
子どもが結婚しなかったことを後悔する人。
後悔の数は、人の数だけあった。

「実際、後悔の念が強い人ほど、終末期に、痛みを感じたり、
苦しんだりする傾向がみられます。
一方、人生を納得して生きてきた人、
自分の判断で道を選んできた人、
人生に満足している人は、苦痛も少なく、
よい終末期を送れる傾向がありますね。
できるだけ後悔の少ない人生を歩んでほしい、
そんな願いをこめて本を出しました。
私たち緩和医療の医師は、患者さんの体の苦痛は取り除けても、
なかなか心までは救えない。
究極的には自分の心を救うのは自分しかないんです」

では、後悔のない人生に必要なものは何か。
何ごとも自分の目で見て、自分で考える。
そして、自分で判断することが大切だ、と大津さんは言う。

「自分で出した答えは、たとえ間違ってもいつか納得しえます。
病気の治療も、納得して行うかどうかで、結末も違ってくるんです」

 そしてもう一つ。
「人生に満足しているかどうか、です。
仕事で成功し、裕福になったからといって、その人が幸福とは限りません。
自分と自分の人生をありのままに受け入れて、最期のとき、
振り返った自分の人生を『幸せ』と思えるような、
そんな生き方が理想ではないでしょうか」  以上

大津秀一さんは、11/15の午後9時より
  フジテレビの人気番組「エチカの鏡」で
  『死ぬときに後悔すること25』が大々的に取り上げられる予定です。
  
後悔の少ない人生送りたいものです。

勝手に思うままに 17

2009-11-11 06:32:30 | 平和
昭和の歴代首相や政財界のリーダーたちが師と仰いだ安岡正篤氏。『日本の父母に』安岡正篤・著という本の冒頭の中で、

「近代文明・現代文明社会の、一つの大いなる、根本的な欠陥、或(あるい)は悲劇、或は罪悪の最も中核的なものは家庭というもの、父母の道というものの衰えたことであります」永遠のテーマについて、とても考えさせられる本であります。
感動したお話の紹介です。

勝手に思うままに17 招待状

鈴木秀子さんは小学校の先生をしています。
小学校5年生の担任になったときのお話です。
クラスの生徒の中に、勉強ができなくて、服装もだらしない不潔な生徒がいました。その生徒の通知表にはいつも悪いことを記入していました。
 あるとき、この生徒が一年生だった頃の記録を見る機会がありました。
 そこには、「明るくて、友達好き、人にも親切。勉強も良くできる」と書いてありました。間違っていると思った先生は、気になって二年生以降の記録も調べてみました。二年生の記録には、「母親が病気になったために世話をしなければならず、ときどき遅刻する」と書かれていました。
 三年生の記録には、「母親が死亡、毎日、悲しんでいる」と書かれていました。
 四年生の記録には、「父親が悲しみのあまり、アルコール依存症になってしまった。暴力をふるわれているかもしれないので注意が必要」と書かれていました。
 先生は急にこの子が愛おしく感じました。悩みながら一生懸命に生きている姿が浮かびました。放課後、先生はこの生徒に、「先生は夕方まで教室で仕事をするから、一緒に勉強しない?」と男の子に声をかけました。
男の子は微笑んで、その日から一緒に勉強することになりました。六年生になって男の子は先生のクラスではなくなりましたが、卒業式のときに先生は男の子から、「先生はぼくのおかあさんのような人です。ありがとうございました」と書いたカードを受け取りました。卒業した後も、数年ごとに先生は男の子から手紙をもらいました。
「先生のおかげで大学の医学部に受かって、奨学金をもらって勉強しています」
「医者になれたので、患者さんの悲しみを癒せるようにがんばります」などと手紙に書かれていました。
そして、先日、届いた手紙は結婚式の招待状でした。そこには、
「母の席に座ってください」
と書き添えられていました。 以上

 本当に落ち込んでいるときに、一人でも自分のことを考えてくれて、励ましてくれる人がいてくれたらがんばれると思いました。悩んでいる人に気づいたら、声をかけてあげたいですね。
 どんな人でも、毎日、がんばって生きていると思います。先入観や固定観念を捨てて相手を見ることで本当のことが始めて分かると思います。他人のことを理解しようと思わなければ何もわかりません。

明日は、お医者さんが書いた本のお話です。

勝手に思うままに 16

2009-11-09 17:50:09 | 平和
敗戦後の日本はものすごい勢いで経済発展を遂げ、たいへん豊かになりました。
その基盤には、日本人は人をだまさない、不正をしない、なにかあれば責任を
とるといった精神が、世界から評価されてのことで、いまや「偽」に象徴される
なげかわしい、恥ずべき世相に成り下がってしまいました。
「われいかに生きるべきか」を考えながら行動したいものです。私がです^^;

多くの量や、難しいことをするのではなく、「自分のできることを、出来る範囲で、
それをあきらめずに」やっていくことが大切だと考えます。

今日は本の紹介です。

勝手に思うままに16 白い運動靴

「世界でいちばん大切な思い」(イ・ミエ著)という本の「お父さんの白い運動靴」
という話に感動しました。

結婚式の決まった娘さんのお父さんは義足をつけていました。でも、娘の結婚
式では、娘の手をとって式場に入りたいと思って歩行の練習を始めます。しかし
、娘さんはそんなお父さんの姿を婚約者に見せるのがいやでした。結婚式が近
づくと、お父さんの練習はさらに熱心になって、どこからか白い運動靴を手に入
れて歩行練習をしていました。
 「結婚式でお父さんが転んだらどうしよう・・・、その姿を見た嫁ぎ先の家族
はどう思うだろう・・」と考えて悩んでいました。
 結婚式の当日、練習の成果もあってお父さんは歩くことができたのですが、フ
ォーマルスーツ姿の父の足元が白い運動靴なのが変に思われないかと気にな
って仕方がありませんでした。
 それから数年後、お父さんが危篤という連絡を受けて、娘さんは病院に駆けつ
けました。お父さんは娘さんの手をとりながら、「おまえは夫を大切にしなさい。
お父さんは結婚式でおまえの手をとって式場に入る自信は正直に言うとなかった。
でも、おまえの夫が毎日のように訪ねてきてくれて励ましてくれて・・・。
転ぶと危ないからと、運動靴まで買ってきてくれたんだ」 と話しました。娘さんは
胸がいっぱいになって、何もいえませんでした。本当のやさしさを考えさせられま
した。がんばっている人を応援する人と馬鹿にする人がいますが、私は応援す
る人になりたいと思います。そして、人に馬鹿にされるくらいがんばる人になり
たいです。  以上

今までの自分の人生を反省させられるお話ってあると思います。
価値観が変わると、今まで見ていた世界が全く違うものになることもあります。
誰でも成功は約束されていない。でも、成長は約束されている。って誰の言葉だ
か忘れましたが、成長するために毎日、努力することって大切なことですね。

勝手に思うままに 15

2009-11-09 17:30:02 | 平和
今年 某公立高校のPTA会長を仰せつかっており、その研修旅行に昨日行ってまいりました。行き先は、彦根城と長浜。最近読んだ本に「幕末史」半藤一利著がありまして、彦根藩主 井伊直弼翁の見方が変わった後の出来事に、たまたま開催していた井伊直弼展をワクワクしながら見入ってしまいました。日本の歴史を変えた重要人物であります。事を起こすその覚悟は、自分の戒名を持って死を覚悟で政治に取り組んだ姿勢が浮き彫りになっていました。

勝手に思うままに 15 志高く生きる2

「もう、これ以上、我慢できない」。国民の抑えきれない、激しい怒りが、とうとう爆発しました。過日の衆議院選挙で、国民の怒りが、政治を大胆に動かす劇的な結果をもたらしたことは、まだ記憶に新しいところです。

しかし、「これで何もかも解決した」のでしょうか。むしろ、私たち国民にとっては、これからが正念場です。「日本の政治に、未来に向けて、国家としての明確な理念や長期的な計画をもたないことが、最大の問題だ」と主張してきた私たちの思いは、何一つ解決していません。

 今度こそ、政治家任せの政治ときっぱり手を切り、『私たち国民の手で、明確な理念・志と国家百年の計をもった新しい日本、より良い日本をつくってみせよう』ではありませんか。国民一人一人が生きる勇気と誇り、そして、将来への希望を実感できるような“新しい国づくり”です。

 日本の国を動かす主人公は、政治家ではありません。私たち一人一人が主人公になって、政治を動かすのです。私たちの強い思いを受けて、政治家が実現に動く。そんな新しい民主主義の始まりを期します。

 “よい国つくろう 日本!”を合言葉に、政治の現状を変えた国民が、今度は、志を持って、新しい日本をつくっていくために立ち上がろうではありませんか。日本人の一人一人が生き生きと日々を過ごし、未来に向けて明るい希望を持ち、日本人としての誇りに満ちた生き方ができるような国を、私たちの手でつくっていこうではありませんか。

「よい国つくろう!」 日本志民会議 設立趣意

よい国は自分たちの手で作るものです。

勝手に思うままに 14

2009-11-02 08:18:37 | 平和
10月31日東京のホテルオークラへ行ってまいりました。私が師事いたします上甲晃さん PF http://www.kokorozashi.net/2000/04/post-6.html が呼びかける「よい国つくろう!日本国民会議」設立大会に出席してまいりました。私が上甲さんとお会いしたのは、平成8年9月半田へ講演会の講師にお招きしたときに、送迎のお役を受けたのが切っ掛けでした。その前に講演を聞いていたので、送迎の車の中で私の会社の取り組みや私の思いをお話したり、相談を持ちかけたりしました。その話の内容を12年前に始めたデイリーメッセージという今でも書き続けている冊子に紹介していただき、講演会でも使わせてもらっているよ、というお話もいただきました。毎年、奥様の手作りケーキを必ずプレゼントしていただき、10/31に集まった全国から来た顔ぶれを見るにつけ、自分が大切にされていることに感極まる次第であります。10/31 14時日本を変える、日本が変わる。そんな瞬間に立ち会えたことにすばらしい感動をいただきました。
http://www.yoikuni-shimin.jp/ 

勝手に思うままに13 志高く生きる

上甲さんのお話に賛同し「志ネットワーク」という会に今でも参加しています。

志ネットワークの誓い

みんなが幸せになってこそ、自分も幸せになれる。

 そんなふうにみんなが考えることができたら、どんなにすばらしい社会が生まれることでしょう。

 人を犠牲にしたり、踏み台にして、人の不幸を喜び、自分だけは幸せでありたいとみんなが考えたとしたら、社会は必ず行き詰まってしまいます。

 「志」とは、みんなが幸せになれるようにするにはどうしたら良いかを求め続ける心とも言えます。

 私たちは、その思いを同じくする人たちとしっかりと手をつなぎ合って、新しい時代に向けて確かな歩みを始めます。

 そして、社会を良くするためには、何よりも最初に良くしなければならないのは「自分自身」であることを自覚して、共に励んでいくことを誓い、実践します。
以上

一番最後の実践しますというこのフレーズが、魅力を感じ、実際に行うその姿勢について行こうという強く思ってしまいますし、自分も上甲さんのようにと願うわけです。 

「よい国つくろう!」日本志民会議 国民会議から 志の民と書いて志民と名称変更されいろいろスタート 久しぶりに武者震いのする日でありました。 つづく