勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 92

2013-08-28 06:40:13 | 
以前 勉強会によく出かけました。

そこで学んできたことを紹介します。

勝手に思うままに92 機敏(きびん)と愚図(ぐず)

(すぐに行動する人)
1 「こころよく引き受けよう」という気持ちを、「ハイッ」という返事や顔の表情に
  あらわしている。
2 こちらの話をよく聞き、質問は最後にまとめて行う。
3 疑問点を解消し、仕事の概要を頭に入れる。
4 納期を確認する。
5 現在手をつけている仕事に区切りをつけ、依頼された仕事にさっそく取りかかる。

(すぐに行動できない人)
1 こころよい返事ができない。「ムリです」こう返す人もいますが、できないのか
  と聞き返すと、「やってみましょうか」と引き受ける。だったら、初めから気持
  ちよく引き受けてもらいたいと思う。
2 同じことを伝えたけれど、理解がされていない。話をよく聞いていない。
3 会議後にいろいろ疑問点を話し出す。自分一人で考えようとするため時間がかかる。
4 時間にルーズである。提出物の納期を守らない 一事が万事
5 「いそがしかったので」「思ったより手間のかかる仕事でした」等といういいわけ
  により、ギリギリにならないと行動を起こさない。

なにかことが起きたときに、すばやく判断し、すぐに行動することが(機敏さ)です。
この激変する時代には、特に求められるモノであり、経営・仕事の面のみならず、人生
の上においても心掛けたいものです。

(機敏さとは)
1 依頼されたことは、すばやく手がける。
2 理にかなったアドバイスであれば、必ず実行に移す。
3 必要な知識は、それに関する書籍を購入する。また、セミナー等に参加する。
4 有用な知識や情報は、すぐに活用する。
5 見込み違いがあれば、すぐさま中止、撤退を決断する。
6 トラブルが生じたときには、早急に対策を立てて、全力投球で解決する。
7 自分のあやまりに気づいたときには、すぐに訂正し、おわびをする。
8 良書は買い求め、「この人は」と思える人物には面会を求める。
9 ごちそうになったり、頂き物をしたりした場合には、翌朝までにお礼状を書くか、
  電話で感謝の気持ちを伝える。
10 お便りをいただいたら、翌朝までには返事を書く。

・すぐにできることはすぐに手がけ、〈1日のばし〉のクセを排除する。
・多くのすばらしい人との出会いが生まれる。
機敏さは、相手のことを思いやらなければ身に付きません。
こうすれば相手が喜ぶ、相手が安心するだろう。相手が楽になるだろう(はたらくの意味)
はた(周り、みんなが)が楽になる。

逆に、機敏さの反対は(愚図)です。 ハキハキせず、行動が遅れる。
これは能力の問題ではなく、相手のことより、自分のことを優先させる性格です。
辞書には、愚図【ぐず】ブツブツ不平を言うこと。
確かに、不平不満やグチ、言いわけのの多い人は、えてして機敏ではない。
自分のことばかり考えている → が(我)らく(楽) → 己の楽になることばかり考
えている → 不平不満やグチ、言いわけのの多い人は、からくた(多)といわれ、
お客様からも、仲間かも、会社からも、捨てられてしまう。

勝手に思うままに 91

2013-08-27 06:04:58 | 
今年も酷暑の日々が続きます。
自然の中では、秋を感じさせることも多く起こっています。

夕暮れ時、信号待ちをしている車の横を赤とんぼが飛んでいました。

雨が少なく、先日 知多カントリークラブの社長とゴルフをしながら
芝生の生命力の強さを教えていただきました。

コースの芝をよく見ると、葉が丸くなっています。
芝が、我慢をしているそうで、むやみに水を与えると、絶えず水を
要求するようになり、芝にはよくないそうです。

人間に照らし合わせても、尽きない欲望は身の破滅につながります。

松翁の指導書の中から

勝手に思うままに91 辛抱する

諸葛孔明が蜀の軍勢を率いて魏を攻めた時、これを迎えた魏の大将は
司馬仲達であった。仲達も名将どいわれた人だが、孔明の絶妙な軍略
には太刀打ちしがたく、戦っては何度か苦杯を喫してしまった。
 そこで仲達は方針を変え、陣をかためて戦闘を避け、持久戦にする
ことにした。
孔明はさかんに兵を出して戦いを挑ませるが、魏の軍は一向に応じな
い。ついに一計を案じ、女性の衣装を贈り、「戦う気がなければこれ
を着よ。もし男として恥を知るなら堂々と合戦してはどうか」と書を
届け、辱しめた。
 これを見た魏の武将たちは、仲達をせめ、「こんなに辱しめられて
は黙っていられません。ぜひ打って出ましょう」とせまった。
仲達自身も心中では非常に怒りを覚えていたが、しかしここが大事な
ところと、じっと辛抱し、たくみな策を用いて武将たちをも納得させ
て、ついに孔明の挑発に乗らなかった。
 そうした持久戦のうちに、やがて孔明は病を得て陣中に没し、蜀は
群を退いた。
そして孔明を失った蜀はその後ついに魏の軍門に降ったという。

 人間というものは、とかく勇ましさを好むものである。
だから、退くよりも進みたがり、戦いを避けるよりも、はなばなしく
戦うことを勇気ある行為と考えがちである。
そして退いたり、戦いを避けたりすると、それを臆病だとか卑怯だと
かそしったり非難したりする。
 もちろん、進むべき時に進み、戦うべき時に戦う勇気を持たなくて
はならないのは当然である。
それができなくては、臆病者、卑怯者といわれてもしかたがない。
しかし、耐えがたきを忍びつつ、退くべき時に退き、避けるべき戦い
を避けて、忍耐強く時を待つというひとは、実際は非常に勇気がいる
ことである。そういう態度は、その時はおおむね賞賛よりも、避難、
軽蔑を招くからである。

 さういうことを考えると、指導者というものは非常な忍耐心を一面
に要求されているといえよう。私の感情にとらわれず、いかなる非常
や屈辱にも耐え、自分の正しいと信ずる方針をつらぬいて、じっと時
をまつということができなくては、真にすぐれた指導者とはいえない。

「堪忍は無事長久の基。怒りを敵と思え」というのは徳川家康の遺訓
の一節だそうだが、指導者として大いに味わいたいことばだと思う。

指導者はじっと時を待つ忍耐心を持たなくてはならない  以上

とても深い話であります。
今思うと、自分もそのようなことがあったし、辛抱しきれなかったこ
とも何度もありました。 深い学びをいただきました。 拝


勝手に思うままに 90

2013-08-23 07:52:23 | ボーイスカウト
今年も、ボーイスカウトの夏季キャンプに参加してまいりました。
今年は、14日から4日間、郡上市の大月の森公園キャンプ場へ行ってきました。

4日間とも快晴で、一度も雨が降ることはありませんでした。
今年は、砦を作り、その上に子供たちが登れるように木を組みました。(写真)

私の役割担当は、夜話。
今日はその内容です。

勝手に思うままに90 感謝の心 

 今日は私の誕生日です  今日は私が生まれた日 つまり私の心ができた日
 お祝い  感謝のことば  ありがとう いただきます ボーイ み光のもと 
われ今幸いにこの浄き食を受く の意味  み光のもと 光とは、 太陽 阿弥
陀如来  智慧  われいま幸いに  わたしは今 幸せ  この幸せは  
今からご飯が食べれるから幸せといういみではなく、命あるものをいただくこ
とを知ること わかることの幸せ いのちあるもの お肉、やさい、さかな、
みそ、私たちが食べるいろいろなものには かならず命があります。 その命
をいただく 本当のことを知るよろこび 感謝の心をあらわしています。
この浄き とは これから話をする しぜんは 昔は じねん といっていま
した。
今から20年以上前に大坂の小学校で2年半にわたってブタを学校で飼うこと
をしました。 ブタを育てて、最後にはみんなで食べようということで飼った
のですが、やがてそのブタはペットのようにみんなから可愛がられるのですが
卒業の時に、そのブタをたべる、たべないに二分されてしまう。
このお話は、実際に会った話をもとに『ブタがいた教室』という映画にもなり
ました。私も見ましたがとても考えさせられる映画でした。
また、ある学校では、ひよこからにわとりを育てて大きくなったら肉にして
自分たちの作ったやさいでカレーを作るということをしているところもある
その授業を受けた生徒たちの感想は「最初はかわいそうだと思ったけど、命の
大切さを感じ、無駄がないように作ろうと思った」という命の大切さを知った
のです。でも、日々の生活の中では、豚肉や鶏肉はなにも考えないでおいしく
いただくわけでいざ、自分が育てたブタやニワトリとなると また違った気持
ちになり、本当の命の大切さ であったり、いただくとなれば、本当のいただ
きますという感謝の気持ちになるのではないでしょうか

自然への感謝
飛行機に乗ったことのある人であればすぐわかるのですが、日本は森や林が国
土に占める割合 世界3位  山ばかりでその山には緑の木がたくさん生えて
いる日本は自然大国
自然の中に 太陽  空気  水  木  土  火  すべて ただ
お金を払わなくても すべて手に入れることができる 
私たち人間は 自然と一緒に ずうっと生活してきました 自然がなくなると
生きていけない
その自然は時には、 ものすごい力で 私たちを 恐怖にたたせる
大雨による 水害  大地震による 大津波  台風などの 風や竜巻
その力に逆らうことができない。 だれも自然の災害を止められない。
日本は 昔から お米や野菜を 作ってきました。 それも自然と一緒に 台
風の時の大雨、強い風や逆に雨が降らない時には うまく作れない。 日本人
はその自然の力の偉大さに 山や川 水や火 風 太陽 すべてのものに魂が
ある 心があると 信じてきました。
その沢山の森から雨や風によってとても栄養豊富な水が川から運ばれて海へ流
れて その海ではプランクトンという 魚のえさが沢山できて 日本の近くの
海では おいしい魚がいっぱい取れる。 その魚の命をわたしたちが おいし
く 食事としていただく いただきますという 感謝のことばをそえて

 愛知県のとなり 三重県の真ん中あたりに 伊勢神宮があります
ことしは、式年遷宮といって 神様の 家の引越の年に当たります。
20年に1回 新しく建て替えて 新しいところへ引越を10月に行います
その伊勢神宮のまわりには100以上の神社があります。
1300年以上も前から 古事記 日本書紀という本に記されて
毎日 食事をつくって おそなえをしてきました。
そんな歴史ある国は 日本だけなんです。

ボーイスカウト活動の中でも新年 日の出  森林 営火の火の神 山の神
水の神 そして、大自然の中で、たのしく活動する すばらしいことなのです
わたしの小さかった頃 おじいさんたちに 台所やトイレには 神様がいる
だから大切に使わなければ、きれいにしなければいけないことをおしえられた
 とか、米一粒でも落としたら 目がつぶれるといって子供たちに米を大切に
する心を教え 目がつぶれることを信じ 育ってきました
たとえば ミズバチ という言葉があります。
昔は 下水道がなかったので、そのまま土へ 水が流れる仕組みでした
なので 熱いお湯をそのまま流すと 土の中の虫が死んでしまう という言い
伝えで その熱いお湯に 水を入れて冷ましてから捨てたそうです。 そうし
ないと罰が当たるということでミズバチと言うそうです。 そんなたとえ話が
いっぱいあるのです。
 まだまだ続きます。 (自分の覚書なので読みづらいと思います)

勝手に思うままに 89

2013-08-21 08:18:04 | 
久しぶりの書き込みです。
酷暑の中、体調管理が大変かと思います。
ご自愛ください。

勝手に思うままに89   十銭菓子と電気ソケット

江崎グリコの創業者・江崎利一さんは、松下さんよりちょうど一まわり上の同じ午年(うまどし)である。
昭和十年頃、大阪に出てきてグリコを売り出すとともに、広告を朝日新聞と毎日新聞に出した。
そうしたら朝日の広告部が、熱海にスポンサーを招待したことがある。そのときに、たまたま同席したのが松下さんであった。
お互いに業種は違っても、事業に対する信念、精神には相通ずるものが多く、どちらも裸一貫から事業を興した境遇が似ているせいか、非常に尊敬の念を覚え、かつ意気投合したものである。
そして時折会って話を交わそうではないかということになった。二人とも一文無しから商売をはじめたのだから「文なし会」といつとはなしに名付けられた。
江崎さんは戦後間もなく長男をなくした。あとを継がせるべく専務として育成中のことで、
江崎さんは失望落胆した。

すでに七十歳近くになり、孫はまだ幼い。親類の人たちは
「もうこれ以上、事業は広めるべきではない。大阪だけでこぢんまり縮小した方がいい」
と忠告し、そうするようにすすめた。どうしたものだろう、江崎さんは決断がしにくいので
松下さんに相談した。
このくだりは江崎さんの『商道ひとすじの記』に感動的に書かれている。
すると松下さんは『江崎さん、今さら何をいうのか。ここまで営々と築きあげたグリコはもうあんた一人のものではない。日本のグリコだ。やりなさい。親類がどういおうとやりなさい。
あんたがこれだけ広げたことはたいしたことだ。もう息子さんのことでくよくよしなさんな。
よし私があんたのところの重役になろう。なんでも相談に乗ろう。
あんたが死んで、あとうまくいかんようやったら、私がうちの若い者を引っぱってきて応援する。
お孫さんのことは引き受けたから、あんたはいままで通り積極的にやってほしい。いやいっしょにやろうじゃないですか』
そういって力強く励まし、私の肩をゆさぶってくれた。
さすがの私も、このときばかりはなすすべもなく、ただ男泣きに泣いた。

松下さんの友情はほんとうにうれしかった。持つべきものはほんとうの友人だということを、しみじみ感じた。
感動にうちふるえながら私は松下さんのいうように長男の死を乗り越え、事業の鬼になることを心に誓ったのである」松下さんは、江崎さんの孫の勝久さん(現・江崎グリコ社長)が大学を卒業したとき、「はじめから江崎グリコに入れると甘やかされるから一人前になるまでうちで鍛えてやる」と、三年間預かって鍛えた。
また江崎グリコが株を公開すると、さっそく株をもって、死ぬまで重役として応援しつづけた。
江崎さんと松下さんの交友は深く、友情というより、切っても切れぬ人間的なつながりになっていた。

松下さんを盟友にもったことは、私の誇りであり、心の財産だと、話されたこともある。
たかが子供の十銭菓子からグリコ王国を、電気ソケットから世界一の家電王国を築いて悔いなき生涯を終えたふたりは今、あの世で熱海の湯につかりながら、あれこれ話がはずんでいることだろう。
おふたりに受けた有形無形の深い感銘が温かく甦ってくる。