しゃけさんへ。
なぜだかふとした瞬間に、ふとしたこと、結構まえのこと、今の毎日に全然現れてこないことを、思い出すことありませんか。
思い出すものは映像だったり匂いだったり音だったり。
それらすべての総合形態で突如自分のなかから
ぼわん ひょろひょろ たらたら ふうわり
と記憶が生まれる瞬間は、興奮して、興味深くて、センチメンタル。
まちがいなく、生きるエナジーの1つです。
わたしたちの小学校のこと。
これを思い出すとき、たくさんの種類のにおいがよみがえってくるの。
ふしぎだけど。
グランドピアノのふたの中。図工室のしめった粘土。アコーディオンが入ったロッカー。
家庭科室の粉っぽく水っぽいにおい。自分のそれとは違う友達にランドセルの匂い。
鉄棒をしたあとの自分の手。体育館のステージの、赤い幕のほこりっぽい匂い。
ワックスがけをした次の日の教室。濡れた雑巾でふいた机。先生の机の引出し。
一輪車が入った倉庫。保健室の布団。刷りたてのプリント。ドリルの紙。
くさい雑巾。絵の具くさい洗面所の流し。日に当たったベランダの緑色の床材。
まだまだ、まだまだ。
細かいエピソードや友達とのやりとりや、あの日起こったささいな事件、
そんなのはもうどんどん薄れていってもう手が届かない。
ただにおいだけが鮮やか。
においは写真に撮ったり、テープに録音できない。
だから後でひとと共有もできない。
においの記憶によってひきおこされる感情もひとりのもの。
自分だけの、むふむふ。
においを言葉にするってすっごくむずかしいし。
ときにはにおいの記憶をチェーンのように引きずり出して
思い出を楽しむのもいいかもね。
きょうはそんなこと、考えてたよ。
ししゃも
【写真:しゃけ】