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将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

旭市1(千葉県)

2007年02月08日 | 縁地探訪(千葉県)
先日は、千葉県旭市(旧干潟町)の将門伝説を訪ねてみました。訪ねるにあたって「熊野神社」の場所については、マイミクの喜右衛門さんから詳しく教えていただきました。感謝です。

千葉県旭市(旧干潟町)へ行くにあたって、いろいろと経路等を考えたのですが、JR総武本線と旭駅前から小見川行きバスを利用するよりも、東京駅八重洲口前から出ている高速バス・銚子行き「犬吠号」(一時間に一便)を利用したほうが、費用・時間も便利なことが分かりました。東京駅八重洲口→干潟、乗車料金2,000円。

【熊野神社】旧干潟町清和乙
高速バス「犬吠号」は、湾岸線、東関東自動車道、東総道路を経由して、栗源、山田に停車して干潟に着きます。干潟バス停は、路線の中和バス停と同じでした。ここから、東総運動場を右に見て北西500mのところに「熊野神社」があります。神社前に、旭駅前から小見川行きバスの松沢坂上バス停があります。熊野神社の御祭神は速玉之男命、伊邪那美命、事解之男命。大同元年(806)東国の鎮護として紀州に坐す熊野の大神の御神託により三川浦を経て、勧請されました。本殿は立派で本殿脇には夫婦石や、入口に樹齢800年、高さ30mという杉の大木もあります。この神社に、将門が植えたという松の大木があったといいます。今は見当たりませんでした。
http://www.unakami.com/kirasse/rekisi/kumano.htm

熊野神社を後にして、西方の鏑木(かぶらぎ)集落へと向かいます。約1km
行くと、広規模の養豚場があるところに御前鬼塚古墳、長熊古墳などの「父原古墳群」があり、鏑木集落に近くなると滝台古墳、さらに「鏑木大神」が見えてくると浄泉坊塚、泥内古墳、法王塚などの「鏑木大神古墳群」があります。この台地には、全長が100m以上ある御前鬼塚古墳をはじめ多くの古墳が散在し、その古墳には鉄製の直刀が副葬されていたことや周囲に産鉄遺跡の多いことからして、強力な族長が長期に亘って勢力を維持していたことが推定されます。
「滝台古墳」
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/e_bunka/bunkajyouhou/bunkaisan/shiseki/hikata19-1.html
「泥内古墳」
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/e_bunka/bunkajyouhou/bunkaisan/shiseki/hikata19-5.html
「法王塚」
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/e_bunka/bunkajyouhou/bunkaisan/shiseki/hikata19-3.html

【鏑木大神】旧干潟町鏑木
境内に鏑木大神古墳がある稲荷社で、大同年間(806-810)に創建とされています。この大神は、縄文の神・精霊から古墳と産鉄時代の神・稲荷社を継承した神であって相当古い大神のようです。古代では、寺社が訪問者を泊める宿舎の役目を果たしていたといわれています。また、鏑木大神の近くには瓦を焼いた跡もあり、当時盛んに仏教を採り入れていたことが判ります。境内の古墳は、将門が木馬千匹を埋めた場所でもあると伝えられています。
「鏑木大神古墳」
http://www.pref.chiba.jp/syozoku/e_bunka/bunkajyouhou/bunkaisan/shiseki/hikata19-2.html

【正賢寺】旧干潟町鏑木
鏑木大神のすぐ南にある「正賢寺」は、弘仁2年(811)に源胤之法印の創建とされています。寺伝によると、《承平七年(937)、将門が三ヶ月間この寺に滞在し、謝礼として一寸八分の土仏不動尊を下し置いたという。これにより、この寺は寺号を「将門寺」と改め、後に「正賢寺」に戻した》という。汁物として、将門が使用していた烏帽子、笏、唐墨が伝えられており、平成15年に開催された大利根博物館や関宿城博物館の「将門展」で展示されています。この寺は、明治元年に廃されましたが、跡地に茅葺の一宇(不動堂)が残っています。

ついでに、鏑木城址に寄ってみました
「鏑木城址」旧干潟町鏑木
正賢寺の南西すぐに「鏑木城址」があります。千葉氏系鏑木氏がこの城に入ったのは寛喜年間(1229~1231)で、その後約350年間居城していました。
http://yogokun.hp.infoseek.co.jp/kaburahg.htm

これで寄ってみたいところは全て訪ねてみましたので、あとは高速バスの干潟バス停へと向かいました。

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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私の、先祖が来た場所。 (小林 喜代志)
2012-06-29 17:44:03
今日は、私の先祖が鏑木城より同士3名で鹿島に渡って来ました。それから17代に成ります。名前も改名せず渡って来ました。それから私興味有りましたので、鏑木城跡見に行きました。すでにそのあとは無く、民家がはたけ作ってました。from kiyoshi kobayashi
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