将門ブログ

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3「将門の母・犬養春枝の娘」

2008年01月03日 | 将門の乱
今回は「将門の母・犬養春枝の娘」の話です。

○「犬養春枝の娘」
『尊卑分脈脱漏』によると将門の母は、下総国相馬(茨城県取手市寺田周辺)の名族・縣(あがた)の犬養春枝の娘です。この縣・犬養氏(奈良朝の頃、下総少目として下りし浄人の裔なりと伝う『平将門故蹟考』(織田完之))の居館がこの地であり、したがってここが将門出生の地であるといいます。また、もうひとつは、取手市戸頭の住都公団戸頭団地の南、利根川に近い場所にある「戸頭神社」がそうであるとの伝説もあります。いずれにしてもこのあたりが相馬郡であり、当時、子は母方の元で育つのが普通であったので、将門を相馬小次郎と称したのだといわれています。将門の出生地又は育った地の伝説は各地にありますが、以前ご紹介した「三仏堂」がこの近くにあることなどを考えると、いかにもこの地がそうであったような感じがします。
将門の母・犬養春枝の娘は、中年にして夫・平良持が死に未亡人となった彼女は、長男の将門に一家の再興を託しました。夫の遺領をその兄弟(将門の叔父たち)に横領された彼女は、将門(このころ京都の藤原忠平に仕える)の留守中、実家・犬養家の支持と家人たちの働きによって、ようやく家を維持していました。一時、実家にその子たち(将門の弟たち)を預けて養育していてもらっていました。犬養氏は、馬や牛の放牧地を所有しており財政の基盤となっていました。また、将門が所領した下野国猿島郡、豊田郡、相馬郡の辺では、九世紀後半には製鉄が行われていました。
http://www3.ocn.ne.jp/~thirao/earlylife1.htm
http://homepage3.nifty.com/jyoso/zyousou/masakado.html

○「将門の幼名・相馬小次郎」
将門の幼名は相馬小次郎です。これは、相馬にある母の実家との深い関係を示しています。あるいは将門は幼時、外祖父・犬養春枝のもとで過ごしていたかもしれません。このことは、父・良持の許しがあったから名乗れたわけで、その関係は一通りのものではなかったようです。このことはまた、父・良持が実の兄弟よりも妻の実家を信用していたことを示すものです。なお、将門は長男でなく三男だったといいますが、小次郎という名は次郎の次を示す三男を意味するもので、上の二人はもう亡くなっていたものと考えられます。史家によっては、次男説、三男説と分かれています。
「私本・相馬小次郎将門」
http://www.boon-gate.com/special021/

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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1 コメント

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田路氏 (世良 康雄)
2017-01-03 02:28:46
私父先祖は田路姓故に、平将門→千葉氏の家系と思っているので、先祖勉強中です。
平将門母県犬養春枝娘実家は、天慶承平の戦でどんな働きで、現在はどんな権威か教えて頂くと有り難いです。

住所 神戸市中央区の湊川神社南側
誕生1970.12.28
学歴関学大商学部
父世良英雄(神戸市西区秋葉台民生委員、MRA&Amnesty超低周波音心臓機器脅迫以外先祖話等)
母旧姓芳原トヨ子(徳之島親戚神戸市長田区東尻池育ち、MRA,Amnesty'05X'mas命日冷凍睡眠噂Life神戸店店内放送声)
弟世良卓也(神戸学院大、トヨタレンタリース勤務)
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【mixi RAMBO】http://m.mixi.jp/home.pl?
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