レンタル中の最後の1本、
プロコル・ハルムのライブDVDを観た。
いい歳をしたオジサンたちの顔を眺めながら、
誰が誰なのか、
昔アルバムで見ただけの顔では、想起のしようもない。
楽器で判別するようなもの。
だから、
このオジサンの顔を見ても、
こちらの姿を見ても、
こちらの顔を見ても、
そして、このオジサンの姿を見ても、
演奏が始まるまで、誰が誰なのか分からないまま、
楽器で見当をつけるだけ。
彼らの≪顔≫に対して、そもそも昔の顔も知らないに等しいから懐かしいという感慨を抱くことはなかったし、ない。
けれど、
曲が始まったら、ああ、なつかしのプロコル・ハルム。
彼らは、間違いなくプロコ・ハルムだ。
そして、好きなのは、
やはり、『グランド・ホテル』・・・何度聴いても、心が動く。好きなものというのは、そうしたものなのだろう。
わたくしは音楽は専ら≪聴く≫ばかりで、滅多に≪見ない≫。
なので、演奏者の顔はほとんど知らない。
アルバムに映っている顔も、眺めてもすぐ忘れてしまう。
クラシックのコンサートやジャズはよく聴きに行ったし、いまも行くけれど、ライブに足を運ぶなどということは、ロック系ではまずないし。
それでも、好きなグループは好き。
好きなシンガーは好き。
そうした好きなロックアーティストやロックミュージシャンの曲は
好きなように聴いてきた。
けれど、ファンだという方たちと出会うとよく驚かれた。
彼らの顔を知らないということに加えて、
えっ、●●が▲▲に移籍したのを知らないの!?という顔をされたり、
えっ、○○は、□□の歌詞を書いていたこともあるんですよ、(それ、ご存知じゃないんですか、という感じ)
わたくしは、自分が知る必要のないことは知らない。
そうしたことは≪聴く≫上で、わたくしにとって何の意味もない。
それでいい。
けれど、こうして初めてしみじみと
昔聴いていた曲を演奏し歌う彼らの顔を眺めていたら、
なんだか、タイムスリップしていくような不思議な感慨を抱き、同時に、出会いが、とても新鮮だった。