璋子の日記

Beside you

魂の喜びと哀しみ

2006年05月22日 23時55分41秒 | 日々の日記

いま、午後11時半・・・
このところ、電位治療と温熱治療の時間のずれで、午後遅い時間に目覚めているせいか、こんな時間でも起きていられる。

昨夜遅く、Sさんから久しぶりに電話があった。
先日、新しく出版した楽譜が贈られてきたお礼もしていなかったので、そのことを言うと、先方は、その作曲の仕事を一年間きっちり休むことにしたという。
何年間も、作曲の仕事で煮詰まっていたのを知っているだけに、リアルな生活とのバランスが極限状態になりがちなことを知っていたので、何度か、仕事を休むように薦めてきた。やっと、その気になったという。

きっかけは、奥様の癌の転移とその看病。
奥様は、入院されたという。それで、やっとご自身の時間が持てたといわれた。
わたくしに何度も電話をしようと思っては、受話器を置いたという話を聞き、気持ちも、状況も、よく理解できた・・・・。

 

 

男と女は、難しい。

友情でも、こころの友でも、そこに男女関係がなければいいというものではなく、場合によっては、そうした世俗の性的関係がないからこそ、だからこそ、
そこに第三者が入り込めない世界が生まれることもある。生まれれば、
身近な人に疎外感や寂しさを味合わせてしまう。

秘密にしていればいるほど、分かってしまうものだ。
だから、距離を置かせていただいてきた。

妻や夫という異性であればなおさら、そんな関係の二人になにを感じるだろう。嫉妬だけではなく、女性なら、自分に対してやさしい夫であればあるほど、夫が他に自分の立ち入れない世界をもったなら、さぞかし疎外感を感じてしまうだろう。それは、やがて夫の世界にもひび割れが起こる。

夫婦であっても、自分から見て、相手は客体化できる他者。
性的な結びつきや情愛の積み重ねを経て、生活をともにし、
子供がいれば、親として育児や教育を協力して担い、やがては同志的な家族になっていったとしても、
相手に入り込めない世界があれば、
入り込ませられない世界というものが、そこに生まれたらどうだろう・・・・

 

夫や妻に対して、若い頃の恋愛感情ではない愛情を抱くようになる多くの夫婦にとって、やがて、その存在では満たされないものを別の存在によって満たされるという、そうした関係性が別の異性との間で育まれた場合、それが、性的な関係に終わるものであれば、逆にどうということはないのだ。浮気と呼ぼうがフリンと呼ぼうが、同じだ。
けれど、そうした性的な欲望や情愛ではないもので結びついてしまったとしか言いようがない場合、そんな夫や妻をもった人たちは、疚(やま)しい思いはないと配偶者に、誰よりも自分に言い聞かせることができたとしても、
その二人が、男と女である場合、
身近にいる人の嫉妬や疎外感は内向するのではないか・・・・・。

幼友達であれ、
学友であれ、
そこに第三者が入り込めない世界を
夫や妻が伴侶ではないほかの異性との間でもっている場合、
そうした世界に対する思いが深く潜行すればするほど、難しい感情のコントロールが必要になってくると思うのは、わたくしだけだろうか。

 

魂としかいいようのないものが求めてやまない相手に出会ったとき、
それが、異性であった場合、そのような相手にすでに妻や夫がいたら、
どうなるのかしら・・・・

わたくしに分かっているのは、いまのところ、お互いに、
限りない自己抑制が求められるということだけ。

そうした自己抑制に耐えられるとしたら、
そこには、やはり喜びがあるから。
けれど・・・・、その先には、なにがあるのだろう。

先のない人間が、先を考えるというのはおかしいかしら。

 

Soulのフォルダ、
喜びだけで満たすのは、難しそう・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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