璋子の日記

Beside you

探し続けている限り、変わらないこと

2006年06月18日 17時48分07秒 | 日々の日記

何が好きだったんだろう・・・・と振り返っている。
あの当時の自分にとって、このグループの何が、魅力的だったのだろうと。
いま、『Third』、このアルバムを聴いている。



この週末、「Soft Machine Regacy」と銘打ったライブが、
川崎のクラブチッタでやっている。
春先に行こうと思ってチケットを予約していた。その頃には歩けるようになっているだろうという楽観もあったし、なんだか無性に懐かしくて、当時のことを振り返ってみたいという個人的な思いもあった。そして、キャンセル・・・・。

ソフトマシーンといっても、このグループは、いつの時代のどのアルバムが好きだったかで、人によってイメージがだいぶ違うのではないかしら。
わたくしのとってのソフトマシーンは、
ラトリッジ、ワイアット、ヒュー・ホッパー、そしてエルトン・ディーンといったメンバーまでのイメージのままだ。
初期の頃の彼らを紹介してくれた人は、アレンやケビン・エアーズが好きだったらしい。わたくしの上の世代が青春時代に嵌ったサイケ調と言われた一連の音楽やアートの一つとして紹介された。けれど、サイケ調と言われた音楽は、どうも、わたしには合わないといった思いがすでにあり、正直、初期の頃のケビン・エアーズをいいと思った記憶はない。
でも、ソフト・マシーンは他のグループやアーティストたちと違って、当時のわたくしを魅了したことは間違いない。
いったい、何が良かったのか・・・

ワイアットがいなくなった時点で聴かなくなってしまったような気もするし、
ディーンのサックスがなくなった以降なのか、それでも、ラトリッジが抜ける頃までは聴いていた気がする。いまとなっては記憶も定かではないけれど、最後はラトリッジまでいなくなったと知ったとき、そんなグループを、ソフトマシーンと言えるのかと思ったものだった。誰かが憤懣を口にしていた気もするけれど、すでにそうしたことに、もう関心がなくなっていたから、すごく短い期間のことだったんだと後年、あらためて気付いた。

あれから、数十年になる。

入れ替わったメンバーでのその後のソフトマシーンは知らない。
メンバーの変遷著しいこのグループを、20代にはすでに聴くこともなくなっていた。

けれど、ソフト・マシーンと聴くと、
なぜか、心の中が騒ぐ。

去年、紙ジャケのCDを買い込んで聴きなおしてみた。
いろいろと思うことはあったけれど、やっぱり、ここまでかなあ、と思ったのが、
「Third」というアルバム。

不思議。
まるで、当時といっしょだ・・・
好きなもの、気になるものというのは、幾つになっても変わらないものなのかもしれない。それは、なぜか惹かれてしまうという人や好きになってしまう人というのが、実は変わらないというのと似ている。
きっと、同じなのだろう。わたくしが探し続けている限り、それはきっと変わらないのだろうという気がする。

困ったことは、
何を探し続けているのか、誰を探し続けているのか、
時々、分からなくなることだ。

 

 


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