璋子の日記

Beside you

膠原病について考える─8

2006年06月17日 22時33分49秒 | 闘病記録、お役立ち日記

膠原病は、相当のストレスがかかった状態で発症するということ。

思い当たらないけれども、5年前ということで遡ってみる。
あのときの交通事故が発症のきっかけだったのかしら、
と思い出したりしている。

5年前の交通事故・・・
仕事の帰り、スーパーで食品の買い物をしてからタクシーに乗ったその帰路に、スピード違反のスポーツカーに追突されて、乗っていたタクシーは対向車線まで飛んで横転して停車。
かなりの事故だったのに、ほとんど無傷。それどころか、警察官との面談の後、救急車に乗ることを固辞、娘がお腹を空かせて待っていますからと言って他のタクシーに乗り継いで帰宅したくらいだった。

帰宅後、落ち着いてから、痛み出した。深夜に急患で病院へ。
首の頚椎捻挫と指の骨折が数箇所で、全治2ヶ月だった。
実際には、1年以上かかったけれど・・・・

かなりのストレス、ということで思いつくのは、
そのときの交通事故しかない。

こうした事故の衝撃が、
膠原病発症の原因になったりするのかしら・・・。



膠原病の素因となる遺伝子というけれど、
わたくしの家族、兄弟、親戚は、皆、健康と言っていい。
父と従妹のケースはあるけれど、他は、難病やこうした病とは、無縁。
こういう言い方はどうかと思うけれど・・・・、皆健康と折り合いをつけながら社会奉仕させていただいている、そんな親戚ばかり。
だから、血族に流れる病といったイメージは、まったくない。

けれど、生まれ持ったDNAが膠原病を発症させる素因で、それが、過度のストレス(交通事故とか・・・)によって生体変化を起こし、その結果、こうした病状を発症するのだとしても、5年前の交通事故が、そうしたものに当たるのか。
全治2ヶ月程度の怪我で、膠原病を発症したなどとは納得できない。


ある和尚さまに言われたことを思い出す。

「あんたはなあ、それは、皆の分を背負っての業病だなァ。寺生まれの者には、一人、そうした人間が生まれるんじゃ。辛かろうが、大丈夫だから、耐えなさい。あんたは、大丈夫だ。」

これが、病気の背景だなどと言えば、普通、
一般的には受け入れられるものではないだろう。わたくしもかなりのリアリストだから、こうしたことを言えばどう受け止められるかは分かっている。
けれど・・・・、お寺で育つと、ちょっと普通、体験しないような体験もするしさせられる。もっとも、お寺といっても、今ではクリーニング店を兼業したり、幼稚園を兼業したりといったお寺もあるし、生臭坊主と言われるお坊様たちもおられるようだから、ちょっとイメージしてもらえないかもしれないけれど。

膠原病を患って長い従妹も、お寺生まれのお寺育ち。
30代後半となったけれど、いまだ嫁にいかずお寺に居る。
物静かでいつも笑顔を忘れない妹のような美しい従妹・・・・


お寺の人間に時折現れるという「業病」のお話をして下さった和尚さまは、
数年前、ご病気で亡くなられた。

 

和尚様のお言葉通りなら、わたくしや従妹は、膠原病という病気を背負わされたことになる。それが、そうした「業」というものならば、それは、なんだろうと改めて考えてしまう。
それよりも、
わたくし個人の「業」の方が、余程深そうだ。
因果者だという由縁である。

 

 

 

 

 


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