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誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 86

 ベッドの上のアサダさんは、さっきロープを手にしていたアサダさんとは対象的に、上下ともに白い近いベージュの服装で横たわっていた。
 私は混乱しながらも、反射的にベッドの上で横たわるアサダさんに顔を近づけてその呼吸を確かめる。
 ―息をしている。ゆっくりと安定したリズムだ。きっと眠っているのだろう。

 私は安堵に胸をなでおろした時、リンが遅れて部屋に入ってきた。
「ねえ、どうしたの、何があったの!?」

 自分を落ち着かせるために一つ大きく深呼吸したタイミングで、さらに後からヒカルとおばあちゃんがやってきて、私たちのただならぬ様子にリンと同じことを聞いてきた。

 私は今ここで見たことを全て皆に話した。
 部屋の中に見えた黒い服のアサダさんが、ここで寝ている人物の首にロープを巻きつけようとしていたこと。
 慌てて部屋の中に入ったら、黒い服のアサダさんは恐らく裏口から出てしまい、もういなくなっていたこと。
 そして、ベッドに横たわっていたのは、白い服を着たもうひとりのアサダさんであり、今なお眠ったままであること。

 おばあちゃんとヒカル、リンは、同時にとても悲しそうな顔をした。 
 特に黒い服のアサダさんがロープで、今寝ているもうひとりの自分の首を締めようとしたということに、ひどく動揺していた。

「あってはならないことね。トモくんが気づいてくれて本当によかった・・・」
 おばあちゃんが神妙な面持ちでとても静かに言った。
 ヒカルもリンも、その言葉に小さくうなずき、三人は沈黙した。 
 ことの重大さに、誰も何も言えないことが伝わってきた。
 恐らく、黒い服のアサダさんは自分を殺めようとしたのだ。

 アサダさんは自分にとって大切な存在だ。そのアサダさんが人知れず苦しみ、そのような行為に思いを至らせてしまったことに心が痛む。そして、あのニュートラルポイントの一本道で命をつないでくれた無数の先祖の思いを胸に受け止めた私にとって、そのことが如何に多くの人を悲しませるつらい出来事であるかを痛感できた。
 おばあちゃんは私にとっては一番身近な先祖だし、リンは生きたくても生まれ出ることができなかった存在。そして、ヒカルは未来に命を託されるべき存在。そんな、過去・現在・未来の無数の命の巡りが繋がりながら育まれているこの宇宙に、大きな大きな悲しみの穴が開くのだ。

 そして、それほどまでにアサダさんはなぜ苦しめられてしまったのだろう。
 誰にでも人には言えない悩みはある。
 過去のトラウマかもしれないし、未来への不安かもしれない。
 ひょっとしたら私には永遠にわからないことかもしれない。
 それを暴くことで、彼女を救えるというのなら、そうするべきなのかもしれない
 しかし、本当にそうなのだろうか。それは、人に知られたくないことかもしれない。
 あるいは、自分でも理由のわからない不安や恐れがそうさせているのかもしれない。
 正直、私には何もわからなかった。

 でも、今私がするべきことだけは、はっきりとわかった。
 
「俺、黒い服のアサダさんを探してくる。今ならまだ、きっと間に合うから」

 現在の時間である今を生きる自分たちの選択が、この宇宙をつくっている。
 ここに来るまでの道中で、そのようなことをヒカルは言っていた。
 今ならその意味が何となくわかる気がする。

「みんなはここで、寝ているアサダさんを見守ってて」
 その言葉に素直に3人は頷いた。
 皆、わかっているのだ。
 現在を生きる私たちだけが、この宇宙の行く末を決めることができるという事を。 


・・・つづく。
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