土下座
2013年11月11日 | 雑
5年前に一度お参りした地域ですが、
松山の北の方52番と53番札所は行けてなかったので今回2度目も含めて8箇所お参りしてきました。
松山までは高速道路を使って2時間半位で行けます。
松山周辺の地理は昔少し住んでいた事がありますので大体分かります。
しかしお寺は町中の入り組んだ道の中にあったりすると探すのに時間がかかったりします。
そこで今回初めてカーナビを使って巡る事にしました。
高速道路を走行していますと、後700mで高速Nシステムですとか、合流しますとか、取締エリアですとか、
やたら滅法しゃべりまくっています。
そんなこんなで松山IC付近に来ましたが、特に左に降りろとかの案内もなく、
知ってる道筋へ車を走らせていましたが一向に案内がなく道路状況だけを淡々としゃべっています。
こりゃちと変だと思い車を道路脇に止めてカーナビをチェックしました。
何分初めて使いながらの走行には無理がありました。
元々確認してなかったのが悪かったのです。
案の定、お寺の名前で検索はしていましたが、
「目的地設定」がなされていなかったので単に道路状況を喋っていただけでした。
さらに「目的地設定」だけでは案内されなくて、
さらにさらにチェックしますと「案内開始」というのがありまして、
やっとこさ「この先700m左」だとかまともな事をしゃべるようになりました。
それでもまだ慣れていないので少し手前で早く右折したりしますと、
直ぐに「その先左で直ぐ右に行け」「ルート変更です」とおっしゃって案内してくれます。
松山は少し地理が分かっているぶん、こちらがナビを無視して行った事もあってか、
「ルート変更です」の多かった事。反省です。
何時もながら前置きが長くなりました。
北の方から南の方へと逆打ちコースです。
三番目に訪れた51番石手寺で昼食にし、食後参道に向かって道路を横切り歩きかけた所ですぐ左脇にそれがありました。
5年前に訪れた時には特に気が付かなかったし当然写真も撮っていませんでしたが、
う~む、これって今話題の「土下座」のポーズではあっりませんか。
横から見ますとやっぱどう見ても「土下座」をしていますね。
ちょんまげだし最近のものでは無さそうです。
そもそも「土下座」の坐像なんていうものは聞いたこともないし有るとも思わないものですよね。
ただ今回は世間で話題になっているあの「土下座」ですから好き嫌いは別として興味がありました。
何か謂れがあると思ってネットで調べてみますと、
「衛門三郎」と言う伝説上の伊予の人です。
弘法大師さんと関わりがあり、「逆打ち」の元祖でも有り、また「石手寺」の名前の由来にもなったということです。
へぇ~な「お遍路トリビア」でした。
石手寺には4年に一度取り替えているという大わらじが仁王門のところに飾られており、
今回しっかりと写真に収めてきました。
里山の大わらじは、大きさも作り方も大体これと同じ物になると思われますので参考にできればと思っています。
今回一番気に入ったお寺の庭は48番西林寺の境内です。
何て言っても石好きには堪りません。
庭の手入れも行き届いていて気持ちの良い境内です。
持って帰れるものなら頂いて行きたいところですが、若干重そうなので写真だけにしておきました。
ここを入って直ぐ左側には池がありまして、大きな錦鯉が口を開けて「みんなコイコイ」と言っていました。
おまけに植木としてサボテンらしきものが植わっていたのにはビックリしました。
う~む、48番西林寺、なかなかやってくれるではないかえ。
表題写真は、47番八坂寺のお大師さんです。
ちょうど大師堂修復中の為、お大師さんの坐像を本堂内の左側のよく見える位置に安置されていたので、
これ幸いと写真に収めさせて頂きました。
普通は大師堂の奥に安置されていて拝む時にはあまりよく見えないのです。
本日は46番浄瑠璃寺で打ち止めと致します。
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
有難うございました。
松山の北の方52番と53番札所は行けてなかったので今回2度目も含めて8箇所お参りしてきました。
松山までは高速道路を使って2時間半位で行けます。
松山周辺の地理は昔少し住んでいた事がありますので大体分かります。
しかしお寺は町中の入り組んだ道の中にあったりすると探すのに時間がかかったりします。
そこで今回初めてカーナビを使って巡る事にしました。
高速道路を走行していますと、後700mで高速Nシステムですとか、合流しますとか、取締エリアですとか、
やたら滅法しゃべりまくっています。
そんなこんなで松山IC付近に来ましたが、特に左に降りろとかの案内もなく、
知ってる道筋へ車を走らせていましたが一向に案内がなく道路状況だけを淡々としゃべっています。
こりゃちと変だと思い車を道路脇に止めてカーナビをチェックしました。
何分初めて使いながらの走行には無理がありました。
元々確認してなかったのが悪かったのです。
案の定、お寺の名前で検索はしていましたが、
「目的地設定」がなされていなかったので単に道路状況を喋っていただけでした。
さらに「目的地設定」だけでは案内されなくて、
さらにさらにチェックしますと「案内開始」というのがありまして、
やっとこさ「この先700m左」だとかまともな事をしゃべるようになりました。
それでもまだ慣れていないので少し手前で早く右折したりしますと、
直ぐに「その先左で直ぐ右に行け」「ルート変更です」とおっしゃって案内してくれます。
松山は少し地理が分かっているぶん、こちらがナビを無視して行った事もあってか、
「ルート変更です」の多かった事。反省です。
何時もながら前置きが長くなりました。
北の方から南の方へと逆打ちコースです。
三番目に訪れた51番石手寺で昼食にし、食後参道に向かって道路を横切り歩きかけた所ですぐ左脇にそれがありました。
5年前に訪れた時には特に気が付かなかったし当然写真も撮っていませんでしたが、
う~む、これって今話題の「土下座」のポーズではあっりませんか。
横から見ますとやっぱどう見ても「土下座」をしていますね。
ちょんまげだし最近のものでは無さそうです。
そもそも「土下座」の坐像なんていうものは聞いたこともないし有るとも思わないものですよね。
ただ今回は世間で話題になっているあの「土下座」ですから好き嫌いは別として興味がありました。
何か謂れがあると思ってネットで調べてみますと、
「衛門三郎」と言う伝説上の伊予の人です。
弘法大師さんと関わりがあり、「逆打ち」の元祖でも有り、また「石手寺」の名前の由来にもなったということです。
へぇ~な「お遍路トリビア」でした。
石手寺には4年に一度取り替えているという大わらじが仁王門のところに飾られており、
今回しっかりと写真に収めてきました。
里山の大わらじは、大きさも作り方も大体これと同じ物になると思われますので参考にできればと思っています。
今回一番気に入ったお寺の庭は48番西林寺の境内です。
何て言っても石好きには堪りません。
庭の手入れも行き届いていて気持ちの良い境内です。
持って帰れるものなら頂いて行きたいところですが、若干重そうなので写真だけにしておきました。
ここを入って直ぐ左側には池がありまして、大きな錦鯉が口を開けて「みんなコイコイ」と言っていました。
おまけに植木としてサボテンらしきものが植わっていたのにはビックリしました。
う~む、48番西林寺、なかなかやってくれるではないかえ。
表題写真は、47番八坂寺のお大師さんです。
ちょうど大師堂修復中の為、お大師さんの坐像を本堂内の左側のよく見える位置に安置されていたので、
これ幸いと写真に収めさせて頂きました。
普通は大師堂の奥に安置されていて拝む時にはあまりよく見えないのです。
本日は46番浄瑠璃寺で打ち止めと致します。
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
有難うございました。
「きっと、ナビは、怒っているだろうね」
と話すことがあります。
「それなら、使うな!」とナビは、思っていると思いますが、それでも、根気良く、再検索してくれるんですよね~
土下座、流行りましたね。
次回の記事の題名は、倍返しですか?
松山の石手寺には学生時代にヒッチハイクをして、その堂宇の端っこに止めていただいたことがあります。
まだ浅はかな歳まわりでしたので、只単純に泊めていただいただけでした。
今にして思えば惜しいことをしたものでした。
土下座・・・・原発を推進する皆さんは孫子の代にきっと土下座だけではすまなくなりそうです。
大きなサボテンを見て、漱石の「草枕」にこういう種類のサボテンに対する記述があったような記憶がうっすらとありました。
それはあら筋には関係の無いところで、漱石流の皮肉混じりの述懐部分でしたね。
ナビは真面目にやってくれますからいいですね。
100倍返しにしようと思いましたがヤメです。
何でも程々が良いですからね。
こちらはナビが有っても軟弱なお遍路を続けているという訳です。
小泉教祖様はごくごく普通の事を言ってるように思えますが、既得権所有者の亡者には閻魔様の戯言のようにしか聞こえていないんでしょうね。
多分、住民も薄々感づいていると思われますが、原発の所在地が使用済み核廃棄物の墓場になるんでしょうね。
そして一旦災害でその地域が破壊されると日本自体が核の墓場となり日本国は消滅するでしょう。
何て楽観的な事をほざいていますが、現実はもっともっと悲惨なものになるでしょうね。
土下座では済まされないですね。
フリーランスのドクターXにでもお灸をしてもらわないとダメですね。今の政府では。