
或る日、一般道の走行車線を車で走っておりました。
後から追い越し車線を一台の軽トラックがやって参りました。
横に並びかけてふと荷台を見ますと、
黒い子牛が一頭吹きっ晒しの中繋がれて足を踏ん張って立ってました。
前の信号が赤になり、横に並んだまま両方停車しました。
子牛は明らかに乳牛では無いですし、ペットでも無いでしょうし、
ましてやこれから耕作用の牛として育てられるとは思えないし、
考えられるのは食肉用かなと横の気配を感じながら色々と考えていました。
そうなってくると益々子牛をまともに見ることが出来なくなりました。
こんな時、ふと自分があの子牛の立場だったらとか、あの子牛は今何を考えているのか、
ひょっとしてこれから自分に起こる事を薄々予見しているんじゃないだろうか、
とか考えて心穏かになりませんでした。
横を見て、まともに目と目があったりしたら、それこそ居たたまれなくなるに違いなかったです。
「目は口ほどにものを言い」といいますからね。
そうこうする内に、その車はゆっくりと交差点を右折して見えなくなってしまいました。
同じ目でも、魚類とか爬虫類とか昆虫なんかの目をみてもこんな感情移入はしないと思いますが、
同じ哺乳類だと身近に感じて哀れと思うんでしょうかね。
オイラは、「人を食った」様な目をしてるとよく言われますが、
日本では人に食われる心配がないから先ずは安心です。
でも一応周囲を警戒して、
先ず、右方向異常なし。

そして、左方向異常なし。

よし、掻き方始め!!
後から追い越し車線を一台の軽トラックがやって参りました。
横に並びかけてふと荷台を見ますと、
黒い子牛が一頭吹きっ晒しの中繋がれて足を踏ん張って立ってました。
前の信号が赤になり、横に並んだまま両方停車しました。
子牛は明らかに乳牛では無いですし、ペットでも無いでしょうし、
ましてやこれから耕作用の牛として育てられるとは思えないし、
考えられるのは食肉用かなと横の気配を感じながら色々と考えていました。
そうなってくると益々子牛をまともに見ることが出来なくなりました。
こんな時、ふと自分があの子牛の立場だったらとか、あの子牛は今何を考えているのか、
ひょっとしてこれから自分に起こる事を薄々予見しているんじゃないだろうか、
とか考えて心穏かになりませんでした。
横を見て、まともに目と目があったりしたら、それこそ居たたまれなくなるに違いなかったです。
「目は口ほどにものを言い」といいますからね。
そうこうする内に、その車はゆっくりと交差点を右折して見えなくなってしまいました。
同じ目でも、魚類とか爬虫類とか昆虫なんかの目をみてもこんな感情移入はしないと思いますが、
同じ哺乳類だと身近に感じて哀れと思うんでしょうかね。
オイラは、「人を食った」様な目をしてるとよく言われますが、
日本では人に食われる心配がないから先ずは安心です。
でも一応周囲を警戒して、
先ず、右方向異常なし。

そして、左方向異常なし。

よし、掻き方始め!!

食べるのとは異なる記事ですね。に入れられた牛たちは自分の身の上に何が起きるのか知っているそうです。それは、あの独特な臭いのせいではないでしょうか。軽トラの上の子牛君、成仏してね。
これが魚だったら、たいして何も思わないのにね。
肉になっていれば、じゃんじゃん食べてしまうくせに、人間って勝手ですね。
「いただきます」とは、「命をいただきます」という意味だとか。
何でも大事に食べないといけませんね。
でも辛いですよね
目が合うとね
鶏の話
夜店でひよこ釣りをしてゲットしたひよこが
成長し飼いきれなくなり
のちに水たきの材料に貰われていった話を
聞いたときはどん引きしました。
鶏肉屋さんで売ってる鶏肉は食べれるけどね
大事に育てたひよこはニワトリになっても
食べれないですよね
一瞬のうちに燦ちゃんと子牛に
愛情が芽生えたのだわ
食べ物は粗末にしてはいけないという事ですね。
自分が生きている事の幸せを感謝しなくては、と思います。
牛くん、本当にありがとう。
それも生きたまま食われますね。
非常にあたりまえの事でしょうけど、ペットとして動物に接する感情を持つ人間にとっては、
やはり複雑な気持ちになるのは仕方ないですね。
自ずと食べ物としての考え方が色々あっても不思議ではないですね。
何とかの踊り食いとか言うのはオイラも好きじゃないですね。
恐怖とか言う事じゃなくって、何か本能的に感じる物があるんでしょうね。
だからそういう現場にはあいたくないですね。
ひょっとして、生きる道があるかもしれない事を祈っています。
はーちゃんも食べますか?
哺乳類の目はこうはいかないですね。
やはり、魚類と哺乳類の違いですかね。
>「いただきます」とは、「命をいただきます」という意味だとか。
何でも大事に食べないといけませんね
人間は謙虚な気持ちで有り難くいただかないといけないですね。
オイラも犬巨にがっついていますワン。(笑)
昔は農家では、鶏とかヤギとかは飼っていましたね。
そして水たきになることもあったでしょうね。
子供の時は特にペットとしての感情が強いから、水たきになる現状になかなかついていけなかったでしょうね。
>一瞬のうちに燦ちゃんと子牛に
愛情が芽生えたのだわ
どうしようもない現状を見ないことで愛情表現から逃避したのかもしれません。
目があわない様にね。
これにつきますね。
謙虚に感謝する気持ちがあれば、今の世の中で起きている変なことも大半が収まるような気がしますけどね。
そういう意味で、自然に多く接してバーチャルの世界だけでなく真の世界を間近で見る必要が有りますね。
折角今の時代の地球で生きているんですからね。
確かに焼肉はおいしいけど、生きているうしさんを見てしまうと切ないですね
燦吉さんは、後ろから見るとけっこうスリムなんですね~(笑)
これはいきなり難しい世界につれてきていただきましたね。
生き物を「慈しむ心」を馬でなく鹿と承っておきます。
一茶でしたか
♪やれ喰うな牛が屁をする・・・・・♪とかひねり出したのは。
生き物は皆、ほかの命を貰って生きていくので、この慈しみの心は常に持っているべきでしょうね。
泡は食ってもスズメやツグミはもう食べないようにしますね。
生きてる牛をその場で食べるわけでは有りませんが、
なんだか感情移入してしまいますね。
だからと言って食べない訳ではありませんけどね。
ハンティングしている様なポーズの時は一応スリムにしているんですよ。
なんでも形から入るタイプですからね。(笑)
身勝手な事も考えますね。
小さい頃にアリとかザリガニとかカエルとかの大量虐殺をした事のある人は、
大人になってからは悪い事をしないように思いますね。
慈しむ心を育んできたんでしょうか。
慈しむ神社へ行けば、誰でも叶えられますかね。(笑)
様子を見ることが出来ますが…
ガスを吸わせてから、切り分けるまで…
正直残酷だなと思ってしまいます。
(でも牛肉食べちゃいますが。)
こういった生々しい映像が流れるので、ドイツでは
年々ベジタリアン(魚は食べるけど)の人が増えているって聞きました。
ベジタリアンには、成らないと思いますが、
残さず食べる事が恩返しかと・・・勝手な解釈しています。
くー(Kuh)はドイツ語で牛の事です。
そういうのを聞くと余計に食べ物を残してはいけないな、好き嫌いはよくないなと思いますね。
しかも日本は輸入に頼ってるし・・色々考えないといけないですね。
>日本では人に食われる心配がないから先ずは安心です。
燦くんは白黒だから中国でも大丈夫だと思うよ。
あっちは赤狗が美味しいときいたことがあります。
もちろん、食べたことはないけどね。
お肉のマイスターさんのことをとやかく言うことは有りませんが、
どうも生々しいのは、見慣れていないので嫌ですね。
生きている以上食べない訳にはいかないので食べますが、食べるならやはり美味しいものを食べたいですよね。
>残さず食べる事が恩返しかと・・・勝手な解釈しています。
あまり残さずに何でもガッチリ食べてるとちょっと困る事になるかも知れませんので程ほどにね。(笑)
今日の新聞で日本海で海藻を育てそれから燃料を取ると言う実験をするとかしないとかいってましたね。
ただ消費だけでなく、地球環境に優しい循環型のシステムになって欲しいですね。
>あっちは赤狗が美味しいときいたことがあります。
ところがどっこい、
オイラは彼の国では高いそうですよ。
高いから丸々一頭は買えないって・・・・・およよよッ。
車に乗っていると隣に20匹くらい牛を積んだトラックに
遭遇する事が日常茶飯、ほんとうに良くあります。
そしてそれらの牛は,これから起こる事を察しているので
隣に止まった時に鳴く微かな牛の嘆きを聞いて胸が
痛くなることもあります。
それだけに牛肉を食べる時には【牛肉だけではなく
勿論豚や魚などもそうですが…】感謝しています。
命をいただいているって意識が薄れがちですね。
子牛くんは、大切なことを思い出させてくれました。
人間はたくさんの命をいただいているんですね。
それにお野菜とかも、農家の方が一生懸命育ててくれたんですよね。
そういう想像力を持っていれば、いろんなことに感謝の気持ちが生まれますね。
残さず食べるぞ!
牛の方が人間より数が多いんじゃないですか。
それだけ牛さんと遭遇する事も多い訳ですね。
cocoaのママさんところは食事の時には神様にお祈りするんですか?
宗派によっては、ちゃんとお祈りしてから頂いているようですね。
その日一日無事で過ごせる事に感謝すると共に食べ物に関しても感謝する事は大事な事ですものね。
何か便乗してないですか?(笑)
でもちょっとしたきっかけでこの様な食物連鎖が人間にも働いている事を認識するだけでも大分違いますよね。
自然に対して謙虚に感謝して生きていきたいものですね。