知床エクスペディション

これは知床の海をカヤックで漕ぐ「知床エクスペディション」の日程など詳細を載せるブログです。ガイドは新谷暁生です。

知床日誌㊴

2022-09-29 19:43:51 | 日記

9月20日を過ぎて急に秋が深まった。まだ羅臼の艇の片付けがあるが、今年の知床エクスペディションは終わった。日陰に残雪が残る畑も5月半ばには作物が一斉に芽吹き、やがて緑濃い豊かな田園風景になった。今は黄金色の収穫期だ。この30年、繰り返される季節の変化の中で知床に通い続けた。私は交易商人のようなもので、ニセコの野菜を知床に運び、知床の魚をニセコに運んだ。野菜も魚も別に珍しいものではなくどこでも手に入るが、みんな大そう喜んでくれるのがうれしい。人気の交易産品は佐々木のみっちゃんのトマトやアスパラ、きゅうりにナス、そして越年したジャガイモ、まんさんのカラフトマスやホッケの開き、しょっぱいニシン漬けやチカ、村田さんの昆布などだ。早川さんのヌカホッケや嶋さんのマグロのカマもあった。巨大なタラも時々もらった。シャケはこのところ不漁だが赤澤さんが苦労して漁師仲間から調達してくれる。しかし浜値が上がり昔のようにイクラや燻製もおいそれとは造れない。タバコ銭にひびく。
私は長距離トラックの運転手のようなものだ。一度の知床で1000キロは走る。15年前に買ったレジアスエース(ハイエース)の走行距離は今年40万キロを越えた。いつも車を診てくれる札幌トヨタの高見さんに感謝する。今年はサイドドアのベアリングを替え、折れたリーフスプリングの板ばねを交換してもらった。なぜかクラッチデスクは未だに交換していない。半クラッチを使わないからだろう。やはり車はマニュアルが良い。高齢者の免許条件もマニュアルにすれば、踏み間違いの暴走事故も減るのにと思う。
それにしても壊れる。ヒューズボックスに水が入りクラクションが鳴りやまなかったこともある。この時はウインカーもハザードも使えなくなった。同じヒューズだからだ。しかしこれからもこの車は私につきあってくれるのだろう。だがかたちあるものはいつか壊れる。それは人も同じだ。人の一生は鉛筆のようなものだ。芯を削り、折れれば新しい芯を削りだす。やがて鉛筆はちびて使えなくなる。
観光船の事故から半年がたった。8月から9月にかけて羅臼の桜井さんたちの努力で遺骨や遺体、遺品が見つかっている。発見場所は岬近くの複雑に入り組む入江で、嵐の後に流木が多く揚がるところだ。当初、行方不明者の多くは国後水道から太平洋に流されたのではと言われていたが、岬手前で沈んだ人が海底から浮かびはじめたのだろう。イダシュベや観音岩、ポロモイ近くの入江など、カシュニの半島側ではこれからも遺体や遺留品が発見される可能性がある。それにしても何と悲惨な事故だったことか。気の毒で言葉もない。
事故には必ず原因がある。原因を放置すれば同様の事故は再び起こる。しかし原因究明は十分に行われているだろうか。過失の有無はやがて裁判で明らかになるとしても、それは再発防止のためのものではない。私の意見は床屋政談以上のものではないが、もっと年寄りや現場の声に耳を傾けるべきではないだろうか。
文吉湾避難港に逃げ込めば良かったのにという声がある。ポロモイやアウンモイ、海賊湾などに逃げ込んで座礁すればよかったのにという意見もある。船を壊してでも岸をめざすべきだったと私も思う。せめて沖合1キロではなく300mなら、何人かは陸に泳ぎ着けたかもしれない。新たに開発されるという水に濡れずに乗り込める救命いかだの有効性の議論もある。ラフトは果たして有効なのだろうか。漁師たちは否定的だ。どういう状況でそれが使われるか知っているからだ。
高波と強風の中で濡れずにラフトに乗り込むことはできない。沈没時に切り離さなければ一緒に海に引きずり込まれる。あるいは転覆する。小型観光船は悪天候時に海に出るべきではないと誰もが言う。それは当然だ。しかし天候急変が当たり前の知床で、国が考える事故防止対策が役に立つとは誰も考えていない。海では何が起こるかわからないのだ。常にあらゆる状況を想定していなければならない。そしてそれはカヤックであっても同じだ。水煙を巻き上げながら竜巻のように海上を走り回る風や、高い波と速い潮はこの海では当たり前に突然起こる。多くの事故を経験し、見聞きしている漁師たちの意見にもっと耳を傾けるべきと思う。
しかし現状はそうではない。遺体発見の報はメディアで大きく扱われる。しかし再発防止の議論は少ない。一部の識者の机上の空論で安全対策が決められてはたまったものではない。根本的な原因究明の議論が行われているとは到底思えない。これらの救助器具の開発を主導しているのは国土交通省海事局だという。思い出すのは東日本大震災の時に日本中に普及したレスキューキッチンだ。ただ米を炊くだけの高価な機械の普及を国は積極的に進めた。しかし米は鍋と燃やすものさえあれば炊ける。その知識さえあれば最小の道具で米は炊ける。無駄なことに税金を費やすべきではない。
災害対策は利権の温床になりやすい。このような小さなことから無駄な巨大防潮堤や原発再稼働まで、すべてに対してそれは言える。オリンピックも私たちからすれば災害のようなものだ。それは国が目指す観光立国政策にも当てはまる。欧米ではアドベンチャーツーリズムが盛んだという。日本にもこれを真似ようとする動きがある。しかし思い付きの人まねでこれを商業ベースに乗せようとするのは危険だ。だがこの取り組みは軽井沢に住み国の政策に関わる欧米人と、それに関わる一部の特権的日本人が主導する政策として、まさに思い付きで進められようとしている。自然はどこであっても時に過酷だ。自然観光を産業としかとらえず、浅草や京都観光の延長或いはその変形として日本の自然を売り物にした時に何が起きるだろう。それを想像できるだろうか。その上でアドベンチャーツーリズムなるものを推し進める覚悟があるだろうか。事が起こっても自己責任で済ますつもりなのだろうか。冒険は商業化できない。
何年か前にアメリカのシールズ隊員を名乗る男が知床に現れた。彼は防衛省との関係を吹聴し、自分の軍事専門家としての経歴を自慢していた。しかしその知識レベルはボーイスカウト以下だ。ロープワークも知らない。彼も軽井沢グループの一員だった。彼らは北海道でアドベンチャーツーリズムの展開を目論んでいるようで、知床エクスペディションへの参加はその下見だったらしい。しかし私の態度が悪いという理由でツアー代金を踏み倒そうとした。確かに私の態度は悪い。しかし他の参加者の迷惑になるのなら怒る。ガイドだからだ。私は差別を本能的に嫌うし見抜く。人種差別の権化のような態度が目に余ればそれに対抗する。彼は相手が悪いと思ったのか最終的に料金を支払った。軽井沢グループはこのたちの悪い日本人ガイドに相当怒っていた。
私は冬のニセコでこのような白人優位思想の持主を何人も見てきた。それは欧米人だけでなく日本人にもいる。後で知ったがこの自称シールズはアメリカでは詐欺師として知られているそうだ。名前も本名ではなくどこか北欧の国の大統領の名を騙っているのだという。このような人やその仲間が霞が関や内閣に浸透して日本の政策に影響を与えているのだ。彼らは自然愛好家ではない。自然を観光資源の市場としか見ていない人たちだ。
水温0度の海での生存にはドライスーツを着るほかに方法はない。非現実的としか思えない筏の開発や、出来もしないガイド養成よりよほど役に立つ。低水温の嵐の海に放り出されてもドライを着て首と頭を保護し、呼吸が確保できるライフジャケットを着れば、そして下に空気層を持つ保温衣料を着ていれば、パニックにならない限りしばらくは生きていられる。もしこれらが制度として整っていれば、知床観光船事故被害者の半数は救助された可能性がある。救助は必ず来る。海上保安庁はそのためにある。私は現場の視点で物事を考える。たまたまこの世界に身を置いている以上、それが責務と思うからだ。
知床半島先端部には文吉湾避難港がありその隣が恵吉湾だ。しかし文吉さんも恵吉さんもおそらく日本人ではない。明治政府は創氏改名を強制してアイヌを日本人化した。同様の政策はその後朝鮮や台湾でも行われた。当時の日本は欧米による植民地化を防ぐために自らもアジアや大陸に進出していた。北からはロシアが迫っていた。文吉さん達はオホーツク海洋民の血を受け継ぐ最後のアイヌの人たちだったのだろう。しかし彼らも歴史の中で日本社会に組み込まれ、やがて消えていく。創氏改名や日本語教育はそのような状況の中で行われた。
遥か昔から知床には人間の営みがあった。私たちはそれを忘れてはならない。その痕跡は春に知床を回るとよくわかる。知床に平地はほとんどないが、海岸近くの小川が流れるわずかな平地には、今も数多くの竪穴住居跡が残っている。知床の価値はその原始性にだけあるのではない。むしろ歴史にある。息切れがする。昨日トウモロコシの皮をむいていて蜂に刺された。蜂はとうきびの甘い匂いが好きらしい。刺された右手の甲が大きく腫れている。アナフィラキシーショックが心配だ。私はやはり臆病者なのだ。

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