「白洲正子能面学」と「面打ち」

白洲正子著「能面」を定本として、現在各能楽宗家、美術館、博物館、神社等に所蔵されている能面を面打ちも含めて研究してみる

「白洲正子能面学」と「面打ち」-009

2014-06-06 06:48:55 | 日記
 
 
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
-009
 
 
 
 
 
 
 翁
 
 
 
 
」について
 
 
 
 
面の種類 
 
能楽では能面を、狂言では狂言面を使用する
 
これは果たして正しいことだろうか。厳密に考えると正しくはない。
 
  
 
 
 
翁-01 
 
 
 

 「彼翁奥玉の神と現れ給う。是猿田彦大御神也

老翁(おきな)>の由来は、卑弥呼とも呼ばれる倭姫が、神鏡を抱いて諸国を巡り、伊勢の国の五十鈴川で出会った老翁=猿田彦大御神である。

 

 ・ 日光  作
 
 
 
能楽の源流は「式三番」ともいわれる翁猿楽という祈祷芸に源泉があるとの事である。このことについては13世紀末の奈良春日大社の祭礼記録に現れている。<三番三(さんばそう)>と対になった構成を取り、物語性はなく、神に太平・国土安泰・五穀豊穣を祈るものであった。
 
 
>は上記の通りの猿楽(申楽)の古い形式で、「稲積の翁、父尉、代継の翁」の三人が登場した。これが何時の時代にか、翁(シテ)、千歳(ツレ)、三番三(狂言)の三人に変わった。
 
 
 ・ 白洲正子<能面>より
 
 
 
 
翁面は能方のシテ方がこれを勤め、且つ能の曲では使用されない。 また、三番三は狂言面ではないのに、狂言方がこれを勤め、狂言には使用されない。この辺りが非常に複雑である。
 
 
 
古代の大寺院で伝承されている大元帥明王経、孔雀明王経の祈祷に関わる宗教儀式も、上記と同じく太平・国土安泰・五穀豊穣を祈念して来た。翁猿楽がこれらとも歴史の深いところで関係が有るのかも知れない。 
 
 
                                翁 ・伝 弥勒作
 
                    ・ 聖徳太子
                     
 
 
式三番>は<能面>を用いた所謂、通常の能楽と比較すると、大きな違いが見られる。式三番の構成、詞章、謡、囃子、所作は独自の様式がある。
 
 
A- 謡は全部拍子に合わない。 B- 囃子の手組みは能・狂言にない別個のもの
C- <面>の造作も様式が違う。・・・目の切り方、切り顎
 
 
 ・ 春日作
 
 
 
「翁」の面の名作は日光、弥勒、春日が有名であるが、いずれも伝説的な人物である。
 
 
白式尉 ・ 長沢 氏春 作
 
 
 
 
 
  
 

 喫茶店でちょっと一服   

  

 

 本日のお題は

翁 の儀式

 
 
 
 
能などを能楽堂で鑑賞する方はお分かりの通り、演者は面は鏡の間で着け、しかる後に揚幕の間から姿を現し、橋掛りを通って本舞台に至る。では、「翁」では如何であろうか。
 
先ず、シテは若い男の千歳(せんざい)を従えて、素顔のまま登場し、舞台で面をつけて舞い、舞が終わると面をはずし、千歳とともに退場する。この舞を「神楽(かみがく)」と呼ぶ。このような形式は一般の能の曲には、<道成寺>以外ではみられない。
 <道成寺>では白拍子役の前シテが女面(曲見、近江女、若女、深井)を掛け、天井から吊り下がった鐘の中に飛び込み、鐘の中で面を着け替えて、後シテで蛇体(般若、真蛇)で現れる。 しかし、翁と同じ形式ではない。
 
翁は特別な形式であることが解る。
 

 

能面を打つとは、心を造形すること

 -最終回-

 

 

2012. 11.02に逝去された「高津 紘一師」のインタビュー記事を<能をささえる人びと>というHPから一部転載して、筆者の考えを加味して6回にわたって書いて来た。本来なれば筆者如きがえらそうに書くべきではないのであるが、年齢的にも非常に近かったので、無礼を省みず掲載させていただいた。

 

 

若き時から一念を胸に込めて、生涯を面打ちとして、ひた走られたということであろう。出来うればもう少し余命が有ったならばと惜しまれる事であった。是閑90余才の例もあるので・・・・・

 

 

いずれにしても<ヘッポコ能面師>の筆者には、大変羨ましき人生であったと思う。師が残された著書、面の作品は長くこの世に残って行く事であろう。是非とも実力ある若き能面師が、この思いを引き継いで行かれる事を祈念するのみである。

 

 

現代能面師の不思議-05

 

北澤 如意 

今回は以前からご紹介している、能面師・北澤 三次郎氏の父・故 北澤如意師をご紹介しよう。

 

北澤 如意

 

 

故・北澤 如意師は本名 奥村惣太郎は京都・下鴨で生まれ、能楽師を志して先代・金剛巌に入門した。やがて母方の喜多沢の姓をとって北澤 耕雲を名乗り、後に北澤 如意と改めた。北澤家の祖先は彦根藩士の家柄であり、彦根藩といえば井伊家であるから、能楽とはこのことからも深い縁があったことになる。

北澤如意師の長男・北澤 一念氏や次男・三次郎氏は現代能面師の中でも著名な逸材である。京都において長沢 氏春師、石倉耕春師らと「面生会」を結成し、その後進の育成に勤めた。著名な弟子としては、石倉 耕春氏、谷口 明子氏などがあげられる。 

* 面生会  会員は北澤 如意、長沢 氏春、堀 安右衛門、石倉 耕春、布野上雲、福井洞雲、磯野健一、村上鋭夫の8名。幹事は能面師・中村 直彦の子息・中村 保雄であった。

 

作品・ 霊女 小牛尉 

 

 

筆者は北澤 如意師の作品を見たことはない。この方の子息・北澤 一念氏のみである。 ただ、北澤 一念氏の作品を見るだけで、北澤 如意師の実力は想像できる。能面集などは出版されていないので、資料不足の感はあるが、下記のオークションに出品された孫次郎で判断いただきたい。技量の程は直ぐ判断できる。

 

   ・   孫次郎 

 

 

 

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