「彼翁奥玉の神と現れ給う。是猿田彦大御神也」
<老翁(おきな)>の由来は、卑弥呼とも呼ばれる倭姫が、神鏡を抱いて諸国を巡り、伊勢の国の五十鈴川で出会った老翁=猿田彦大御神である。
喫茶店でちょっと一服
< 本日のお題は>
翁 の儀式
「能面を打つ」とは、心を造形すること
-最終回-
2012. 11.02に逝去された「高津 紘一師」のインタビュー記事を<能をささえる人びと>というHPから一部転載して、筆者の考えを加味して6回にわたって書いて来た。本来なれば筆者如きがえらそうに書くべきではないのであるが、年齢的にも非常に近かったので、無礼を省みず掲載させていただいた。
若き時から一念を胸に込めて、生涯を面打ちとして、ひた走られたということであろう。出来うればもう少し余命が有ったならばと惜しまれる事であった。是閑90余才の例もあるので・・・・・
いずれにしても<ヘッポコ能面師>の筆者には、大変羨ましき人生であったと思う。師が残された著書、面の作品は長くこの世に残って行く事であろう。是非とも実力ある若き能面師が、この思いを引き継いで行かれる事を祈念するのみである。
現代能面師の不思議-05
北澤 如意
今回は以前からご紹介している、能面師・北澤 三次郎氏の父・故 北澤如意師をご紹介しよう。
北澤 如意
故・北澤 如意師は本名 奥村惣太郎は京都・下鴨で生まれ、能楽師を志して先代・金剛巌に入門した。やがて母方の喜多沢の姓をとって北澤 耕雲を名乗り、後に北澤 如意と改めた。北澤家の祖先は彦根藩士の家柄であり、彦根藩といえば井伊家であるから、能楽とはこのことからも深い縁があったことになる。
北澤如意師の長男・北澤 一念氏や次男・三次郎氏は現代能面師の中でも著名な逸材である。京都において長沢 氏春師、石倉耕春師らと「面生会」を結成し、その後進の育成に勤めた。著名な弟子としては、石倉 耕春氏、谷口 明子氏などがあげられる。
* 面生会 会員は北澤 如意、長沢 氏春、堀 安右衛門、石倉 耕春、布野上雲、福井洞雲、磯野健一、村上鋭夫の8名。幹事は能面師・中村 直彦の子息・中村 保雄であった。
作品・ 霊女 小牛尉
筆者は北澤 如意師の作品を見たことはない。この方の子息・北澤 一念氏のみである。 ただ、北澤 一念氏の作品を見るだけで、北澤 如意師の実力は想像できる。能面集などは出版されていないので、資料不足の感はあるが、下記のオークションに出品された翁、孫次郎で判断いただきたい。技量の程は直ぐ判断できる。
翁 ・ 孫次郎