「白洲正子能面学」と「面打ち」

白洲正子著「能面」を定本として、現在各能楽宗家、美術館、博物館、神社等に所蔵されている能面を面打ちも含めて研究してみる

「白洲正子能面学」と「面打ち」-014

2014-08-30 10:55:23 | 日記
 
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
-014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「鉄輪(かなわ)」 
 

 

 

 

について

 

延命冠者

 

延命冠者・南北朝時代・ 奈良 長尾神社

 

下の同じ面と比較して、目の切り方が違い、面自体に品格がある。

舞楽系の作家の作とされている。 

延命冠者」の延命は仏像の名称に良く付けられているものと同じで、延命の得を備えた少年という意味です。普通の男面に近い風貌ですが、全体に笑みをたたえた表情をしており、短い顎鬚を生やしております。翁系の面に共通な冠を被っております。舞楽面にも見られる形式で、古い平安・鎌倉時代の面影を残しております。

 

 

延命冠者 ・ 南北北朝時代 ・ 重文 ・ 東京観世家

 

 

上の面と比較すると口の切り方、目元の切り方、顔の表情も違っている。桂材の古面で「文蔵」とされている。これも舞楽面的な系統に入るものとされている。

この面の用途は延命冠者役の演者が付ける事はもちろんですが、時には「鷺」にシテが掛けることがあります。唯、少年が舞うときは直面で、その他の人が舞うときは<延命冠者>を使います。 

 

 
 
 
喫茶店でちょっと一服
 
 
 
 

般若 

一般的な能の面でよくどなたも知っているのが、「般若」である。 仏教の経典にも出てくる「般若心経」に関わる言葉である。<パンニャ~>というサンスクリット語の中のパーリー語を由来とする言葉。<彼岸に至る>という意味がある。

さて、般若の面はこれである。

 

般若

 

 

女性が嫉妬狂い始める初期段階は、「」と称する。角も小さなものが頭上に見える。そして、さらに程度が進むと、<般若>となる。これを別名・中成と呼ぶ。さらに、程度が進むと<蛇>になる。獰猛な獣性を帯びてくる。別名・本成という。

般若は舌がなく、蛇は舌があるとされているが、一応ではない。ただ、三面ともよく見ると、額の毛書きの表現方法が同じである。つまり、女面の書き方をしている。このことから、この三面は女面の変形面である。

 

逆髪

 

毛書きは同じ

                            生成                

                                 

 

最後に決定版!

 

 

 

 

 

能装束の歴史-03 

 

 

 

 

秋草に扇子散らし文様紅入唐織 ・ 井伊家所蔵 

 

 

上記拡大部   

 

 

翁狩衣」は能・翁専用の狩衣である。 狩衣がより略装になった形が「水干」である。

水干

 

 

 狩衣の歴史

能は「翁」という神事を司る家について舞をもようしていた「座」というものがその発端である。脇能の神体に狩衣が欠かせないところからも、能の中でも古い歴史を持っている装束である。地方の地域でもそこの神社に、狩衣の装束が大切に保存されている現実があります。

 

翁狩衣 

 

能・翁 での出で立ちである。 

                                   

 

  

 

狂言面

 

伝 日光作 ・ 室町時代  山本 東次郎家

 

 

面袋に「日光作 延命冠者 九代目喜多七太夫 判」とある。 伝 日光作は沢山存在するようであるが、面裏の極め書に有っても、その確証はなかなか得られないであろう、ブログの前段で紹介した「延命冠者」とは少し趣が違う。面の表情も穏やかな品性のある、自然に笑いがこみ上げてくるような感じがする。

 

 

 

  

 

姉妹ブログ  

白洲正子文学逍遥記

十一面観音巡礼」編

http://blog.goo.ne.jp/nippondentougeinou/ 

サワラちゃんの加計呂麻島日記 

 貝殻図鑑

http://blog.goo.ne.jp/sawarachan  

 


「白洲正子能面学」と「面打ち」-013

2014-08-08 11:40:07 | 日記
 
白洲正子能面学」と「面打ち
 
-013
 
 

 

 

 

 山姥

 

 

 近江彦根の井伊家の収蔵の「山姥

 

 

 

 

について

 

父尉

 

「式三番」の中で一番格式が高い<父尉>。世阿弥の頃は代継(世継)の翁は天下泰平や寿命の祝福をする老翁、父尉は代継の翁の父にあたり、家門繁栄、子孫繁栄を祝う老人である。

工作的に目尻が翁に比較して釣りあがっているのが特徴でしょうか。上唇、下顎に毛書きの髭が書かれている場合がある。 

父尉の舞は、現在では殆ど見ることが出来ない。特殊な演出として「十二月往来」、「父尉・延命冠者」の際に父尉と延命冠者と連れ立って登場することがある。 

 

父尉 中村直彦 作  ・ 井伊家所蔵

 

 

父尉 ・ 南北朝時代 ・ 静岡・宇志八幡神社 

 

樟材に似た材による作品。眉の間の鼻筋の辺りの細かい皺が特徴的。面の表面には白い顔料が残っている。恐らく仏像で良く使われた白土の可能性もある。 

父尉(古作) ・ 静岡 大福寺  青柳瑞穂蔵

 

上記の「宇志八幡神社」の近所に在する古刹・大福寺には翁、三番叟、父尉、大飛出、小面などが保存されていた。この父尉は白洲正子著「能面」にも掲載されている。 

 

父尉 ・室町時代 ・観世宗家(重文) 

 

上記に二面の父尉の複合した工作的特長を表している。品格があり重文に相応しい作品である。  

 
 
 
 
喫茶店でちょっと一服
 
 
 
 
 

 黒川能

 山形県鶴岡市黒川地区に500年来の伝統を守る「黒川能」について、先回からご紹介している。黒川の鎮守社・春日神社の神事能として、すべての氏子によって連綿と伝えられてきた。全国にはこのような形態の神事が数多く見られる。北近江の<おこない>も能とは関係がないが、基本的な骨組みは同じである。

すべてが<黒川能>、<おこない>を中心として、地域の生活が動いていく。また、同じく早春からそれは始まり、キチットしたリズムに乗ってことは動いていく。現在の春日神社の氏子は約240戸、能役者は囃子方を含めて、子供から老人に至るまで160人ほどである。

 

黒川能 ・ 「猩々」  HPより転載

 

 黒川能で所蔵している能面は230点。 能装束400点、演目数540番、狂言50番とされている。国の重要民族文化財に指定されている。北澤三次郎氏などの中央の能面師が、能面の修復・研究に参画しているようである。 

 

 黒川能 ・ 狂言   HPより転載 

 

中央の能楽宗家とは歴史的に独自の歩み方をして来たようであるが、彼らが削ぎ落として来たものも、黒川能の中には連綿と伝えられているのかもしれない。民俗学の分野からも価値のあるものであろう。 

 

 黒川能 ・ 「河水 HPより転載 

 

 

 

 

能装束の歴史-02 

 

 

団扇に桐文様紅入唐織 ・ 井伊家所蔵能装束・江戸時代

 

 

唐織拡大部分 

 

以下は淡交社発行・「能装束」を参考にして書いております。

 

能に係わる能装束の<出立>は幾つかの決まった形の装束を組み合わせて出来ている。能の1曲ごとに決まった組み合わせ<装束付>があり、流儀によって異なる決まりがありますが、同じタイプの組み合わせで、異なる曲も上演できる<着廻し>が出来る。この点は歌舞伎と違う特徴である。

能装束の原点・・・「(きざはし)」

 

能舞台の正面の階段、階(きざはし)は見所の真前にある。これは歴史的な由緒あるものである。古来演能を鑑賞した公家や武家などの貴人から、演者が褒美として染色品を頂くための上り下り階段である。最近は単なる飾りとしてしか用途が余りないであろうが。

能装束はこの階を通って、さまざまな装飾品が能装束に変化したのである。古代において上流階級が生活の中で使用していた、上着や下着が形を変えて能装束になった。下記の<狩衣>は9世紀時代の平安貴族時代の丸襟の装束がそのルーツである。

狩衣 

 

「狩衣」は「翁」専用につける「翁狩衣」があるように、能では最も位の高い装束として扱われているが、元は公家の狩猟服、ハンテイングウエアーである。 

この他に「水干」、「直衣(のうし)」も同じルーツである。当時の貴族の下着を能装束の上着のような形で、簡素化して、あるいは様々に意匠化したものもある。

能装束のルーツを辿ると興味深いものである。次回はもう少し詳細に立ち入ってみたい。

 

  

 

狂言面 

 

福の神  ・ 河内井関家重 作

 

 先回に引き続いて安土桃山江戸期の名工、河内井関家重の作を紹介した。癖のない大らかで明るく美しい面である。見詰めていると心の中まで、明るく幸せになるような思いにさせられる。ほんのりと酒気を帯びた顔色を出すために、水銀からとる「朱丹」を使った彩色であるそうだ。

 

 

 

姉妹ブログ  

白洲正子文学逍遥記

十一面観音巡礼」編

http://blog.goo.ne.jp/nippondentougeinou/ 

サワラちゃんの加計呂麻島日記 

 貝殻図鑑

http://blog.goo.ne.jp/sawarachan 

 

 

+