2020年後期の吉備創世カレッジ(2020年10月16日18:30~20:00)において、「リスク社会を生きる~新型コロナ、異常気象(気候変動)」と題した講演をさせていただいた。内容を報告しておく。
1.リスクとは何か
・リスクとは、危険性、すなわち将来、何か悪い事が起こる可能性のこと。リスクを評価する場合、不確実性×影響の度合いで評価する。
・リスクを発生構造を考えると、リスクは危険源(ハザード)、暴露、脆弱性によって規定される。脆弱性に関する概念としては、感受性(ecposure)、吸収力(capacity of absorb)、対応力(capacity to respond)、適応力(adaptability)、変革力(transfomability)等がある。
・リスクを次のように構造として捉えることが大切である。
①リスクとは、2つの要因(危険源(ハザード)の側の要因と危険を受ける側の要因(脆弱性:バルネラビリティ))によって発生する災害の可能性である。
②危険源の要因は自然と人為に分けられる。脆弱性の要因もまた、自然と人為に分けられる。
③危険源を抑える対策(緩和策)と脆弱性を改善する対策(適応策)の両面からリスクへの対策を進める必要がある。
④適応策では、脆弱性に関して社会経済の構造的な要因を捉えることも必要であり、構造転換を視野に入れた対策を考える必要がある。
2.リスク対応の難しさ
・人が主観で感じ、情報の偏在もあるため、リスクへの対応は難しい。
・例えば、①リスクの認知バイアス(例:限られた情報や判断能力での認知、正常性バイアス)、②客観的リスク評価の限界(例:気候変動の将来予測の不確実性、科学の限界)、③リスクのトレードオフ(例:あるリスクへの対策による別のリスク、ペルーのコレラ)、④囚人のジレンマ(例:情報やコミュニケーション制約による最適でない選択)といった問題がある。
・楽慣性バイアス、同調性バイアス、確証バイアス、オオカミ少年効果、認知の狭小化、認知的節約の原理、ポジティブ・イリュージョン、平均以上効果、制御幻想、リスキーシフトといった、リスク心理上の問題もある。
3.新型コロナのリスクの程度
・厚生労働省「人口動態調査」によれば、日本のインフルエンザは、10万人当たり年間2.7人(総数3,575人、2019年)。肺炎は76.2人(95,518人)。
・新型コロナでの死亡者数は同1.3人(同1,650人、2020年10月15日)であるが、これは対策をとっているからである。
・ブラジルでは 同72.4人(同151,747人)、スペイン 同71.2人(同33,413人)、アメリカ 同66.1人(同216,872人)、イギリス 同64.9人(同43,245人)であることを考えると、対策が不十分な場合、新型コロナのリスクは大きい。
・ちなみに、日本の死亡原因では、交通事故で10万人当たり年間3.5人、自殺が同15.7人、感染症全体で19.0人である。
・リスクリテラシーを高めることが必要である。特に、客観的なリスク評価に関する情報を得ること、②リスクの発生構造の複雑さ、トレードオフなどを理解すること、③リスク対応について、感情的プロセスと認知的プロセスがある自分を客観視し、理解すること、④リスクへの対策には費用をともない、ゼロリスクを求めすぎることで過剰な対応をとらないこと(一人ひとりの生命はかけがえないことへの配慮は必要)が重要である。
4.新型コロナ禍と異常気象(気候変動)の特徴や対策の比較
・次のように比較することができる。
規模と範囲: どちらも地球規模の問題であり、誰もが加害者であり、被害者である(なりえる)。
長期性・将来予測: 新型コロナ禍の将来は対策次第で数年で解決する可能性あり、気候変動は中長期的に継続、シナリオ毎も将来予測がある(不確実性はある)。
見えやすさ: 新型コロナ禍は、現在発生しており、新規感染者の状況を毎日、確認できる、問題が見えやすくなっている。これに対して、気候変動は目に見えにくい。
緩和対策: 新型コロナ禍への緩和対策は、ワクチン開発への期待が大きいが、気候変動は技術対策に期待しても、1つの対策だけでは解決できない。
適応対策: 新型コロナ禍と気候変動の適応はともに、行動変容が求められる。それとともに、影響を顕在化させる脆弱性の改善が必要となる。社会経済の弱さの改善が必要である。
経済との関係: 新型コロナ対策では経済へのマイナス影響が深刻である。気候変動では、対策による経済発展(環境と経済の統合的発展)という方向性が打ち出されている。
5.まとめ
・ジョルジョ・アガンベン(イタリアの哲学者)は、現代思想2020VOL 48-7において、次のように記している。
「恐怖というのは、悪い助言者であるが、人が見ないふりをしていた多くのものを出現させてくれる。」
・ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck)が示した「再帰的近代化」とは他者ではなく、私たちが近代化していること。それにより危機は他者からではなく、内なる危機になっており、現代社会は「リスク社会」そのものとなっている。この指摘を深く考えてみる必要がある。