山村再生総合対策事業の委員会のメンバーでの集まりがあった。
今回の震災における山村の役割が話題になった。今回の地震では、特に津波による沿岸部の被害が大きかったため、山村の役割が浮き彫りになった格好だ。次のような点が話題となった。
・主要道がずたずたになった中、林道が無事だったところがあり、特に沿岸部と内陸を連結する道として役割を果たした。普段は無駄にみえる道もリダンダンシーという点で役割を発揮した。
・山村が被災地からの避難する方の、あるいは猛暑の夏から疎開する方の受け入れ先となる。土地利用に余裕がある、未利用な住宅等が多い、高度が高く涼しい等といった、山村の特徴が発揮される。
・都市部が計画停電等にびくびくとするなか、山村には食料やエネルギーがある。外部依存性を高めた都市部の脆弱性に対し、山村には自立を支える地域資源がある。
等など。得てして、集中と効率を重視する国づくりでは、山村は切り捨てられてしまう。しかし、画一化された国土に対して、山村が継承され、尊重される国土は多様なものとなり、全体として安定性や持続性を高めるということが言えるのではないだろう。
また、話しをしながら、「夏山冬里」という言葉を思い出した。もともとは放牧で、夏は山で牛に草を食べさせ、冬は暖かい里で過ごさせるという方法をさす言葉らしい。
私は、山間集落の高齢者を、豪雪等で生活が厳しい冬場は里の小規模老人ホームで過ごしてもらうという事例をスタディした時に、初めて聞いた言葉だ。
東京で停電になったときの夏場を想像して思うのは、冷房をがんがんにつけた建物に閉じこもっていないと過ごせない場所にいることが、そもそもおかしいということだ。そこまでして、自然にあがなうために貴重なエネルギーを使わないいけないのだろうか。
もっと自然に即してみればいい。涼しいところにいきなり移住しようとは言わない。例えば、夏は涼しい山で暮らすという、都市人の「夏山冬里」を社会経済システムとしてデザインできないだろうか。そのような工夫を行うことで、山村と多様な国土が活かされることになる。