サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

食の文化圏

2008年01月25日 | 環境の地理
1.関連研究の動向

 食に関わる問題は複雑で、味覚の嗜好、年間暦と食材の季節的な入手可能性、階級差、健康信仰、栄養の民俗概念、他文化の影響と食の変化、地域の集団組織と人間関係、自給自足率等の数限りない要因が関与する現象である。したがって、食文化に対する研究は、個別専門科学的研究、総合的研究等の様々な視点から行われている。
 初期における食文化の研究では、19世紀の文化人類学において、食のタブーや祭宴における食の儀礼的・宗教的消費の問題を取り扱っていた。
 食文化研究において有名な人類学者は、フランスのレヴィ=ストロースである。レヴィ=ストロースは、言語が母音と子音の対立と統合の体系であるように、文化も差異と統合の体系として分析できるとする構造主義理論を提起した。とりわけ1967年に発表した「料理の三角形」 は、その後の食文化論に多大な影響を与えた。

注)料理の三角形とは
人間は「生のもの」「料理したもの」「腐ったもの」という料理の三角形をもつが、生のもの(自然)は火、水、油、煙を通して料理したもの(文化)に変換できるし,生のものと料理したものは、放置することで腐ったもの(自然)に変換される。料理の三角形の基礎にある自然と文化の二項対立構造が、人間の普遍的な心的深層構造として存在すると仮定された。

 その影響を受けて、食習慣の文化論的研究を進めた人として、イギリスのダグラスがいる。社会と文化に埋め込まれている食の象徴的意味を読み取ろうとした。彼女の論文「食事を解読する」(1972年)は、特にその後の研究者に与える影響が大きかった。
 上記2名の研究が各界に大きな刺激を与え、1970年代後半以降、食をテーマとする著作が続々と出版された。
 食物と食習慣に関する国際組織も、「国際食物・食習慣人類学委員会」(1968年設立)や「国際食物人類学委員会」(1977年設立)といった研究協会が既に設立されている。
 比較食文化論は、文化史的研究や一般者向けのものまで含めると数は多いが、文化人類学的研究に限ると、よく確立された分野ではない。


2.関連研究から得られる知見

●味噌の嗜好

 基本調味料の中でも味噌は伝統的に古く、その原料と色に地域差が出ている。
 麦味噌の分布は、紀州や四国、中国の一部、九州と日本列島の南に偏っている。これは、米作にあまり適していない風土を持つためである。
 味噌の使用頻度は、東北、信越、中部、三河、尾張ラインで高く、これらの地域は塩分の濃い味を好む地帯となっている。
 
●雑煮の文化

 雑煮文化は本州型の食文化であり、かつてのアイヌあるいは琉球には伝統的に存在していない。雑煮を分類する要素として、餅、だし、味つけ等がある。各々の要素別の地域差として、次の点が指摘されている。

・雑煮の餅の地域差
 丸餅か角餅かは関ヶ原を基点にして東西に分かれる。西は丸餅、東は角餅である。

・雑煮の具を煮るだしの地域差
 多様なだしが存在する。

・味つけの地域差
 すまし派は全国的であるが、これは江戸時代参勤交替により江戸文化の影響を受けた地帯である。味噌派は京文化の影響と考えられる。
 味噌派には甘口派と辛口派の二派があり、京を中心とした関西は白味噌の甘口派であり、あん餅が入る香川や徳島も甘口である。ただし、この地帯でも山間部は辛口となっている。この味噌派の別派が福井県に固まっており、ここは辛口派で味噌の色も赤系統となっている。
 関東地方にも味噌派は見られるが、茨城県新座市や新潟県頸城海岸地方では味噌汁の上澄みを未だに使用しているところもある。
 味噌派以外にも小豆汁派があり、島根県や鳥取県、兵庫県の一部までその文化が及んでいる。

・たんぱく質系の具の地域差
 タンパク質系の具は、サケ文化圏やブリ文化圏等様々に分かれている。

●すし

 すしは、東南アジア山岳部をルーツとする一種の魚の漬物であり、保存食である。その地帯では昔のままの姿で漬けられているが、日本では魚の貯蔵法として発達した<馴れずし>から、新鮮な魚をおいしく食べる<早ズシ>までの大発展を遂げた。
 日本のすしを大別すると、馴れずし系、姿(丸)すし、い(お)ずし系、、押しずし、握りずしに分けられる。昔は、発酵させることで保存性を高める工夫がなされていた。日本の馴れずしの分布は局限されており、滋賀県の琵琶湖周辺のフナずしが知られている。その後、安土桃山時代には発酵を促進するために飯が用いられ、江戸初期には飯に酢を加えるようになった。江戸後期になると、すし飯の方が主体の飯鮨ができ、ちらしずし、にぎりずしに展開していった。

 
●めん

 「東のそば、西のうどん」とよく言われるが、切りそばももとは京生まれであり、それが東のそばと言われるようになったのは、江戸時代以降である。また、田地が少なく、気候的に寒い山間地では、そばは早く生育し、土地を選ばない植物のため、貧しい風土に住んだ人達の食糧になった。
 明治以降に生まれためんでは、中国の福建やアモイ系の食べ物である長崎ちゃんぽんや皿うどん、大正以後横浜で生まれたラーメンの名残りである東京ラーメン等がある。戦後生まれの新しい郷土のめんでは、札幌や喜多方、博多、熊本(火の国)、薩摩のラーメンがある。これらは、今までになかった白濁した豚骨や鶏骨のだしを使うのが特徴となっている。また、味噌味は札幌生まれである。福建料理の影響を受けて育った沖縄のソーキそばは、麺をアクで練るのが他の地域と異なっている。冷麺は韓国が発祥の地であり、日本では大正の頃横浜に住んだ中国人たちが食べていた。冷やし中華は、昭和12年仙台で誕生している。
 現在では、そばやうどん、きしめんといった、めん類を食べる地域は、全国各地に拡がっているが、その中で郷土色が残っていたり、新たに生まれたりしている。例えば、京都、大阪、東京の三都においては、“きつね”と“たぬき”が異なる。

●よく食べる肉の種類

 堀井らが1986年に行った「地域食生活実態調査」では、10品目(牛肉、豚肉、鶏肉、羊肉、その他の鳥獣肉、レバー、臓物類、肉缶詰、ハム等加工肉・鯨肉製品)について、よく食べる順を聞いている。
 大まかな地域性として、東の豚肉・西の牛肉・ 九州の鶏肉ということができるが、それら地域の中でも多様性が存在している。
 東日本のほとんどの地域では豚肉がトップであり鶏肉は二位であるが、山形と南関東四都県では三位の牛肉のポイントがかなり高く、北陸地方では牛肉と鶏肉の順位が入れ替わっている。また、鶏肉飼育の歴史の古い中京地域(愛知・岐阜)では、鶏肉が豚肉とほぼ肩を並べている。
 西日本になると、牛肉上位に切り替わっているが、山陰地方は南関東と同じタイプであり、西九州・鹿児島・沖縄も豚肉が上位にきている。愛媛は、3つの間に差はないながら豚肉がトップの北陸型をしている。
 鶏肉上位の九州四県にあっても、純粋にトップの宮崎に対して、福岡・熊本では牛肉が並びかけ、大分では牛肉が鶏肉を抜いてトップに立っている。豊後の黒牛としてつとに名の売れた大分では、牛を単に換金作物として大都市に出荷するだけでなく、しっかりと県内消費が行われている。岡山が福岡・熊本と同じタイプの鶏肉上位型となっている。

●東アジアの魚醤

 発酵調味料の魚醤は、穀類が原料の味噌や醤油とは異なり、魚介の塩辛を発酵させた海洋民族独特の技術である。
 各地の魚醤には、中国のエビペーストの蝦醤(シャジャン)、カキのひしおの蠔油(ハオイウ)、朝鮮半島のジョッカル、ベトナムのニョクマル、ビルマのガンピャエ、タイのナンプラー、フィリピンのパティス、カンボジアのタクトレイ、ラオスのナムパー、インドネシアのケチャップカン等がある。
 日本には、特定の地域に独特な魚醤油があり、秋田のショッツル、香川のイカナゴ醤油、石川のイシル、鹿児島のカツオノセンジ等がある。


参考文献

 岡田哲「食の文化を知る辞典」2003年、東京堂出版
 ヨーゼフ・クライナー編『地域性からみた日本』1996年、新曜社
 河合利光編「比較食文化論―文化人類学の視点から-」2000年、建帛社



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