サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

第19回環境自治体会議「にいはま会議」

2011年05月29日 | 雑感

5月25日(水)から27日(金)にかけて、愛媛県新居浜市で、第19回環境自治体会議が開催された。

私は、第4分科会「中長期を見据えた温暖化対策と私たちのくらし」で、温暖化適応策に関する研究報告を行う立場で参加をさせていただいた。

全国から、環境自治体を目指す市区町村が集い、相互の情報交換、交流、研修を行う機会が、すでに19回も継続されていることは素晴らしいことだ。会場となる地域は、毎年持ち回りで、ボランタリーな方法で準備、運営を行っている。

私の報告についていえば、50名を超える参加者のうち、温暖化適応策を聞いたことがある方は3名に過ぎない状況であった。適応策の認知度の低さを改めて感じることができた。会議後、何人かからは、今年度秋に開催する適応策コンソーシアムに参加したいですと声をかけられたので、適応策の紹介はある程度はできただろうか。

さて、新居浜は、住友銅山により発展してきた企業城下町である。銅精錬による煙害や薪炭伐採により禿山になった後、大規模な植林を行い、そのノウハウから住友林業が設立されてきた。明治以降の鉱害に対して、経営者が積極的に取り組み、自然と地域、企業の価値を高めた事例である。

私が参加した理由も、近代環境史の講義で、足尾銅山のことを教えてるため、それと対照となる事例として別子銅山のことを取材したかったためである。確かに、別子の山の現在は、青々としており、昔の写真のような禿山であったことは想像しがたい。経営者による植林事業が行わず、閉山後に国や県が緑化を進めている足尾では、表土が流出し、緑濃い山とは程遠い状況であることを考えると、両者の違いは明白である。

足尾と別子の違いは、経営者の違いだけで片付けるのは早計だろうか。足尾銅山は渡良瀬川上流にあり、農地や都市から離れた山間にある。足尾銅山の被害は足尾村とともに、やや離れた下流部で発生した。これに対して、別子銅山は瀬戸内海と近い。製錬所も、山と平野部の間、あるいは沿岸部につくられたため、周辺に農地があり、農民との距離も近かっただろう。加害者と被害者という利害関係者間の距離の違いが、両者の対策の違いを分けたともいえるだろうか。

会議の第4分科会では、山口県での宇部市が、「宇部方式」により環境都市づくりの報告をされた。宇部もまた石油コンビナートがある産業都市である。ばいじんの量は一時は日本一とされたが、企業と大学、行政が連携し、対策効果をあげた。こうした公害問題を起こした産業都市が、環境都市としての取り組みを活発化させてきた例は多い。新居浜もそうであるが、北九州、水俣、川崎、四日市等である。そして、激甚な公害問題を起こしたわけではないが、豊田市、横浜市等も、地元を代表する企業が環境に取り組む中で、地域全体で環境都市を目指そうとしている例となる。

企業城下町では、地元企業による環境経営と地域全体の環境都市づくりが一体として、相乗的に進む可能性がある。そして、これら「環境産業型地域」の中で、いくつかが環境モデル都市や環境未来都市に指定されてきた。こうしたモデル都市では、環境経営を目指す地元企業の技術を都市づくりによりショールーム化し、パッケージにして海外都市に売り込むという面がある。環境都市の発展プロセスとして興味深い。

そして、環境自治体を標榜する地域のタイプは、「環境産業型地域」だけではない。地方の小都市や農山村では、環境意識が高い首長の姿勢表明と熱意のある行政マンが、環境を地域のアイデンティティとし、地域振興と環境保全を一体として地域づくりを進めてきた。これらは、「環境振興型地域」ともいえるだろう。また、東京の市区町村等では、市民意識の高さ等も支えられ、生活環境の快適化や地球環境への貢献等を進めており、「環境貢献型地域」ということもできるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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