
1)持続可能性の変遷
社会の持続可能性を損なうような様々な問題が顕在化しつつある。環境・エネルギー問題だけでなく、世界的には人口問題、食糧、貧困、経済不況等があり、国内では世界的な問題に加えて、高齢化や財政危機、年金問題、貿易の自由化に伴う問題等、難問山積みである。これらの問題は、目先の経済成長や物質的な豊かさを追求してきたこれまでの開発や発展のスタイルに起因する。また、東北大震災やその後の原発事故の影響で露見したように、今日の社会は自然にあらがうスタイルであるがゆえに、想定外の外力や依存する外部のダメージに対して、脆く、危うい構造となっている。
こうした持続可能性を損なう諸問題に対して、持続可能な社会とは何かという検討がこれまでも積み重ねられてきた。
時代を遡れば、1970年代において、クーマーは「環境制約下での成長」という観点で持続可能性を定義したが、1980年代の世界自然保護戦略あるいはブルントラント委員会報告においては開発と保全の調和を持続可能な開発と表し、保全とは将来世代と現代世代を両立させる生物圏利用の管理と定義した。クーマーと世界自然保護戦略の両方とも、主体と他者の両立・調和という観点で持続可能性を定義しているが、前者にとっての他者は人間社会に対する環境であり、世界自然保護戦略では現在世代に対して将来世代である。つまり、両者の定義は、主体と他者の範囲設定に違いがある。その後、1990年代のリオ宣言では開発と環境保護、2000年代のヨハネスブルグ宣言では経済開発及び社会開発と環境保護の関係において、持続可能性を定義している。この場合の主体は開発(あるいは経済・社会)であり、他者は環境である。
2)持続可能性の3原則
以上のように、持続可能性の定義は時代とともに変遷があるが、筆者は、主体が自己充足を追求する結果として、諸問題が発生しているという認識に立ち、持続可能性とは、主体が自己以外の他者に配慮することであると捉えている。内藤正明先生は、環境問題の本質とは「時間軸、空間軸、生物軸での他者へのつけ回し」であると記している。内藤の指摘は持続可能な発展の定義にもあてはめることができる。つまり、持続可能性を損なう問題の本質は他者へのつけ回しであり、持続可能な社会とは「他者に配慮した社会」である。
この他者への配慮に加えて、2つの観点が持続可能な社会において重要である。
1つは、「順応的な適応社会」ということである。つまり、気候変動や自然災害等といった想定外のリスクに対して、柔軟に対応できるようにすることを、持続可能な社会の基本要件としていくことが考えられる。もう1つは、「主体の活力がある社会」である。社会の構成員が持続可能な社会を目指そうとする意志を持ち、社会や経済に活力がある状態でないと、他者への配慮やリスクへの適応は十分になされない。
3)持続可能な社会における地域の役割
持続可能な社会の原則を実現するうえで、地域からのボトムアップが必要である。これは、これまでの国家主導や産業中心のこれまでの対策に限界があるためである。地域というまとまりにおける取組みの重要性、さらに地域環境力の位置づけを、持続可能な社会の原則の実現という観点から整理してみる。
まず、「1.他者への配慮」においては、地域資源の活用による資源・エネルギーの循環的活用が不可欠であり、バイオマスという再生可能資源の生産・消費を行う循環圏としての地域の形成が必要となる。もちろん、あらゆる資源・エネルギーを地域で賄うことは困難であり、地域間の融通は必要となるが、見えなくなりがちな外部に依存する前に、見えやすい地域内での融通を優先すべきである。
次に、「2.順応的な適応」においても地域の自立が不可欠である。地域外への過剰な依存は、自然災害の発生時において、外部からの供給が断たれたときに、脆弱さを露呈することになる。
そして、「3.主体の活力」とは、まさしく「地域環境力(環境コミュニティ力)」である。環境・エネルギーに関する地域での取組みについて、地域住民や企業、行政、市民活動団体等が意識と意志を持ち、主体間の関係が形成・強化されていることが、「地域環境力」である。