岩手県立盛岡第一高等学校
岩手県立盛岡第一高等学校
過去の名称 公立岩手中学校
岩手県尋常中学校
岩手県盛岡尋常中学校
岩手県盛岡中学校
岩手県立盛岡中学校
岩手県立盛岡第一高等学校
岩手県立盛岡高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岩手県
校訓 忠實自彊・質実剛健
設立年月日 1880年5月13日
創立記念日 設立記念日に同じ
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科・理数科
(平成19年度から括り募集)
学期 二学期制
高校コード 03101B
所在地 〒020-8515
岩手県盛岡市上田3-2-1
北緯39度42分48.4秒東経141度8分30.7秒
電話番号 019-623-4491
FAX番号 019-654-4227
外部リンク 公式サイト
■テンプレート/■ノート岩手県立盛岡第一高等学校(いわてけんりつもりおかだいいちこうとうがっこう)は、日本の岩手県盛岡市上田にある県立高等学校。男女共学。
目次 [非表示]
1 概要
2 校長
3 校訓
4 教育目標
5 重点目標
6 履修漏れ
7 沿革
8 設置課程
9 部活動
10 アクセス
11 主な行事
12 一般公開について
13 著名な出身者
13.1 戦前
13.2 戦後
14 脚注
15 参考文献
16 関連項目
17 外部リンク
[編集] 概要
同校の起源は1880年に創設された「公立岩手中学校」に端を発し、県内の高等学校の中では岩手県立盛岡農業高等学校に次いで最も長い歴史を有する[1]。東北地方を代表する進学校のひとつであるとともに創設以来多くの著名人を輩出してきた。
よく使われる略称は「一高(いちこう)」だが「盛岡一高(もりおかいちこう)」「盛一(もりいち)」と呼ばれる事もある。また、応援歌の歌詞には「盛高(もりこう)」という略称も登場する。(但し、一般的にもりこうと言えば盛岡工業高校を指す。)
同校は元来男子校として設立された経緯があるため、1950年の共学化以降も女子生徒の比率は低かったが、現在はその比率の違いもあまり目立たなくなってきている。
また、同校には全国的に見ても少ないバンカラの應援団があり、全校生徒による選挙で選出された應援委員が中心となる[2]。同校では生徒全員を「應援團(応援団)」と位置づけ、その中核を「應援委員」、全校應援練習の場で新入生の指導にあたる三年生の有志を「團有志」、クラスで新入生の指導にあたる二年生の有志を「指導有志」と定義している。尚、同校の校歌の旋律には、軍艦マーチが採用されている。この校歌は1908年に在校していた伊藤九万一によって作詞され、選曲は同じく当時在校していた佐香貞次郎によって行われた。その関係から、その校歌は『永久保存盤 軍艦マーチのすべて』(キングレコード、1998/04/24発売)の第1トラックに収録されている。
同校には「自彊(じきょう)寮」と呼ばれる寄宿舎(男子用)がある。この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでいるものであり、当時の宮沢賢治も利用した[3]。
同校の行事「運動会」では、1年生の男子によって「猛者踊り」と呼ばれる仮装ダンスが行われている。この踊りは、土着民族のたくましさを表現したもので、頭髪を奇抜なデザインに刈り(通称:猛者刈り)、全身に塗料を塗るなどして奇声をあげながら踊る。このダンスは、かつて「土人踊り」と呼ばれていたが、1988年に生徒から人種差別との批判が起こった。これは、服装が「腰みの」「わらじ」「竹の棒」で、塗料も黒であるなど、特定の民族を想起させるものであったためで、黒人人権擁護団体からも苦情が寄せられた。だが、伝統行事であったために、直ちに廃止・改称などは行わず、継続的な議論が行われることとなった。その模様は地方紙岩手日報を始めAERAやNHKニュースなどで頻繁に取り上げられた。最終的には1993年その名を猛者踊りと改称し、塗料は茶・緑・赤・青のみを使用する事で存続を果たした。
2000年10月には校舎が建て替えられた。5階建てで、最新式屈折望遠鏡を備えた天体ドームや、屋内温水プールが設置されている。また、ソーラーシステムも導入されていて、地球環境に配慮した設計になっている。
2005年度より、少子化に伴う岩手県教育委員会の県立高等学校新整備計画の対象となり、クラス数が1学年8クラス(普通科7:理数科1)から7クラス(普通科6:理数科1)に削減されたが、2006年度から、再び従来の1学年8クラス(普通科7:理数科1)となった。
2006年、3年生の一部に対し学習指導要領で必修とされている世界史の授業などを行っていなかったことが判明した。
[編集] 校長
遠藤洋一(2007年 4月1日~)
[編集] 校訓
忠實自彊(ちゅうじつじきょう)
質実剛健(しつじつごうけん)
[編集] 教育目標
時代の先駆者として、社会に広く貢献する人間を育成する
高い知性と教養を身につけた人間を育成する
たくましい精神力と思いやりの心を兼ね備えた人間を育成する
強健な身体と豊かな感性をあわせ持った人間を育成する
[編集] 重点目標
勉学に真摯に取り組む体制を確立する
文武両道の校風を確立する
自律性を持った自主的人間を育成する
基本的生活習慣を積極的に身につける気風を確立する
[編集] 履修漏れ
詳細は高等学校必履修科目未履修問題を参照
2006年度卒業の3年生192名が、地理歴史教科で必修の2科目のうち1科目しか履修していないことが発覚した。理系のクラスでは日本史・世界史・地理の中から選択で1つの科目を選べばよいこととなっていた。昨年度の卒業生は卒業式後に補習を行い、補習終了時が卒業年月日にされた。
[編集] 沿革
1880年 「公立岩手中学校」として盛岡市内丸に設立(8級4年制)、6月15日開校、9月9日専修科(6級3年制)設立
1885年 盛岡市内丸に校舎新築
1886年 「岩手県尋常中学校」と改称(5年制)
1897年 「岩手県盛岡尋常中学校」と改称
1899年 「岩手県盛岡中学校」と改称
1901年 「岩手県立盛岡中学校」と改称
1902年 創立記念運動会開催
1908年 校歌・校旗制定
1917年 内丸校舎から現在地に移転
1925年 白堊同窓会設立
1947年 「岩手県立盛岡中学校併設中学校」開設
1948年 「岩手県立盛岡第一高等学校」と改称
1949年 定時制(不来方・雫石・好摩)および通信制を置く。盛岡二高・盛岡商業高を統合し「岩手県立盛岡高等学校」上田校舎と改称。
1950年 男女共学化
1951年 統合を解いて、上田校舎を「岩手県立盛岡第一高等学校」と改称
1961年 先代校舎落成
1964年 一本木教室開設
1964年 一本木教室を分校に昇格。
1968年 雫石高等学校の独立に伴い雫石分校(定時制)廃止。通信制を杜陵高等学校に移す。
1969年 理数科設置
1971年 定時制中心校閉校
1978年 好摩分校閉校
1980年 創立100周年、白堊の翼(海外派遣事業)開始
1986年 現第一体育館落成
1995年 一本木分校閉校
1999年 現校舎使用開始
[編集] 設置課程
全日制普通科(1組~7組)
全日制理数科(8組)
※平成19年度から、1年次は全日制普通・理数科に改変(くくり募集)。2年次から、普通科(7クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
[編集] 部活動
柔道、ハンドボール、サッカーなどでは毎年、国体やインターハイ等で上位入賞している。
運動部・同好会
弓道、剣道、硬式野球(男子)、軟式野球(男子)、サッカー(男子)、柔道、水泳、スキー、ソフトテニス、卓球、テニス、登山、バスケットボール、バドミントン、バレーボール、ハンドボール(男子)、ラグビー(男子)、陸上競技 、ソフトボール(女子)
文化部・同好会
囲碁将棋、英語、演劇、音楽、化学、軽音楽、茶華道、社会科学研究、写真、書道、新聞、吹奏楽、生物、天文、美術、物理、文学研究、無線、アニメーション研究、シミュレーション研究、ダンス、地学研究
委員会
特色ある活動を行っている。
應援、放送委員会、白堊(生徒会誌)編集委員会、中央執行委員会
[編集] アクセス
JR東北本線、IGRいわて銀河鉄道「盛岡駅」から徒歩18分
JR山田線「上盛岡駅」から徒歩5分
[編集] 主な行事
4月
生徒会オリエンテーション:入学式前に行われ、生徒会や部活動の紹介がある。
入学式:毎年、應援委員が校歌を披露する。
対面式:入学式の後(日は別)行われる。1年生が2・3年生の歌う校歌や応援歌を聞く。
応援歌練習:1年生が校歌や応援歌13曲を指導される。
5月
大運動会:創立を記念して行われる。運動会前日には、宣伝の目的で1年生と2年生一部で構成される「白堊団」が盛岡市内を練り歩く。
6月
スポーツ祭:クラス対抗で、球技を中心として行われる。
7月
応援歌練習:夏の甲子園地方予選に照準を合わせて練習する。
9月
白堊祭(文化祭):各部・クラスの研究成果の発表を始め、模擬店出店が行われる。
12月
研修旅行:1年生が対象。最近では、『関西』・『九州』・『沖縄』の3コースに分かれて研修を行う。かつて戦後の長い期間、修学旅行がなかったのが同校の特色の一つだった。
2月
予餞会:受験を控えた3年生を観客として招待し、1・2年生が芝居などを披露する。
応援歌練習:4月に3年生へ進級する2年生が、1年生を指導する。春の応援歌練習の予行の意味合いも兼ねる。
3月
卒業式
[編集] 一般公開について
開かれた学校作りを進めるため、日にちを限って学校を一般に公開している。以下、日程。
星を観る会:最新式屈折望遠鏡の一般公開を行う。毎年7月頃と10月頃に行われ、在校生による説明・著名人を招いての講演会も行われる。
学校へ行こう週間:日常的な学校生活の参観を目的としている。毎年11月頃に行われる。
白堊祭
大運動会
[編集] 著名な出身者
[編集] 戦前
久慈次郎 - 野球選手、野球殿堂
及川古志郎 - 軍人、海軍大将・海軍大臣
宮沢賢治 - 詩人・児童文学者
弓館小鰐 - 新聞記者、随筆家
金田一京助 - 言語学者・国語学者
三鬼隆 - 日本製鐵社長
佐藤得二 - 直木賞作家
山口青邨 - 俳人
獅子内謹一郎 - アマチュア野球選手、「岩手野球の父」と呼ばれた
舟越保武 - 彫刻家
出淵勝次 - 外交官・政治家
小野清一郎 - 法学者(刑法)・東京大学名誉教授・文化勲章受章者
松本竣介 - 洋画家
森荘巳池 - 直木賞作家、生前はほとんど無名だった宮沢賢治と交流があった
青木周三 - 官僚、鉄道次官、逓信省出身
石川啄木 - 歌人・詩人 ※中退
多田武雄 - 軍人、海軍中将、実質最後の海軍次官 / 東京府立一中へ転校
長澤賢二郎 - 軍人、陸軍第1期飛行練習生(日本航空界の先達)
田子一民 - 政治家、農林大臣・衆議院議長・三重県知事
板垣征四郎 - 軍人 、陸軍大将・陸軍大臣(A級戦犯)
郷古潔 - 三菱重工業社長、東條内閣顧問(A級戦犯)
米内光政 - 軍人、海軍大将、第37代内閣総理大臣、最後の海軍大臣として終戦に尽力した
野村胡堂 - 小説家・音楽評論家
野辺地慶三 - 公衆衛生学者
岩動道行 - 科学技術庁長官
工藤巌 - 岩手県知事、衆議院議員
小川仁一 - 参議院議員(日本社会党)
神谷尚男 - 検事総長
海野経 - 洋画家
吉田清志 - 洋画家、国画会会員
[編集] 戦後
相原正明 - 奥州市市長
大宮政志 - 競輪選手
佐々木収 - ミュージシャン、(SCRIPT・元MOON CHILD)
黄川田徹 - 衆議院議員(民主党)
夏井高人 - 法学者(サイバー法、コンピュータ法)・明治大学法学部教授
階猛 - 衆議院議員(民主党)、弁護士
久美沙織 - 小説家
玉澤徳一郎 - 衆議院議員(自民党)
高橋研 - シンガーソングライター・音楽プロデューサー
穀田恵二 - 衆議院議員(日本共産党)
石川一洋 - NHK解説委員
山口則幸 - 東日本放送アナウンサー
小松正之 - 官僚、国際捕鯨委員会日本代表代行
小田中聰樹 - 法学者、東北大学名誉教授
達増拓也 - 岩手県知事、元衆議院議員(民主党)
八重樫茂生 - サッカー選手、日本サッカー殿堂
主濱了 - 参議院議員(民主党)
谷藤裕明 -盛岡市市長
菊地伸 -弁護士
[編集] 脚注
^ 沿革抄
^ 同校では応援を「應援」、応援団を「應援團」と旧字体で表記するのが伝統である。
^ 岩手県立図書館、宮沢賢治
[編集] 参考文献
創立100周年記念誌 岩手県立盛岡第一高等学校
[編集] 関連項目
岩手県高等学校一覧
学校記事一覧
旧制中学校
ナンバースクール
高等学校必履修科目未履修問題
日本の寮がある中学校・高等学校・高等専門学校の一覧
日本の理数系高等学校一覧
[編集] 外部リンク
岩手県立盛岡第一高等学校
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最終更新 2008年4月25日 (金) 09:41。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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岩手県立盛岡第一高等学校
過去の名称 公立岩手中学校
岩手県尋常中学校
岩手県盛岡尋常中学校
岩手県盛岡中学校
岩手県立盛岡中学校
岩手県立盛岡第一高等学校
岩手県立盛岡高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岩手県
校訓 忠實自彊・質実剛健
設立年月日 1880年5月13日
創立記念日 設立記念日に同じ
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科・理数科
(平成19年度から括り募集)
学期 二学期制
高校コード 03101B
所在地 〒020-8515
岩手県盛岡市上田3-2-1
北緯39度42分48.4秒東経141度8分30.7秒
電話番号 019-623-4491
FAX番号 019-654-4227
外部リンク 公式サイト
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1 概要
2 校長
3 校訓
4 教育目標
5 重点目標
6 履修漏れ
7 沿革
8 設置課程
9 部活動
10 アクセス
11 主な行事
12 一般公開について
13 著名な出身者
13.1 戦前
13.2 戦後
14 脚注
15 参考文献
16 関連項目
17 外部リンク
[編集] 概要
同校の起源は1880年に創設された「公立岩手中学校」に端を発し、県内の高等学校の中では岩手県立盛岡農業高等学校に次いで最も長い歴史を有する[1]。東北地方を代表する進学校のひとつであるとともに創設以来多くの著名人を輩出してきた。
よく使われる略称は「一高(いちこう)」だが「盛岡一高(もりおかいちこう)」「盛一(もりいち)」と呼ばれる事もある。また、応援歌の歌詞には「盛高(もりこう)」という略称も登場する。(但し、一般的にもりこうと言えば盛岡工業高校を指す。)
同校は元来男子校として設立された経緯があるため、1950年の共学化以降も女子生徒の比率は低かったが、現在はその比率の違いもあまり目立たなくなってきている。
また、同校には全国的に見ても少ないバンカラの應援団があり、全校生徒による選挙で選出された應援委員が中心となる[2]。同校では生徒全員を「應援團(応援団)」と位置づけ、その中核を「應援委員」、全校應援練習の場で新入生の指導にあたる三年生の有志を「團有志」、クラスで新入生の指導にあたる二年生の有志を「指導有志」と定義している。尚、同校の校歌の旋律には、軍艦マーチが採用されている。この校歌は1908年に在校していた伊藤九万一によって作詞され、選曲は同じく当時在校していた佐香貞次郎によって行われた。その関係から、その校歌は『永久保存盤 軍艦マーチのすべて』(キングレコード、1998/04/24発売)の第1トラックに収録されている。
同校には「自彊(じきょう)寮」と呼ばれる寄宿舎(男子用)がある。この寄宿舎は旧制盛岡中学校時代の名前を受け継いでいるものであり、当時の宮沢賢治も利用した[3]。
同校の行事「運動会」では、1年生の男子によって「猛者踊り」と呼ばれる仮装ダンスが行われている。この踊りは、土着民族のたくましさを表現したもので、頭髪を奇抜なデザインに刈り(通称:猛者刈り)、全身に塗料を塗るなどして奇声をあげながら踊る。このダンスは、かつて「土人踊り」と呼ばれていたが、1988年に生徒から人種差別との批判が起こった。これは、服装が「腰みの」「わらじ」「竹の棒」で、塗料も黒であるなど、特定の民族を想起させるものであったためで、黒人人権擁護団体からも苦情が寄せられた。だが、伝統行事であったために、直ちに廃止・改称などは行わず、継続的な議論が行われることとなった。その模様は地方紙岩手日報を始めAERAやNHKニュースなどで頻繁に取り上げられた。最終的には1993年その名を猛者踊りと改称し、塗料は茶・緑・赤・青のみを使用する事で存続を果たした。
2000年10月には校舎が建て替えられた。5階建てで、最新式屈折望遠鏡を備えた天体ドームや、屋内温水プールが設置されている。また、ソーラーシステムも導入されていて、地球環境に配慮した設計になっている。
2005年度より、少子化に伴う岩手県教育委員会の県立高等学校新整備計画の対象となり、クラス数が1学年8クラス(普通科7:理数科1)から7クラス(普通科6:理数科1)に削減されたが、2006年度から、再び従来の1学年8クラス(普通科7:理数科1)となった。
2006年、3年生の一部に対し学習指導要領で必修とされている世界史の授業などを行っていなかったことが判明した。
[編集] 校長
遠藤洋一(2007年 4月1日~)
[編集] 校訓
忠實自彊(ちゅうじつじきょう)
質実剛健(しつじつごうけん)
[編集] 教育目標
時代の先駆者として、社会に広く貢献する人間を育成する
高い知性と教養を身につけた人間を育成する
たくましい精神力と思いやりの心を兼ね備えた人間を育成する
強健な身体と豊かな感性をあわせ持った人間を育成する
[編集] 重点目標
勉学に真摯に取り組む体制を確立する
文武両道の校風を確立する
自律性を持った自主的人間を育成する
基本的生活習慣を積極的に身につける気風を確立する
[編集] 履修漏れ
詳細は高等学校必履修科目未履修問題を参照
2006年度卒業の3年生192名が、地理歴史教科で必修の2科目のうち1科目しか履修していないことが発覚した。理系のクラスでは日本史・世界史・地理の中から選択で1つの科目を選べばよいこととなっていた。昨年度の卒業生は卒業式後に補習を行い、補習終了時が卒業年月日にされた。
[編集] 沿革
1880年 「公立岩手中学校」として盛岡市内丸に設立(8級4年制)、6月15日開校、9月9日専修科(6級3年制)設立
1885年 盛岡市内丸に校舎新築
1886年 「岩手県尋常中学校」と改称(5年制)
1897年 「岩手県盛岡尋常中学校」と改称
1899年 「岩手県盛岡中学校」と改称
1901年 「岩手県立盛岡中学校」と改称
1902年 創立記念運動会開催
1908年 校歌・校旗制定
1917年 内丸校舎から現在地に移転
1925年 白堊同窓会設立
1947年 「岩手県立盛岡中学校併設中学校」開設
1948年 「岩手県立盛岡第一高等学校」と改称
1949年 定時制(不来方・雫石・好摩)および通信制を置く。盛岡二高・盛岡商業高を統合し「岩手県立盛岡高等学校」上田校舎と改称。
1950年 男女共学化
1951年 統合を解いて、上田校舎を「岩手県立盛岡第一高等学校」と改称
1961年 先代校舎落成
1964年 一本木教室開設
1964年 一本木教室を分校に昇格。
1968年 雫石高等学校の独立に伴い雫石分校(定時制)廃止。通信制を杜陵高等学校に移す。
1969年 理数科設置
1971年 定時制中心校閉校
1978年 好摩分校閉校
1980年 創立100周年、白堊の翼(海外派遣事業)開始
1986年 現第一体育館落成
1995年 一本木分校閉校
1999年 現校舎使用開始
[編集] 設置課程
全日制普通科(1組~7組)
全日制理数科(8組)
※平成19年度から、1年次は全日制普通・理数科に改変(くくり募集)。2年次から、普通科(7クラス)または理数科(1クラス)を選択する。
[編集] 部活動
柔道、ハンドボール、サッカーなどでは毎年、国体やインターハイ等で上位入賞している。
運動部・同好会
弓道、剣道、硬式野球(男子)、軟式野球(男子)、サッカー(男子)、柔道、水泳、スキー、ソフトテニス、卓球、テニス、登山、バスケットボール、バドミントン、バレーボール、ハンドボール(男子)、ラグビー(男子)、陸上競技 、ソフトボール(女子)
文化部・同好会
囲碁将棋、英語、演劇、音楽、化学、軽音楽、茶華道、社会科学研究、写真、書道、新聞、吹奏楽、生物、天文、美術、物理、文学研究、無線、アニメーション研究、シミュレーション研究、ダンス、地学研究
委員会
特色ある活動を行っている。
應援、放送委員会、白堊(生徒会誌)編集委員会、中央執行委員会
[編集] アクセス
JR東北本線、IGRいわて銀河鉄道「盛岡駅」から徒歩18分
JR山田線「上盛岡駅」から徒歩5分
[編集] 主な行事
4月
生徒会オリエンテーション:入学式前に行われ、生徒会や部活動の紹介がある。
入学式:毎年、應援委員が校歌を披露する。
対面式:入学式の後(日は別)行われる。1年生が2・3年生の歌う校歌や応援歌を聞く。
応援歌練習:1年生が校歌や応援歌13曲を指導される。
5月
大運動会:創立を記念して行われる。運動会前日には、宣伝の目的で1年生と2年生一部で構成される「白堊団」が盛岡市内を練り歩く。
6月
スポーツ祭:クラス対抗で、球技を中心として行われる。
7月
応援歌練習:夏の甲子園地方予選に照準を合わせて練習する。
9月
白堊祭(文化祭):各部・クラスの研究成果の発表を始め、模擬店出店が行われる。
12月
研修旅行:1年生が対象。最近では、『関西』・『九州』・『沖縄』の3コースに分かれて研修を行う。かつて戦後の長い期間、修学旅行がなかったのが同校の特色の一つだった。
2月
予餞会:受験を控えた3年生を観客として招待し、1・2年生が芝居などを披露する。
応援歌練習:4月に3年生へ進級する2年生が、1年生を指導する。春の応援歌練習の予行の意味合いも兼ねる。
3月
卒業式
[編集] 一般公開について
開かれた学校作りを進めるため、日にちを限って学校を一般に公開している。以下、日程。
星を観る会:最新式屈折望遠鏡の一般公開を行う。毎年7月頃と10月頃に行われ、在校生による説明・著名人を招いての講演会も行われる。
学校へ行こう週間:日常的な学校生活の参観を目的としている。毎年11月頃に行われる。
白堊祭
大運動会
[編集] 著名な出身者
[編集] 戦前
久慈次郎 - 野球選手、野球殿堂
及川古志郎 - 軍人、海軍大将・海軍大臣
宮沢賢治 - 詩人・児童文学者
弓館小鰐 - 新聞記者、随筆家
金田一京助 - 言語学者・国語学者
三鬼隆 - 日本製鐵社長
佐藤得二 - 直木賞作家
山口青邨 - 俳人
獅子内謹一郎 - アマチュア野球選手、「岩手野球の父」と呼ばれた
舟越保武 - 彫刻家
出淵勝次 - 外交官・政治家
小野清一郎 - 法学者(刑法)・東京大学名誉教授・文化勲章受章者
松本竣介 - 洋画家
森荘巳池 - 直木賞作家、生前はほとんど無名だった宮沢賢治と交流があった
青木周三 - 官僚、鉄道次官、逓信省出身
石川啄木 - 歌人・詩人 ※中退
多田武雄 - 軍人、海軍中将、実質最後の海軍次官 / 東京府立一中へ転校
長澤賢二郎 - 軍人、陸軍第1期飛行練習生(日本航空界の先達)
田子一民 - 政治家、農林大臣・衆議院議長・三重県知事
板垣征四郎 - 軍人 、陸軍大将・陸軍大臣(A級戦犯)
郷古潔 - 三菱重工業社長、東條内閣顧問(A級戦犯)
米内光政 - 軍人、海軍大将、第37代内閣総理大臣、最後の海軍大臣として終戦に尽力した
野村胡堂 - 小説家・音楽評論家
野辺地慶三 - 公衆衛生学者
岩動道行 - 科学技術庁長官
工藤巌 - 岩手県知事、衆議院議員
小川仁一 - 参議院議員(日本社会党)
神谷尚男 - 検事総長
海野経 - 洋画家
吉田清志 - 洋画家、国画会会員
[編集] 戦後
相原正明 - 奥州市市長
大宮政志 - 競輪選手
佐々木収 - ミュージシャン、(SCRIPT・元MOON CHILD)
黄川田徹 - 衆議院議員(民主党)
夏井高人 - 法学者(サイバー法、コンピュータ法)・明治大学法学部教授
階猛 - 衆議院議員(民主党)、弁護士
久美沙織 - 小説家
玉澤徳一郎 - 衆議院議員(自民党)
高橋研 - シンガーソングライター・音楽プロデューサー
穀田恵二 - 衆議院議員(日本共産党)
石川一洋 - NHK解説委員
山口則幸 - 東日本放送アナウンサー
小松正之 - 官僚、国際捕鯨委員会日本代表代行
小田中聰樹 - 法学者、東北大学名誉教授
達増拓也 - 岩手県知事、元衆議院議員(民主党)
八重樫茂生 - サッカー選手、日本サッカー殿堂
主濱了 - 参議院議員(民主党)
谷藤裕明 -盛岡市市長
菊地伸 -弁護士
[編集] 脚注
^ 沿革抄
^ 同校では応援を「應援」、応援団を「應援團」と旧字体で表記するのが伝統である。
^ 岩手県立図書館、宮沢賢治
[編集] 参考文献
創立100周年記念誌 岩手県立盛岡第一高等学校
[編集] 関連項目
岩手県高等学校一覧
学校記事一覧
旧制中学校
ナンバースクール
高等学校必履修科目未履修問題
日本の寮がある中学校・高等学校・高等専門学校の一覧
日本の理数系高等学校一覧
[編集] 外部リンク
岩手県立盛岡第一高等学校
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カテゴリ: 学校記事 | 岩手県の公立高等学校 | 盛岡市表示本文 ノート 編集 履歴 個人用ツールログインまたはアカウント作成 ナビゲーション
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最終更新 2008年4月25日 (金) 09:41。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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