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【青森県近代文学館】
The Museum of Modern Aomori Literature
平成18年度 調査員報告
星野富一郎 調査報告
調査対象 木村久邇典 きむら くにのり
プロフィル 文芸評論家。山本周五郎研究・評論の第一人者で著作が多い。直接師事した太宰治の回想『太宰治と私』(昭和51年 小峯書店)をはじめ、太宰治に関わる周辺作家のエッセイもある。
生没年 1923(大正12)7月11日-2000(平成12)年4月12日
主な作品 『太宰治と私』「在りし日の太宰治」『人間 山本周五郎』『山本周五郎襍記』『山本周五郎』(上下2巻)
青森との関わり 札幌市生まれ。両親の故郷西津軽郡木造町(現つがる市)で育つ。戦後、金木町に疎開中の太宰治を訪ね、師事する。
作家解説 昭和16年中央大学予科入学。19年海軍予備学生。20年秋復員、21年中央大学法学部卒業。労働文化社編集記者となり、昭和37年朝日新聞社東京本社校閲部に転じ編集局勤務となる。
太宰治と。学生時代から太宰文学を愛読。最初に読んだのが「帰去来」。「富嶽百景」に接し、精神の激しい痙攣を覚えたという。三鷹在住の太宰に会いたいと願望。戦後、太宰が疎開中の金木町で叶えられる。以後太宰の死まで師事が続く。太宰に関わる最初の文章は、師事した仲間や旧友が思い出を書き寄せた『太宰治の肖像』(昭和28年 楡書房)への記事。太宰と周辺の文学者の回想をまとめたのが『太宰治と私』(昭和51年 小峯書店)である。その中で直接太宰を扱ったのは、「太宰治と私-宿命の創造-」、「話術の天才」「税金とプチブル趣味」「『如是我聞』をめぐって」である。太宰周辺の文学者については「太宰治と安吾・作之助」「『火宅の人』が語るもの-檀一雄の死」「小山清さんのこと」「無頼派と戦後」などがある。他に「在りし日の太宰治」(平成8年 「太宰治研究」3号)。テレビ脚本に「太宰治の津軽」がある。
山本周五郎と。 青森県の風土や作家に興味を持っていた山本周五郎が、木村久邇典の故郷が木造町と知り親近感を抱く。木村は労働文化社編集記者時代に山本係となり戦後20年余も彼の身辺にあった。山本への傾倒が深く、山本周五郎研究・評論の第一人者となる。全集・文庫解説が多く、著書も『人間山本周五郎』(昭和43年 講談社)『素顔の山本周五郎』(昭和45年 新潮社)『山本周五郎襍記』(昭和45年 中央大学出版部)『山本周五郎のヒロインたち』(昭和54年 文化出版局)『男としての人生-山本周五郎のヒーローたち』(昭和57年 グラフ社)『山本周五郎はどう読まれてきたか』(昭和61年 新潮社)『周五郎に生き方を学ぶ』(平成7年 実業之日本社)『山本周五郎』(上・下2巻 平成12年 アールズ出版)。など多数にのぼる。
なお、「青森県と山本周五郎」(「月刊あおもり」 昭和44年7月号)がある。この記事は『山本周五郎襍記』に収められているが「津軽と山本周五郎」と改題されている。
関連資料 『太宰治と私-宿命の創造-』
図書、1976(昭和51)年7月15日、24.4㎜×17.7㎜
太宰治を疎開中の金木町(現五所川原市)に訪ね(S21.2)てから、三鷹引き上げ(S21.11)、その死まで(S23.6)の交遊を、太宰の作品をまじえての回想文。末尾の著者メモ「宿命の創造」で、太宰文学は、人間への不信、芸術への絶望、既成道徳への反逆であったと結ぶ。
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201 調べもの新聞社
nakamurayoshio@gmail.com TEL&FAX 045-701-6113
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主な作品 『太宰治と私』「在りし日の太宰治」『人間 山本周五郎』『山本周五郎襍記』『山本周五郎』(上下2巻)
青森との関わり 札幌市生まれ。両親の故郷西津軽郡木造町(現つがる市)で育つ。戦後、金木町に疎開中の太宰治を訪ね、師事する。
作家解説 昭和16年中央大学予科入学。19年海軍予備学生。20年秋復員、21年中央大学法学部卒業。労働文化社編集記者となり、昭和37年朝日新聞社東京本社校閲部に転じ編集局勤務となる。
太宰治と。学生時代から太宰文学を愛読。最初に読んだのが「帰去来」。「富嶽百景」に接し、精神の激しい痙攣を覚えたという。三鷹在住の太宰に会いたいと願望。戦後、太宰が疎開中の金木町で叶えられる。以後太宰の死まで師事が続く。太宰に関わる最初の文章は、師事した仲間や旧友が思い出を書き寄せた『太宰治の肖像』(昭和28年 楡書房)への記事。太宰と周辺の文学者の回想をまとめたのが『太宰治と私』(昭和51年 小峯書店)である。その中で直接太宰を扱ったのは、「太宰治と私-宿命の創造-」、「話術の天才」「税金とプチブル趣味」「『如是我聞』をめぐって」である。太宰周辺の文学者については「太宰治と安吾・作之助」「『火宅の人』が語るもの-檀一雄の死」「小山清さんのこと」「無頼派と戦後」などがある。他に「在りし日の太宰治」(平成8年 「太宰治研究」3号)。テレビ脚本に「太宰治の津軽」がある。
山本周五郎と。 青森県の風土や作家に興味を持っていた山本周五郎が、木村久邇典の故郷が木造町と知り親近感を抱く。木村は労働文化社編集記者時代に山本係となり戦後20年余も彼の身辺にあった。山本への傾倒が深く、山本周五郎研究・評論の第一人者となる。全集・文庫解説が多く、著書も『人間山本周五郎』(昭和43年 講談社)『素顔の山本周五郎』(昭和45年 新潮社)『山本周五郎襍記』(昭和45年 中央大学出版部)『山本周五郎のヒロインたち』(昭和54年 文化出版局)『男としての人生-山本周五郎のヒーローたち』(昭和57年 グラフ社)『山本周五郎はどう読まれてきたか』(昭和61年 新潮社)『周五郎に生き方を学ぶ』(平成7年 実業之日本社)『山本周五郎』(上・下2巻 平成12年 アールズ出版)。など多数にのぼる。
なお、「青森県と山本周五郎」(「月刊あおもり」 昭和44年7月号)がある。この記事は『山本周五郎襍記』に収められているが「津軽と山本周五郎」と改題されている。
関連資料 『太宰治と私-宿命の創造-』
図書、1976(昭和51)年7月15日、24.4㎜×17.7㎜
太宰治を疎開中の金木町(現五所川原市)に訪ね(S21.2)てから、三鷹引き上げ(S21.11)、その死まで(S23.6)の交遊を、太宰の作品をまじえての回想文。末尾の著者メモ「宿命の創造」で、太宰文学は、人間への不信、芸術への絶望、既成道徳への反逆であったと結ぶ。
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