goo blog サービス終了のお知らせ 

【情報の達人】は 【ランキング】⇒【検索の達人】から

「99%のゴミ情報」に踊らされない為に、
【①~⑩】を[コピー&ペースト]でチェック⇒【論述・穴埋め問題】で情報を入手

【新逗子駅】  2万2331人(京急線全72駅中30位)。

2008-09-01 08:06:57 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)

検索の達人
情報の達人

【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!


【新逗子駅】

このページの項目名には、環境により表示が異なる文字があります。公式の表記では「逗」の「辶」(しんにょう)の点が二つです。

新逗子駅(しんずしえき)は、神奈川県逗子市逗子五丁目にある京浜急行電鉄逗子線の駅。逗子線の終着駅である。京急の車掌によっては、「しん・ずし」と区切って読まれる場合がある。


北口(2006年11月26日撮影)

南口(2006年11月26日撮影)

北口とホームを結ぶ連絡橋(2003年9月14日撮影)

ホーム(2007年10月撮影)
目次 [非表示]
1 駅構造
2 利用状況
3 駅周辺
4 路線バス
5 歴史
6 駅名表記
7 隣の駅
8 関連項目
9 外部リンク



[編集] 駅構造
8両編成対応の単式ホーム1面1線を有する地上駅。逗子線は全線複線だが、駅構内では単線となっている。

歴史の項で説明するように2駅を統合したため、改札口は南北2ヶ所の旧駅付近に設置されている。北口の駅ビル「ニート(Neat)新逗子」2階の改札を通ると、約100m程の高架連絡橋を経てホームに出られる。また、南口はホーム端から直接出入りが可能である。1面1線の単線ホームながら、LED式発車案内表示機には「1番線」と番号が振られている。


[編集] 利用状況
1日平均乗降人員は 22,331人(2006年度、京急線全72駅中30位)。近接するJR横須賀線逗子駅と比べ、利用者数はやや劣る。


[編集] 駅周辺
逗子市の市街地が広がる。南口から15分程歩くと逗子海岸海水浴場に出られる。

逗子駅 - 北口から300m程(徒歩5分)、連絡運輸なし
ニート新逗子
オリジン東秀
ハックドラッグ
京樽
逗子市役所 - 北口駅前に所在する
逗子郵便局
逗子市民体育館
逗子市立図書館
逗子銀座商店街
亀岡八幡宮
私立逗子開成中学校・高等学校
神奈川県道24号横須賀逗子線

[編集] 路線バス
京浜急行バス、湘南京急バスが路線バスを運行している。逗子市内各地や横須賀線鎌倉駅、田浦駅方面、さらに鉄道が通過しない葉山町や横須賀市西部方面へ向けて多くの系統が発着する。

バス停は北口付近と南口付近にそれぞれ設置され、方面別に停留所が分かれている。南口の南方向行きバス停は旧逗子海岸駅の敷地跡を使用しており、バスターミナルのようになっている(北方向へは県道24号上の停留所発着)。なお当駅を経由するバスはすべて逗子駅を起終点としており、ターミナル機能は持たない。

特記以外はすべて逗子営業所の運行である。路線の詳細については各営業所記事を参照。

北口(逗子橋側踏切渡りすぐ)
田浦線 - 葉桜・イトーピア・東逗子・グリーンヒル・田浦駅方面、逗子駅行き
北口(逗子市役所真向かいすぐ)
ハイランド線 - 久木五丁目・ハイランド循環
亀ヶ岡団地循環線 - 久木西小路・緑ヶ丘入口・亀ヶ岡団地循環
名越線 - 久木西小路・緑ヶ丘入口・名越・鎌倉駅方面(鎌倉営業所)
小坪線 - 久木西小路・小坪・材木座・鎌倉駅方面(鎌倉営業所)
南口
長井線 - 葉山大道・大楠芦名口・湘南なぎさの丘・佐島マリーナ入口・長井方面
海岸線 - 元町・森戸海岸・葉山方面
湘南国際村線 - 長柄橋・葉山大道・湘南国際村方面(一部三浦半島中央道路経由)
逗子線 - 長柄橋・葉山大道・池上十字路・衣笠駅方面(衣笠営業所・一部逗子営業所)
逗子駅行き(上記各線、北方向行き)

[編集] 歴史
1930年4月1日 湘南電気鉄道の湘南逗子駅として開業。現在地より200m金沢八景寄りにあった。
1931年 路線を0.4km延長し湘南逗子駅葉山口を開設。従来の駅は湘南逗子駅沼間口と改称。
1942年5月1日 会社併合により、東京急行電鉄(大東急)の駅となる。
1942年9月1日 葉山口を閉鎖し、路線を元の沼間口まで短縮。
1948年6月1日 東急からの分離独立により、再び京急の駅となる。
1948年7月3日 路線延長の形で逗子海岸駅として葉山口を復活、沼間口は京浜逗子駅と改名。
1985年3月2日 輸送力増強により最大8両編成の列車に対応するため再び両駅を統合し、中間地点に新逗子駅が誕生。北口は旧京浜逗子駅舎をそのまま流用、南口は新設した。南口駅舎はダンスホールもあったかつての旧湘南逗子駅舎の形を模している。
1991年3月15日 駅ビル「ニート新逗子」が北口にオープンし、旧京浜逗子駅の駅舎は消滅。

[編集] 駅名表記
駅名標や電車の方向幕(一部車両を除く)などでは、「新逗子」の逗の字のしんにょうの点の数が1点ではなく2点になっている。方向幕では長らく1点しんにょうが使われたが、最近のものは2点しんにょうに修正されている。


[編集] 隣の駅
京浜急行電鉄
本線
■特急・■普通
神武寺駅 - 新逗子駅

[編集] 関連項目
日本の鉄道駅一覧

[編集] 外部リンク
京浜急行電鉄 新逗子駅
[隠す] 京急逗子線

(品川・横浜方面>>)金沢八景 - 六浦 - 神武寺 - 新逗子


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%80%97%E5%AD%90%E9%A7%85" より作成
カテゴリ: 神奈川県の鉄道駅 | 日本の鉄道駅 し | 京浜急行電鉄の鉄道駅 | 逗子市


最終更新 2008年7月4日 (金) 04:32。











【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)
高大連携情報誌「大学受験ニュース」  
236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201 調べもの新聞編集室
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

オープンキャンパス(大学・高校・中学)の取材にお伺いします。(無料)

当日のイベント情報を
高大連携(こうだい・れんけい)情報誌「大学受験ニュース(ブログ版)」にて
全国に発信します!!!

紙媒体の高大連携情報誌「大学受験ニュース」もおつくりします。
(全国のオープンキャンパスにて、受験生に配布します。)
見本誌(紙媒体)をお送りします。(無料)
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

(A4の2つ折:A5の4P)共通記事(1~3P)と▲▲▲大学記事(4P)で構成。

 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲学部(▲学部を持つ日本の大学)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲県(▲▲県の大学一覧)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学のオープンキャンパス
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 取得資格の一覧(▲▲▲大学・▲学部)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 名作文庫(▲▲県)▲▲▲大学
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学への道 (入試日程・資料請求)

【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

【正会員募集!】 
調べもの新聞編集室では、
隔月刊「大学受験ニュース」(紙媒体)の発行と
ブログ版高大連携情報誌(「大学受験ニュース」毎日更新)の全国発信をしております。
正会員(大学・高校・中学:塾・予備校:教育関係出版社) 年会費(18000円) 

【逗子駅】   2万8201人/日(降車客含まず)

2008-09-01 08:02:34 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)

検索の達人
【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!


【逗子駅】

この項目では東日本旅客鉄道(JR東日本)の逗子駅について記述しています。かつて「京浜逗子駅」と称した京浜急行電鉄の駅については新逗子駅をご覧ください。
このページの項目名には、環境により表示が異なる文字があります。公式の表記では「逗」の「辶」(しんにょう)の点が二つです。
逗子駅

東口(2003年9月14日撮影)
ずし - Zushi
◄鎌倉 (3.9km)(2.0km) 東逗子►
所在地 神奈川県逗子市逗子一丁目
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 ■横須賀線
キロ程 8.4km(大船起点)
57.8km(東京起点)
電報略号 スシ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-  28,201人/日(降車客含まず)
-2007年-
開業年月日 1889年(明治22年)6月16日
備考 みどりの窓口 有
■Template(■ノート・■鉄道PJ)
西口(2008年5月25日撮影)

旧西口の外階段 - ホーム同士をつなぐ跨線橋がそのまま駅の西側の道路(神奈川県道205号金沢逗子線)に達し、西口となっている(移転前のもの。2004年11月10日撮影)。

旧西口改札 - 朝夕の混雑時間帯を中心に駅員が配置されている(移転前のもの。2004年11月10日撮影)。
逗子駅(ずしえき)は、神奈川県逗子市逗子一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)横須賀線の駅である。

両方面からの列車共に当駅の始発・終着列車が多い。通勤ライナーも当駅始発・終着である。また、湘南新宿ラインの列車は当駅が起・終点となっている。

目次 [非表示]
1 駅構造
1.1 のりば
1.2 東急車輛製造専用鉄道
2 利用状況
3 駅周辺
3.1 駐輪場
4 路線バス
5 歴史
6 その他
7 隣の駅
8 関連項目
9 外部リンク



[編集] 駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームをもつ地上駅。本屋側から単式ホーム(1番線)、島式ホーム(2番線・3番線)となっている。また、3番線の隣にはホームのない着発線も並行しているが、これは後述する東急車輛製造専用鉄道を介して甲種車両輸送をする際に使用される。

2007年8月4日から、東逗子寄りにエスカレータとエレベーターを完備した新橋上通路が開通し、同時に西口も移転した。鎌倉寄りの橋上通路は乗り換え通路として使われている。みどりの窓口(営業時間 7:00~20:00)、自動改札機設置。


[編集] のりば
1 ■横須賀線 大船・横浜・東京・千葉・君津・成田空港方面
■湘南新宿ライン(宇都宮線直通) 渋谷・新宿・池袋・大宮・小山・宇都宮方面
2 ■横須賀線 大船・横浜・東京・千葉・君津・成田空港方面
横須賀・久里浜方面
■湘南新宿ライン(宇都宮線直通) 渋谷・新宿・池袋・大宮・小山・宇都宮方面
3 ■横須賀線 横須賀・久里浜方面
大船・横浜・東京・ 千葉・君津方面(一部)

東逗子 - 久里浜間の各駅は、ホーム有効長が11両分しかない(田浦駅では10両分に満たない)ため、15両編成の列車は当駅で増解結をする必要がある。このため、横須賀方に切り離した付属編成(4両)を留置するための留置線群がある。
同区間は平日は4両、土曜・休日は11両が中心の運用となっている。
一時期101系2両編成を用いた「シーサイドライナーヨコスカ」を運転する計画があったが、実現しなかった。

[編集] 東急車輛製造専用鉄道
当駅から京浜急行電鉄金沢八景駅付近にある東急車輛製造横浜製作所へ続く全長6.4kmの専用鉄道がある。当駅を分岐後横須賀線に並走し東進し、京急逗子線との交差点付近で方向を変え北上、神武寺駅の六浦寄りで同線に合流している。ここから先は1,435mm(標準軌)と1,067mm(狭軌)の三線軌条で金沢八景駅まで続いている。この専用線は横浜製作所で製造された車両を搬出するために使用される他、京浜急行電鉄やその乗り入れ先である東京都交通局(都営地下鉄浅草線)、京成電鉄向けの甲種車両輸送で使用される。

輸送される際は、神武寺駅まで東急車輛製造が所有するスイッチャー(旧・東急7000系)が牽引し、それより先はJR貨物新鶴見機関区所属のDE10形が当駅まで牽引する。

なお、神武寺駅から先の京急逗子線との共同使用区間については、昼間の同線の運行を妨げないよう、甲種輸送の際は終電後の深夜に行われる。


[編集] 利用状況
2007年度の1日平均乗車人員は28,201人である。


[編集] 駅周辺
京浜急行電鉄逗子線 新逗子駅 - 徒歩約5分、300m程。連絡運輸なし。
逗子市役所
逗子郵便局
逗子市民体育館
逗子市立図書館
逗子銀座商店街
亀岡八幡宮
京浜急行バス逗子営業所
OKストア
スズキヤ・スターバックス・ドトールコーヒー
キングストア[1]
私立逗子開成中学校・高等学校
逗子海水浴場 - 東口から15分程歩くとに出られる(かつては京急逗子線に逗子海岸駅があった)。
みずほ銀行
京浜急行バス逗子営業所

[編集] 駐輪場
西口から東に50m程に無料駐輪場がある。大型バイクも時々止まっている。
同じく西口から西に150m程に有料駐輪場がある。125ccまでのバイクが止められる。

[編集] 路線バス

逗子駅バスターミナル
2008年3月21日撮影全路線が東口駅前を発着する。

京浜急行バス・湘南京急バス

逗子営業所(逗子駅発はアザリエ線以外新逗子駅経由)
長井線 - 長柄橋・葉山・大楠芦名口・湘南なぎさの丘・佐島マリーナ入口・電力中央研究所・横須賀市民病院・長井方面
海岸線 - 元町・森戸海岸・葉山方面
湘南国際村線 - 長柄橋・葉山大道・湘南国際村方面(一部三浦半島中央道路経由)
田浦線 - 葉桜・イトーピア・東逗子・グリーンヒル・船越・田浦駅方面
ハイランド循環線 - 久木五丁目・ハイランド循環
亀ヶ岡団地循環線 - 久木西小路・緑ヶ丘入口・亀ヶ岡団地循環
アザリエ線 - 星が丘・笹倉・アザリエ方面
衣笠営業所(逗子駅発は新逗子駅経由)
逗子線 - 長柄橋・葉山大道・池上十字路方面(一部逗子営業所担当)
鎌倉営業所(以下2路線は池田通り→逗子駅→新逗子駅→逗子郵便局→池田通りと循環)
小坪線 - 久木西小路・小坪・材木座・鎌倉駅方面
名越線 - 久木西小路・緑ヶ丘入口・名越・鎌倉駅方面
堀内営業所
深夜急行バス(到着のみ) - 新橋駅銀座口発→品川駅高輪口発→鎌倉駅着→逗子駅着

[編集] 歴史
1889年(明治22年)6月16日 - 官設鉄道大船~横須賀間の開通時に開業。
1909年(明治42年)10月12日 - 横須賀線所属駅となる。
1969年(昭和44年)3月 - 現在の駅舎(3代目)に改築。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物取り扱いを廃止。
1987年(昭和62年)3月31日 - 鉄道車両に限り、貨物取り扱いを再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本とJR貨物の駅となる。
2001年(平成13年)12月1日 - 湘南新宿ライン運転開始。
2007年(平成19年)8月4日 - 新橋上通路が全面開通。同時に西口改札を移転。

[編集] その他
日本の鉄道駅ではアルファベット順で最後に来る駅である(最初は網走駅)。
発車メロディの操作は、車掌ではなく、駅員によって行われている。
JR東日本横浜支社では、当駅で明治時代から使用されて来た旧跨線橋の支柱の一部を上りホームの新跨線橋下付近に移築した上で2008年2月18日から保存展示公開を開始した。展示場所は上りホーム新設跨線橋下で、鋳鉄製の橋脚1本をすえつけ、説明板を設置する。大船~横須賀間は1889年6月16日に開業し、当駅の跨線橋の設置時期ははっきりしないが、明治30年代には使用開始したとみられ、改修・拡幅されて2007年まで使用されていた。鋳鉄製の支柱下部には製造場所を示す「新橋」、「明治」「鐵道」などと文字が刻印されている。ホームを嵩上げ工事した際に刻印の下部が埋まり、すべての文字は確認できなかたが、その後の調査で、「鐵道作業局」「新橋工場製造」「明治三十二年」の陽刻が確認された。公文書などから1899年に建設された可能性がある。横浜支社によれば現存する跨線橋柱としては、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線大田市駅(1890年、供用中)、桜井線・和歌山線高田駅(1891年、ホームに柱1本を保存)についで3番めに古いという。大田市、高田2駅の跨線橋柱は鉄道作業局神戸工場製で、新橋工場製としては逗子駅のが最古である。大田市、高田2駅の跨線橋柱は他駅から転用したもので、建設時の駅で使用されつづけた鋳鉄柱としては国内最古と考えられる。

[編集] 隣の駅
東日本旅客鉄道
■横須賀線
鎌倉駅 - 逗子駅 - 東逗子駅
■湘南新宿ライン(宇都宮線直通)
鎌倉駅 - 逗子駅

[編集] 関連項目
日本の鉄道駅一覧
逗子マリーナ

[編集] 外部リンク
JR東日本 逗子駅
京浜急行バス
[隠す] 総武線(快速)・横須賀線

(成田空港・成東・君津・上総一ノ宮方面<<)千葉 - 稲毛 - 津田沼 - 船橋 - 市川 - 新小岩 - 錦糸町 - 馬喰町 - 新日本橋 - 東京 - 新橋 - 品川 - 西大井 - 新川崎 - 横浜 - 保土ヶ谷 - 東戸塚 - 戸塚 - 大船 - 北鎌倉 - 鎌倉 - 逗子 - 東逗子 - 田浦 - 横須賀 - 衣笠 - 久里浜

[隠す] 湘南新宿ライン

(宇都宮線 - 横須賀線)
宇都宮 - 雀宮 - 石橋 - 自治医大 - 小金井 - 小山 - 間々田 - 野木 - 古河 - 栗橋 - 東鷲宮 - 久喜 - 新白岡 - 白岡 - 蓮田 - 東大宮 - 土呂 - 大宮 - 赤羽 - 池袋 - 新宿 - 渋谷 - 恵比寿 - 大崎 - 西大井 - 新川崎 - 横浜 - 保土ヶ谷 - 東戸塚 - 戸塚 - 大船 - 北鎌倉 - 鎌倉 - 逗子


この「逗子駅」は、鉄道駅に関連した書きかけ項目です。
この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
(ポータル 鉄道/ウィキプロジェクト 鉄道)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%97%E5%AD%90%E9%A7%85" より作成
カテゴリ: 神奈川県の鉄道駅 | 日本の鉄道駅 す | 東日本旅客鉄道の鉄道駅 | 日本貨物鉄道の鉄道駅 | 逗子市 | 鉄道駅関連のスタブ項目

【大船駅】

2008-09-01 07:58:36 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)

検索の達人
情報の達人

【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!

【大船駅】

大船駅

東口
おおふな - Ōfuna
所在地 神奈川県鎌倉市大船一丁目
横浜市栄区笠間一丁目
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細)
湘南モノレール(駅詳細)
■Template(■ノート・■鉄道PJ)大船駅(おおふなえき)は、神奈川県鎌倉市大船一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・湘南モノレールの駅である。

JRホームの北半分および笠間口は、横浜市栄区笠間一丁目である。

目次 [非表示]
1 利用可能な鉄道路線
2 駅構造
2.1 JR東日本
2.1.1 のりば
2.1.2 駅構内設備
2.2 湘南モノレール
2.2.1 のりば
3 その他の特徴
4 駅弁
5 利用状況
6 駅周辺
7 路線バス
8 歴史
9 隣の駅
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク



[編集] 利用可能な鉄道路線
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海道線
横須賀線
湘南新宿ライン
根岸線
湘南モノレール
江の島線
備考

線路名称上は、当駅を通るJRの路線は東海道本線、横須賀線(当駅が起点)、根岸線(当駅が終点)である。詳細は各路線の記事および鉄道路線の名称などを参照されたい。


[編集] 駅構造

[編集] JR東日本
JR 大船駅

西口(2006年2月3日撮影)
おおふな - Ōfuna
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 フナ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 5面10線
乗車人員
-統計年度-  91,876人/日(降車客含まず)
-2007年-
開業年月日 1888年(明治22年)11月1日
乗入路線 3路線
所属路線 ■東海道線
■湘南新宿ライン(高崎線直通)
(いずれも正式には東海道本線)
キロ程 46.5km (東京起点)
◄戸塚 (5.6km)(4.6km) 藤沢►
所属路線 ■横須賀線(北鎌倉方)
■湘南新宿ライン(宇都宮線直通)
※戸塚方は正式には東海道本線
キロ程 0.0km (大船起点)
◄戸塚 (5.6km)(2.3km) 北鎌倉►
所属路線 ■根岸線
キロ程 22.1km (横浜起点)
81.2km (大宮起点)
◄本郷台 (3.6km)
備考 みどりの窓口 有
■Template(■ノート・■鉄道PJ)
笠間口(2006年2月2日撮影)

南改札(2006年3月26日撮影)

東京都心方面10本分の列車発車時刻を表示する発車標(2006年12月27日撮影)
島式ホーム5面10線を有する地上駅。1・2番線脇には東海道貨物線の線路があるが、ホームはない。駅の藤沢寄りと戸塚寄りにそれぞれ橋上駅舎が置かれる。駅周辺では2つの駅舎の間を流れる砂押川に2市の境界線が引かれているため、駅舎の所在地は藤沢寄りが鎌倉市、戸塚寄りが横浜市栄区となる。2つの駅舎は改札内の通路で結ばれている。ただし、駅長室が従来からの鎌倉市側の駅舎に存在するため当駅は横浜市内制度の扱いを受けない。

藤沢寄りの駅舎には南改札があり、東口と西口に通じている。また駅ビル内や駅ビル脇の通路からは湘南モノレールの駅に通じている。みどりの窓口(営業時間 6:00~21:00)やびゅうプラザが設置されている。

戸塚寄りの駅舎には北改札があり、笠間口に通じている。この駅舎は栄区側を中心とした住民の運動により建設され、2006年(平成18年)2月2日に供用を開始した。この駅舎にはみどりの窓口は設置されていないが、指定券発売機が設置されている。翌2007年(平成19年)1月29日には、改札脇に栄区の証明発行コーナーが開設された。

改札内・外に商業施設(駅ナカ)「Dila(ディラ)大船」があり、書店や飲食店などが軒を連ねる。Dila大船は2006年2月2日に第1期の9店舗(ATM除く)を、7月19日に第2期の「FOOD SQUARE」9店舗を、9月9日に第3期の4店舗を、2007年4月9日に南改札内外に第4期の3店舗をそれぞれオープンし、グランドオープンとなった。これにより店舗面積約1390平方キロメートル、店舗数25店舗となり、年間売上約20億円を想定している。

北改札側には全ホームにエレベーターと上り・下りそれぞれのエスカレータが設置された。北改札の整備に並行して、南改札側も既存の3・4番線ホーム1基の他、残りのホームにもエスカレーターが増設され、エスカレーターは全ホームで南北両側の設置となった。さらに、南北のコンコースと結ぶ事で一層バリアフリー化が進んだ。

また、北口改札開設後に南口の自動券売機の更新も完了した。

JR東日本の駅では唯一10本分の列車発車時刻を表示する電光掲示板がコンコースに設置されている。これは東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインの横浜方面を表示しており、停車駅も表示している。なお、停車駅案内の新川崎と西大井の間に武蔵小杉駅を追加する事が可能なスペースが確保されている。


[編集] のりば
1(待避線)・
2(本線) ■東海道線 横浜・東京方面
■湘南新宿ライン(高崎線直通) 新宿・大宮・高崎方面
3(本線)・
4(待避線) ■東海道線 小田原・熱海・伊東線直通 伊東方面
5(本線)・
6(副本線) ■横須賀線 横浜・総武線(快速)直通 東京・千葉方面
■湘南新宿ライン(宇都宮線直通) 新宿・大宮・宇都宮方面
(一部7番線から発車)
■特急「成田エクスプレス」 成田空港方面
7(副本線)・
8(本線) ■横須賀線 逗子・横須賀・久里浜方面
(一部当駅始発)
9・10 ■根岸線・京浜東北線 磯子・横浜・東京・大宮方面
■根岸線・横浜線 磯子・横浜・新横浜・町田・八王子方面

1・2番線では、平日朝ラッシュ時の多数の列車を、交互に使用することで捌いている。
1・2番線の湘南新宿ライン(高崎線直通)は戸塚駅の手前で横須賀線電車と同一の線路に転じる。また、東海道線扱いのため東戸塚駅・保土ヶ谷駅・新川崎駅・西大井駅を通過する。
平日の夜の下り通勤快速{土曜・休日は快速アクティー(1本を除く)}の前を走る普通列車はすべて当駅で待ち合わせをする。
当駅で特急踊り子の待ち合わせやスーパービュー踊り子および寝台列車の通過待ちを行う東海道線普通列車もある。
湘南新宿ライン(宇都宮線直通)は、5・6番線のほか、一部7番線からも発車する。また東海道線などが遅延し、高崎線直通の湘南新宿ライン(快速・特別快速)が大船始発となった場合は東海道線ホームからではなく、横須賀線ホーム発となる。ちなみに6・7・8番線の線路は東海道線の線路と藤沢寄りで繋がっている。
深夜に行われる線路保守作業が東海道本線の上り旅客線を支障する場合、上りムーンライトながらは6番線からの発車となる。
一部の湘南ライナーおよび横須賀線通勤ライナーが停車する。湘南ライナーは当駅にホームのない貨物線を走行する列車が多いため停車する本数が少ない。一時貨物線へのホーム設置の要望があがったが、現在まで実現していない。
東海道線ホームである1~4番線のグリーン車停車位置案内板は『湘南電車』の呼称がほとんど使われなくなった現在でも「グリーン車(湘南電車)はこの付近に止まります」と表示されている(ただし英文での表現は"Shonan Train"ではなく"Tokaido Local Line"となっている)。

[編集] 駅構内設備
南改札側
東口(上りのみエスカレーターあり)
西口(上りのみエスカレーター・エレベーターあり)
1~4番線ホーム(上りのみエスカレーターあり)
5~10番線ホーム(上り・下りエスカレーターあり)
北改札側
笠間口(上り・下りエスカレーター・エレベーターあり)
各ホーム(同上)

[編集] 湘南モノレール
湘南モノレール 大船駅

湘南モノレール大船駅(2006年2月3日撮影)
おおふな - Ōfuna
(0.9km) 富士見町►
所属路線 江の島線
キロ程 0.0km(大船起点)
駅構造 高架駅
ホーム 2面1線
開業年月日 1970年(昭和45年)3月7日
■Template(■ノート・■鉄道PJ)
改札口(2006年10月4日撮影)頭端式ホーム2面1線の高架駅。1本の線路の両側にホームが設置されており、乗降分離されている。湘南モノレールで最も乗降客数の多い駅であり、利用者が集中する朝通勤時においては改札規制が行われる事もある。

現在の駅舎は鎌倉市による大船駅東口第1種市街地再開発事業(第1地区)に伴い再構築されたもので、駅前交通広場や駅ビルと一体化された上で1992年9月に竣工している。出口は東側にあり、駅舎内部には自動券売機、自動改札機、自動精算機の他に有人の窓口もある。江ノ島線で唯一自動体外式除細動器が設置されているほか、中間駅の設備監視など行うシステムが整備されている。

JRの東口から駅ビル「ルミネウィング」を経て湘南モノレールの駅まで通路が続いており、駅ビルやJRの駅に設置のエスカレーターを使用して外部からモノレールの駅に到達できる。エレベーターは東口交通広場、駅舎の西側に設置されている。なお、自動精算機は乗車券を入れて不足金額を入れる機種ではなく、不足した金額の精算券を購入する機種が設置されており、きっぷの場合は不足金額、定期券・回数券の場合は乗り越した区間の運賃にそれぞれ相当する精算券を購入しなければならない。

2004年には駅構内に惣菜や弁当などを販売する店が開店したが、2006年に閉店した。


[編集] のりば
東側から

1 ■江の島線 湘南江の島方面
2 ■江の島線 降車ホーム


[編集] その他の特徴
当駅は鉄道を中心とした交通の要衝である。

横浜市と鎌倉市の境界上に位置する駅だが、両市の中心市街地とは離れている。しかし、駅自体の規模が大きく、駅前市街地が形成されている。そのため、「“大船市”が存在し、そこに駅がある」と勘違いをされる事がある。1948年までは実際に鎌倉郡大船町という独立した自治体があったが、現存しない。当駅と似たような勘違いをしやすいケースには、他に拝島駅などがある。

駅北側にドリーム交通モノレール大船線が乗り入れていたが、1967年9月に運行休止し、2003年9月に正式に廃線となった。駅舎は1980年代に、軌道は2004年に撤去されている。



大船駅東口再開発事業
大船駅西口整備事業

[編集] 駅弁
大船軒による鰺の押し寿司が元来当駅の名物である。ホームでの駅弁売りによる販売対象となる列車はなく、売店での販売となっている。また、日本の駅弁として最初にサンドイッチ弁当を売り出した事でも知られる。


[編集] 利用状況
JR東日本 - 2007年度の乗車人員は1日平均91,876人で、神奈川県内では第5位。JR東日本の駅の中では第42位。

[編集] 駅周辺
鎌倉市大船行政センター
大船図書館
大船駅前交番
大船消防署
大船郵便局
神奈川県立フラワーセンター大船植物園
ルミネウィング(駅ビル)
大船ルミネウィング内郵便局
相鉄フレッサイン 鎌倉大船
西友大船店
Oh!Plaza(旧大船サティ)
ヤマダ電機テックランド大船店
ライフ大船店
イトーヨーカドー大船店
松竹大船撮影所跡地
現在は鎌倉芸術館や鎌倉女子大学大船キャンパス(1995年から1998年までテーマパーク「鎌倉シネマワールド」が設置された)などがある。
大船観音
資生堂鎌倉工場
芝浦メカトロニクス横浜事業所
住友電気工業横浜製作所
ニコン横浜製作所
三菱電機情報技術総合研究所
栄光学園中学校・高等学校
鎌倉市立大船中学校
鎌倉市立大船小学校
代々木ゼミナール湘南キャンパス
ホテルメッツかまくら大船
年間の客室稼働率が常時9割を超えており、同ホテルチェーンにおいては稼働率トップを誇っている[1]。
京急交通本社

[編集] 路線バス
大船駅(東口交通ターミナル・ルミネ側バスターミナル)

江ノ島電鉄・江ノ電バス・京浜急行バス・湘南京急バス・南海バス
1番乗り場
上大岡駅(江ノ電)※鎌倉駅始発便のみ停車、大船駅始発便は東口バスターミナルからの運転
本郷台駅(江ノ電)
平島(江ノ電)
ひかりが丘(江ノ電)
2番乗り場
藤沢駅北口(四季の杜経由/手広経由)(江ノ電)※手広経由は朝夕のみ
四季の杜(江ノ電)
江ノ島(手広・津村経由)(江ノ電)
津村(手広経由)(江ノ電)
手広車庫(手広経由)(江ノ電)
3番乗り場
<船7> 鎌倉駅(深沢経由)(京急)
<船8> 鎌倉駅(深沢・梶原経由)(京急)
<船2> 梶原(深沢経由)(京急)
<船3> 梶原(深沢・富士見台経由)(京急)
4番乗り場
<船6> 江ノ島(深沢・鎌倉山・諏訪ヶ谷経由)(京急)
<船5> 諏訪ヶ谷(深沢・鎌倉山経由)(京急)
<船4> 鎌倉山(深沢経由)(京急)
<船9> 鎌倉駅(深沢・鎌倉山経由)(京急)※土曜・休日は夜間のみ
5番乗り場
鎌倉湖畔循環(常楽寺経由/大船中央病院前・常楽寺経由/資生堂前経由)(江ノ電)
6番乗り場
鎌倉駅(常楽寺/勤労会館・北鎌倉経由)(江ノ電)※勤労会館・北鎌倉経由は土曜・休日のみ
高野台(勤労会館経由)(江ノ電)
小袋谷循環(江ノ電)※早朝のみ
<高速夜行> JR堺市駅前(京都駅・OCAT・なんば高速バスターミナル・南海堺駅前・南海堺東駅前経由)(江ノ電、南海バス)
7番乗り場
<船50> 山の上ロータリー・桔梗山(京急)
羽田空港(京急、江ノ電)
大船駅(東口バスターミナル・Oh!Plaza側バスターミナル)

神奈川中央交通・江ノ島電鉄
1番乗り場
<船17> 公田団地(神奈中)
<船16> 本郷車庫前(公田団地経由)(神奈中) ※夜間のみ
<船91> 上郷ネオポリス(公田団地・本郷車庫前経由)(神奈中)※深夜バスは平日・土曜のみ
<船14> 湘南ハイツ(神奈中)
<船24> 湘南ハイツ循環(神奈中)※平日昼間のみ
<船13> 栄区役所前循環(神奈中)※休日1本のみ
2番乗り場
<船11> 上之(桂台中央・犬山経由)(神奈中)
戸塚駅(飯島上町経由)(江ノ電バス横浜)
3番乗り場
<船07> 栄プール(本郷車庫前経由)(神奈中)※1日1本のみ
<船08> 金沢八景駅(本郷車庫前経由)(神奈中)
<船09> みどりが丘(本郷車庫前経由)(神奈中)
<船15> 本郷車庫前(神奈中)
4番乗り場
横浜駅(上大岡駅・日の出町経由)(江ノ電)
<船20> 桜木町駅(上大岡駅・羽衣町経由)(神奈中)
<船05> 上大岡駅(神奈中)
上大岡駅(江ノ電)※当停留所始発便は行先と共に系統番号(船05)も表示する。また、鎌倉駅始発便も経由する。
<船19> 港南台駅(神奈中)※休日1本のみ
平島(江ノ電バス横浜)
大船駅西口

神奈川中央交通
1番乗り場
<船21> 立場ターミナル(田谷・原宿四ツ角経由)※平日朝のみ
<船22> 立場ターミナル(田谷・原宿四ツ角・ドリームランド経由)
<船24> ドリームランド(田谷・原宿四ツ角経由)
<船25> ドリームハイツ(田谷・原宿四ツ角・ドリームランド経由)
<船48> 公文国際学園(急行)
2番乗り場
<戸71> 戸塚バスセンター(田谷・金井経由)※夕・夜間運転
<戸72> 戸塚バスセンター(田谷・金井・ヒルズ南戸塚経由) ※朝・昼間運転
<船65> 藤沢駅北口(田谷・公文国際学園・原宿四ツ角経由)※平日朝のみ
<船37> 清泉女学院(田谷経由)
3番乗り場
<船32> 藤沢駅北口(渡内経由)
<船101> 城廻中村循環
<船102> 城廻中村
4番乗り場
<船33> 藤沢駅北口(植木谷戸・関谷インター経由)
<船39> 関谷インター(植木谷戸経由)
<船34> 南岡本
5番乗り場
<船35> 清泉女学院(栄光学園前経由)
6番乗り場
<船27> 住友電工循環 ※平日朝夕のみ、朝は住友電工先回り、夕方は田谷先回り

[編集] 歴史
1888年(明治21年)11月1日 - 官設鉄道の駅として開業。旅客取扱のみの旅客駅。
旧東海道沿いに駅を置くべきとの意見が明治新政府内部であり、最後まで大船駅設置については紛糾した。駅の正面は西側(観音側)であった。
1889年(明治22年)6月16日 - 横須賀線が横須賀駅まで開通。
当駅と横須賀線の開業時期が近い事から、横須賀線の分岐のために当駅が設けられたとする説もある。
1894年(明治27年)5月25日 - 貨物取扱を開始。
1966年(昭和41年)5月2日 - ドリーム交通モノレール大船線がドリームランド駅まで開通。
1967年(昭和42年)9月24日 - モノレール大船線が休止(2003年に正式廃止)。
1970年(昭和45年)3月7日 - 湘南モノレール江の島線が西鎌倉駅まで開通。
1972年(昭和47年)8月24日 - 国鉄駅での貨物取扱を廃止。ただし住友電気工業横浜製作所および住友セメントサイロまでの専用線の貨物は湘南貨物駅扱で1984年まで存続。
1973年(昭和48年)4月9日 - 根岸線が洋光台駅から延伸開業。
1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄駅での荷物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
2006年(平成18年)2月2日 - 北改札および笠間口が新設され、Dila大船、第1期オープン。
7月19日 - Dila大船、第2期オープン。
9月9日 - Dila大船、第3期オープン。
2007年(平成19年)4月9日 - Dila大船、グランドオープン。
昭和40年代、根岸線がまだ大船まで開業していないころ、現在の本郷台駅周辺にあった海軍工廠の敷地まで専用線があった。芝浦メカトロニクス付近、笠間十字路を通り警察学校を突き抜ける路線であった。


[編集] 隣の駅
東日本旅客鉄道
■東海道線
通勤快速
品川駅 - 大船駅 - 藤沢駅
普通・快速アクティー
戸塚駅 - 大船駅 - 藤沢駅
■横須賀線
戸塚駅- 大船駅 - 北鎌倉駅
■■湘南新宿ライン
特別快速・快速(東海道線~高崎線)
戸塚駅 - 大船駅 - 藤沢駅
普通(横須賀線~宇都宮線)
戸塚駅 - 大船駅 - 北鎌倉駅
■根岸線
快速・各駅停車
本郷台駅 - 大船駅
湘南モノレール
■江ノ島線
大船駅 - 富士見町駅

[編集] 関連項目
大船
大船軒
日本の鉄道駅一覧
拝島駅 - 自治体の境界上にある主要駅

[編集] 外部リンク
JR東日本 大船駅
ルミネウィング
湘南モノレール
[表示]表・話・編・歴乗り入れ路線と駅の一覧
[隠す] 東海道本線(東京-熱海)

東京 - 新橋 - 品川 - 川崎 - 横浜 - 戸塚 - 大船 - 藤沢 - 辻堂 - 茅ヶ崎 - 平塚 - 大磯 - 二宮 - 国府津 - 鴨宮 - 小田原 - 早川 - 根府川 - 真鶴 - 湯河原 - 熱海(>>伊東・静岡方面)

[隠す] 湘南新宿ライン

(高崎線~東海道線)
前橋 - 新前橋 - 井野 - 高崎問屋町 - 高崎 - 倉賀野 - 新町 - 神保原 - 本庄 - 岡部 - 深谷 - 籠原 - 熊谷 - 行田 - 吹上 - 北鴻巣 - 鴻巣 - 北本 - 桶川 - 北上尾 - 上尾 - 宮原 - 大宮 - 赤羽 - 池袋 - 新宿 - 渋谷 - 恵比寿 - 大崎 - 横浜 - 戸塚 - 大船 - 藤沢 - 辻堂 - 茅ヶ崎 - 平塚 - 大磯 - 二宮 - 国府津 - 鴨宮 - 小田原
(宇都宮線~横須賀線)
宇都宮 - 雀宮 - 石橋 - 自治医大 - 小金井 - 小山 - 間々田 - 野木 - 古河 - 栗橋 - 東鷲宮 - 久喜 - 新白岡 - 白岡 - 蓮田 - 東大宮 - 土呂 - 大宮 - 赤羽 - 池袋 - 新宿 - 渋谷 - 恵比寿 - 大崎 - 西大井 - 新川崎 - 横浜 - 保土ヶ谷 - 東戸塚 - 戸塚 - 大船 - 北鎌倉 - 鎌倉 - 逗子

[隠す] 総武線(快速)・横須賀線

(成田空港・成東・君津・上総一ノ宮方面<<)千葉 - 稲毛 - 津田沼 - 船橋 - 市川 - 新小岩 - 錦糸町 - 馬喰町 - 新日本橋 - 東京 - 新橋 - 品川 - 西大井 - 新川崎 - 横浜 - 保土ヶ谷 - 東戸塚 - 戸塚 - 大船 - 北鎌倉 - 鎌倉 - 逗子 - 東逗子 - 田浦 - 横須賀 - 衣笠 - 久里浜

[隠す] 京浜東北線・根岸線

大宮 - さいたま新都心 - 与野 - 北浦和 - 浦和 - 南浦和 - 蕨 - 西川口 - 川口 - 赤羽 - 東十条 - 王子 - 上中里 - 田端 - 西日暮里 - 日暮里 - 鶯谷 - 上野 - 御徒町 - 秋葉原 - 神田 - 東京 - 有楽町 - 新橋 - 浜松町 - 田町 - 品川 - 大井町 - 大森 - 蒲田 - 川崎 - 鶴見 - 新子安 - 東神奈川 - 横浜 - 桜木町 - 関内 - 石川町 - 山手 - 根岸 - 磯子 - 新杉田 - 洋光台 - 港南台 - 本郷台 - 大船

[隠す] 横浜線・根岸線

八王子 - 片倉 - 八王子みなみ野 - 相原 - 橋本 - 相模原 - 矢部 - 淵野辺 - 古淵 - 町田 - 成瀬 - 長津田 - 十日市場 - 中山 - 鴨居 - 小机 - 新横浜 - 菊名 - 大口 - 東神奈川 - 横浜 - 桜木町 - 関内 - 石川町 - 山手 - 根岸 - 磯子 - 新杉田 - 洋光台 - 港南台 - 本郷台 - 大船

[隠す] 湘南モノレール江の島線

大船 - 富士見町 - 湘南町屋 - 湘南深沢 - 西鎌倉 - 片瀬山 - 目白山下 - 湘南江の島



"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%B9%E9%A7%85" より作成
カテゴリ: 鎌倉市の鉄道駅 | 日本の鉄道駅 お | 関東地方のバス停 | 東日本旅客鉄道の鉄道駅 | 東海道本線 | 湘南モノレール | 鎌倉市



「神■駿■■学生街」と呼ぶことが多い。この地区には「日本の■■■■■■■」という別名もある。かつ

2008-08-31 01:46:17 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)


学生街

学生街(がくせいがい)とは、学校(主に大学)の周辺などに形成される学生の消費行動や生活と密接な街をいい、都市内の市街地の一地区である場合に用いる。

都市の中心部から市街地の連担がなく、孤立性が高いと「大学町」、都市の主産業が研究所や研究施設に関係する場合は「学術都市」、学術都市に商業機能が備わってくると「学園都市」などと呼ばれる。

目次 [非表示]
1 概要
2 主な学生街
2.1 北海道
2.2 宮城
2.3 福島
2.4 群馬県
2.5 千葉
2.6 埼玉
2.7 東京
2.8 神奈川
2.9 愛知
2.10 滋賀
2.11 京都
2.12 大阪
2.13 兵庫
2.14 岡山
2.15 広島
2.16 香川
2.17 福岡
2.18 熊本
2.19 鹿児島
3 世界の有名な学生街
3.1 イギリス
3.2 フランス
3.3 アメリカ
3.4 中国
3.5 韓国
4 学生街で特に多く見られる業態
5 学生街の調査より 学生街の実状と暫定的な学生街の条件
6 学生街の調査より 学生街の形成
7 今後の動向
8 関連項目
9 外部リンク



[編集] 概要
専門書店、古書店、飲食店、喫茶店、賃貸住宅、映画館、不動産屋など学生の勉学、衣・食・住、娯楽の提供に特化した店舗、施設が集中し、食事・遊びともに安価に供給されている。学生独自の文化がにじみ出ている味わいのある街が多く、卒業してからも住み着いたり、また通学に不便なのに雰囲気に惹かれて住む人もいる。この雰囲気などが歌としても歌われ『学生街の喫茶店』などのヒット曲も存在する。また、学生演劇の拠点又は延長として、小劇場の多くは学生街において展開され、日本におけるオフ・オフ・ブロードウェイ的な役割を担っているといえる。

大学は学生の教育の場であるだけでなく学術研究の場でもあるため、学会や研究会が頻繁に開催され外部から大学院生や研究者たちが訪れる。そのため、大学周辺の町には来訪する研究者向けの安価なビジネスホテルも集中する傾向がある。普段は学生で賑わう安価な飲食店は、同時に研究者同士の親睦の場としても使われる。研究に必要な機器などを受注する業者が学生街内やその近辺にあることも多い。

学生街が必ずしも大学所在地周辺に形成されるとは限らず、学生寮の周辺であったり、大学へ行く途中のターミナル駅(繁華街)であったり、アパートの賃料が安価な地域であったりということもありうる。ただし、全ての大学の周辺地域が学生街になるわけではない。授業が終わると学生たちがよその繁華街に出掛けてしまって大学周辺地域との関わりが少ないという場合、その大学周辺は学生街へと発展していかないケースに見舞われる。また、学生街のある大学においても学舎の移転が起こった場合、学生街までもが移転先へと付随していくわけではなく、新たな学生街の形成と成熟に非常に時間がかかり難しいものとなる(あるいは発展していかないというケースも)。そうなった場合、以前に比べ学生たちの生活や外来研究者たちの滞在に不都合が生じやすくなる(後述の#今後の動向”の項目も参照)。


[編集] 主な学生街

[編集] 北海道
札幌駅北口・北12条駅・北18条駅周辺及び北大ななめ通り(札幌市北区)
■■■大学、藤女子大学、北海道武蔵女子短期大学。予備校が複数ある。
大麻・大麻駅周辺(江別市)
高校、大学、専門学校や学生アパートが周辺に複数あるため、比較的小規模であるが、学生街がある。

[編集] 宮城
本町・東四番丁通り・クリスロード(仙台市青葉区)
この近辺に多数存在する専門学校と予備校の学生街。東京の代々木のような街。
一番町南端・柳町通り(仙台市青葉区)
以前は■■大学片平キャンパスの学生街として栄えたが、教養部が片平から川内キャンパスに移ったため衰退している。

[編集] 福島
金谷川駅周辺
■■大学

[編集] 群馬県
板倉■■大前駅周辺
■■大学。板倉ニュータウンの開発計画時から■■大学の進出を念頭においていたため、学生向けのアパートや店舗が数多く存在しており、周辺の駅とは様相を異にしている。

[編集] 千葉
みどり台駅・西千葉駅周辺(千葉市稲毛区)
■■大学。
大久保(習志野市)
■■大学、日本大学■■工学部。

[編集] 埼玉
高坂(東松山市)
■■■■大学、東京■■大学。学生向け飲食店やアパートが多い。
松原団地(草加市)
■■大学。
朝霞
■■大学、学生向けの飲み屋や古書店などが多く進出している。
志木駅
■■大学、■■■■志木高等学校や■■新座高等学校もあり、カラオケ店などが多く存在している。

[編集] 東京
神田駿河台地区
日本国内で最も大学が集中している地区である。大きくは以下のような3つの地域に分かれているが、明治時代に千代田区神田駿河台へ学問所が集積した名残から「神■駿■■学生街」と呼ぶことが多い。この地区には「日本の■■■■■■■」という別名もある。かつては■■大学も存在していた。一方で、大学の医学部や付属病院、および一般の市中病院が多く立地しており、医療地区でもある(このような山の手の医療集中地区を、英語ではPill Hillという)。学生向けからスタートした■■店や■■■■用品店も多い。
御茶ノ水地区
日本大学■■学部・■学部・■■大学院、明■■学、■■■科■科大学、■■堂大学、東京■■大学■学部等。
神田神保町地区
■■大学・■■女子大学。周囲は■■■大の■書店街である。
水道橋三崎町地区
日本大学■学部・■■学部や資■関連の各■■門学校。
高田馬場・早稲田
■■■大学。
目白
■■院大学・■■女子大学。
下北沢
■■大学■養学部(■場)、■■大学(和泉)。小劇場、ライブハウスの多い■■■■■■■の発信地である。
池袋
■■大学と東京■■大学を中心に東武東上線沿線の東■大学、最寄り駅が学生街となっていないお■の■■子大学・■正大学・■殖大学の学生が多く集まる。
本郷
■■大学。
渋谷
■■大学教■学部(駒■)、■山■院大学、■學■大學。
三田
■■■■大学。
白山
■■大学が代表的だが■■医科大学もここに所在している。
和泉(■大前)
■■大学。
江古田
日本大学■■学部、■蔵大学、武■■■■大学。
国立
一■大学。
八王子
■■大学、■■大学■■をはじめとして、八王子は数多くの大学を擁する国内最大規模の学園都市であり、市内中心部の八王子駅周辺や、各大学の所在地周辺に学生街が散在している。

[編集] 神奈川
日吉
■■■■大学。
六角橋・白楽
■■■大学。
向ヶ丘遊園・生田(川崎市多摩区)
■修大学、■治大学。
厚木
橋本
■■■術大学。また、■政大学多■キャンパスなど最寄駅が栄えていない大学の学生が近隣のこの駅に集まる。
淵野辺
■山■■大学、■■林大学、■布大学。■山■■大学の進出で一気に学生向け店舗が増えて学生街の仲間入りを果たした。

[編集] 愛知
本山駅(名古屋市千種区)
愛知学院大学■学部・薬学部・短期大学部、愛知■■大学・大学院。
名古屋大学駅(名古屋市千種区)
■■■大学。
いりなか駅・八事日赤駅(名古屋市昭和区)
■山大学。
八事駅(名古屋市昭和区)
■■大学、■■大学薬学部。
塩釜口駅(名古屋市天白区)
名■大学。
以上の地区は近接しており、一体となって一大学生街を形成していると考えることもできる。

千種駅周辺(名古屋市千種区)
大手予備校■合塾本部があり、その関連施設や他の予備校、専門学校が集まる。名古屋駅太閤通口周辺も同様の学生街を形成。

[編集] 滋賀
瀬田(大津市)
■谷大学瀬田キャンパス、■■医科大学。
南草津(草津市)
■■館大学びわこ・くさつキャンパス。

[編集] 京都
吉田・百万遍(京都市左京区)
■■大学。
北大路バスターミナル周辺(京都市北区)
京都■■大学。
烏丸今出川・河原町今出川(京都市上京区)
■■社大学、京都■■■■大学。
北野白梅町界隈(京都市北区)
■■館大学、■教大学。
深草・藤森(京都市伏見区)
■谷大学、京都■■大学。

[編集] 大阪
JR阪和線杉本町駅(大阪市住吉区)
大阪■■大学
阪急関大前駅(吹田市)
■■大学千里山キャンパス。
近鉄大阪線長瀬駅・同奈良線河内小阪駅・八戸ノ里駅近辺(東大阪市)
■畿大学、大阪■■大学。
近鉄長野線喜志駅周辺(富田林市)
大阪■■大学。大学の所在地は隣の南河内郡河南町。

[編集] 兵庫
伊川谷・学園都市界隈
神戸■■大学、兵庫■■大学、■■■■国語大学、■■科学大学
六甲・六甲道界隈
■戸大学、■戸■■女子学院大学
岡本・甲南山手・摂津本山界隈
■南大学、■南女子大学、神戸■■大学
西宮北口・夙川・甲東園界隈
■■学院大学、■■■学院大学、■手■大学

[編集] 岡山
岡山市津島エリア
■■大学本校津島キャンパス、岡山■■大学、岡山■■大学、■■■■ダム■心■子大学。
倉敷市新倉敷エリア
倉敷■■■■大学、くらしき■■大学。
中庄(倉敷市)
川崎■■大学、川崎■■■■大学、川崎■■短■大学。

[編集] 広島
広島市佐伯区五日市エリア
広島■■大学、鈴■■子短期大学。
広島市南区霞・宇品エリア
■■大学霞キャンパス(医学部・付属病院)、県立■■大学(本部・広島キャンパス)。
広島市安佐南区沼田エリア
広島■■大学、■島市立大学、■■工業大学沼田キャンパス。
下見(東広島市)
■■大学本部。

[編集] 香川
三木町
■■大学。

[編集] 福岡
折尾(北九州市八幡西区の折尾駅周辺)
折尾駅から北へ、■■共立大学、■■医科大学にかけて、また西口から南へ折尾愛真学園にかけて学生街ができている
箱崎(福岡市東区)、六本松(福岡市中央区)
■■大学。
西新(福岡市早良区)
■南■■■大学。
七隈(福岡市城南区)
■■大学。

[編集] 熊本
上通(熊本市)
下通(熊本市)
サンロード新市街(熊本市)
大江(熊本市)
熊本■■大学。
黒髪(熊本市)
■■大学、ルーテル■■大学。

[編集] 鹿児島
騎射場(鹿児島市)
■■島大学。

[編集] 世界の有名な学生街

[編集] イギリス
オックスフォード
オックスフォード大学。
イギリスのケンブリッジ
ケンブリッジ大学。

[編集] フランス
カルチエ・ラタン « Quartier latin »



パリ大学(ソルボンヌ)。Quartier latinとは「■■■語がよく喋られる町の一角」という意味。直訳は「■■■語区」。かつての西欧では学問は■■■語で行われるのが基本だった。




[編集] アメリカ
ケンブリッジ (マサチューセッツ州)
ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、ケンブリッジ・カレッジ、レスリー大学、ロンギー音楽大学。

[編集] 中国
中関村(海淀区)
北京大学、清華大学、北京師範大学、中央民族大学。

[編集] 韓国
新村
延世大学校、梨花女子大学校、西江大学校。
弘大アプ
弘益大学校。
大学路
かつてソウル大学校があった所で、現在も若者の街として有名。
なお、韓国ソウルの新村にある梨花女子大学校前(イデ・アプ)は学生街でありながら韓国の流行の最先端を行く■■■■■■・タウンとなっている。


[編集] 学生街で特に多く見られる業態
学業関連
書店
■書店(■田■■町や■稲■の■書店街はその典型)
■ピー屋
住居、衣料
不動産屋
下宿屋
カジュアルファッションを主とした衣料品店
食事
■食屋、ファストフード、その他外食産業
■酒屋(コンパなどに使われる学生向けの店)
コンビニエンスストア
■茶店
余暇
■■ヤード店
ゲームセンター
■荘
■■■コ店

[編集] 学生街の調査より 学生街の実状と暫定的な学生街の条件
飲食店に大きなニーズがあり、日常生活用品店やその他にも意外に多様な商店も多く見られる。ついで娯楽施設が多い。

学生街の条件としては

学生の日常生活に必要な物が手に入る。
大変活気がある。
確実に学生が店を利用する。
店に学生のための様々な工夫が見られる。
学校が近くにある。

[編集] 学生街の調査より 学生街の形成
学生街は自然発生的ではなく、学校、学生、商店、企業、インフラといった条件をベースに学生独自の文化と街自体の経済力によって成る。よって学生街を創出するにはある程度、学校、地元、支援者、商店街といった中心者が意図的に学生街のベースとなるインフラを整備しなければならない。通学・帰宅には学生は最短ルートを通り、少し外れた所に興味のある店があっても足を延ばす率は格段に減る。また通学路が分散しないように留意しなければ学生街の形成はならない。


[編集] 今後の動向
1980年代から1990年代にかけ、手狭になった都心のキャンパスから広大な敷地が入手できる郊外へ大学が移転する動きがあったが、学生生活の不便さへの敬遠や、地方出身者の都会生活に対する憧れなどから優秀な学生を集めにくくなってしまうという弊害が生まれた。例えば■■大学は御茶ノ水から八王子へ移転したことによって優秀な学生が集まりにくくなり、それまでトップだった司法試験の合格者数が減ってしまったとも言われている。

このため、■治大学や■政大学といった一部の大学は、元の本拠地である都心部に■層校舎を建て、あくまでも■心部に留まる方針を打ち出した。

さらに、1959年から施行されていた■場等■■法が2002年に撤廃され、都心部でも大学の教室が新設できるようになった。大学■■時代に備え、より通いやすい(より多くの入学者を獲得できる)■心回帰の動きが加速し、縮小していた学生街が活発になる可能性が出てくると予想される。例えば、■■大学は文京区白山のキャンパス隣接地にたまたままとまった土地の売却があったことから購入、それと前後して同校地の再開発を行い、2002年の法律廃止とともに取得した更地へ新校舎を建設した。そして、それまで朝霞キャンパス(埼玉県朝霞市)に通っていた文系学部の1・2年生も全て都心部へ統合し、広告でも■年間■心へ通えることをアピールしている。白山は東洋大学の朝霞進出とともに学生街としての役割を縮小させていたが、学生向けの店舗が新しくできるなど、再び■■街として活発になりつつある。


[編集] 関連項目
学術都市(学園都市)-筑波研究学園都市のような都市。

[編集] 外部リンク
新たな「学生街」への展望半田章二

カテゴリ: 街

最終更新 2008年4月14日 (月) 12:56。Wikipedia®









学生街

学生街(がくせいがい)とは、学校(主に大学)の周辺などに形成される学生の消費行動や生活と密接な街をいい、都市内の市街地の一地区である場合に用いる。

都市の中心部から市街地の連担がなく、孤立性が高いと「大学町」、都市の主産業が研究所や研究施設に関係する場合は「学術都市」、学術都市に商業機能が備わってくると「学園都市」などと呼ばれる。

[編集] 主な学生街

[編集] 北海道
札幌駅北口・北12条駅・北18条駅周辺及び北大ななめ通り(札幌市北区)
北海道大学、藤女子大学、北海道武蔵女子短期大学。予備校が複数ある。
大麻・大麻駅周辺(江別市)
高校、大学、専門学校や学生アパートが周辺に複数あるため、比較的小規模であるが、学生街がある。

[編集] 宮城
本町・東四番丁通り・クリスロード(仙台市青葉区)
この近辺に多数存在する専門学校と予備校の学生街。東京の代々木のような街。
一番町南端・柳町通り(仙台市青葉区)
以前は東北大学片平キャンパスの学生街として栄えたが、教養部が片平から川内キャンパスに移ったため衰退している。

[編集] 福島
金谷川駅周辺
福島大学

[編集] 群馬県
板倉東洋大前駅周辺
東洋大学。板倉ニュータウンの開発計画時から東洋大学の進出を念頭においていたため、学生向けのアパートや店舗が数多く存在しており、周辺の駅とは様相を異にしている。

[編集] 千葉
みどり台駅・西千葉駅周辺(千葉市稲毛区)
千葉大学。
大久保(習志野市)
東邦大学、日本大学生産工学部。

[編集] 埼玉
高坂(東松山市)
大東文化大学、東京電機大学。学生向け飲食店やアパートが多い。
松原団地(草加市)
獨協大学。
朝霞
東洋大学、学生向けの飲み屋や古書店などが多く進出している。
志木駅
立教大学、慶應義塾志木高等学校や立教新座高等学校もあり、カラオケ店などが多く存在している。

[編集] 東京
神田駿河台地区
日本国内で最も大学が集中している地区である。大きくは以下のような3つの地域に分かれているが、明治時代に千代田区神田駿河台へ学問所が集積した名残から「神田駿河台学生街」と呼ぶことが多い。この地区には「日本のカルチェラタン」という別名もある。かつては中央大学も存在していた。一方で、大学の医学部や付属病院、および一般の市中病院が多く立地しており、医療地区でもある(このような山の手の医療集中地区を、英語ではPill Hillという)。学生向けからスタートした楽器店やスポーツ用品店も多い。
御茶ノ水地区
日本大学理工学部・歯学部・法科大学院、明治大学、東京医科歯科大学、順天堂大学、東京電機大学工学部等。
神田神保町地区
専修大学・共立女子大学。周囲は世界最大の古書店街である。
水道橋三崎町地区
日本大学法学部・経済学部や資格関連の各種専門学校。
高田馬場・早稲田
早稲田大学。
目白
学習院大学・日本女子大学。
下北沢
東京大学教養学部(駒場)、明治大学(和泉)。小劇場、ライブハウスの多いサブカルチャーの発信地である。
池袋
立教大学と東京音楽大学を中心に東武東上線沿線の東洋大学、最寄り駅が学生街となっていないお茶の水女子大学・大正大学・拓殖大学の学生が多く集まる。
本郷
東京大学。
渋谷
東京大学教養学部(駒場)、青山学院大学、國學院大學。
三田
慶應義塾大学。
白山
東洋大学が代表的だが日本医科大学もここに所在している。
和泉(明大前)
明治大学。
江古田
日本大学芸術学部、武蔵大学、武蔵野音楽大学。
国立
一橋大学。
八王子
中央大学、首都大学東京をはじめとして、八王子は数多くの大学を擁する国内最大規模の学園都市であり、市内中心部の八王子駅周辺や、各大学の所在地周辺に学生街が散在している。

[編集] 神奈川
日吉
慶應義塾大学。
六角橋・白楽
神奈川大学。
向ヶ丘遊園・生田(川崎市多摩区)
専修大学、明治大学。
厚木
橋本
多摩美術大学。また、法政大学多摩キャンパスなど最寄駅が栄えていない大学の学生が近隣のこの駅に集まる。
淵野辺
青山学院大学、桜美林大学、麻布大学。青山学院大学の進出で一気に学生向け店舗が増えて学生街の仲間入りを果たした。

[編集] 愛知
本山駅(名古屋市千種区)
愛知学院大学歯学部・薬学部・短期大学部、愛知工業大学・大学院。
名古屋大学駅(名古屋市千種区)
名古屋大学。
いりなか駅・八事日赤駅(名古屋市昭和区)
南山大学。
八事駅(名古屋市昭和区)
中京大学、名城大学薬学部。
塩釜口駅(名古屋市天白区)
名城大学。
以上の地区は近接しており、一体となって一大学生街を形成していると考えることもできる。

千種駅周辺(名古屋市千種区)
大手予備校河合塾本部があり、その関連施設や他の予備校、専門学校が集まる。名古屋駅太閤通口周辺も同様の学生街を形成。

[編集] 滋賀
瀬田(大津市)
龍谷大学瀬田キャンパス、滋賀医科大学。
南草津(草津市)
立命館大学びわこ・くさつキャンパス。

[編集] 京都
吉田・百万遍(京都市左京区)
京都大学。
北大路バスターミナル周辺(京都市北区)
京都府立大学。
烏丸今出川・河原町今出川(京都市上京区)
同志社大学、京都府立医科大学。
北野白梅町界隈(京都市北区)
立命館大学、佛教大学。
深草・藤森(京都市伏見区)
龍谷大学、京都教育大学。

[編集] 大阪
JR阪和線杉本町駅(大阪市住吉区)
大阪市立大学
阪急関大前駅(吹田市)
関西大学千里山キャンパス。
近鉄大阪線長瀬駅・同奈良線河内小阪駅・八戸ノ里駅近辺(東大阪市)
近畿大学、大阪商業大学。
近鉄長野線喜志駅周辺(富田林市)
大阪芸術大学。大学の所在地は隣の南河内郡河南町。

[編集] 兵庫
伊川谷・学園都市界隈
神戸学院大学、兵庫県立大学、神戸市外国語大学、流通科学大学
六甲・六甲道界隈
神戸大学、神戸松蔭女子学院大学
岡本・甲南山手・摂津本山界隈
甲南大学、甲南女子大学、神戸薬科大学
西宮北口・夙川・甲東園界隈
関西学院大学、神戸女学院大学、大手前大学




最終更新 2008年4月14日 (月) 12:56。Wikipedia®


【東京外大・検定】⑤■■大学、一橋大学と同じ起源を持ち、また旧大阪外国語大学(現・⑥■■大学外国

2008-08-31 01:40:48 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌
【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!



【東京外国語大学・検定】

東京外国語大学

大学設置 19①■■年
創立 18②■■年
学校種別 国立
設置者 国立大学法人東京外国語大学
本部所在地 東京都③■■市朝日町3-11-1
キャンパス 府中(東京都府中市)
④■■サテライト(東京都文京区)
学部 外国語学部
研究科 地域文化研究科
ウェブサイト 東京外国語大学公式サイト

東京外国語大学(とうきょうがいこくごだいがく、英称:Tokyo University of Foreign Studies)は、東京都府中市朝日町3-11-1に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は外語大(がいごだい)や外大、東京外大、東外大などで、英語ではTUFS(タフス)と呼ばれる。

目次 [非表示]
1 概観
1.1 大学全体
1.2 教育および研究
2 沿革
2.1 略歴
2.2 年表
3 基礎データ
3.1 所在地
3.2 象徴
3.2.1 校章
4 教育および研究
4.1 組織
4.1.1 学部
4.1.2 大学院
4.1.3 附属機関
4.1.3.1 国際学術戦略本部
4.2 研究
4.2.1 21世紀COEプログラム
4.2.2 グローバルCOEプログラム
4.3 教育
5 学生生活
5.1 外語祭
5.2 スポーツ
6 大学関係者と組織
6.1 大学関係者組織
6.2 大学関係者一覧
7 施設
7.1 キャンパス
8 対外関係
8.1 他大学との協定
8.1.1 日本国内
8.1.1.1 四大学連合
8.1.1.2 全国外大学長会議
8.1.1.3 その他
8.1.2 日本国外
8.1.3 その他
8.1.3.1 連携講座(地域文化研究科)
9 公式サイト



[編集] 概観

[編集] 大学全体
旧制東京外国語学校を前身とする大学である。⑤■■大学、一橋大学と同じ起源を持ち、また旧大阪外国語大学(現・⑥■■大学外国語学部)とは姉妹校にあたる。

外国語学部(Faculty of Foreign Studies)のみを設置している。学部には7課程⑦■■専攻が設置されている。専攻語に加えて人文・社会科学、さらに自然科学(おもに情報科学)を学ぶことができる。大学院地域文化研究科(Graduate School of Area and Culture Studies)は、博士前期課程(4専攻)と博士後期課程(1専攻)が設置されている。


[編集] 教育および研究
国内唯一の国立外国語大学として世界中の言語が研究・教育されており、多くの語学専門家が所属している。また狭義の外国語学だけにとらわれず、地域研究にも力点を置き、当該言語圏の政治、経済、社会、文化、習俗などについても研究を行っている日本屈指の外国語・地域研究拠点である。 単科大学でありながら、長きに渡って外交、文学、学界、マスコミ、商社、教育、芸術などの広い分野に置いて、多数の著名人・指導者を輩出し続けている。


[編集] 沿革

[編集] 略歴
東京外国語大学の前身教育機関である旧制東京外国語学校は一度廃校を経て復活するなど複雑な経緯をたどって設立されたため、3つの設立年代があり、後述のように東京外国語大学はそれぞれを「建学」・「創立」・「独立」と称している。現在の学則により創立年月日とされているのは1897年4月27日(高等商業学校附属外国語学校設立の日)であり、創立記念日も4月27日である(旧制校時代の沿革の詳細については東京外国語学校 (旧制)を参照)。そのため、本稿においては学則に定められた創立年である1897年を創立年としている。


[編集] 年表
東京外国語学校 (旧制)を参照。

1684年 徳川幕府は天文方に⑧■■■■御用を附設する。
1855年 ⑧■■■■御用が洋学所として独立する。
1857年 洋学所が蕃所調所となる。
1862年 洋書調所と改称。
1863年 開成所と改称。
1869年 明治政府は開成所を母体に開成学校を創立、その後、大学南校に改称
1871年 大学南校に独逸学仮教場を設置、大学南校を南校に改称、独逸学仮教場は洋学第一校となる。外務省が独魯清語学所を設置する。
1872年 南校を母体に第一大学区第一番中学・第二番中学を設置する。
1873年 第一大学区第二番中学を母体に独逸学教場を設置、さらに独逸学教場と独魯清語学所を母体として東京外国語学校を一ツ橋通町一番地に開設(建学の年)
1874年 英語科が独立して東京英語学校(のちの東京大学予備門、第一高校中学校)となる
1884年 所属高等商業学校を設置
1885年 8月に仏・独語学科が東京大学予備門に移行、9月に東京外国語学校及び同校所属高等商業学校を東京商業学校(現一橋大学)へ統合
1896年 第九帝国議会で外国語学校の開設を建議
1887年 東京商業学校が高等商業学校に改称
1897年 高等商業学校に附属外国語学校(英・仏・独・露・西・清・韓語の7学科)が設置される
1899年 高等商業学校附属外国語学校を東京外国語学校として分離設置
1944年 東京外事専門学校に改称
1949年 新制東京外国語大学が発足
1949年 アジア・アフリカ言語文化研究所を新設
2000年 府中市へのキャンパス移転が開始
2004年 法改正により、⑨■■■■法人東京外国語大学が発足
2005年 国際学術戦略本部を新設
2006年 国際⑩■■会館2号館が竣工

[編集] 基礎データ

[編集] 所在地
府中キャンパス(東京都府中市朝日町3-11-1)
本郷サテライトキャンパス(東京都文京区本郷2-14-10)

[編集] 象徴

[編集] 校章
校章は1899年に制定された。意匠は、中央の炬火と両脇の羽翼を組み合わせたもので、炬火には「L」の文字が巻きついている。炬火は「光は世を照らす」ことを、「L」はラテン語の「Lingua(⑪■■の意)」を意味し、羽翼はその頃に設けられていた8語学科を表しているとされる。

また、2004年の国立大学法人化を機に、新たにロゴマークを公募し、制定している。


[編集] 教育および研究

[編集] 組織

[編集] 学部
外国語学部
1・2年次では7課程の26言語の1つを専攻語とし、専攻語の学習を基本に専攻語地域の文化・社会に関する基礎知識を学ぶ。3年次になると「言語・情報コース」「総合文化コース」「地域国際コース」の3つの履修コースから自らの所属コースを決定し、3・4年次において履修する。

欧米第一課程
英語
ドイツ語

欧米第二課程
フランス語
イタリア語
スペイン語
ポルトガル語

ロシア・東欧課程
ロシア語
⑫■■■■■語
チェコ語

東アジア課程
中国語
朝鮮語
⑬■■■■語

東南アジア課程
インドネシア語
マレーシア語
フィリピン語
⑭■■語
ラオス語
ベトナム語
カンボジア語
ビルマ語

南・西アジア課程
ウルドゥー語
ヒンディー語
アラビア語
ペルシア語
⑮■■■語

日本課程
日本語

[編集] 大学院
地域文化研究科
言語文化専攻(博士前期課程)
言語応用専攻(博士前期課程)
地域・国際専攻(博士前期課程)
国際協力専攻(博士前期課程)
地域文化専攻(博士後期課程)




[編集] 附属機関
アジア・アフリカ言語文化研究所(ILCAA、AA研)
情報資源利用研究センター(IRC)
フィールドサイエンス研究企画センター(FSC)
中東研究日本センター(JaCMES)
留学生日本語教育センター(JLC)
附属図書館
総合情報コラボレーションセンター
保健管理センター
海外事情研究所
語学研究所
総合文化研究所
多言語・多文化教育研究センター
国際環境法研究センター
国際学術戦略本部
事務局

[編集] 国際学術戦略本部
東京外国語大学国際学術戦略本部(とうきょうがいこくごだいがくこくさいがくじゅつせんりゃくほんぶ)(Office for International Academic Strategy、略称OFIAS)は、東京外国語大学における海外諸機関との連携、共同研究、海外研究拠点の運営、国際協力活動の効果的推進に資すると共に、海外ネットワーク、外国人研究者の受入体制の強化を図り、併せてこれらに携わる専門スタッフの人材養成を目的として2005年9月に役員会直属として設置された組織である。また、OFIASは文部科学省大学国際戦略本部強化事業に採択されている。


[編集] 研究
世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業
採択2件
2006年度
研究領域2 地域のアイデンティティーの解明 -相互理解を深めるために-
中東とアジアをつなぐ新たな地域概念・共生関係の模索(中東)
東南アジアのイスラーム:トランスナショナルな連関と地域固有性の動態(東南アジア)

[編集] 21世紀⑯■■■プログラム
21世紀⑯■■■プログラムとして、2件のプロジェクトが採択された。

2002年
人文科学
言語運用を基礎とする言語情報学拠点
学際・複合・新領域
史資料ハブ地域文化研究拠点

[編集] グローバル⑯■■■プログラム
グローバル⑯■■■プログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。

2007年
人文科学
コーパスに基づく言語学教育研究拠点

[編集] 教育
特色ある大学教育支援プログラム
26言語情報リテラシー教育プログラム(2003年採択)
生きた言語取得のための26言語・語劇支援(2005年採択)
現代的教育ニーズ取組支援プログラム
在日外国人生徒への学習支援活動(2005年採択)
e−日本語−インターネットで拡げる日本語の世界−(2005年度採択)
「魅力ある大学院教育」イニシアティブ
多言語社会に貢献する言語教育学研究者養成プログラム(2005年度採択)
大学教育の国際化推進プログラム
戦略的国際連携支援
PCS分野における国際共同教育の実現(2006年度採択)
海外先進教育実践支援
英語で開講する授業の国際水準化支援事業(2006年度採択、電気通信大学・東京農工大学・東京工業大学・横浜国立大学・名古屋大学・大阪大学・岡山大学と共同申請)

[編集] 学生生活

[編集] 外語祭
学園祭は「外語祭」と呼ばれ、毎年⑱■■月下旬に5日間に渡って開催される。各語科・サークル・ゼミ等が発表や出展を行う。各専攻語の1年生はキャンパス中央広場でそれぞれの専攻語が使用されている国や地域の料理を振る舞う「料理店」の出店を行い、2年生以上の学生は専攻語で外国語劇「⑲■■」の上演を行っている。⑲■■は「生きた言語取得のための26言語・⑲■■支援」プログラムとして、2005年度文部科学省特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)に採択された。


[編集] スポーツ
硬式野球部は東京新大学野球連盟に加盟している。
大阪外国語大学とは毎年10月第3木曜日に東京の体育団体協議会と大阪の運動会(運動部統括団体)との対抗戦という形で定期競技大会が行われる。開催は東京と大阪の年毎交互の持ち回りで行っている。ただし大阪外国語大学が2007年10月1日を以て大阪大学と統合されるため、2007年の開催をもって対抗戦としての歴史を終える。
ボートについて、筑波大学、東京海洋大学、東京工業大学及び防衛大学校との間で五大学レガッタが毎年春に開催されている。
ボートについて、学内の「ボート大会」が毎年5月中旬の水曜日に開催されている。

[編集] 大学関係者と組織

[編集] 大学関係者組織
同窓会組織として有限責任中間法人⑳■■■■■がある。
留学生、外国人研究者とそれら家族の支援を目的とするボランティア組織「東京外国語大学留学生支援の会」が1999年から活動がなされている。

[編集] 大学関係者一覧
東京外国語大学の人物一覧

[編集] 施設

[編集] キャンパス
最寄り駅:西武多摩川線多磨駅徒歩5分、京王線飛田給駅徒歩20分
府中キャンパスという名称が付いている。2000年にそれまでの西ヶ原キャンパスに替わって旧関東村の米軍基地跡地に完成したキャンパスには大学機能の大半が集約されている。

府中キャンパス以外にサテライトキャンパスとして本郷サテライトが設置されている。





[編集] 対外関係

[編集] 他大学との協定

[編集] 日本国内

[編集] 四大学連合
2001年3月に一橋大学、東京工業大学、東京医科歯科大学との間に四大学連合憲章が締結された。ただし、これは大学の統合を目指すものではない。また、四大学連合の各大学に附置されている研究所による所長懇談会も設置されている。

四大学連合
東京工業大学
東京医科歯科大学
一橋大学
四大学連合附置研究所所長懇談会
東京医科歯科大学生体材料工学研究所
東京医科歯科大学難治疾患研究所
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
東京工業大学資源化学研究所
東京工業大学精密工学研究所
東京工業大学応用セラミックス研究所
東京工業大学原子炉工学研究所
一橋大学経済研究所

[編集] 全国外大学長会議
日本にある「外国語(外語)大学」と名のついた大学の学長による会議。1997年に東京外国語大学の当時の中嶋嶺雄学長の呼びかけにより開催され、それ以来、年に一度のペースで開催されている。

神田外語大学
名古屋外国語大学
京都外国語大学
大阪外国語大学
関西外国語大学
神戸市外国語大学
長崎外国語大学

[編集] その他
2000年10月に行われた北区西ヶ原から府中市朝日町へのキャンパス移転に伴い、多摩地区国立5大学(東京外国語大学、東京学芸大学、東京農工大学、電気通信大学、一橋大学)間での単位互換制度を導入したほか、国際基督教大学などの周辺私立大と協定を結ぶなどしている。

多摩地区国立5大学(単位互換制度や図書館相互利用協定などが締結されている)
電気通信大学
東京学芸大学
東京農工大学
一橋大学
多摩地区大学協定
津田塾大学
電気通信大学
東京学芸大学
東京農工大学
一橋大学
EUIJ(EUインスティテュート東京コンソーシアム)
国際基督教大学
津田塾大学
一橋大学
教育・研究交流に関する協定を締結した大学
中央大学
首都大学東京
国際基督教大学
東京女子大学
お茶の水女子大学
東京芸術大学

[編集] 日本国外
35ヶ国1地域の78大学・研究機関等と研究や教育の分野で提携を行っている。 また、30ヶ国1地域の58大学・研究機関とは学生交流協定を締結し、毎年これらの大学などに1年以内の派遣学生として学生を送り出している。そして、協定校からは1年以内の短期留学生として学生を受け入れている。


[編集] その他

[編集] 連携講座(地域文化研究科)
日本銀行金融研究所
独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所
国際協力機構




[編集] 公式サイト
東京外国語大学
この「東京外国語大学」は、大学関連の書きかけの項目です。この記事を加筆、訂正等して下さる協力者を求めています。(P:教育/PJ大学)




この項目「東京外国語大学」は記事に即した画像の提供が依頼されています。


カテゴリ: 大学関連のスタブ項目 | 画像提供依頼 | 日本の国立大学 | 東京都の大学 | 語学

最終更新 2008年4月19日 (土) 15:48。 Wikipedia®












東京外国語大学

東京外国語大学

大学設置 1949年
創立 1897年
学校種別 国立
設置者 国立大学法人東京外国語大学
本部所在地 東京都府中市朝日町3-11-1
キャンパス 府中(東京都府中市)
本郷サテライト(東京都文京区)
学部 外国語学部
研究科 地域文化研究科
ウェブサイト 東京外国語大学公式サイト

東京外国語大学(とうきょうがいこくごだいがく、英称:Tokyo University of Foreign Studies)は、東京都府中市朝日町3-11-1に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は外語大(がいごだい)や外大、東京外大、東外大などで、英語ではTUFS(タフス)と呼ばれる。


[編集] 大学全体
旧制東京外国語学校を前身とする大学である。東京大学、一橋大学と同じ起源を持ち、また旧大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)とは姉妹校にあたる。

外国語学部(Faculty of Foreign Studies)のみを設置している。学部には7課程26専攻が設置されている。専攻語に加えて人文・社会科学、さらに自然科学(おもに情報科学)を学ぶことができる。大学院地域文化研究科(Graduate School of Area and Culture Studies)は、博士前期課程(4専攻)と博士後期課程(1専攻)が設置されている。


[編集] 年表
東京外国語学校 (旧制)を参照。

1684年 徳川幕府は天文方に蛮所和解御用を附設する。
1855年 蛮所和解御用が洋学所として独立する。
1857年 洋学所が蕃所調所となる。
1862年 洋書調所と改称。
1863年 開成所と改称。
1869年 明治政府は開成所を母体に開成学校を創立、その後、大学南校に改称
1871年 大学南校に独逸学仮教場を設置、大学南校を南校に改称、独逸学仮教場は洋学第一校となる。外務省が独魯清語学所を設置する。
1872年 南校を母体に第一大学区第一番中学・第二番中学を設置する。
1873年 第一大学区第二番中学を母体に独逸学教場を設置、さらに独逸学教場と独魯清語学所を母体として東京外国語学校を一ツ橋通町一番地に開設(建学の年)
1874年 英語科が独立して東京英語学校(のちの東京大学予備門、第一高校中学校)となる
1884年 所属高等商業学校を設置
1885年 8月に仏・独語学科が東京大学予備門に移行、9月に東京外国語学校及び同校所属高等商業学校を東京商業学校(現一橋大学)へ統合
1896年 第九帝国議会で外国語学校の開設を建議
1887年 東京商業学校が高等商業学校に改称
1897年 高等商業学校に附属外国語学校(英・仏・独・露・西・清・韓語の7学科)が設置される
1899年 高等商業学校附属外国語学校を東京外国語学校として分離設置
1944年 東京外事専門学校に改称
1949年 新制東京外国語大学が発足
1949年 アジア・アフリカ言語文化研究所を新設
2000年 府中市へのキャンパス移転が開始
2004年 法改正により、国立大学法人東京外国語大学が発足
2005年 国際学術戦略本部を新設
2006年 国際交流会館2号館が竣工

[編集] 象徴

[編集] 校章
校章は1899年に制定された。意匠は、中央の炬火と両脇の羽翼を組み合わせたもので、炬火には「L」の文字が巻きついている。炬火は「光は世を照らす」ことを、「L」はラテン語の「Lingua(言語の意)」を意味し、羽翼はその頃に設けられていた8語学科を表しているとされる。

また、2004年の国立大学法人化を機に、新たにロゴマークを公募し、制定している。



欧米第一課程
英語
ドイツ語

欧米第二課程
フランス語
イタリア語
スペイン語
ポルトガル語

ロシア・東欧課程
ロシア語
ポーランド語
チェコ語

東アジア課程
中国語
朝鮮語
モンゴル語

東南アジア課程
インドネシア語
マレーシア語
フィリピン語
タイ語
ラオス語
ベトナム語
カンボジア語
ビルマ語

南・西アジア課程
ウルドゥー語
ヒンディー語
アラビア語
ペルシア語
トルコ語

日本課程
日本語



[編集] 21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、2件のプロジェクトが採択された。


[編集] グローバルCOEプログラム
グローバルCOEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。




[編集] 学生生活

[編集] 外語祭
学園祭は「外語祭」と呼ばれ、毎年11月下旬に5日間に渡って開催される。各語科・サークル・ゼミ等が発表や出展を行う。各専攻語の1年生はキャンパス中央広場でそれぞれの専攻語が使用されている国や地域の料理を振る舞う「料理店」の出店を行い、2年生以上の学生は専攻語で外国語劇「語劇」の上演を行っている。語劇は「生きた言語取得のための26言語・語劇支援」プログラムとして、2005年度文部科学省特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)に採択された。



[編集] 大学関係者組織
同窓会組織として有限責任中間法人東京外語会がある。
留学生、外国人研究者とそれら家族の支援を目的とするボランティア組織「東京外国語大学留学生支援の会」が1999年から活動がなされている。


Wikipedia®


【有楽町で逢いましょう】

2008-08-31 01:21:44 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)


【有楽町で逢いましょう】

作詞 ①■■孝夫・作曲 ②■■正

唄 ③■■■■永井 

MIDI programed by K.Kebuta


《一番》
あなたを待てば 雨が降る 濡れて来ぬかと 気にかかる ああ ビルのほとりの ティー・ルーム 雨も愛しや 唄ってる 甘いブルース あなたと私の合言葉 ④■■■で逢いましょう

《二番》
心に沁みる 雨の唄 駅のホームも 濡れたろう ああ 小窓にけむる デパートよ 今日の映画は ロードショウ かわす囁き あなたと私の合言葉 ⑤■■■で逢いましょう

《三番》
悲しい宵は 悲しいよに 燃えるやさしい 街灯り ああ 命をかけた 恋の花 咲いておくれよ いつまでも いついつ迄も あなたと私の合言葉 ⑥■■■で逢いましょう










高大連携情報誌
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)


有楽町で逢いましょう

作詞 佐伯孝夫・作曲 吉田正

唄 フランク永井 

MIDI programed by K.Kebuta


一番 あなたを待てば 雨が降る 濡れて来ぬかと 気にかかる ああ ビルのほとりの ティー・ルーム 雨も愛しや 唄ってる 甘いブルース あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう

二番 心に沁みる 雨の唄 駅のホームも 濡れたろう ああ 小窓にけむる デパートよ 今日の映画は ロードショウ かわす囁き あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう

三番 悲しい宵は 悲しいよに 燃えるやさしい 街灯り ああ 命をかけた 恋の花 咲いておくれよ いつまでも いついつ迄も あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう




【東京タワー】 世界測地系: 35°39′31″N, 139°44′44″E

2008-08-30 21:29:00 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)
検索の達人
【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!


東京タワー

世界測地系: 35°39′31″N, 139°44′44″E

この項目では日本電波塔が運営する東京都港区にある東京タワーについて記述しています。東武鉄道が運営主体となり、東京都墨田区に建設中の新東京タワーについては東京スカイツリーをご覧ください。

東京タワー
Tokyo Tower


情報
旧名称
用途 電波塔、展望台
旧用途
設計者 内藤多仲、日建設計
構造設計者
施工 竹中工務店
建築主 日本電波塔
事業主体 {{{事業主体}}}
管理運営 {{{管理運営}}}
構造形式 鉄骨造
敷地面積
建築面積
延床面積
階数
高さ 332.6m
着工 1957年(昭和32年)
竣工 1958年(昭和33年)
開館開所 {{{開館開所}}}
改築
所在地 〒105-0011
東京都港区芝公園4-2-8
電話 {{{電話}}}
■(Template:建築物全般)
東京タワー・港区芝公園周辺東京タワー(Tokyo Tower)とは東京都港区芝公園四丁目にある東京地区の集約電波塔である。1958年(昭和33年)10月14日に完成した。一般的に東京のシンボル・観光名所として知られている。設計上は最上部で風速100m、下部で風速80mに耐え、また関東大震災の2倍クラスの大規模地震でも安全とされている。

昼間障害標識として、頂点より赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。

地上アナログ・デジタルテレビジョン放送(VHF・UHF)及びFM放送のアンテナとして放送電波を送出する他、東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナや東京都環境局の各種測定器なども設置されている。

目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 放送施設としての東京タワー
3.1 アナログテレビ放送設備
3.1.1 アナログテレビジョン放送送信設備一覧
3.1.2 FMラジオ送信設備一覧(ラジオ)
3.2 地上デジタル放送設備
3.2.1 地上デジタル放送用送信機
3.2.2 地上デジタルテレビジョン放送送信設備一覧
3.2.3 地上デジタルラジオ放送送信設備
3.2.4 地上デジタル放送用アンテナ
3.3 テレビ中継回線設備
3.4 放送エリア
4 東京タワーの今後について
5 特徴
5.1 ギャラリー
5.1.1 東京タワー周辺
5.1.2 夜景・ライトアップ
6 建設時のエピソード
7 「東京タワー」の名称を使用した企業
8 東京タワーが登場する作品
8.1 テレビドラマ・映画・小説
8.2 漫画・アニメ・特撮
8.3 怪獣もの
8.4 音楽
9 関連商品
10 アクセス
10.1 鉄道
10.2 路線バス
11 注釈
12 関連項目
13 外部リンク



[編集] 概要
この塔の正式名称は建築主に因み「日本電波塔」である。当時、相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想で建設された総合電波塔である[1]。放送事業の将来性に着目した前田久吉[2]と鹿内信隆[3]によって計画された。塔はフランス・パリのエッフェル塔の324mより8.6m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高だった。前田は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張した。この塔の建設に先立ち日本電波塔株式会社が設立され、建築設計の構造学を専門とする学者の内藤多仲と日建設計株式会社が共同で塔の設計を行う。約4.2kt(4200t相当)の鋼材と多くの現場鳶職人の作業によりわずか1年3か月で完成した。完成後、特別展望台の真上にこの塔の建設に携わった人々の銘板が据えられた。

発信される電波は関東エリアの半径100km圏を範疇とする。この塔の完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン・日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)・東京放送(TBS、当時はラジオ東京テレビ)はそれぞれ自局の敷地(NHK:紀尾井町、日本テレビ:麹町、TBS:赤坂)に170m程の電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。そのため当初は1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて新たに開局したフジテレビジョン(CX、以下「フジテレビ」と表記)・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)・NHK教育テレビジョンが利用していた(NHKは直後総合と教育を交換)。後にTBSも合流した。

当初はNHKと民放6局のアンテナを一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際は(テレビ業界の覇権を競う産経新聞)フジテレビ・前田久吉と(読売新聞中興の祖)日本テレビ創設者・正力松太郎との対立といわれる。この塔の完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である新宿(現在の東新宿駅付近)にこの塔の2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して発表するが、莫大な建設費用が掛かることからその計画は頓挫した。同社は正力没後の翌1970年(昭和45年)になって麹町の本社からこの塔へメインアンテナを移転することになった。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることでメインアンテナのスペースを確保している。

全放送局がこの塔に揃ったのは、NHKが教育テレビ送信所を移した1980年(昭和55年)である。

しかし、2011年7月24日までに「地上アナログテレビ放送」は終了する。それに関連して現在電波エリアの確保やタワーの老朽化に伴い東京スカイツリー建設の構想もある。2007年(平成19年)9月21日に運営会社の日本電波塔が放送アンテナの位置を80~100m高くすることで、2011年7月24日までに始まる完全地上デジタル(地デジとも呼ぶ)化にも対応できると発表した(後述)。


[編集] 沿革

東京タワーとその影の航空写真国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
アンテナの配置 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
1957年(昭和32年)
6月29日 - 着工。
1958年(昭和33年)
10月14日 - 竣工。
12月7日 - 公開開始(プレオープン)。
12月23日 - 完工式挙行、正式オープン。
1970年(昭和45年)11月10日 - 日本テレビ放送網が麹町の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF4ch)。
1980年(昭和55年) - NHK教育の送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前からVHF3ch)。これにより東京都のテレビ局の信所が一本化される。
1984年(昭和59年)11月1日 - 放送大学学園が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで試験放送開始。
1988年(昭和63年)10月1日 - エフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が81.3MHzで本放送を開始。
2003年(平成15年)
10月10日 - デジタルラジオ推進協会が地上デジタル音声放送の実用化試験放送をVHF7chの帯域で放送開始。
12月1日 - 放送大学以外のテレビ局が地上デジタルテレビジョン放送をUHF帯域で開始(放送大学は2006年(平成18年)12月1日開始)。

[編集] 放送施設としての東京タワー
1:特別展望台
2:大展望台
A:広域アナログテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局、放送大学)
B:広域デジタルテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局)
C:都域テレビ放送アンテナ(TOKYO MX、アナログ・デジタル共用)
D:VHFデジタル音声放送アンテナ
E:FM放送アンテナ
F:マイクロ波中継設備アンテナ

[編集] アナログテレビ放送設備
建設当初からのアナログテレビ放送送信所(送信機室)はタワービルの5階にある。但し、5階は各放送局の送信設備などが置かれた機械室となっているため、関係者以外は立入禁止であり、保安上や安全上の面からも(感電などの危険)一般の見学はできない。


[編集] アナログテレビジョン放送送信設備一覧
各局の放送設備(送信機)の概要は以下の通りである。

放送局名 コールサイン チャンネル 空中線電力
(映像/音声) ERP
(映像/音声)
NHK東京総合 JOAK-TV 1 50kW/12.5kW 240kW/60kW
NHK東京教育 JOAB-TV 3 270kW/69kW
日本テレビ JOAX-TV 4 370kW/94kW
TBSテレビ JORX-TV 6 380kW/95kW
フジテレビ JOCX-TV 8 370kW/92kW
テレビ朝日 JOEX-TV 10 370kW/91kW
テレビ東京 JOTX-TV 12 370kW/93kW
TOKYO MX JOMX-TV 14 10kW/2.5kW 17kW/4.2kW
放送大学 JOUD-TV 16 50kW/12.5kW 330kW/81kW

コールサインは主放送に対するもののみ
TBSテレビのコールサインはラジオ分社化以後のもの(それ以前は「JOKR-TV」)
これらの放送局のアンテナは最上部からNHK総合・教育(1つのアンテナを共用)、テレビ朝日、フジテレビ、TBS・日本テレビ(並列)、テレビ東京、放送大学(以上広域放送、NHK教育のみ全国放送)の順で地上250mの特別展望台より上に設置されている。但し、TOKYO MXは開設が放送大学より後なのと県域放送(東京都のみでの放送)のため一段低い場所にある。


[編集] FMラジオ送信設備一覧(ラジオ)

デジタル放送用アンテナと特別展望台各局の放送設備(送信機)の概要は以下の通りである(すべてFMラジオ)。

放送局名 コールサイン 周波数(MHz) 空中線電力(kW) ERP(kW)
InterFM JODW-FM 76.1 10 11.5
放送大学 JOUD-FM 77.1 38
TOKYO FM JOAU-FM 80.0 44
J-WAVE JOAV-FM 81.3
NHK東京FM JOAK-FM 82.5

局名は略称・愛称で表記
コールサインは主放送に対するもののみ。
これらの放送局のアンテナは特別展望台の直下からNHK-FM・TOKYO FM・J-WAVE(1つのアンテナを共用)、放送大学、InterFMの順に設置されている。但しInterFMだけは開局時期が遅いこともあり、地上150mの大展望台の直上という低い位置にラジオNIKKEIの中継アンテナと同じ位置にある。また、以前は大展望台の直下にAMラジオのニッポン放送の中継アンテナがあった。


[編集] 地上デジタル放送設備
地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、秋葉原地区などから誘致提案が出された。しかし、サービスエリアや航空路との関係などの面でいずれも決定的ではなく2003年(平成15年)12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来たこの塔の施設を拡張する形で設置されることになった。このため、以下の送信所設備が建設された。


[編集] 地上デジタル放送用送信機
大展望台の直下、地上135~145mの高さに送信設備室を増築した。

送信機は2層を使って設置されており上階にNHKのテレビジョン放送2波分と地上デジタル音声放送の実用化試験放送用、下階に民放テレビジョン放送5局分、それぞれの送信機を設置。なお、TOKYO MXは単独設置(アナログ送信機と共用)、放送大学は不明。なお、送信機は共通仕様に基づき設計された固体化水冷式で最大出力10kWが得られる。

なお、地上デジタル放送送信設備室はフットタウンと大展望台を結ぶ階段からでないと入ることができない。


[編集] 地上デジタルテレビジョン放送送信設備一覧
各局の放送設備(送信機)の概要は以下の通りである。

リモコンキーID 放送局名 コールサイン チャンネル 空中線電力 ERP 放送区域内世帯数
1 NHK東京デジタル総合 JOAK-DTV 27 10kW 48kW 約1,400万世帯
2 NHK東京デジタル教育 JOAB-DTV 26
4 日本テレビ JOAX-DTV 25
5 テレビ朝日 JOEX-DTV 24
6 TBSテレビ JORX-DTV 22
7 テレビ東京 JOTX-DTV 23
8 フジテレビ JOCX-DTV 21
9 TOKYO MX JOMX-DTV 20 3kW 5kW 約690万世帯
12 放送大学 JOUD-DTV 28 5kW 19kW 約1,320万世帯

局名は略称・愛称で表記
コールサインは主放送に対するもののみ
放送大学は2006年(平成18年)12月1日、それ以外は2003年(平成15年)12月1日放送開始

[編集] 地上デジタルラジオ放送送信設備
2008年5月現在ではまだ「実用化試験局」である。

コールサイン:JOAZ-FM
使用周波数帯:VHFテレビ7chに相当する周波数帯(周波数190.214286MHz)
空中線電力:2.4kW
ERP:3kW
なお、コールサインの「JOAZ」は試験局・臨時局用に確保されているもので、何度も再利用されている。

[編集] 地上デジタル放送用アンテナ
特別展望台とアナログ放送用アンテナ部分の中間、高さ260~280mのところに直径13m・高さ12mの円筒形をしたアンテナを設置した。これは「3素子型2L双ループアンテナ5段15面4系統」といわれるもので、ループ型アンテナを構成するエレメントを10段30面に配置している。そして赤に塗装された上5段分から3波、白に塗られた下5段分から4波が送信される。なおデジタルラジオのアンテナは特別展望台の直下、高さ約245mのところに設置されている。このアンテナを設置した際には重量増による強度不足を補うために塔の構造材に鋼板による補強が行われている(地上波デジタル放送開始時のエピソードの一つとして)。これらの設備追加によりこの塔の重量増加は420tにのぼるとの案内が行われていた。

2003年(平成15年)の運用開始当初はアナログテレビの混信を避けるため出力の抑制・指向性が掛けられていたが、アナアナ変換による対策がこの地域で完了した2005年(平成17年)までに無指向性・所定の出力となった。


[編集] テレビ中継回線設備
一般視聴者向けの放送アンテナ以外に、テレビ局は素材を遠方の取材先から演奏所に送るためのマイクロ波による中継システムを持つ。この塔には送られて来たマイクロ波を受信するアンテナがFM用送信アンテナ群の直下から大展望台にかけて設置され、遠隔操作で取材地方向に向けることができる。また、タワー自体による死角ができるので対向する2個所1組で運用。これらのアンテナで受信した電波は、映像専用回線を通じて各放送局の演奏所に送られる。

また共同取材で素材を融通し合う場合があるが、ここで各局に分配できるようになっている(いわゆる「タワー分岐」と呼ばれる作業)。ただしハイビジョン映像に関しては株式会社ネクシオンの提供する映像伝送サービスをキー局が共同利用して素材交換を行うため、タワー分岐は利用されない。

なお、光ファイバーによる大容量の伝送回線網が日本全国をカバーしたため放送局相互用マイクロ波回線(NTT中継回線)は廃止された。


[編集] 放送エリア
テレビ・FMとも基本的には東京都(小笠原諸島は東京タワーからの受信ができないため、通信衛星でテレビのみを放送)・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・神奈川県・山梨県の全域。受信できない場合は近隣中継局やケーブルテレビ等で受信する。TOKYO MXは受信できる範囲が限られる。
そのほかは受信感度が劣るものの、長野県・新潟県・宮城県・福島県・静岡県中東部(西部は静岡県内か愛知県の中継局からの電波を受信)のそれぞれ一部地域でも受信ができる。

[編集] 東京タワーの今後について
2008年(平成20年)現在、この塔では現在でも地上デジタル放送波の送信を行っているがこれは暫定的な側面が強い措置であり前述したように2011年7月24日までに地上デジタル放送に全面移行した場合、この塔では高さが足りないなどの問題から(2008年(平成20年)の時点では)一般論として首都圏域すべて(アナログテレビの放送区域)をカバーし切れないと言われている(首都圏において放送受信障害がどの程度出るかについては電波を管轄する総務省でも正確には把握できていない模様)。

この問題は2000年代初頭から既に想定されていたため地上デジタル放送開始には間に合わなかったが、その頃からこの塔に代わる新しい電波塔の建設が検討され始めた。候補地については東京23区及び近隣の数都市が名乗りをあげNHKと民放キー局を交えて協議を重ねた結果、2006年(平成18年)には新塔の建設予定地が墨田区押上にある東武鉄道の貨物操車場跡地に決まり、ここに新塔「東京スカイツリー」(以前は仮に「第2東京タワー」や「新東京タワー」などと呼んでいた模様)を建設することとなった。2008年(平成20年)7月14日に着工し、地上デジタル放送への全面移行後の2011年末の完成・2012年春の開業を予定している。高さは約610mで世界一を更新し、途中450m地点に特別展望ロビー、350m地点に展望ロビーを設置する。事業費は約500億円。

※ 東京スカイツリーの詳細については東京スカイツリーの項も参照されたい。

一方、東京タワーを管理する日本電波塔社は2007年(平成19年)9月21日、放送局各局のデジタルテレビ完全移行後に塔頂部にある現在のアナログテレビ用スーパーターンスタイルアンテナを撤去してデジタルテレビ用アンテナに交換すると共に高さを80~100m伸ばす方針を主軸とした東京スカイツリーへの対抗案を打ち出し、各テレビ局に打診した。改修案の費用は約40億円で済むと言われ、各局の放送設備もそのまま流用できるなど東京スカイツリーの設置に比べると圧倒的にコストを低く抑えられる。なお材質に軽量の炭素繊維などを用いた場合、大掛かりな補強工事の費用は必要なく改装費用はさらに減額することが可能である。

上記の通り、2011年以降の現・東京タワーの状況は現在のところまだ明確にはなっていないが、基本的には以下の未来が考えられる。

テレビ局が現・東京タワーから放送施設の殆どを撤去した場合
しばらくはFMラジオ波など、東京スカイツリーに移行しなくても電波を送信できるものについては引き続き送信を続ける方針であり、一部放送施設はこれからも恒久的に存続する。しかし、放送施設としては主な役目は終わる。観光施設として残す場合は老朽化や耐震問題を考慮し、補強や構成材の交換なども継続していかなければならないため日本電波塔社も「放送局の電波料収入が途絶えた場合、観光収入だけでは経営は難しく取り壊しもあり得る」と発言している。但し、パリのエッフェル塔のように観光施設として財政的援助を受けた場合は存続する可能性がある。また、京都タワーのように下層部分にホテル施設を新設するなどの案もあがっている。



最終更新 2008年8月29日 (金) 04:23。





【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)
高大連携情報誌「大学受験ニュース」  
236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201 調べもの新聞編集室
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

オープンキャンパス(大学・高校・中学)の取材にお伺いします。(無料)

当日のイベント情報を
高大連携(こうだい・れんけい)情報誌「大学受験ニュース(ブログ版)」にて
全国に発信します!!!

紙媒体の高大連携情報誌「大学受験ニュース」もおつくりします。
(全国のオープンキャンパスにて、受験生に配布します。)
見本誌(紙媒体)をお送りします。(無料)
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

(A4の2つ折:A5の4P)共通記事(1~3P)と▲▲▲大学記事(4P)で構成。

 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲学部(▲学部を持つ日本の大学)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲県(▲▲県の大学一覧)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学のオープンキャンパス
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 取得資格の一覧(▲▲▲大学・▲学部)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 名作文庫(▲▲県)▲▲▲大学
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学への道 (入試日程・資料請求)

【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

【正会員募集!】 
調べもの新聞編集室では、
隔月刊「大学受験ニュース」(紙媒体)の発行と
ブログ版高大連携情報誌(「大学受験ニュース」毎日更新)の全国発信をしております。
正会員(大学・高校・中学:塾・予備校:教育関係出版社) 年会費(18000円) 

【津軽海峡・冬景色】青森桟橋では席取りのために⑨■■■で移動する乗客が多く、混雑時には非常な

2008-08-30 21:02:38 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)

検索の達人
情報の達人

【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!


津軽海峡・冬景色


青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横にある歌謡碑

①■■■■・■■■(つがるかいきょう・ふゆげしき)とは1977年(昭和52年)に②■■■■■が歌い、日本でヒットした歌謡曲である。

作詞は③■■悠、作曲・編曲は④■■たかし。

石川はこの曲で1977年の⑤■■■■■■■■歌唱賞、FNS歌謡祭最優秀グランプリを受賞し、同年末のNHK紅白歌合戦への初出場も果たして、一気にスターダムへとのし上がることになる。

恋に破れて東京を去り、北海道へ帰郷するため、真冬の津軽海峡を連絡船で渡って行く女の辛い心情を哀調をこめて切々と歌った曲で、津軽海峡と港町青森、そして青函連絡船(1988年3月に⑥■■■■■■開通で廃止)をも象徴する歌として、カラオケなどでも長く歌い継がれている。

なお、1995年(平成7年)7月には青森市の旧青函連絡船八甲田丸前、1996年(平成8年)7月には⑦■■岬、と歌詞に登場するゆかりの地にそれぞれ歌碑が建立されている[1]。

2005年にNHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組39位にランクインされた。

カラオケチェーン・ビッグエコーでこの曲をリクエストすると、石川さゆり本人も出演する映像の中で、青函連絡船現役時代の風景を一瞬であるが見ることができる。


[編集] 阿久悠の歌詞
多作で知られた阿久悠の作品中でも、この曲の歌詞は代表的な傑作とされる。

「上野発の夜行列車」を雪の青森駅で降り、連絡船へと乗り継いで行く描写がある。東京と北海道との間の交通手段は、1970年代初頭までは鉄道・連絡船の乗り継ぎと航空機利用が拮抗していたが、この頃から航空機転移が顕著になってきた。当時ヒットしたこの曲は、⑧■■■の全盛期を偲ばせる歌である[2]。

連絡船の利用率がまだ高かった当時、実際の青森桟橋では席取りのために⑨■■■で移動する乗客が多く、混雑時には非常な雑踏ぶりで騒々しかった。 そのため、歌詞の中で⑩「■■」であると歌われるのは連絡船乗船後の乗客たちの姿である。

「竜飛岬」など青函連絡船から見える光景が描写される(ただし、青函連絡船が通常航路をとった場合、竜飛崎は船内から見ることはできなかった。なお、青函連絡船最末期の航海では、船長のサービスにより竜飛崎が見える航路をとったこともある)。交通の便がきわめて悪いため、観光地としてはマイナーであった竜飛岬は、この歌によって全国的な知名度を得た。

歌詞は函館への到着までは描写せず、船上での女の⑪■■を吐露させて終わる。

歌のタイトルの"津軽海峡"の後に”・”を入れた理由を阿久自身は覚えておらず、後には「津軽海峡冬景色」という一つの象徴語なので”・”は不要だと考えるようになったという[1]。


この「津軽海峡・冬景色」は、シングルに関連する書きかけ項目です。加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:音楽/PJ 楽曲)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E3%83%BB%E5%86%AC%E6%99%AF%E8%89%B2" より作成
カテゴリ: シングル関連のスタブ項目 | 演歌 | 1977年のシングル | コロムビアミュージックエンタテインメントのシングル | NHK紅白歌合戦歌唱楽曲 | 阿久悠の楽曲 | 三木たかしの楽曲

最終更新 2008年8月24日 (日) 11:43。












高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)

検索の達人
情報の達人

【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!


津軽海峡・冬景色

(津軽海峡冬景色 から転送)
移動: ナビゲーション, 検索
津軽海峡・冬景色
石川さゆり の シングル
リリース 1977年1月1日
1991年7月1日(再発)
1994年5月20日(再発)
2005年12月7日(再発)
ジャンル 演歌
レーベル 日本コロムビア
チャート最高順位
最高順位6位

石川さゆり 年表
花供養
(1976年) 津軽海峡・冬景色
(1977年) 能登半島
(1977年)

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横にある歌謡碑津軽海峡・冬景色(つがるかいきょう・ふゆげしき)とは1977年(昭和52年)に石川さゆりが歌い、日本でヒットした歌謡曲である。

作詞は阿久悠、作曲・編曲は三木たかし。

石川はこの曲で1977年の日本レコード大賞歌唱賞、FNS歌謡祭最優秀グランプリを受賞し、同年末のNHK紅白歌合戦への初出場も果たして、一気にスターダムへとのし上がることになる。

恋に破れて東京を去り、北海道へ帰郷するため、真冬の津軽海峡を連絡船で渡って行く女の辛い心情を哀調をこめて切々と歌った曲で、津軽海峡と港町青森、そして青函連絡船(1988年3月に青函トンネル開通で廃止)をも象徴する歌として、カラオケなどでも長く歌い継がれている。

なお、1995年(平成7年)7月には青森市の旧青函連絡船八甲田丸前、1996年(平成8年)7月には竜飛岬、と歌詞に登場するゆかりの地にそれぞれ歌碑が建立されている[1]。

2005年にNHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組39位にランクインされた。

カラオケチェーン・ビッグエコーでこの曲をリクエストすると、石川さゆり本人も出演する映像の中で、青函連絡船現役時代の風景を一瞬であるが見ることができる。


[編集] 阿久悠の歌詞
多作で知られた阿久悠の作品中でも、この曲の歌詞は代表的な傑作とされる。

「上野発の夜行列車」を雪の青森駅で降り、連絡船へと乗り継いで行く描写がある。東京と北海道との間の交通手段は、1970年代初頭までは鉄道・連絡船の乗り継ぎと航空機利用が拮抗していたが、この頃から航空機転移が顕著になってきた。当時ヒットしたこの曲は、連絡船の全盛期を偲ばせる歌である[2]。

連絡船の利用率がまだ高かった当時、実際の青森桟橋では席取りのために駆け足で移動する乗客が多く、混雑時には非常な雑踏ぶりで騒々しかった。 そのため、歌詞の中で「無口」であると歌われるのは連絡船乗船後の乗客たちの姿である。

「竜飛岬」など青函連絡船から見える光景が描写される(ただし、青函連絡船が通常航路をとった場合、竜飛崎は船内から見ることはできなかった。なお、青函連絡船最末期の航海では、船長のサービスにより竜飛崎が見える航路をとったこともある)。交通の便がきわめて悪いため、観光地としてはマイナーであった竜飛岬は、この歌によって全国的な知名度を得た。

歌詞は函館への到着までは描写せず、船上での女の心情を吐露させて終わる。

歌のタイトルの"津軽海峡"の後に”・”を入れた理由を阿久自身は覚えておらず、後には「津軽海峡冬景色」という一つの象徴語なので”・”は不要だと考えるようになったという[1]。


[編集] その他
かつて、中近東方面に赴任するビジネスマンたちの間で「ホルムズ海峡砂景色」という替え歌が歌われていたことがある。日本から遠く離れた砂漠の国での勤めを嘆いた戯れ歌である。

2006年にはバンダイナムコゲームスのアイドル育成ゲーム「THE IDOLM@STER」のオフィシャルグッズとして、ネット通販限定で販売された「アイドル(登場キャラクター)」が歌うカバー曲CD「Your Song」に、キャラクターの一人「萩原雪歩」のカバー曲として収録された(2007年10月3日発売の「MASTER ARTIST 09」に再収録)。発売後約30年を経ながら、若い世代にも知名度の高い歌であることが伺えよう。

2007年の第58回NHK紅白歌合戦では阿久悠の追悼として、石川が紅組トリで同曲を歌唱した(白組トリも同じく阿久が作詞の「契り」を、五木ひろしが歌った)。

2007年現在、上野発青森行きの夜行列車は「あけぼの」のみとなっている。


[編集] 脚注
[ヘルプ]
^ a b 阿久悠 『愛すべき名歌たち -私的歌謡曲史-』(岩波書店 1999年7月19日) ISBN 978-4004306252
^ 作詞当時、東京から青森への特急・急行列車は青函連絡船への接続を前提にダイヤが組まれており、東北本線経由の「はくつる」、常磐線経由「ゆうづる」などの夜行列車が多数運転されていた。これについては東北本線優等列車沿革を参照されたい。



この「津軽海峡・冬景色」は、シングルに関連する書きかけ項目です。加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:音楽/PJ 楽曲)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E3%83%BB%E5%86%AC%E6%99%AF%E8%89%B2" より作成
カテゴリ: シングル関連のスタブ項目 | 演歌 | 1977年のシングル | コロムビアミュージックエンタテインメントのシングル | NHK紅白歌合戦歌唱楽曲 | 阿久悠の楽曲 | 三木たかしの楽曲

最終更新 2008年8月24日 (日) 11:43。








【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)
高大連携情報誌「大学受験ニュース」  
236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201 調べもの新聞編集室
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

オープンキャンパス(大学・高校・中学)の取材にお伺いします。(無料)

当日のイベント情報を
高大連携(こうだい・れんけい)情報誌「大学受験ニュース(ブログ版)」にて
全国に発信します!!!

紙媒体の高大連携情報誌「大学受験ニュース」もおつくりします。
(全国のオープンキャンパスにて、受験生に配布します。)
見本誌(紙媒体)をお送りします。(無料)
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

(A4の2つ折:A5の4P)共通記事(1~3P)と▲▲▲大学記事(4P)で構成。

 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲学部(▲学部を持つ日本の大学)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲県(▲▲県の大学一覧)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学のオープンキャンパス
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 取得資格の一覧(▲▲▲大学・▲学部)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 名作文庫(▲▲県)▲▲▲大学
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学への道 (入試日程・資料請求)

【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

【正会員募集!】 
調べもの新聞編集室では、
隔月刊「大学受験ニュース」(紙媒体)の発行と
ブログ版高大連携情報誌(「大学受験ニュース」毎日更新)の全国発信をしております。
正会員(大学・高校・中学:塾・予備校:教育関係出版社) 年会費(18000円) 

東大安田講堂事件

2008-08-30 04:08:18 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)
検索の達人
情報の達人

【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!




東大安田講堂事件

(安田講堂事件 から転送)

①■■■■■■■■(とうだいやすだこうどうじけん)とは、1969年(昭和44年)1月18日、19日に、②■■■■■■(全共闘)が占拠していた③■■■■■■キャンパスを④■■■が封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦ともいう。

[編集] 事件の背景
1960年代後半、高度経済成長の裏で激化の一途をたどっていた学生による第二次反安保闘争。それと時を同じくして、全国の国公立・私立大学において授業料値上げ反対・学園民主化などを求め、各大学の全共闘や新左翼の学生が武力闘争を展開する学園紛争(大学闘争)が起こった。全共闘の学生達は大学当局との「大衆団交」(団交)で自分たちの主張を強硬に唱え、それが認められない場合は大学構内⑤■■■■■封鎖という強硬手段に訴えた。学園紛争は全国に波及し、最盛期では東京都内だけで55の大学がバリケード封鎖に入り深刻な社会問題に発展していった。


[編集] 事件発生までの経緯
その中で、東京大学においては、医学部の学生が登録医制度反対などを唱え通称インターン闘争に始まる東大紛争(東大闘争)を展開した。その後、更に闘争は激化し、1968年(昭和43年)3月12日に医学部総合中央館を、3月27日に安田講堂を一時占拠し、翌日予定されていた⑥■■■は中止された。6月15日に医学部学生が安田講堂を再度占拠し、大学当局の大河内一男東大総長は警察力を導入しこれを排除したが、これに対して全学の学生の反発が高まり、7月2日、安田講堂はバリケード封鎖された。以後、大学当局は打開を図ったが更に学生の反発を招き、東大全学部の学生ストライキ、主要な建物多数の封鎖が行われた。11月には大河内総長以下、全学部長が辞任した。

9月30日の日大大衆団交を受けて、佐藤内閣が動き出す。この後、完全に政治問題と変化する。

11月22日、全学バリケード封鎖にむけて全共闘系7千名、阻止する日共(民青)系7千名が全国から集まり、にらみあう。全共闘系内部においては早稲田革マルの藤原が中心となって、全学バリケード封鎖反対を各派に恫喝的に説得する。 結果的に全学バリケード封鎖は中止となり、背景を知らない学生の一部では、戦時中のレイテ沖海戦の史実と絡めて、「栗田艦隊謎の反転」と語られる。民青系に敗北したと言うより、民青系と衝突してでも強行しようという意思が、内部から崩壊したのである。


[編集] 11.22以降の下り坂
大河内総長の後任として法学部の加藤一郎教授が総長代行として就任し、1969年1月10日、国立秩父宮ラグビー場にて「東大七学部学生集会」を開催。民青系や学園平常化を求めるノンポリ学生と交渉によりスト収拾を行うことに成功したが、依然、占拠を続ける全共闘学生との意見の合致は不可能と判断し警察力の導入を決断、1月16日警視庁に正式に機動隊による大学構内のバリケード撤去を要請した。


[編集] 封鎖解除1日目
警視庁警備部は8個機動隊を動員し、1月18日午前7時頃医学部総合中央館と医学部図書館からバリケードの撤去を開始、投石・火炎瓶などによる学生の抵抗を受けつつ、医学部・工学部・法学部・経済学部等の各学部施設の封鎖を解除し安田講堂を包囲、午後1時頃には安田講堂への本格的な封鎖解除が開始された。しかし強固なバリケードと学生の予想以上の抵抗に機動隊は苦戦を強いられ、午後5時40分警備本部は作業中止を命令。18日の作業は終了した。


[編集] 封鎖解除2日目
1月19日午前6時30分、機動隊の封鎖解除が再開された。2日目も学生の激しい抵抗があったが午後3時50分、突入した隊員が三階大講堂を制圧し午後5時46分屋上で最後まで抵抗していた学生90人を検挙。東大安田講堂封鎖解除は完了し機動隊は撤収した。


[編集] その後の安田講堂
紛争によって荒廃した講堂は20年間に渡り、法学部・文学部の物置として使われていた。1989年に改修工事が完了し、杮落としはスティーヴン・ホーキングの来日公演であった。それ以後、卒業式などの全学的行事に使われるほか、公開講座なども行われている。



カテゴリ: 1969年 | 学生運動 | 戦後の事件 | 東京大学















高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)
検索の達人
情報の達人

【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!




東大安田講堂事件

(安田講堂事件 から転送)

東大安田講堂事件(とうだいやすだこうどうじけん)とは、1969年(昭和44年)1月18日、19日に、全学共闘会議(全共闘)が占拠していた東京大学本郷キャンパスを警視庁が封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦ともいう。

目次 [非表示]
1 事件の背景
2 事件発生までの経緯
2.1 11.22以降の下り坂
3 封鎖解除1日目
4 封鎖解除2日目
5 その後の安田講堂
6 関連人物
6.1 大学側
6.2 学生側
6.3 警察側
7 補足
8 参考文献
9 関連項目



[編集] 事件の背景
1960年代後半、高度経済成長の裏で激化の一途をたどっていた学生による第二次反安保闘争。それと時を同じくして、全国の国公立・私立大学において授業料値上げ反対・学園民主化などを求め、各大学の全共闘や新左翼の学生が武力闘争を展開する学園紛争(大学闘争)が起こった。全共闘の学生達は大学当局との「大衆団交」(団交)で自分たちの主張を強硬に唱え、それが認められない場合は大学構内バリケード封鎖という強硬手段に訴えた。学園紛争は全国に波及し、最盛期では東京都内だけで55の大学がバリケード封鎖に入り深刻な社会問題に発展していった。


[編集] 事件発生までの経緯
その中で、東京大学においては、医学部の学生が登録医制度反対などを唱え通称インターン闘争に始まる東大紛争(東大闘争)を展開した。その後、更に闘争は激化し、1968年(昭和43年)3月12日に医学部総合中央館を、3月27日に安田講堂を一時占拠し、翌日予定されていた卒業式は中止された。6月15日に医学部学生が安田講堂を再度占拠し、大学当局の大河内一男東大総長は警察力を導入しこれを排除したが、これに対して全学の学生の反発が高まり、7月2日、安田講堂はバリケード封鎖された。以後、大学当局は打開を図ったが更に学生の反発を招き、東大全学部の学生ストライキ、主要な建物多数の封鎖が行われた。11月には大河内総長以下、全学部長が辞任した。

9月30日の日大大衆団交を受けて、佐藤内閣が動き出す。この後、完全に政治問題と変化する。

11月22日、全学バリケード封鎖にむけて全共闘系7千名、阻止する日共(民青)系7千名が全国から集まり、にらみあう。全共闘系内部においては早稲田革マルの藤原が中心となって、全学バリケード封鎖反対を各派に恫喝的に説得する。 結果的に全学バリケード封鎖は中止となり、背景を知らない学生の一部では、戦時中のレイテ沖海戦の史実と絡めて、「栗田艦隊謎の反転」と語られる。民青系に敗北したと言うより、民青系と衝突してでも強行しようという意思が、内部から崩壊したのである。


[編集] 11.22以降の下り坂
大河内総長の後任として法学部の加藤一郎教授が総長代行として就任し、1969年1月10日、国立秩父宮ラグビー場にて「東大七学部学生集会」を開催。民青系や学園平常化を求めるノンポリ学生と交渉によりスト収拾を行うことに成功したが、依然、占拠を続ける全共闘学生との意見の合致は不可能と判断し警察力の導入を決断、1月16日警視庁に正式に機動隊による大学構内のバリケード撤去を要請した。


[編集] 封鎖解除1日目
警視庁警備部は8個機動隊を動員し、1月18日午前7時頃医学部総合中央館と医学部図書館からバリケードの撤去を開始、投石・火炎瓶などによる学生の抵抗を受けつつ、医学部・工学部・法学部・経済学部等の各学部施設の封鎖を解除し安田講堂を包囲、午後1時頃には安田講堂への本格的な封鎖解除が開始された。しかし強固なバリケードと学生の予想以上の抵抗に機動隊は苦戦を強いられ、午後5時40分警備本部は作業中止を命令。18日の作業は終了した。


[編集] 封鎖解除2日目
1月19日午前6時30分、機動隊の封鎖解除が再開された。2日目も学生の激しい抵抗があったが午後3時50分、突入した隊員が三階大講堂を制圧し午後5時46分屋上で最後まで抵抗していた学生90人を検挙。東大安田講堂封鎖解除は完了し機動隊は撤収した。


[編集] その後の安田講堂
紛争によって荒廃した講堂は20年間に渡り、法学部・文学部の物置として使われていた。1989年に改修工事が完了し、杮落としはスティーヴン・ホーキングの来日公演であった。それ以後、卒業式などの全学的行事に使われるほか、公開講座なども行われている。


[編集] 関連人物

[編集] 大学側
加藤一郎 - 東京大学総長代行。のち総長に就任
向坊隆 - 工学部長、執行部員。のち総長に就任
平野龍一 - 法学部長、執行部員。のち総長に就任
藤木英雄 - 法学部教授、執行部員。
林健太郎 - 文学部長、執行部員。1968年11月4日から11月12日まで全共闘に監禁され事件となった(林健太郎監禁事件)。のち総長に就任

[編集] 学生側
山本義隆 - 東大全学共闘会議議長。
今井澄 - 東大全学共闘会議副議長・安田講堂防衛隊長。のち参議院議員(社会党→民主党)

[編集] 警察側
後藤田正晴 - 警察庁次長。のち警察庁長官、内閣官房長官、副総理兼法務大臣
秦野章 - 最高警備本部長(最高責任者)、警視総監。のち法務大臣
下稲葉耕吉 - 最高警備本部幕僚長兼総合警備本部長(現場指揮担当)、警視庁警備部長、警視長。のち法務大臣
佐々淳行 - 総合警備本部幕僚長(現場指揮担当)、警視庁警備部警備第一課長、警視正。のちあさま山荘事件の警備も担当。のち初代内閣安全保障室長
楢島文穂 - 現場警備本部長(現場指揮担当)、本富士警察署長、警視。
細井為行 - 分隊長。のち弁護士。

[編集] 補足
警察側の記録によると、この日の封鎖解除で検挙された学生633人のうち、東大生はわずか38人であったという。ただしこれについては、全共闘側の関係者(今井澄、島泰三)から異論が出ており、島は公判で起訴された東大関係者(54名)の数と、全体の逮捕者と起訴された者の比率等から80~100名程度の東大関係者が東大構内に立て籠もったと推定している。更に、秩父宮ラグビー場における七学部学生集会粉砕闘争で駒場共闘の中心メンバーが100人以上逮捕されていることも考慮しなければならない。

東大全共闘の一部と革マル派は封鎖解除前日の17日「兵力温存」を理由に大学構内から脱出、当日抵抗していたのは他セクトと地方を含む他大学からの応援部隊が中心であった。 革マル派は、後日他セクトから「日和見主義」などの批判を受け、他セクト(特に中核派)との対立を深める結果となった。


[編集] 参考文献
佐々淳行著『東大落城-安田講堂攻防七十二時間』文藝春秋[文春文庫]
島泰三著『安田講堂 1968-1969』中央公論新社[中公新書]

[編集] 関連項目
東大紛争(東大闘争)
安田講堂
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%89%E7%94%B0%E8%AC%9B%E5%A0%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6" より作成
カテゴリ: 1969年 | 学生運動 | 戦後の事件 | 東京大学


【安田講堂 1968-1969 島泰三 中公新書】①~⑩ 約 227 件

2008-08-30 03:56:10 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
【安田講堂 1968-1969 島泰三 中公新書】①~⑩ 約 227 件

高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)
検索の達人
情報の達人
【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!



1位
Amazon.co.jp: 安田講堂 1968‐1969 (中公新書): 島 泰三: 本Amazon.co.jp: 安田講堂 1968‐1969 (中公新書): 島 泰三: 本. ... 必至の敗北とその後の人生における不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。 何を求め、伝え、残そうとしたのか。本書は「本郷学生隊長」として安田講堂に ...
www.amazon.co.jp/安田講堂-1968‐1969-中公新書-島-泰三/dp/4121018214 - 200k - キャッシュ - 関連ページ



2位
『革命男』-昭和元禄期の義侠伝 (1) 島泰三 『安田講堂 1968-1969 ...『革命男』-昭和元禄期の義侠伝 (1) 島泰三 『安田講堂 1968-1969』 中公新書 ( 新刊) ... このとき、安田講堂に立てこもった人物による、「東大紛争」の発端から終焉までを描いた新書が出版された。「本郷学生隊長」を任せられ、三派全学連(中核 ...
plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200511290000/ - 40k - キャッシュ - 関連ページ



3位
『革命男』-昭和元禄期の義侠伝 (2) 島泰三 『安田講堂 1968-1969 ...『革命男』-昭和元禄期の義侠伝 (2) 島泰三 『安田講堂 1968-1969』 中公新書 ( 新刊) ... Re:★ 『革命男』-昭和元禄期の義侠伝 <2> 島泰三 『安田講堂 1968-1969』 中公新書 (新刊)(11/30), MIKAリンさん ...
plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200511300000/ - 51k - キャッシュ - 関連ページ



4位
オンライン書店ビーケーワン:安田講堂 1968−1969 中公新書 ...安田講堂 1968−1969 中公新書 1821 のお求めはビーケーワンで。1500円以上で国内送料無料。 ... 〈島泰三〉1946年山口県生まれ。東京大学理学部在学中に東大闘争参加。房総自然博物館館長等を経て日本アイアイ・ファンド代表。 ...
www.bk1.jp/product/02617473 - 35k - キャッシュ - 関連ページ



5位
バッカじゃなかろうか/安田講堂1968-1969(島泰三) - 見もの ...島泰三『安田講堂1968-1969』(中公新書) 中央公論社 2005.11 個人史的なことを書いておくと、1969年、私は小学生だった。安田講堂の攻防戦については、曖昧な記憶がある。 その頃、両親と私(と弟)は、八畳の和室に布団を並べて寝ていて、枕元にテレビ ...
blog.goo.ne.jp/jchz/e/1ea016568e96256a470027e0c26aa515 - 53k - キャッシュ - 関連ページ


6位

新書マップ | 本 | 安田講堂 : 1968-1969テーマ Theme. 安田講堂 : 1968-1969. 島泰三著 -- 中央公論新社, 2005.11 , iv, 364p. -- (中公新書 ; 1821) ISBN : 新<9784121018212> , 旧<4121018214> ... 必至の敗北とのその後の人生の不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。 ...
shinshomap.info/book/4121018214.html - 18k - キャッシュ - 関連ページ


7位

My Premier Life 「安田講堂1968-1969」1月16日~20日 島 泰三 「安田講堂1968-1969」(中公新書) たかだか新書一冊を読むのに、ずいぶんと時間をかけてしまいました。 あの安田講堂の攻防戦からもう37年も経ってしまったのだと、今更ながら、時代の移り変わりを感じます。 ...
premier.blog44.fc2.com/blog-entry-12.html - 29k - キャッシュ - 関連ページ



8位
東大安田講堂事件 - Wikipedia東大安田講堂事件(とうだいやすだこうどうじけん)とは、1969年(昭和44年)1月18 日、19日に、全学共闘会議(全共闘)が .... 佐々淳行著『東大落城-安田講堂攻防七十二時間』文藝春秋[文春文庫]; 島泰三著『安田講堂 1968-1969』中央公論新社[中公新書] ...
ja.wikipedia.org/wiki/東大安田講堂事件 - 37k - キャッシュ - 関連ページ



9位
ジュンク堂書店 島 泰三ジュンク堂書店 島 泰三. ... 書棚は、中公新書です。 池袋本店 2冊 在庫有り 1969 年1月、全共闘と機動隊の間で東大安田講堂の攻防戦が繰り広げられた。 ... 「本郷学生隊長」として安田講堂に立てこもった当事者によって、はじめて語られる証言。 ...
www.junkudo.co.jp/view2.jsp?VIEW=author&ARGS=%93%87%81%40%91%D7%8EO - 20k - キャッシュ - 関連ページ



10位
安田講堂: 紀伊國屋書店BookWeb中公新書 安田講堂 1968‐1969 ISBN:9784121018212 (4121018214) 364p 18cm 中央公論新社 (2005-11-25出版) ・島 泰三【著】 [新書 判] NDC分類:377.96 販売価:\1029(税込) (本体価:\980) 5000円以上ご注文頂きますと、国内配送料無料でお ...
bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4121018214.html - 30k - キャッシュ - 関連ページ



1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次へ








【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)
高大連携情報誌「大学受験ニュース」  
236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201 調べもの新聞編集室
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

オープンキャンパス(大学・高校・中学)の取材にお伺いします。(無料)

当日のイベント情報を
高大連携(こうだい・れんけい)情報誌「大学受験ニュース(ブログ版)」にて
全国に発信します!!!

紙媒体の高大連携情報誌「大学受験ニュース」もおつくりします。
(全国のオープンキャンパスにて、受験生に配布します。)
見本誌(紙媒体)をお送りします。(無料)
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

(A4の2つ折:A5の4P)共通記事(1~3P)と▲▲▲大学記事(4P)で構成。

 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲学部(▲学部を持つ日本の大学)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲県(▲▲県の大学一覧)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学のオープンキャンパス
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 取得資格の一覧(▲▲▲大学・▲学部)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 名作文庫(▲▲県)▲▲▲大学
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学への道 (入試日程・資料請求)

【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

【正会員募集!】 
調べもの新聞編集室では、
隔月刊「大学受験ニュース」(紙媒体)の発行と
ブログ版高大連携情報誌(「大学受験ニュース」毎日更新)の全国発信をしております。
正会員(大学・高校・中学:塾・予備校:教育関係出版社) 年会費(18000円) 



東海道 保土ヶ谷宿に『まちかど博物館』が開館!

2008-08-24 19:06:50 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫

|


東海道
 保土ヶ谷宿に『まちかど博物館』が開館!



新たな歴史スポットとして7館オープン!!
まちかど博物館サイン

☆★ 歴史を活かしたまちづくり ★☆
 保土ケ谷区では、H19年3月に策定した「歴史まちなみ基本構想」に掲げている方針の一つ「地域住民間、地域住民と来街者間の交流機能を育て、巡り歩いて楽しめるまちを創る」を実現するために、保土ケ谷の歴史、文化及び技術・技能を広く区民や来街者に周知し、交流の活性化及び産業の振興を図ることを目的として、「まちかど博物館」を旧東海道沿いにモデル的に7館設置します。
 平成20年3月28日(金)午前10時に「まちかど博物館」全館同時開館!!


☆★ まちかど博物館 ★☆
「まちかど博物館」とは、館長の善意と協力により区内の店舗等の一部を利用して、保土ケ谷の歴史と生活文化に関連した資料や、なりわいの技術等を物語る道具を展示したものです。


今後も、歴史スポットの「点」の拡充を目指し、「点」から「線」、「線」から「面」へと展開を図り、『歴史を活かしたまちづくり』を進めながら、引続き「まちかど博物館」の輪を広げていく予定です。


区役所や各まちかど博物館にて「まちかど博物館」を紹介したマップを配布しています。


☆★ 『まちかど博物館めぐり』マップ ★☆
  表面はこちら(1.06Mb)

  裏面はこちら(1.15Mb)




☆★ まちかど博物館 紹介 ★☆
◆ 一 覧 ◆

◇ひろた屋
◇スエ時計店
◇川古谷石材店
◇後藤印店
◇キク薬局
◇宿場そば 桑名屋
◇菓匠 栗山


--------------------------------------------------------------------------
ひろた屋  [呉服]

--------------------------------------------------------------------------------

 帷子川沿いの捺染工場であった元祖ひろた屋から暖簾分けし、大正11年に染め物を行う紺屋(こんや・こうや)として創業しました。 呉服の手入れをする道具「湯熨し釜(ゆのしがま)」や「伸子(しんし)」を展示しています。また、80年前のレジスタが現役で活躍しています。

 ★ 館長より一言 ★

 着物の美しさや着物の美を陰で支える道具等を観てもらい、着物の素晴らしさを多くの方に伝えられたら嬉しいです。
 接客中など店内の状況により、満足な説明が出来ない場合も有りますので、ご了承ください。

住所:岩間町2-163

電話:045-335-0529

休館日:日曜日(催事・セール中は休館)

開館時間:10時~19時
博物館全景 湯熨し釜(ゆのしがま) 休館日・開館時間など



博物館一覧へ



--------------------------------------------------------------------------------
スエ時計店  [時計・宝石・眼鏡]

--------------------------------------------------------------------------------

 終戦直後の昭和21年の創業です。先代の店主は、時計については精工舎で、眼鏡については東京大学眼科教室に通い、独学で学びました。 先代の店主が、時計の修理などに使用していた道具を展示しています。

 ★ 館長より一言 ★

 ようこそ、ささやかな「まちかど博物館」へ。昔は、小さな旋盤で時計などのネジも1本ずつ作って組み立て、サングラスの色も染粉によってお店で染め上げていました。
 昔の素朴なまち中の商人の暮らしの一端を彷彿してください。

住所:岩間町2-106

電話:045-331-4195

休館日:水曜日(臨時休館有り)

開館時間:10時~18時
博物館全景 昔の修理道具等 休館日・開館時間など



博物館一覧へ



--------------------------------------------------------------------------------
川古谷石材店  [石材]

--------------------------------------------------------------------------------

 十代以上続く老舗の石屋です。昔の石屋は、その日の仕事に合わせて、「のみ」「びしゃん」「小たたき」といった道具を、毎朝鍛冶で作っていました。その時に火力を調整する道具として使用していた「ふいご」も展示しています。

 ★ 館長より一言 ★

 昔の石屋は、軟石、硬石、間知石、彫刻等の分野ごとに専門が有り、その日の仕事に合わせて、早朝に道具を作り仕事に向かいました。 今は、工具や機械が発達し石屋の仕事も様変わりしましたが、昔を懐かしく思うことがあります。
 館長不在時、接客時は説明等の対応はできませんので、ご了承ください。

住所:岩間町2-109

電話:045-331-2722

休館日:日・月・火

開館時間:10時~16時
博物館全景 ふいご 休館日・開館時間など



博物館一覧へ



--------------------------------------------------------------------------------
後藤印店  [印鑑・活版印刷]

--------------------------------------------------------------------------------

 戦前に印刷所として創業し、保土ヶ谷駅近くの旧東海道沿いに店を構えていましたが、環状1号線の拡幅整備に伴い、この地に移ってきました。現在でも昔ながらの活字や活版印刷機を使用した印刷を行っています。

 ★ 館長より一言 ★

 現在、活字を使用した印刷は珍しいですが、最近になり活字の魅力が若者の間で再認識されているようです。「まちかど博物館」を通じて、少しでも活字の魅力が広まることを期待しています。
 館長不在時、接客時は説明等の対応はできませんので、ご了承ください。

住所:岩間町2-184

電話:045-333-4663

休館日:日曜日

開館時間:9時~18時
博物館全景 印刷機 休館日・開館時間など



博物館一覧へ



--------------------------------------------------------------------------------
キク薬局  [薬局]

--------------------------------------------------------------------------------

 戦災にあい、昭和23年から現地で営業しています。昔のこの辺りは保土ケ谷区心部で、多くの公共施設が集まっていました。 昔、薬の調合などに使用していた大きな「乳鉢」と「すり棒」、「劇薬天秤」などを展示しています。

 ★ 館長より一言 ★

 小さな頃からこの地に住んでおり、この街の移り変わりを見つめてきました。「まちかど博物館」を巡りながら、この街の落ち着いた良さを発見してもらえたら嬉しいです。

住所:帷子町1-2

電話:045-331-0057

休館日:日曜日・祝日

開館時間:10時~16時
博物館全景 毒薬天秤 休館日・開館時間など



博物館一覧へ



--------------------------------------------------------------------------------
宿場そば 桑名屋  [蕎麦]

--------------------------------------------------------------------------------

 この地で四代続く蕎麦屋です。館長は、長い間、保土ケ谷の「歴史を活かしたまちづくり」に携わってきました。店は、深川江戸資料館の船宿を手がけた大工職人に依頼して、江戸時代の建物を再現し、昔懐かしい雰囲気を漂わせています。
 浮世絵や保土ケ谷宿に関連する歴史資料などが多く展示されています。

 ★ 館長より一言 ★

 「まちかど博物館」を通じて、保土ケ谷のまちの歴史や魅力を発信して、少しでも保土ケ谷のまちに興味を持っていただければ幸いです。保土ケ谷を想う人の輪を広げていきたいです。

住所:岩井町21

電話:045-331-0233

休館日:木曜日

開館時間:10時~17時
博物館全景 東海道分間延絵図 休館日・開館時間など



博物館一覧へ



--------------------------------------------------------------------------------
菓匠 栗山  [和菓子]

--------------------------------------------------------------------------------

 武蔵国と相模国の境(境木)に程近い境木の商店街に店を構え、境木地蔵尊をモチーフにした最中などを販売しています。様々な和菓子の型枠や焼き印のこてなどを展示しています。

 ★ 館長より一言 ★

 当店は、保土ケ谷宿の歴史をお菓子や菓子折り掛紙などに表現しております。「まちかど博物館」を巡り、保土ケ谷の歴史に触れながら、美味しい和菓子はいかがでしょうか。
 繁忙期、館長不在時は説明等の対応が出来ませんので、ご了承ください。

住所:境木本町1-33

電話:045-713-2515

休館日:月曜日(祝日の場合は開館)

開館時間:9時~19時
博物館全景 型と焼き印のこて 休館日・開館時間など



博物館一覧へ



☆★ まちかど博物館めぐりの約束 ★☆
「まちかど博物館」は、館長の善意により運営されていますので、マナーを守って見学して下さい。


各まちかど博物館の開館日や開館時間は変更されることもあります。また、お店の営業日・営業時間とは異なりますのでご注意下さい。


館長の都合により、説明等の対応が出来ない場合もあります。また、トイレの貸出しは行っておりません。



★ お問い合わせ、ご意見などは下記までご連絡ください ★



問合せ
区政推進課企画調整係
窓口 : 本館2階10番
TEL : 045(334)6227
FAX : 045(333)7945
ho-kikaku@city.yokohama.jp




保土ケ谷区  まちかど博物館 記者発表


©2008 City of Yokohama. All rights reserved.
























ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫


政治経済学部   早明間の政治経済学論争

2008-08-22 10:49:18 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)
高大連携情報誌「大学受験ニュース」



政治経済学部

■■■■学部(せいじけいざいがくぶ)は、政治学・経済学を中心として社会科学を学ぶ大学の学部である。政経学部を正式名称としている大学もある。

目次 [非表示]
1 概要
2 早明間の政治経済学論争
3 他大学の状況
4 授与される学士号
5 政治経済学部をおく日本の大学
5.1 私立大学
6 政治経済学部を設置したが、その後廃止した日本の大学
6.1 国立大学
6.2 私立大学
7 関連項目



概要
ドイツの慣習に合わせて、政治学を法学部の一部門と捉える考え方が主流であったなか、イギリスの慣習を採用して、早稲田大学で経済学とともに政治を学ぶ学部として「■■■■学部」は発足した、と同大学は主張している。しかし、そもそも当時のイギリスにおいて経済学(political economy)は存在したが、政治経済学部はおろか■■■■学という概念さえ存在しなかったことからこの説は事実無根である。一般的に、政治学と経済学は北米でもドイツ、フランス、イギリスでも全く別の学問体系と捉えるのが主流であり、現在政治経済学部がある国は日本と大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国のみである。このことから政治経済学部は世界的に見て極めて特殊な学部と言える。

例外としてロンドン大学のLSEの正式名称はLondon School of Economics & Political Scienceとなっており日本における政治経済学部と近い学問構成となっているがLSEの設立は1895年であるので、1882年に開校した東京専門学校(早稲田大学の前身)の政治経済学科がこれを参考にしたことは考えにくい。

日本で■■■■学部という特殊な学部が設置された背景としては、次の事実が考えられる。当時日本においては近代化の過程で様々な外来語が翻訳されており、学問名も例外ではなかった。当時イギリスの大学では経済学をeconomyではなく、political economyの古称を使用していた。これも勿論「経済学」と訳すのだが、当時北米ではすでに経済学といえばeconomyとのみ記述するのが普通で、これらの事実を総合すると北米流のeconomyと区別するためにpolitical economyを「政治経済学」と誤訳し、あたかも北米やドイツの経済学とは別の学問体系が存在すると誤解したといえる。 その後、学習院大学と明治大学が早稲田大学に習って■■■■学部を設けたが、学習院大学ではそのわずか11年後の1964年 政経学部を法学部(法学科、政治学科)と経済学部(経済学科)に改組している。 第二次世界大戦後において早稲田大学と明治大学の政治経済学部は異なる特色を持つようになる。早稲田大学■■■■学部では行政学と近代経済学を主とし、明治大学■■■■学部は社会学とドイツ歴史学派経済学を主とした学問体系を築いた。いずれも経済学か政治学に属し、政治経済学と呼ぶべき新たな学問体系を創造するには至っていない。

その後は、どの大学でも政治学と経済学の両方を学べる学部という位置づけになっており、経営学まで網羅している大学もある。


早明間の政治経済学論争
早明両大学は古くから政治経済学部を持っていたこともあり、学問的対立が存在した。特に経済学の分野では学問体系が対立関係にあることからこの二学部に所属する学者の間で経済学論争が起き、旧来から継承されていた近代経済学と歴史学派経済学の根本的、具体的議論が繰り広げられた。

両大学ともに、学生運動の時期はマルクス経済学が主導権を握っていたこともあったが、冷戦構造の終焉を経て近代経済学の確立が目指されることになった。

具体的な論争内容は、60年代以降の学生を中心とした「政治経済学研究会」や教授陣の論文雑誌である「政経論叢」において中心の論点となった事項が数点挙げられる。

経済学は、状況に適応した施策を求めるものであるのか(早稲田)、理論追求のものであるべきか(明治)という点。これはまさに景気動向に配慮した形で適応的に政策を実行すべきか、貧富の格差の是正など社会的不安の払拭という思想的理念を政策に移すのかという、対立が存在した。
政治経済学に関する議論。早稲田では政治学と経済学の範疇をより専門化、実証化させるべきであるとの合理主義的立場を重視し、明治では社会学や人類学を背景とした、より広範な視点を摂取しながら、政治学と経済学の確立をすべきであるとの理念的立場を重視した。この近代の代表的な構図は、アメリカのコロンビア大学(専門化重視)とシカゴ学派(広範性重視)の違いを反映している。しかし、シカゴ学派には早稲田の藤原保信の政治学がその系統を担っていたし、アメリカの新古典派経済学の実証主義経済政策論を明治で教授した赤松要の流れをくむ赤松学派が存在していたため、■■■■学の対立は、部分的であったという評価もある。明治大学の後藤昭八郎や毛馬内勇士はその後継者であり、日本経済政策学会の理事をつとめており、その中心的存在である。
マーシャル経済学の日本流入以後、経済学の方法論を合理的認識のもとに置くか、理念的認識のもとに置くかという議論。早稲田は戦後以降、アメリカで進展を見る新古典派経済学を吸収し教育に活かしたのに対し、明治はドイツ系経済学、わけてもマックス・ヴェーバーの歴史学派経済学やシュモラーの歴史学派経済学を重視している。これも、もう一つの対立構図である。特に早稲田の実証的経済学の導入は効果的であった。明治は歴史学的・解釈学的方法論を主とした研究を追究するべきとの考えから、早稲田とは別の独自路線を歩んでいくことになる。
現在では明治大学政治経済学部でも近代経済学が主であり、マルクス経済学系の教員は一名である。これは早稲田大学政治経済学も同様である。カリキュラムを見ても「社会主義経済学」、「ロシア東欧政治論」が必修ではない「応用科目」として存在している程度である。(注:「社会主義経済学」は現在、担当教員が居らず休講中である。)また明治大学では地域行政学科が設置され、行政学にも力を入れるようになっている。

1990年代以降、国際弁護士でエコノミストの湯浅卓等をオブザーバーとして多くのシンポジウムやディスカッションを両大学のゼミ連携で行っており、大学間の論争は影を潜めている。今日的には環境学・平和学の展開を背景にレギュラシオン学派を引く経済理論の考究の様相も呈している。政治学においては、早稲田大学名誉教授の内田満や明治大学名誉教授の岡野加穂留との共著出版や大学間兼担講師を相互に引きうけるなど、むしろ協調的交流さえうかがえる。対立構図はなくなった。

なお現在では、近代経済学においては早稲田と明治ともにほぼ同数の教員が揃っている。それらの教員は、早稲田大学では大和瀬達二、明治大学では池田一新の後継者である。大和瀬は寡占理論の権威であり、また池田はシュタッケルベルクの愛弟子にあたる。大和瀬はE・シュナイダー、池田はシュタッケルベルクの翻訳を日本でいちはやく行なったことで知られている。大和瀬はその著『寡占価格の理論』で早稲田大学経済学博士、池田はその論文「不完全競争理論の体系化のための試論」で明治大学経済学博士となっている。さらに、現在では早明ともにそれぞれマルクス経済学の教員を一名しか置いておらず、早稲田では藤森頼明、明治では飯田和人が講義・研究にあたっている。これらの実態を踏まえると、早明政経論争はもはや過去のものとなっており、現在ではそのような論争を知らない世代の若手教員も多くなってきている。


他大学の状況
早明間では学者間の論争を中心とした学問体系となっていたが、他の大学の政治経済学部は政治学・経済学を結合させた研究・教育を行うという立場を取っていた。

早明以外ではもっとも古い政経学部を持つ拓殖大学(第二次世界大戦前には専門部という名称であった)はもともと台湾への入植者に関する教育を実施する大学であったことから学問的な論点もさることながら実際に拓殖地においてどのように行政と経営を実施するかということを研究・教育する学問体系を取っていた。さらにこうした視点から法学まで内包した科目体制を取っており、現在でも法学は政治学の一分野としてのカリキュラム編成がなされ、学科名は法律政治学科である。

また、戦後の開設となる東海大学と国士舘大学では早くから経済学と政治学を有機的に連携させる体制を取っており、現在多くの大学が目指している学際志向を当初から持っていたといえる。


授与される学士号
授与する学士の代表例としては、政治学科では「政治学士」、経済学科では「経済学士」が主流であったが、学士の表記が「学士(専攻分野)」というものに改正され、今日では「学士(政治学)」、経済学科では「学士(経済学)」などが主に授与される例となっている。近年は学科名も多様化しており学位名称も多様化の傾向にある。


政治経済学部をおく日本の大学

私立大学
早稲田大学
明治大学
拓殖大学
国士舘大学
東海大学
聖学院大学

政治経済学部を設置したが、その後廃止した日本の大学

国立大学
広島大学

私立大学
学習院大学
國學院大学
成蹊大学
秀明大学

関連項目
学部
学部の一覧

カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 出典を必要とする記事 | 学部 | 政治学 | 経済学


最終更新 2008年5月3日 (土) 12:15。Wikipedia®












政治経済学部

政治経済学部(せいじけいざいがくぶ)は、政治学・経済学を中心として社会科学を学ぶ大学の学部である。政経学部を正式名称としている大学もある。

目次 [非表示]
1 概要
2 早明間の政治経済学論争
3 他大学の状況
4 授与される学士号
5 政治経済学部をおく日本の大学
5.1 私立大学
6 政治経済学部を設置したが、その後廃止した日本の大学
6.1 国立大学
6.2 私立大学
7 関連項目



概要
ドイツの慣習に合わせて、政治学を法学部の一部門と捉える考え方が主流であったなか、イギリスの慣習を採用して、早稲田大学で経済学とともに政治を学ぶ学部として「政治経済学部」は発足した、と同大学は主張している。しかし、そもそも当時のイギリスにおいて経済学(political economy)は存在したが、政治経済学部はおろか政治経済学という概念さえ存在しなかったことからこの説は事実無根である。一般的に、政治学と経済学は北米でもドイツ、フランス、イギリスでも全く別の学問体系と捉えるのが主流であり、現在政治経済学部がある国は日本と大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国のみである。このことから政治経済学部は世界的に見て極めて特殊な学部と言える。

例外としてロンドン大学のLSEの正式名称はLondon School of Economics & Political Scienceとなっており日本における政治経済学部と近い学問構成となっているがLSEの設立は1895年であるので、1882年に開校した東京専門学校(早稲田大学の前身)の政治経済学科がこれを参考にしたことは考えにくい。

日本で政治経済学部という特殊な学部が設置された背景としては、次の事実が考えられる。当時日本においては近代化の過程で様々な外来語が翻訳されており、学問名も例外ではなかった。当時イギリスの大学では経済学をeconomyではなく、political economyの古称を使用していた。これも勿論「経済学」と訳すのだが、当時北米ではすでに経済学といえばeconomyとのみ記述するのが普通で、これらの事実を総合すると北米流のeconomyと区別するためにpolitical economyを「政治経済学」と誤訳し、あたかも北米やドイツの経済学とは別の学問体系が存在すると誤解したといえる。 その後、学習院大学と明治大学が早稲田大学に習って政治経済学部を設けたが、学習院大学ではそのわずか11年後の1964年 政経学部を法学部(法学科、政治学科)と経済学部(経済学科)に改組している。 第二次世界大戦後において早稲田大学と明治大学の政治経済学部は異なる特色を持つようになる。早稲田大学政治経済学部では行政学と近代経済学を主とし、明治大学政治経済学部は社会学とドイツ歴史学派経済学を主とした学問体系を築いた。いずれも経済学か政治学に属し、政治経済学と呼ぶべき新たな学問体系を創造するには至っていない。

その後は、どの大学でも政治学と経済学の両方を学べる学部という位置づけになっており、経営学まで網羅している大学もある。


早明間の政治経済学論争
早明両大学は古くから政治経済学部を持っていたこともあり、学問的対立が存在した。特に経済学の分野では学問体系が対立関係にあることからこの二学部に所属する学者の間で経済学論争が起き、旧来から継承されていた近代経済学と歴史学派経済学の根本的、具体的議論が繰り広げられた。

両大学ともに、学生運動の時期はマルクス経済学が主導権を握っていたこともあったが、冷戦構造の終焉を経て近代経済学の確立が目指されることになった。

具体的な論争内容は、60年代以降の学生を中心とした「政治経済学研究会」や教授陣の論文雑誌である「政経論叢」において中心の論点となった事項が数点挙げられる。

経済学は、状況に適応した施策を求めるものであるのか(早稲田)、理論追求のものであるべきか(明治)という点。これはまさに景気動向に配慮した形で適応的に政策を実行すべきか、貧富の格差の是正など社会的不安の払拭という思想的理念を政策に移すのかという、対立が存在した。
政治経済学に関する議論。早稲田では政治学と経済学の範疇をより専門化、実証化させるべきであるとの合理主義的立場を重視し、明治では社会学や人類学を背景とした、より広範な視点を摂取しながら、政治学と経済学の確立をすべきであるとの理念的立場を重視した。この近代の代表的な構図は、アメリカのコロンビア大学(専門化重視)とシカゴ学派(広範性重視)の違いを反映している。しかし、シカゴ学派には早稲田の藤原保信の政治学がその系統を担っていたし、アメリカの新古典派経済学の実証主義経済政策論を明治で教授した赤松要の流れをくむ赤松学派が存在していたため、政治経済学の対立は、部分的であったという評価もある。明治大学の後藤昭八郎や毛馬内勇士はその後継者であり、日本経済政策学会の理事をつとめており、その中心的存在である。
マーシャル経済学の日本流入以後、経済学の方法論を合理的認識のもとに置くか、理念的認識のもとに置くかという議論。早稲田は戦後以降、アメリカで進展を見る新古典派経済学を吸収し教育に活かしたのに対し、明治はドイツ系経済学、わけてもマックス・ヴェーバーの歴史学派経済学やシュモラーの歴史学派経済学を重視している。これも、もう一つの対立構図である。特に早稲田の実証的経済学の導入は効果的であった。明治は歴史学的・解釈学的方法論を主とした研究を追究するべきとの考えから、早稲田とは別の独自路線を歩んでいくことになる。
現在では明治大学政治経済学部でも近代経済学が主であり、マルクス経済学系の教員は一名である。これは早稲田大学政治経済学も同様である。カリキュラムを見ても「社会主義経済学」、「ロシア東欧政治論」が必修ではない「応用科目」として存在している程度である。(注:「社会主義経済学」は現在、担当教員が居らず休講中である。)また明治大学では地域行政学科が設置され、行政学にも力を入れるようになっている。

1990年代以降、国際弁護士でエコノミストの湯浅卓等をオブザーバーとして多くのシンポジウムやディスカッションを両大学のゼミ連携で行っており、大学間の論争は影を潜めている。今日的には環境学・平和学の展開を背景にレギュラシオン学派を引く経済理論の考究の様相も呈している。政治学においては、早稲田大学名誉教授の内田満や明治大学名誉教授の岡野加穂留との共著出版や大学間兼担講師を相互に引きうけるなど、むしろ協調的交流さえうかがえる。対立構図はなくなった。

なお現在では、近代経済学においては早稲田と明治ともにほぼ同数の教員が揃っている。それらの教員は、早稲田大学では大和瀬達二、明治大学では池田一新の後継者である。大和瀬は寡占理論の権威であり、また池田はシュタッケルベルクの愛弟子にあたる。大和瀬はE・シュナイダー、池田はシュタッケルベルクの翻訳を日本でいちはやく行なったことで知られている。大和瀬はその著『寡占価格の理論』で早稲田大学経済学博士、池田はその論文「不完全競争理論の体系化のための試論」で明治大学経済学博士となっている。さらに、現在では早明ともにそれぞれマルクス経済学の教員を一名しか置いておらず、早稲田では藤森頼明、明治では飯田和人が講義・研究にあたっている。これらの実態を踏まえると、早明政経論争はもはや過去のものとなっており、現在ではそのような論争を知らない世代の若手教員も多くなってきている。


他大学の状況
早明間では学者間の論争を中心とした学問体系となっていたが、他の大学の政治経済学部は政治学・経済学を結合させた研究・教育を行うという立場を取っていた。

早明以外ではもっとも古い政経学部を持つ拓殖大学(第二次世界大戦前には専門部という名称であった)はもともと台湾への入植者に関する教育を実施する大学であったことから学問的な論点もさることながら実際に拓殖地においてどのように行政と経営を実施するかということを研究・教育する学問体系を取っていた。さらにこうした視点から法学まで内包した科目体制を取っており、現在でも法学は政治学の一分野としてのカリキュラム編成がなされ、学科名は法律政治学科である。

また、戦後の開設となる東海大学と国士舘大学では早くから経済学と政治学を有機的に連携させる体制を取っており、現在多くの大学が目指している学際志向を当初から持っていたといえる。


授与される学士号
授与する学士の代表例としては、政治学科では「政治学士」、経済学科では「経済学士」が主流であったが、学士の表記が「学士(専攻分野)」というものに改正され、今日では「学士(政治学)」、経済学科では「学士(経済学)」などが主に授与される例となっている。近年は学科名も多様化しており学位名称も多様化の傾向にある。


政治経済学部をおく日本の大学

私立大学
早稲田大学
明治大学
拓殖大学
国士舘大学
東海大学
聖学院大学

政治経済学部を設置したが、その後廃止した日本の大学

国立大学
広島大学

私立大学
学習院大学
國學院大学
成蹊大学
秀明大学

関連項目
学部
学部の一覧

カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 出典を必要とする記事 | 学部 | 政治学 | 経済学


最終更新 2008年5月3日 (土) 12:15。Wikipedia®





【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)
高大連携情報誌「大学受験ニュース」  
236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201 調べもの新聞編集室
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113


オープンキャンパス(大学院・大学・高校・中学)の取材にお伺いします。

当日のイベント情報を
高大連携(こうだい・れんけい)情報誌「大学受験ニュース(ブログ版)」にて
全国に発信します!!!



紙媒体の高大連携情報誌「大学受験ニュース」もおつくりします。
(全国のオープンキャンパスにて、受験生に配布します。)
見本誌(紙媒体)をお送りします。(無料)
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

(A4の2つ折:A5の4P・8P)共通記事(1~3P)と▲▲▲大学記事(4P)で構成。

 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲学部(▲学部を持つ日本の大学)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲県(▲▲県の大学一覧)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学のオープンキャンパス
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 取得資格の一覧(▲▲▲大学・▲学部)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 名作文庫(▲▲県)▲▲▲大学
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学への道 (募集人員・入試日程・資料請求)


【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!


【教育ルネサンス】①~⑩ 約 23万7000 件

2008-08-21 10:23:40 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
【教育ルネサンス】①~⑩ 約 23万7000 件

高大連携情報誌「大学受験ニュース」
ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)



1位
教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)「教育ルネサンス」では、みなさまのご意見やご感想、体験を募集しています。フォームから投稿してください。 担当者から問い合わせることがありますので、お名前、電話番号を必ず明記して下さい。 ...
www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/ - 39k - キャッシュ - 関連ページ



2位
(15)科学実験 文系学生も : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ...読売新聞社の速報ニュースサイト 教育関連のニュース・特集・コラム・入試情報などを掲載するYOMIURI ONLINEのコーナーです.
www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20080726-OYT8T00227.htm - 27k - キャッシュ - 関連ページ
www.yomiuri.co.jp からの検索結果 »



3位
教育ルネッサンス特定非営利活動法人教育ルネッサンスでは、カウンセラーとして起業を考えている方から開業後間もない方をトータルにサポートしております。この度、社会福祉法人社会福祉事業研究開発基金事業として、下記の通り起業セミナーを開催いたします。 ...
krs.1npo.org/ - 6k - キャッシュ - 関連ページ



4位
教育ルネサンス 食育推進プロジェクト : YOMIURI ONLINE(読売新聞)健全な食習慣の確立を願い、消費者と生産者の絆を深めていくとともに、日本の豊かな食文化の継承・発展も支援していきます。
syokuiku.yomiuri.co.jp/ - 8k - キャッシュ - 関連ページ



5位
Amazon.co.jp: 教育ルネサンス 教師力: 読売新聞教育取材班: 本Amazon.co.jp: 教育ルネサンス 教師力: 読売新聞教育取材班: 本.
www.amazon.co.jp/教育ルネサンス-教師力-読売新聞教育取材班/dp/4120037452 - 184k - キャッシュ - 関連ページ



6位
Amazon.co.jp: 教育ルネサンス東大解剖: 読売新聞教育取材班: 本Amazon.co.jp: 教育ルネサンス東大解剖: 読売新聞教育取材班: 本.
www.amazon.co.jp/教育ルネサンス東大解剖-読売新聞教育取材班/dp/4120039080 - 147k - キャッシュ - 関連ページ
www.amazon.co.jp からの検索結果 »



7位
2008年度『教育ルネサンスことばの授業』参加校募集| NPO法人 企業 ...2008年3月24日 ... 『教育ルネサンス ことばの授業-記者と学ぶ 社会とつながる技術―』は、読売新聞の記者が学校を訪れ、独自のスキルを利用して直接指導することにより、子どもたちの言語技術( 話す力、聞く力、読む力、書く力)を伸ばすこと、子どもたちが ...
ace-npo.org/info/2008kotoba.html - 14k - キャッシュ - 関連ページ



8位
(7)地元生徒は「未来博士」 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ...2008年8月20日 ... ユーザー参加型ニュースサイト newsing(ニューシング)
newsing.jp/entry?url=www.yomiuri.co.jp%2Fkyoiku%2Frenai%2F20080820-OYT8T00183.htm - 68k - 20時間前 - キャッシュ - 関連ページ



9位
教育ルネサンスフォーラム 義務教育改革シンポジウム「義務教育の改革 ...Benesse教育研究開発センターについてTOP · 活動内容 · 教育イベント開催情報 · イベントリポート · 調査室長コラム. 教育ルネサンスフォーラム 義務教育改革シンポジウム「義務教育の改革は本当に進むのか ...
benesse.jp/berd/center/open/report/gimukyoikukaikaku/2006/index.html - 31k - キャッシュ - 関連ページ



10位
オンライン書店ビーケーワン:東大解剖 教育ルネサンスオンライン書店ビーケーワン。1500円以上で国内送料無料。最速24時間以内出荷。 首都圏へは最速注文当日お届け。カード払いのほかコンビニ後払いあり。
www.bk1.jp/product/02949086 - 27k - キャッシュ - 関連ページ



1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次へ










【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!

ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)
高大連携情報誌「大学受験ニュース」  
236-0038 横浜市金沢区六浦南2-27-18-201 調べもの新聞編集室
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113


オープンキャンパス(大学院・大学・高校・中学)の取材にお伺いします。

当日のイベント情報を
高大連携(こうだい・れんけい)情報誌「大学受験ニュース(ブログ版)」にて
全国に発信します!!!



紙媒体の高大連携情報誌「大学受験ニュース」もおつくりします。
(全国のオープンキャンパスにて、受験生に配布します。)
見本誌(紙媒体)をお送りします。(無料)
nakamurayoshio@gmail.com    TEL&FAX 045-701-6113

(A4の2つ折:A5の4P・8P)共通記事(1~3P)と▲▲▲大学記事(4P)で構成。

 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲学部(▲学部を持つ日本の大学)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲県(▲▲県の大学一覧)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学のオープンキャンパス
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 取得資格の一覧(▲▲▲大学・▲学部)
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 名作文庫(▲▲県)▲▲▲大学
 調べもの文庫 大学受験の基礎知識 ▲▲▲大学への道 (募集人員・入試日程・資料請求)


【高大連携情報誌「大学受験ニュース」(ブログ版)発信中!


新宿区

2008-08-21 09:52:19 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌「大学受験ニュース」

新宿区

新宿区

総人口 313,806人
(推計人口、2008年7月1日)
人口密度 17,210人/km²
隣接自治体 千代田区
文京区
豊島区
中野区
渋谷区
港区
区の木 けやき
区の花 つつじ
区の未来特使 鉄腕アトム
新宿区役所
区長 中山弘子
所在地 〒160-8484
東京都
新宿区歌舞伎町一丁目4番1号


電話番号 03-3209-1111


新宿区(しんじゅくく)は、東京都の特別区のひとつである。都庁所在地。

目次 [非表示]
1 概要
2 地理
2.1 地勢
3 歴史
3.1 沿革
3.2 区名由来
3.3 過去の出来事
4 地域
4.1 区内の地域
4.2 行政区域
4.3 住居表示と町名保存
4.4 区内の町名
4.5 消滅した町名
4.6 隣接する自治体
4.7 区域の変更
5 区政
5.1 区議会
5.2 シンボル
5.3 友好都市・提携都市
6 交通
6.1 鉄道
6.1.1 鉄道路線
6.1.2 鉄道駅
6.1.3 廃止された鉄道
6.2 道路
6.2.1 高速道路・国道・東京都道
6.2.2 建設中・計画中の道路
6.2.3 新宿区内の愛称道路
6.2.4 東京都庁周辺の道路
6.3 交通網整備の沿革
7 人口
8 商業
8.1 新宿地区
9 機関・施設
9.1 各種手続き・生活インフラ
9.1.1 新宿区の機関
9.1.2 警察・消防
9.1.3 税務・法務・労働
9.1.4 電気・ガス・水道
9.1.5 郵便局
9.2 病院
9.3 文化施設
9.3.1 博物館
9.3.2 図書館
9.3.3 ホール
9.3.4 スポーツ施設
9.3.5 公園
9.4 その他の機関・施設
9.4.1 官公庁
9.4.2 外国公館
9.4.3 大学
9.4.4 専修学校
9.4.5 高等学校
9.4.6 中学校
9.4.7 小学校
10 名所・史跡・文化財
11 新宿区ゆかりの人物・作品
11.1 著名な出身者
11.1.1 文化
11.1.2 自然科学
11.1.3 芸能
11.1.4 放送
11.1.5 スポーツ
11.1.6 政治
11.1.7 行政
11.2 ゆかりの人物
11.2.1 新宿区名誉区民
11.2.2 居住・在住
11.3 ゆかりの作品
11.3.1 古典
11.3.2 テレビドラマ
11.3.3 テレビアニメ
11.3.4 漫画
11.3.5 小説
11.3.6 評伝・エッセイ
11.3.7 絵本・児童書
11.3.8 映画
11.3.9 ゲーム
11.3.10 歌謡曲
11.4 事件
12 脚注
13 外部リンク



[編集] 地域


[編集] 鉄道駅
新宿区を所在地とする駅と、新宿区の境界から100メートル以内の地点にある他区の駅(駅名をカッコで囲んだ)を以下に挙げた。
新宿駅の乗降客数は約333万人(2006年)と世界最大である。地下道で直結した西武新宿駅まで含めれば約350万人を超え、新宿3丁目駅など新宿エリアの駅まで含めれば、約370万人に達する。
曙橋駅
飯田橋駅
市ケ谷駅
牛込神楽坂駅
牛込柳町駅
(江戸川橋駅)
大久保駅
落合駅
落合南長崎駅
面影橋駅
神楽坂駅
国立競技場駅
信濃町駅
下落合駅
新大久保駅
新宿駅
新宿御苑前駅
新宿三丁目駅
新宿西口駅
新線新宿駅
西武新宿駅
(千駄ケ谷駅)
高田馬場駅
都庁前駅
中井駅
西新宿駅
西早稲田駅
西新宿五丁目駅
(初台駅)
東新宿駅
(目白駅)
四ツ谷駅
四谷三丁目駅
若松河田駅
早稲田駅


(なお、千駄ケ谷駅・初台駅・都営大江戸線新宿駅は渋谷区、江戸川橋駅・都営大江戸線飯田橋駅は文京区、東西線飯田橋駅・JR線飯田橋駅・JR線市ケ谷駅・都営新宿線市ケ谷駅は千代田区、目白駅は豊島区を所在地とする駅である。)

このほか、駅の名称が新宿区に関係している(していた)駅がいくつか存在する。

南新宿駅
渋谷区にある小田急小田原線の駅。新宿地区の南にあることからこの名称がついている。
柏木駅
JR東中野駅の開業時の名称。柏木は北新宿周辺の地域名称で、かつては新宿区内の町名でもあった。1917年に名称変更し、東中野駅となる。
牛込駅
JR飯田橋駅の前身。甲武鉄道が市街地に延伸された1894年に四ツ谷駅・信濃町駅とともに開業。場所は牛込橋(現在のJR飯田橋駅西口の橋)から外濠に沿っておよそ100メートル南の地点。1928年飯田橋駅開業とともに廃駅。


[編集] 道路

[編集] 高速道路・国道・東京都道

新宿区内の
主な道路と地点名
(2006年3月現在)新宿区内の主な道路には次のものがある。カッコ内の名称は、一般的な地図や道路上の標識に記載してある名称(一般名称)。

首都高速道路
4号新宿線
5号池袋線
中央環状新宿線(C2)
国道20号(新宿通り~甲州街道)

東京都道8号千代田練馬田無線
本線(目白通り)
支線(新目白通り)
東京都道302号新宿両国線
本線(靖国通り~青梅街道)
支線(職安通り~余丁町通り)
東京都道305号芝新宿王子線(明治通り)
東京都道317号環状六号線(山手通り)
東京都道319号環状三号線(外苑東通り)
東京都道405号外濠環状線(外堀通り)
東京都道418号北品川四谷線(外苑西通り)
東京都道433号神楽坂高円寺線(大久保通り)
東京都道440号落合井草線(新青梅街道)



[[編集] 新宿区内の愛称道路
新宿区の区道(一部例外あり)のうち愛称がついている路線がある。これらはいずれも1988年12月に新宿区が愛称を募集して命名。地域の利便性を考慮して選考したため、周辺他区に関係の深い名称のものもある。(哲学堂は中野区内の建造物、江戸川橋は文京区内の橋。)

牛込中央通り
江戸川橋通り
神楽坂通り
上落合中通り
区役所通り
グランド坂通り
小滝橋通り
三栄通り
女子医大通り
早大通り
津の守坂通り
哲学堂通り
夏目坂通り
箱根山通り
八幡通り
花園通り
文化センター通り







[編集] 新宿地区
新宿駅周辺は国内最大級の商業地となっている。

百貨店
私鉄の駅ビルには京王百貨店、小田急百貨店が、新宿3丁目付近に三越、伊勢丹がある。1996年に南口(住居表示としては渋谷区千駄ヶ谷)に高島屋(タイムズスクエア)が進出した。
家電量販店
淀橋はヨドバシカメラ発祥の地で本店所在地。現在ではヨドバシといえば、地名ではなく同店を示す語になっている。昭和50年代(1975年 - 1984年、1960年代の後の1970年代後半から1990年代の前の1980年代初期)には同業の「さくらや」、「ドイ」と競争を繰り広げ「新宿カメラ戦争」と呼ばれた。近年、ビックカメラが進出し、ヨドバシと対峙している。新宿駅西口周辺にはヨドバシを中心とした家電量販店やソフマップなどのパソコン・ゲーム関連の店舗が集まっており、雑誌等では「新宿電気街」と呼ばれることもある。これらの量販店は近年、大阪府(特に大阪市)への進出が続いている。
書店
紀伊國屋書店本店がある。長らく国内最大級と呼ばれた。更に1990年代後半に南口に新店がオープン。ルミネ内には青山ブックセンターが出店していたが2004年に倒産し、ブックファーストが引き継いだ。2004年秋、三越内にジュンク堂がオープンした。西口にはデパート内に三省堂書店、啓文堂書店があり、これらも見逃せない存在である。
駅ビル
JR系のルミネ、ルミネエスト(旧マイシティ)は若者向けの店舗をテナントに入れている。
チケットショップ
西口大ガード(思い出横丁)付近に店舗が集中している。
その他
靖国通りと職安通りに挟まれた街区には日本最大級の歓楽街の一つと言われる歌舞伎町がある。新宿二丁目はゲイのメッカがある。また、職安通り沿いには23区の中でも指折りの品揃えを誇るドン・キホーテがある。











[編集] 文化施設

[編集] 博物館
国立印刷局お札と切手の博物館(市谷本村町)
国立科学博物館新宿分館(百人町三丁目)
新宿区立新宿歴史博物館(三栄町)
東京消防庁消防博物館(四谷三丁目)

[編集] 図書館
新宿区内の図書館および類似施設のうち、一般利用が可能な公立の施設は17ある。


新宿区教育委員会
新宿区立中央図書館(下落合一丁目)
新宿区立大久保図書館(大久保二丁目)
新宿区立北新宿図書館(北新宿三丁目)
新宿区立こども図書館(下落合一丁目)
新宿区立角筈図書館(西新宿四丁目)
新宿区立鶴巻図書館(早稲田鶴巻町)
新宿区立戸山図書館(戸山二丁目)
新宿区立西落合図書館(西落合四丁目)
新宿区立中町図書館(中町)
新宿区立四谷図書館(内藤町)
新宿区役所総務部
区政情報センター(歌舞伎町一丁目・新宿区役所本庁舎内)
男女共同参画推進センター図書資料室(荒木町)
国立国会図書館支部
防衛省図書館(市谷本村町・防衛庁本庁舎内)
総務省統計図書館(若松町・総務省第二庁舎内)
東京都
東京都議会図書館(西新宿二丁目・東京都庁議会棟内)
統計部統計資料室(西新宿二丁目・東京都庁第一本庁舎内)
都民情報ルーム(西新宿二丁目・東京都庁第一本庁舎内)



[編集] 公園
国立
新宿御苑(内藤町)
明治神宮外苑(霞ヶ丘町)
東京都立
戸山公園(戸山二丁目・三丁目)
明治公園(霞ヶ丘町)
新宿区立
おとめ山公園(下落合二丁目)
甘泉園公園(西早稲田三丁目)
北新宿公園(北新宿三丁目)
小泉八雲記念公園(大久保一丁目)
新宿中央公園(西新宿二丁目)
鶴巻南公園(早稲田町)
戸塚公園(高田馬場三丁目)
抜弁天北公園(新宿七丁目)
四谷見附公園(四谷一丁目)
若葉東公園(四谷一丁目)
若宮公園(若宮町)



[編集] その他の機関・施設

[編集] 官公庁
東京都庁(西新宿二丁目)
防衛省本庁舎(市谷本村町) - 「市ヶ谷1号館(陸上自衛隊東部方面総監部)」跡地に本庁舎を新設
総務省第二庁舎(若松町) - 統計局
厚生労働省戸山研究庁舎(戸山一丁目) - 国立感染症研究所

[編集] 外国公館
イリノイ州政府駐日事務所(市谷砂土原町二丁目)
コロラド州政府在日代表事務所(西早稲田二丁目)
パラオ共和国大使館(片町)
マーシャル諸島共和国大使館(南元町)

[編集] 大学
学習院女子大学(戸山三丁目)
慶應義塾大学信濃町キャンパス(信濃町) - 医学部・看護医療学部・大学病院
工学院大学新宿キャンパス(西新宿一丁目)
宝塚造形芸術大学東京新宿キャンパス(西新宿七丁目) - 東京メディアコンテンツ学部・大学院
中央大学市ヶ谷キャンパス(市谷本村町) - 大学院(法科大学院・会計専門職大学院)
東京医科大学(新宿六丁目)
東京国際大学早稲田サテライト(西早稲田二丁目) - 大学院臨床心理学研究科
東京女子医科大学(河田町)
東京富士大学(下落合一丁目)
東京理科大学神楽坂キャンパス(神楽坂一丁目)
日本大学新宿サテライトキャンパス(西新宿一丁目)
法政大学市ヶ谷キャンパスの一部(市谷田町二丁目) - 62年館・通信教育部・会計大学院・大学院棟
目白大学新宿キャンパス(中落合四丁目)
早稲田大学
早稲田キャンパス(西早稲田一丁目)
戸山キャンパス(戸山一丁目) - 文学部
大久保キャンパス(大久保三丁目) - 理工学部
喜久井町キャンパス(喜久井町)

[編集] 専修学校
グレッグ外語専門学校新宿校(百人町二丁目)
日本コンピュータデザイン専門学校(大京町)
真野美容専門学校(歌舞伎町二丁目)

[編集] 高等学校
東京都立
市ヶ谷商業高等学校(矢来町)
小石川工業高等学校(富久町)
新宿高等学校(内藤町)
新宿山吹高等学校(山吹町)
戸山高等学校(戸山三丁目)
私立
海城高等学校(大久保三丁目)
学習院女子高等科(戸山三丁目)
クラーク記念国際高等学校東京校(高田馬場一丁目)
成城高等学校(原町三丁目)
成女高等学校(富久町)
保善高等学校(大久保三丁目)
目白学園高等学校(中落合四丁目)
八洲学園高等学校新宿校(新宿二丁目)
早稲田高等学校(馬場下町)



[編集] 中学校
新宿区立の学校一覧を参照

海城中学校(大久保三丁目)
学習院女子中等科(戸山三丁目)
成城中学校(原町三丁目)
成女学園中学校(富久町)
目白学園中学校(中落合四丁目)
早稲田中学校(馬場下町)

[編集] 小学校
新宿区立の学校一覧を参照

学習院初等科(若葉一丁目)

[編集] 名所・史跡・文化財
国立霞ヶ丘競技場
近衛公の欅(下落合二丁目)
新宿御苑
新宿末廣亭 - 寄席
箱根山
明治神宮外苑
明治神宮球場 - プロ野球球団(東京ヤクルトスワローズ)のホームグランドであると同時に、学生野球(東京六大学野球・東都大学リーグ)開催球場として有名。

[編集] 新宿区ゆかりの人物・作品

[編集] 著名な出身者

[編集] 文化
大田南畝:江戸時代の戯作者。牛込生まれ。
夏目漱石:作家。早稲田出身。
藤田嗣治:画家・彫刻家。旧牛込区新小川町出身。
西條八十:詩人・仏文学者。旧牛込区出身。
サトウハチロー:詩人。旧牛込区出身。
神島二郎:政治学者。旧四谷区出身。
三島由紀夫:作家。旧四谷区出身。
犬養道子:評論家。旧四谷区出身。
色川武大:作家。旧牛込区矢来町出身。
江藤淳:文学評論家。旧淀橋区出身。
高梨豊:写真家。旧牛込区出身。
篠山紀信:写真家。柏木町出身。
市川ジュン:漫画家。
渋谷陽一:音楽評論家。
坂本龍一:音楽家。新宿高校出身。
山本達彦:歌手。
泉麻人:コラムニスト。落合出身。
くじらいいく子:漫画家。
原田宗典:作家。
鮎川麻弥:シンガーソングライター。
乙武洋匡:スポーツライター。
高田裕史:作家。

[編集] 自然科学
杉田玄白:江戸時代の蘭学医。牛込矢来町生まれ。
森脇基恭:レースエンジニア。
春日雅人:医学者。





[編集] ゆかりの作品

[編集] 古典
『四谷怪談』
『甲駅新話』:大田南畝による洒落本。内藤新宿が舞台。


[編集] 漫画
『鉄腕アトム』:主人公の「アトム」は、「2003年4月7日」に高田馬場で誕生という設定。
『シティーハンター』:北条司の漫画。主人公が歌舞伎町近辺に居住。また新宿駅東口の伝言板が主人公への仕事依頼に使われる。
『なぜか笑介』:聖日出夫の漫画。主人公の勤める「五井物産」は三井ビルの三井物産がモデル。
『天才バカボン』:主人公一家の居住地は下落合。「バカ田大学」は早稲田大学の至近にあるという設定。
『HEAT-灼熱-』:歌舞伎町での利権抗争をテーマにした漫画。
『20世紀少年』:浦沢直樹の漫画。新宿・歌舞伎町界隈のほか、曙橋駅周辺や「都立新大久保高等学校」(架空)が舞台に登場する。
『ドーベルマン刑事』:新宿署が舞台。
『名探偵コナン』:主人公の活動エリアでは、「新宿ナンバー」(架空)をつけた自動車が多数走行している。
『ホムンクルス』:山本英夫の漫画。主人公は「新宿西青空公園」(新宿中央公園がモデルの架空の公園)のホームレスと生活をともにする。
『代紋TAKE2』:原作木内一雅・作画渡辺潤による新宿を舞台にしたSFヤクザ漫画。
『夜王』:原作倉科遼・作画井上紀良。歌舞伎町のホストクラブが舞台。

[編集] 小説
『婦系図』:泉鏡花作。神楽坂での自身の経験が土台。
『坊っちゃん』:夏目漱石作。主人公が東京物理学校(現・東京理科大学)に通う。
『恐怖王』:江戸川乱歩の推理小説。「牛込のS町」(矢来町付近の寂しい屋敷町)が舞台。
『山吹町の殺人』:平林初之輔の短編推理小説。山吹町。
『新宿鮫シリーズ』:大沢在昌の警察小説。歌舞伎町が舞台。
『高田馬場ラブソング』:三田誠広作。早稲田大学が舞台。
『青春の門』:五木寛之作。
『ナイン』:井上ひさし作。四谷が舞台。
『愛がいない部屋』:石田衣良作。神楽坂のマンションが舞台。
『角筈にて』:浅田次郎作。角筈は新宿駅周辺の旧町名。新宿界隈や花園神社が舞台に登場。
『生家へ』:色川武大作。矢来町。
『牛込御門余時』:竹田真砂子の時代小説。牛込界隈が舞台。
『四十一人の仇討ち』:浄瑠璃坂の仇討を題材にした山本音也の小説。
『ストリート・チルドレン』:盛田隆二作。1698年から1998年まで新宿を舞台に300年にわたる一族の軌跡を描く異色長篇。
『ラスト・ワルツ』:盛田隆二作。1973年の新宿界隈や花園神社が舞台に登場。
『金曜日にきみは行かない』:盛田隆二作。歌舞伎町が舞台に登場。
『ニッポンの狩猟期』:盛田隆二作。歌舞伎町と新宿中央公園を主要な舞台にした近未来小説。
『新宿の果実』:盛田隆二作。歌舞伎町が舞台の短編小説。
『6ステイン』:福井晴敏作。市谷の「防衛庁情報局」(架空)の「工作員」たちが主人公の短編小説集。
『蜜猟人 朧十三郎』:睦月影郎作。主人公は内藤新宿の薬種問屋に居候する。
『天使に見捨てられた夜』:桐野夏生作。主人公は新宿二丁目に探偵事務所を構える。後年かたせ梨乃主演で映画化。
『裸のカフェ』:横田創作。神楽坂のサロンが舞台。
『大江戸番太郎事件帳』:喜安幸夫の時代小説。四谷大木戸の番人が主人公。
『下落合の向こう』:笙野頼子の短編小説。高田馬場行きの西武新宿線の車中が舞台。
『テロリストのパラソル』:藤原伊織作。新宿中央公園の爆発事故が発端となって物語が進行する。
『都庁爆破!』:高嶋哲夫作。東京都庁がテロリストに占拠される。
『魔界都市ブルース』:菊地秀行作の小説シリーズ。直下型地震でいったん壊滅したのち復興した新宿が舞台。

[編集] 評伝・エッセイ
『東京住所不定』:三代目魚武浜田成夫による引越しエッセイ。曙橋周辺や新宿なども登場。
『熱情―田中角栄をとりこにした芸者』:辻和子著。神楽坂での自身の経験を綴ったエッセイ。
『牛込下宮比町十三番地―糖尿病研究の黎明期に活躍した坂口康蔵を育てた家と人たち』:牛込の下宮比町に暮らした糖尿病研究者坂口康蔵の伝記。康蔵の四男・坂口孝著。
『「北島亭」のフランス料理』:四谷のレストラン、北島亭のルポ。大本幸子著。
『かかわりのなかで育ちあう―信濃町保育園保育者研修の三年間』:新宿区立信濃町保育園におけるスタッフ研修の記録。諏訪きぬ著。
『生きてみたい、もう一度―新宿バス放火事件』:杉原美津子著。新宿西口バス放火事件に遭遇し生死を彷徨った著者自身の経験を記録。

[編集] 絵本・児童書
『おおきなおおきなおいも』:赤羽末吉作。新宿区立鶴巻幼稚園における市村久子の教育実践を絵本化。

[編集] 映画
『復讐浄瑠璃坂』:浄瑠璃坂の仇討を描いた映画。1955年公開。浄瑠璃坂は市谷砂土原町一丁目に現存する。
『君よ憤怒の河を渉れ』:1976年公開。高倉健主演。新宿西口で大量の競走馬が暴走する。
『太陽を盗んだ男』:1979年公開。沢田研二主演。
『容疑者室井慎次』:警視庁「新宿北警察署」(架空)が舞台。
『ゴジラ』(1984年):ゴジラが新宿副都心(西新宿地区)を襲撃する。
『ゴジラvsキングギドラ』:ゴジラとメカキングギドラが新宿副都心を舞台に対決する。この際、東京都庁が崩壊する。
『モスラ3 キングギドラ来襲』:キングギドラが副都心に飛来し、建物を破壊する。
『ゴジラ2000 ミレニアム』:ゴジラとオルガが、東京オペラシティ周辺で対決する。



[編集] 歌謡曲
「新宿そだち」:津山洋子と大木英夫のデュエット曲。
「新宿の女」:藤圭子
「圭子の夢は夜ひらく」:藤圭子。花園神社に歌碑がある。
「新宿ブルース」:扇ひろ子
「なみだ恋」:八代亜紀
「新宿・みなと町」:森進一
「西新宿の親父の唄」:長渕剛
「あずさ2号」:始発駅は新宿駅。
「恋の神楽坂」:井上陽水
「東京新宿恋の街」:舟木一夫
「神田川」:かぐや姫。作詞者喜多条忠に依れば、モデルは区内西早稲田「面影橋」近傍とのこと。
「歌舞伎町の女王」:椎名林檎
「西新宿で逢ったひと 」:ドラマ『もっと恋セヨ乙女』劇中使用曲を前田有紀がカバー。


[編集] 外部リンク

東京/新宿 - ウィキトラベル
表・話・編・歴新宿区の町名[表示]
牛込地域
赤城下町|赤城元町|揚場町|市谷山伏町|岩戸町|榎町|改代町|神楽河岸|神楽坂|河田町|喜久井町|北町|北山伏町|細工町|下宮比町|白銀町|水道町|箪笥町|築地町|津久戸町|筑土八幡町|天神町|中町|納戸町|二十騎町|馬場下町|払方町|原町|東榎町|袋町|南榎町|南町|南山伏町|矢来町|横寺町|若松町|若宮町
中里地域
中里町|山吹町
早稲田地域
弁天町|早稲田町|早稲田鶴巻町|早稲田南町
小日向地域
新小川町|西五軒町|東五軒町
市谷地域
市谷加賀町|市谷甲良町|市谷砂土原町|市谷左内町|市谷台町|市谷鷹匠町|市谷田町|市谷長延寺町|市谷仲之町|市谷八幡町|市谷船河原町|市谷本村町|市谷薬王寺町|市谷柳町|片町|住吉町|富久町|本塩町
四谷地域
愛住町|荒木町|(片町)|坂町|左門町|三栄町|信濃町|須賀町|大京町|舟町|本塩町|南元町|四谷|若葉
千駄ヶ谷地域
霞ヶ丘町|霞岳町|信濃町
新宿地域
新宿(1・2・3・4・5丁目)|内藤町
淀橋地域
歌舞伎町|北新宿|新宿(3丁目)|西新宿
大久保地域
大久保|百人町|新宿(6・7丁目)|余丁町
戸塚地域
高田馬場|戸塚町|戸山|西早稲田
落合地域
上落合|下落合|中井|中落合|西落合

[表示]表・話・編・歴東京都の自治体等



【千代田区】 日比谷・九段・一橋高校

2008-08-21 09:18:23 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
ポータルサイト 検索(情報)の達人 IT事典(書物・人物・他:文学作品)


千代田区

千代田区
ちよだく 国 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
団体コード 13101-6
面積 11.64km²
※境界未定部分あり
総人口 44,575人
(推計人口、2008年7月1日)
人口密度 3,830人/km²
隣接自治体 中央区、港区、新宿区、文京区、台東区
区の木 まつ
区の花 さくら
区の鳥 はくちょう
千代田区役所
区長 石川雅己
所在地 〒102-8688
東京都千代田区九段南一丁目2番1号
電話番号 03-3264-2111
外部リンク 千代田区





ウオッちず Google Map Live Search geohack
mapfan yahoo navitime ゼンリン ちず丸


■テンプレート (■ノート ■解説) ■日本の市町村PJ
千代田区(ちよだく)は、東京都の特別区のひとつ。東京23区のほぼ中央に位置する。郵便番号の上3桁は、100、101、102のいずれか。

目次 [非表示]
1 概要
2 人口
3 地域(町名)
3.1 住居表示実施について
3.2 旧麹町区
3.3 旧神田区
4 区政
4.1 禁煙条例
5 大使館(在外公館)
6 教育
6.1 小学校
6.2 中学校
6.3 高等学校等
6.4 短期大学
6.5 大学
6.6 その他
7 交通
7.1 道路
7.2 鉄道
7.3 バス
7.4 乗合タクシー
8 ホテル
9 放送局
9.1 テレビ
9.2 ラジオ
10 新聞社
11 スポーツ施設
12 美術館・博物館
13 歴史的建造物
14 神社・仏閣
15 公園
16 大きな出来事
17 千代田区を舞台とする作品
18 出身著名人
19 主な病院
19.1 東京都災害拠点病院
19.2 救急指定病院
20 防災対策
20.1 消防(東京消防庁)
21 歴史
22 名所・旧跡
23 関連項目
24 外部リンク



[編集] 概要
区の中央に皇居があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占めている。

国会・最高裁判所・首相官邸・中央省庁などの三権をはじめとする日本の首都機能、国家権力の中枢がこの区に集中しており、区内の永田町、霞が関といった地名はもはや日本の政治や官僚の代名詞ともなっている。千代田区は日本の政治・行政の中心といえる。

また、丸の内や大手町は都市銀行本店や全国紙の新聞社など、大企業の本社が集結している。

神田エリアは出版社が多く立地しているなど、本と出版の街であり、書店街の神保町がある。

外神田地区の秋葉原電気街、高級住宅地の番町、文教地区の駿河台がある。

都心3区の1つ(残りは中央区、港区)であり、区の大部分がオフィス街及び官公庁街であるため純粋な住宅地は限られている。そのため夜間人口と昼間人口の差が極端であり、夜間人口は約4万4000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約19倍の約85万人にまで膨れ上がる。

以前は東京都庁が千代田区丸の内三丁目にあったが、現在は新宿区西新宿二丁目に移転している。


[編集] 人口

千代田区と全国の年齢別人口分布図(比較) 千代田区の年齢・男女別人口分布図
■紫色は千代田区
■緑色は日本全国 ■青色は男性
■赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)


[編集] 地域(町名)
千代田区 - ウィキトラベル

[編集] 住居表示実施について


千代田区は住居表示実施率が23区で最も低い。面積ベースの比率では新宿区よりも僅差で下回っており、皇居部分の面積を除いて考えると23区で突出して実施率が低くなっている。そのため、住居表示の実施は千代田区の今後の区政の重要な課題の一つとなっている。

※住居表示未実施の町丁目:

神田○○町、一番町~六番町、麹町一丁目~六丁目

[編集] 旧麹町区
千代田 皇居の所在地。新宮殿、皇居東御苑、宮内庁などがある。
永田町 国会議事堂や自民党本部、民主党本部、首相官邸があり、日本の政治の中心であり「国政」の代名詞にももなっている。(関連:永田町駅)
霞が関 官庁街や警視庁本庁舎。「官僚」の代名詞にもなっている(関連:霞ケ関駅)
丸の内 オフィス街。東京駅西側。三菱グループ関連のビルが多く、別名“三菱村”。
大手町 オフィス街。読売・産経・日経新聞本社や経団連。(関連:大手町駅)
一ツ橋 毎日新聞本社、竹橋
麹町 (関連:麹町駅、半蔵門駅)
内幸町 中日新聞東京本社(東京新聞・東京中日スポーツ)(関連:内幸町駅)
日比谷 日比谷公園を中心に劇場、ホテル、大企業の本社屋が建ち並ぶ。
隼町 最高裁判所がある。
飯田橋(関連:飯田橋駅)
富士見 法政大学
平河町 砂防会館、JA共済連、タイトー本社
北の丸公園 皇居の北側。日本武道館、東京国立近代美術館、国立公文書館などがある。九段下駅、竹橋駅が近い。
有楽町 有楽町駅、日比谷駅の周辺の地域。織田有楽に由来。またニッポン放送(ラジオ局)がある。
九段北 築土神社、靖国神社、東京理科大学
九段南 千代田区役所、東京法務局、九段会館
一番町
二番町 日本テレビ麹町分室(日本テレビ旧本社)
三番町 千鳥ケ淵戦没者墓苑、千鳥ヶ渕緑道
四番町
五番町
六番町
紀尾井町(ホテルニューオータニ、グランドプリンスホテル赤坂、上智大学が所在)
皇居外苑

[編集] 旧神田区
内神田 神田駅の西側の地域。
外神田 秋葉原駅の北西の地域。秋葉原の電気街とオタク街の中核をなす。
西神田
東神田
神田相生町 
神田淡路町
神田和泉町
神田岩本町 町域の大部分は「岩本町」に町名変更。
神田小川町 神保町の西、スポーツ用品店街。
神田鍛冶町 神田鍛冶町三丁目のみ残存。(一丁目・二丁目は「鍛冶町」)
神田北乗物町
神田紺屋町
神田佐久間河岸
神田佐久間町
神田神保町 古書店街(関連:神保町駅)。専修大学
神田須田町
神田駿河台 御茶ノ水駅周辺の地域。明治大学・日本大学などのある学生街。
神田多町 神田多町二丁目のみ残存。
神田司町 神田司町二丁目のみ残存。
神田富山町
神田錦町
神田西福田町
神田練塀町
神田花岡町
神田東紺屋町
神田東松下町
神田平河町
神田松永町
神田美倉町
神田美土代町
一ツ橋
猿楽町
岩本町
鍛冶町
三崎町
※千代田区では「○○町」の「町」は、一部の例外を除き、すべて「ちょう」と読む。(例外:大手町、麹町、神田小川町、神田司町)


[編集] 区政
区長:石川雅己(2001年2月8日初就任。2005年2月より2期目)

区議会:任期 2007年(平成19年)5月1日から2011年(平成23年)4月30日まで

平成19年4月22日執行 千代田区議会議員選挙結果 × 名前 党派 得票数
当選 林 則行 自由民主党 1,020
当選 桜井 ただし 自由民主党 897
当選 小林 たかや 無所属 810.855
当選 下田 武夫 民主党 783
当選 高山 はじめ 自由民主党 677
当選 松本 よしこ 自由民主党 664
当選 はやお 恭一 自由民主党 660
当選 大串 ひろやす 公明党 653
当選 とりうみ 隆弘 自由民主党 651
当選 しまざき 秀彦 自由民主党 649
当選 福山 和夫 日本共産党 618
当選 小林 やすお 自由民主党 609.144
当選 市川 宗隆 無所属 591
当選 河合 良郎 自由民主党 588
当選 山田 ながひで 公明党 586
当選 寺沢 文子 無所属 576
当選 飯島 和子 日本共産党 573
当選 小枝 すみ子 無所属 572
当選 石渡 しんこう 自由民主党 554
当選 とばり 孝次郎 自由民主党 554
当選 中村 つねお 無所属 484
当選 おぎわら 秀夫 無所属 483
当選 野沢けいすけ 無所属 465
当選 たかざわ 秀行 無所属 456


[編集] 禁煙条例
東京駅など、千代田区の主要な駅の周辺は、千代田区生活環境条例により路上禁煙になっている。違反者は2万円(暫定的に2000円)の過料を徴収される。
指定地区外も公共の場所での歩きタバコをしないように努める義務がある。


[編集] 大使館(在外公館)
アイルランド大使館
英国大使館
イスラエル大使館
インド大使館
チュニジア大使館
フィリピン大使館
ベルギー大使館
ポルトガル大使館
メキシコ大使館
ヨルダン大使館
ルクセンブルク大使館
レバノン大使館
ローマ法王庁大使館
南アフリカ大使館
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ大使館



[編集] 教育

[編集] 小学校
区立(現在設置されているもの)

麹町小学校
九段小学校
番町小学校
富士見小学校

お茶の水小学校
千代田小学校
昌平小学校
和泉小学校


私立
暁星小学校
白百合学園小学校
雙葉小学校

[編集] 中学校
区立
麹町中学校
神田一橋中学校
九段中等教育学校
私立中学校
高校が併設されているものは高校の項に記す。

[編集] 高等学校等
都立
日比谷高等学校
九段高等学校
一橋高等学校
区立
九段中等教育学校 - 区立九段中学校と都立九段高校を統合して2006年に開校した中高一貫校。九段高校は都から委譲を受ける。
私立
大妻中学高等学校
嘉悦女子中学・高等学校(平成18年4月、江東区に移転。かえつ有明中・高等学校として共学校に)
神田女学園中学校・高等学校
共立女子中学高等学校
錦城学園高等学校
暁星中学校・高等学校
クラーク記念国際高等学校(秋葉原ITキャンパス)
麹町学園中学校・女子高等学校
白百合学園中学校・高等学校
女子学院中学・高等学校
正則学園高等学校
千代田女学園中学校・高等学校
東京家政学院中学校・高等学校
東洋高等学校
二松学舎大学附属高等学校
雙葉中学校・高等学校
三輪田学園中学校・高等学校
明治大学付属明治中学校・高等学校(2008年に調布市へ移転予定)
和洋九段女子中学校・高等学校

[編集] 短期大学
大学と同じ敷地にあるものは大学の項に記す。
私立
東京家政学院短期大学
日本大学短期大学部

[編集] 大学
国立
一橋大学(神田キャンパス)
私立
大妻女子大学・短期大学(千代田キャンパス)
共立女子大学・短期大学(神田キャンパス)
城西大学(東京紀尾井町キャンパス)
上智大学
駿河台大学(お茶の水キャンパス)
専修大学(神田キャンパス)
デジタルハリウッド大学(秋葉原キャンパス・御茶ノ水キャンパス)
東京歯科大学
東京電機大学(神田キャンパス)
東京リーガルマインド大学(千代田キャンパス)
東京理科大学(九段キャンパス)
二松學舍大学(九段キャンパス)
日本大学
経済学部
歯学部(駿河台校舎)
法学部(三崎町校舎)
理工学部(駿河台校舎)
通信教育部
日本歯科大学
法政大学(市ヶ谷キャンパス)
明治大学(駿河台校舎)
 


[編集] その他
東京中華学校 - 台湾系の中華学校。小・中・高に相当する。
リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京 - フランス系。幼・小・中・高に相当する。

[編集] 交通

[編集] 道路

区内と周辺の主な道路一般道路

放射道路(時計回りに表記)
国道1号(桜田通り)
六本木通り(東京都道412号霞ヶ関渋谷線)
国道246号
国道20号(甲州街道)
靖国通り
白山通り
国道4号(昭和通り)
晴海通り
日比谷通り
愛宕通り
環状道路(皇居側からの表記)
内堀通り
外堀通り(東京都道405号外濠環状線)

[編集] 鉄道

区内と周辺の鉄道路線図
1967年(都電撤去計画が実施される直前)の鉄道路線と路面電車系統東海旅客鉄道(JR東海)
東海道新幹線
東京駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東北新幹線
東北・上越・山形・秋田・長野新幹線
東京駅
東海道本線・横須賀線

東京駅
山手線・京浜東北線
東京駅 - 有楽町駅
東北本線
山手線・京浜東北線
東京駅 - 神田駅 - 秋葉原駅
中央本線
快速線
東京駅 - 神田駅 - 御茶ノ水駅
神田 - 御茶ノ水間には万世橋駅があったが、1943年に廃止されている。現在でもホームの遺構は残っており、高架下は2006年5月まで交通博物館として使われた。
緩行線 (早朝・深夜を除き総武緩行線と直通運転)
御茶ノ水駅 - 水道橋駅 - 飯田橋駅 - 市ケ谷駅
総武本線
快速線
東京駅
緩行線 (早朝・深夜を除き中央緩行線と直通運転)
御茶ノ水駅 - 秋葉原駅
京葉線
東京駅
東京地下鉄(東京メトロ)
銀座線
神田駅 - 末広町駅
溜池山王駅
丸ノ内線
東京駅 - 大手町駅 - 淡路町駅 - 御茶ノ水駅
国会議事堂前駅 - 霞ケ関駅
日比谷線
秋葉原駅
日比谷駅 - 霞ケ関駅
東西線
飯田橋駅 - 九段下駅 - 竹橋駅 - 大手町駅
千代田線
国会議事堂前駅 - 霞ケ関駅 - 日比谷駅 - 二重橋前駅 - 大手町駅 - 新御茶ノ水駅
有楽町線
(飯田橋駅) - (市ケ谷駅) - 麹町駅 - 永田町駅 - 桜田門駅 - 有楽町駅
有楽町線飯田橋駅・市ケ谷駅は新宿区に所在。
半蔵門線
永田町駅 - 半蔵門駅 - 九段下駅 - 神保町駅 - 大手町駅
南北線
溜池山王駅 - 永田町駅 - (四ツ谷駅) - (市ケ谷駅) - (飯田橋駅)
南北線四ツ谷駅・市ケ谷駅・飯田橋駅は新宿区に所在。
東京都交通局(都営地下鉄)
都営三田線
(水道橋駅) - 神保町駅 - 大手町駅 - 日比谷駅 - 内幸町駅
三田線水道橋駅は文京区に所在。
都営新宿線
市ヶ谷駅 - 九段下駅 - 神保町駅 - 小川町駅 - 岩本町駅
都営大江戸線
(飯田橋駅)
大江戸線飯田橋駅は文京区に所在。
首都圏新都市鉄道
つくばエクスプレス線
秋葉原駅

[編集] バス
都営バス
東急バス(東98系統自由が丘線)
日の丸自動車興業
丸の内シャトル
メトロリンク日本橋

[編集] 乗合タクシー
日立自動車交通
風ぐるま

[編集] ホテル
赤坂エクセルホテル東急
グランドプリンスホテル赤坂
ホテルニューオータニ

[編集] 放送局

[編集] テレビ
東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV、TOKYO MX) - 2006年7月に江東区のテレコムセンターから移転。
※かつては二番町に日本テレビ放送網(日テレ)の本社があったが、2003年に港区東新橋(汐留シオサイト)に移転した。現在旧社屋は麹町スタジオとして使用されている。

[編集] ラジオ
ニッポン放送 - AM局。新局舎建設中はお台場のフジテレビ局舎に同居していた。
エフエム東京(TOKYO FM)
エフエムちよだ(開局準備中。インターネットで先行放送中)

[編集] 新聞社
内外タイムス・朝日新聞(ともに中央区にある)を除く全国紙・地方紙の本社が千代田区に所在している。

[編集] スポーツ施設
日本武道館 - 北の丸公園内に所在。

[編集] 美術館・博物館
科学技術館 - 北の丸公園内に所在。
東京国立近代美術館
東京国立近代美術館 工芸館
出光美術館
※かつては神田須田町に交通博物館があったが2006年5月14日をもって閉館となった。

[編集] 歴史的建造物
重要文化財(国指定)
旧江戸城田安門・清水門・外桜田門
旧近衛師団司令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館)
法務省旧本館
明治生命館
東京駅丸の内本屋
日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(ニコライ堂) - 日本正教会の府主教座教会

[編集] 神社・仏閣
日枝神社
築土神社
神田神社
靖国神社
平河天満宮
東京大神宮
太田姫稲荷
三崎稲荷
五十稲荷
柳森稲荷
心法寺・・・意外だが千代田区内で墓地があるのはこの寺のみである。
寺院の一角が近代的なビルになった(浄土宗)。



[編集] 公園
東郷元帥記念公園
(三番町)



[編集] 大きな出来事
桜田門外の変
二・二六事件
五・一五事件
三菱重工爆破事件
地下鉄サリン事件
秋葉原通り魔事件

[編集] 千代田区を舞台とする作品
夏目漱石『こゝろ』 - 登場人物が神保町付近を徘徊する。
『ウルトラマンタロウ』 - 防衛組織「ZAT」の本部が霞ヶ関にある設定。
『Gメン'75』 - 本部オフィスが東京海上火災ビルにある設定。
『探偵物語』 - 主人公の探偵事務所が平河町にある設定。
※秋葉原が舞台の作品は『秋葉原を題材・舞台とした作品』を参照のこと。


[編集] 出身著名人
小林秀雄 - 文藝評論家
三島弥彦 - 陸上選手
武者小路実篤 - 作家
景山民夫 - 作家
桜井小太郎 - 建築家
渡辺節 - 建築家
鏑木清方 - 日本画家
五所平之助 - 映画監督
秋山庄太郎 - 写真家
越路吹雪 - 女優、歌手
麻実れい - 女優
梶芽衣子 - 女優
日高のり子 - 声優
三宅裕司 - 俳優・タレント
佐野周二 - 俳優
TASKE - ミュージシャン
中村吉右衛門 (2代目) - 歌舞伎俳優
坂本朝一 - 元NHK会長
阿部定 - 『愛のコリーダ』のモデル
浅丘ルリ子 - 女優
※俳優の役所広司は千代田区出身ではないが、千代田区役所に勤務していた。芸名の由来もこれによる。

[編集] 主な病院

[編集] 東京都災害拠点病院
現在、千代田区内で東京都災害拠点病院に指定されている病院は以下の通り。

駿河台日本大学病院
東京警察病院(現在は中野区に移転)

[編集] 救急指定病院
現在、千代田区内の救急告示医療機関は3ヵ所ある。

三楽病院
三井記念病院
東京逓信病院

[編集] 防災対策
東京都災害拠点病院病床数…904床
避難所…23ヶ所
避難所収容人員…25,812人
給水拠点確保水量…3,100立方m
屋外拡声器…71か所
備蓄倉庫数…46か所
救急告示医療機関…3か所
街頭消火器…約770本
消防ポンプ車…16台
救急車…7台



[編集] 消防(東京消防庁)
本庁警防本部(大手町1-3-5)※丸の内消防署併設
第一方面本部(麹町1-12)
丸の内消防署(大手町1-3-5)特別消火中隊・救急隊1
有楽町出張所(有楽町1-9-2)救急隊無
麹町消防署(麹町1-12)特別消火中隊・救急隊無
永田町出張所(永田町1-8-3)特別救助隊・救急隊1
九段出張所(永田町1-8-3)救急隊1
神田消防署(外神田4-14-3)特別消火中隊・救急隊1
駿河台出張所(神田小川町3-8)救急隊無
鍛冶町出張所(鍛冶町2-3-2)救急隊無

[編集] 歴史
江戸時代前期までの「江戸」は、千代田区周辺を指し、江戸城を別名「千代田城」といった。
明治以前は武蔵国、豊嶋郡であった。

[編集] 名所・旧跡
曲亭馬琴硯の井戸跡
(九段坂下)
小栗上野介屋敷跡
(神田駿河台)
日本野球発祥の地
(一ツ橋)
塙保己一和学講談所跡
(三番町)

佐野善左衛門宅跡
(三番町)
酒井家上屋敷跡
(大手町)
滝廉太郎居住地跡
(四番町)
九段下灯台

ニコライ堂(駿河台)
神田明神(外神田)


山王日吉神社境内遺跡

[編集] 関連項目
日本の首都
千代田市構想
砂防会館
ちよれん
八重洲

[編集] 外部リンク
千代田区
千代田区議会
千代田区生活環境条例
千代田区役所旧庁舎外観


麹町地域
飯田橋|一番町|内幸町|大手町|霞が関|紀尾井町|北の丸公園|九段北|九段南|皇居外苑|麹町|五番町|三番町|千代田|永田町|二番町|隼町|日比谷公園|平河町|富士見|丸の内|有楽町|四番町|六番町
神田地域
岩本町|内神田|鍛冶町|神田相生町|神田淡路町|神田和泉町|神田岩本町|神田小川町|神田鍛冶町|神田北乗物町|神田紺屋町|神田佐久間河岸|神田佐久間町|神田神保町|神田須田町|神田駿河台|神田多町|神田司町|神田富山町|神田錦町|神田西福田町|神田練塀町|神田花岡町|神田東紺屋町|神田東松下町|神田平河町|神田松永町|神田美倉町|神田美土代町|猿楽町|外神田|西神田|東神田|一ツ橋|三崎町

[隠す]表・話・編・歴東京都の自治体等
特別区 千代田区 | 中央区 | 港区 | 新宿区 | 文京区 | 台東区 | 墨田区 | 江東区 | 品川区 | 目黒区 | 大田区 | 世田谷区 | 渋谷区 | 中野区 | 杉並区 | 豊島区 | 北区 | 荒川区 | 板橋区 | 練馬区 | 足立区 | 葛飾区 | 江戸川区
その他市部 八王子市 | 立川市 | 武蔵野市 | 三鷹市 | 青梅市 | 府中市 | 昭島市 | 調布市 | 町田市 | 小金井市 | 小平市 | 日野市 | 東村山市 | 国分寺市 | 国立市 | 福生市 | 狛江市 | 東大和市 | 清瀬市 | 東久留米市 | 武蔵村山市 | 多摩市 | 稲城市 | 羽村市 | あきる野市 | 西東京市
西多摩郡 瑞穂町 | 日の出町 | 檜原村 | 奥多摩町
島嶼部 大島町 | 利島村 | 新島村 | 神津島村 | 三宅村 | 御蔵島村 | 八丈町 | 青ヶ島村 | 小笠原村

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA" より作成
カテゴリ: 特別区 | 千代田区