荒天の場合、屋内開催もと言われていましたが今年も晴天の開催となりました。平和記念式典@広島。
(※有料記事です)。
中学生の時以来8月6日に式典の場にいたことはないのですが、今年は規制の場所が広がったりしたようですね。とにかくこの場所を目指して多くの人が祈りのためそのほかのために集まる今日一日です。
毎年のように8月6日はヒロシマに関する記事を書いてきましたが、去年あたりからなかなか書くネタも乏しくなってしまって。
8月6日と今月からリサイズしたこと - 潮路のとはずがたり雑記 **shioji's notes(昨年の記事です)
一昨年、まとめのインデックスを作った段階で力尽きてしまった感がなきにしもあらずと。
ヒロシマ77年(過去記事索引,加筆済) - 潮路のとはずがたり雑記 **shioji's notes
なので今年は少しだけ。
私自身は広島で生まれ育ち、居住ということでは広島(県)からまったく出たことのない人間です。児童から生徒の時代を送ったのがだいたい昭和50年代なので、ちゃんと身についたかどうかはともかく、今よりもたぶん多くの時間学校で平和教育を受けてきた気がします。身近にまだ体験者が多くいた頃でしたし(↑の過去記事索引参照)。
でも身内からはほとんど原爆にしても戦争にしても、直接話を聞けていないんですね。そもそも両親は広島県東部の生まれでしかも終戦時は幼児、祖父の出征後祖母と父たちは疎開したので空襲体験はなく、母は空襲時祖母に背負われて逃げたらしいのですが、小さすぎて記憶がないと。としてももっと祖父母に話を聞いておけばよかったなと今さらながら思います。あ、母の家はぎりぎり焼けなかったらしいです。
唯一原爆死没者名簿に名前が載っている父の大叔母は看護師で、県東部から救護のための入市被爆でしたが、私がまだ小学生のときに亡くなってます。去年だったか、偶然ある古いドキュメント番組で証言する姿を見て驚いたのですが、父曰く「家によく被爆者の方がやって来て話を聞いていた(?)」みたいでした。てっきり話したがらない人だと思っていたので意外でしたが、さすがに当時の私には訊ねてみることは難しかったと思います。
あ、なんだかんだでつらつらと長くなってしまいました。明日からはまた通常の記事に戻る予定です。