森元志乃 shino morimoto

ヴァイオリン弾きの吐息

伝わる。

2006-10-31 10:50:39 | Weblog
「風邪の時 ヴァイオリンはどうやって弾くんですか? 鼻詰まってると息できないですよね」
と まだ ヴァイオリンをはじめて間もない お弟子さんに聞かれた。

思わず 返事に 間をおいてしまったのは
ヴァイオリンに呼吸が必要ってことが ちゃんと伝わっていたことへの感動から。

レッスンは 子育てと一緒で
リアルタイムに 勉強のし直しができる。

人生を二度やっているようなものである。
これが 面白くない訳がない。

でも 面白がってばかりいてはいけなくて
先生であり 親である以上

先にそれを志したものとして 先に生を受けたものとして
伝えられるものは 伝えなければ 人を全うしたことにならない。

伝わってくれ~っ と 願いつつ
必死に言葉を選んで 身振り手振り 演奏付き(笑)

伝わっていた時は 嬉しいよ。 本当に。
お弟子さんが 上手くなってくれることは 本当に 嬉しい。


とはいえ やる気のない人を相手にしていると
なぜ こっちが必死にならなければいけないのか 疑問が沸いてくる。

そういう意味では 今 私の周りに そういう人がいないのは
非常に ありがたい。

ワークショップでも レッスンでも 私の一挙一動を
目をキラキラさせて 見聞きしている人たちを見ると

自分の身をどんなに削ってでも 何か 役に立ちたいと 思ってしまう。


でも 今までの自分だけで済ませようとすると 本当に 磨り減ってしまう。
ガリガリで美味しくもなんともないんじゃ 人間失格だよね。


でも 現状維持すら 大変な年齢に来ちゃって

いや 泣き言は ダメだね。

がんばろ。


10年後の自分の音をイメージして生きている人もいる。

そんな人を 知って 泣き言は ダメだね。

うん。 がんばろ。




きっと…

2006-10-30 07:28:54 | Weblog
ハロウィンのお祭りで いろいろ 食べまくってきました。
スブラキ・ファンの我が家は 2日続けて購入。
後 サトイモのから揚げ。
シシカバブ、たこやき、チョコバナナ、チャプチェ…
今年初お目見えの 佐世保バーガー。
まだ 食べたいもの いっぱいあったぞ!(笑)。

盛況でしたよ~。

食べながら歩く なんて 許されないことですからね。
ほ・ん・と・ お祭り気分で good



久しぶりに 庭仕事もしました。

これをすると 足腰は痛いは 手はがさがさになるは
あちこちが傷だらけで 爪の間が真っ黒になるんです。

演奏があるときは避けざるを得ないので
ずっと 庭 ほったらかしで 草ぼうぼう。

気になって気になって。

荒れた庭を見ると 心も荒んじゃうので
昨日 一日かけて がんばって 7割方 片付けました。

繁茂していた イカリソウやシモバシラを 植え替え
色が寂しかったので 小型のコスモスやマーガレット、ラベンダー…
植えてみました。

どうか 我が家の庭に 落ち着いてくれますように





昔 学校の授業の中で (道徳とかだったのかなあ)
「自分の長所を言いましょう」 なんて 課題が時々あって
それが 大嫌いだったんです。

自分のことを嫌い という人は 
自分を直視できないか 理想の高い人なんだそうで。

昔を 思い出せば 何の根拠があったのか プライドばかりの高い
生意気な子どもだったなあ。

理想が高いのは 多分にいいことだろうけど
コンプレックスと裏返しのプライドほど 情けないものはない。



自信がもてるのは がんばった自分に対してであって
決して 今在る自分ではない。

ようやく この年になって それを自覚。


現状に 絶対満足できない こんな私が
死ぬ時に 「世は満足じゃ」なんてこと ありえない(笑)。

でも 幸せだったって 思うことはできるはず。


素敵な友人に囲まれていると そう 思うのです。




トリック オア トリート!

2006-10-29 07:39:06 | Weblog
多摩センターは 今 ハロウィンのお祭りの真っ只中。

お祭り慣れしている 近辺の人は 平気で仮装して歩いている。

ばっりばり ジョニー・デップ風の化粧をしているおばさん とかいても

誰も動じない。外から来た人は びっくりするだろうな。


地域が出すお店も デリのお店も 年々充実度を増していて

いわゆる 昔のお祭りとは違うけれど それなりに楽しい。

お店が 17:00には 閉まってしまうという 健全振りも

ある意味 今風で(多分 防犯対策だと思うんだ) よいかなあと。


多摩センターは 時期ごとに お祭りをしている。

これって 地域のためには すごくいいことを

子どもの関係で ちょいと 地域密着型の生活をしている私には よく分かる。

そう考えると 昔ながらの 日本の生活って よくできているなと。。。



時々 「帰るところがあるっていいね」って 言ってもらう。

そうだなって 素直に 思う。

仕事柄 東京に 居座っているけれど

環境的に 多摩って とても 気に入っているけれど

広島についた瞬間の なんともいえない 安らぎに満ちた心地よさは

一瞬 帰れるものなら帰りたい と 思わせるほど

甘く 暖かい。



娘や息子は 多分 この地に 郷愁を抱くんだろうな。






真摯

2006-10-27 18:33:25 | Weblog
心のこもった仕事 というものがある。

それに触れると つい気を緩めてしまいがちな自分に 鞭が入る。


次がない そう思ってしている人の仕事は 悲しいまでに 凄い。

そして 人の心を打つ。


不思議なことに 常に本気で 仕事をこなしている人は

普段は 大抵 明るい。 人を大切にする。


人を大切にしない人に いい仕事はできないということか。 


そして すべてに完璧を要求したりしない。

人には笑顔で 自分に厳しい。(いい加減な人は嫌いなようだけど…)


年なんて関係なく そういう人は いて

意外に多い。(基本的に少ない と思っているから 多く感じるのかな 笑)

そういう人たちと 知り合える 仕事ができる 

それは 人生最高のことなのだけど

ここ数年 そういう機会が 多い。(基本的に少ない と思っているから 多く感じるのかな2 笑)



感謝×∞。



張りつめたままでは 心がもたない。 身体ももたない。

自分をコントロールすることが 人間最大の課題なんだろうか。



自分にその気がないと 余裕は出ない。

余裕を持たせるためには かなりの努力が必要だ。




仕事を楽しむ。

それは 仕事をがんばる より ある意味 もっと 難しいことだね。



いつも 不平不満を言っている人は
口元が歪んでいる。

いつも 怒っている人は
眉間に皺がよっている。


いい顔でいたい。



真摯に生きる。ひたむきに。そうありたい。












人生五十年…って 後少しだったりする。

2006-10-25 16:48:39 | Weblog
ゴスペルを歌ってると(趣味ですよ、趣味!…念のため 笑)思うことがいろいろあります。


とにかく 毎回思うことは

音楽を味方に付けた宗教は えらいぞ!



文字も読めない 楽譜も読めない でも 歌える。

毎日 毎日 祈り 歌う。

美しい響き 人と和すること 声を出すこと 選ばれた言葉を口にすること

毎日 毎日 … インプット インプット。

今流行の 音読も これと変わらないでしょう。

美しい言葉を 声に出す。 それがどういうことか。

お経も そう。 ぞくぞくする。

(ゴスペルは その上 シャウトに パフォーマンス ハグ で まさにトランス状態!)


傷付いた人には 救いが必要なのは確かで

それを身近なものから得られなければ 神にすがりたくなる気持ちはよく分かる。

悪い意味でなく 一般的な意味でなく

文字通り 「洗脳」 してくれるのは

そう 心を洗い流してくれるのは 言葉であり 音楽なのかな と。

歌いながら 思わず 涙する 友人を見ていると 感じるのです。


でも それは ある意味 怖い。



もう 根っからの 頭痛持ちで 慢性頭痛歴40年(笑)。

これがですよ。

音を出している時は 一切 感じなくなる。

練習なんてね 好きじゃないものもある訳です(昔は練習自体が嫌いだった!笑)。

でも 音を出している間は 頭痛を忘れるんです。

忘れてるのかなあ なくなってるのかなあ。

音が心地よいのは 確かです。


麻薬効果ですよね。 怖い。





駒と魂柱を治療してもらった ふぁにょーらくんは

絶好調です。

なにしろ リペアが終った瞬間 今まで 聴いたことのない 響きが出たのですから。

まいった。

楽器に レベルアップを要求されている…。

まだまだ 修行は続くんですよねえ。

はああ。







ヴァイオリン工房へ行こう!

2006-10-23 21:36:13 | Weblog
なぜ? どうして? え? わお! …!(感動で言葉にならない)

という 最高にエキサイティングな時間を過ごしてきました。

工房に 4時間も 居座って…

結果 ヴァイオリンはよい音で満たされ

とりあえず(笑) 私の好奇心も満たされ

頭は満たされ過ぎで 疲労困憊。

なんで~? どうして~? って 子どもじゃないんだから。

ごめんなさい!

お付き合い頂いて 感謝感謝です。

早く 明日にならないかなあ。

ふぁにょーらくん どうなってるかしら…。



1秒差

2006-10-22 17:34:23 | Weblog
今朝 箱根駅伝の予選の模様を テレビでやっていて
1秒差に涙する 拓殖大の学生さんを見て
もらい泣きしそうになりました。

ずっとずっと この日のために がんばってきたのに
思うように走れなかった自分を責める学生さんもいました。


一人の学生さんが
「この1秒差で 出られたところと 自分のところは 何か違うんだと思う」
といった感じのことを 言ってました。

これって 楽器をやっていても よく思うことがあります。


何事にも 持分というものはあるのだろうけれど
そこに 逃げ込む前に
もっと 見つめなければいけないところが あるんじゃないかと。

後一歩 及ばなかったのは
果たして 持分のせいだろうか?


この年になって思うのは
今 業界に残っている友人たちは 
今もがんばっているけど 昔から ずっと がんばってきている人たちばかり。

アマチュアのお友達も みんな そう。

継続は力。

時には休んだことも 潰れたこともあるかもしれない。

でも 基本は 前へ! 前へ! 

がんばること。

「勝ち」に 執着すること。


みんな そうやってきている。


勝ち負けを言わない 学校教育は 間違っていると思う。


人と比べる 勝ち負けじゃない。


自分に勝てるかどうか。


100点取れるように がんばる。
かけっこで 一番になれるように がんばる。

やれるだけやってみるから 自分の向き不向きや 得手不得手が 分かる。
がんばって がんばって
負けたら 涙する。 
悔しくて 悔しくて 涙する。
それが バネになる。

強いバネがないと 次 高くなんて 飛べない。

がんばってない自分は ほめてあげられない。
自分をほめられないと 自信がもてない。
生きている意味が分からなくなる。

うつ病の人には 禁句ですけど。


1秒差に泣かないために がんばる。

この年になると 毎日 言い聞かせないと
身体の方が 弱気になっちゃうんです…

ヴィオラ

2006-10-21 23:30:28 | Weblog
学生時代 オーケストラで いきなりヴィオラをもたされ 
楽譜を見て 青くなり 音を出して 赤くなり (笑)
でも 合奏した瞬間 「これだ!」と。

なんだったんでしょう。

ほとんど間をおかず
どうしても 自分の楽器がほしくて
両親に頼み込み 二本持っていた 片方のヴァイオリンを売って
ヴィオラ 買っちゃいました。


なにしろ アルト記号ですからね。
どうなることかと思いましたが

ありがたいことに ヴィオラ奏者が少なかったので
死ぬほど お声が掛かり 
つまり 次から次へと 譜読みをせざるを得ない状況に。

いや 英語の勉強じゃありませんが
現場に 突っ込まれるのが 一番です。

ヴァイオリンは 指を置くとき 音も完璧に読んでいますが、
ヴィオラは 音を認識する前に 手が行っています。
違う配線で弾いているようです。



子育てで 演奏活動を縮小していた間は
ヴァイオリンを 勉強しなおしていました。

愛器ヴィオラ君は 寝かせておくと いじけて ならなくなりそうだったので
信頼おける友人に預けて 弾いてもらっていました。

ヴィオラ君 帰ってきているのですが
ヴィオラを手にすると アンサンブル病が出て
弾きたくて弾きたくて たまりません。


傍から見ると どうなのかは分かりませんが
根っからの 内声弾きです。

なんだか 本当に 幸せなんです。
ヴィオラを弾いていると。


ただ 弾けば弾くほど 持ち替えの難しさを感じます。
持ち替え なんて しちゃいけない 楽器なんだよなあ。本当は。

全然 違う楽器なんですよねえ。

でも 止められない。どっちも。
許して


ヴィオラのソロかあ。
考えてみよう。




赤坂カーサ・クラシカ

2006-10-20 08:09:52 | Weblog
赤坂カーサ・クラシカ デビュー果たしてまいりました。

それはもう 楽しかった…。

バッハのドッペル一楽章 だけだったんですが

アンサンブルをしている時は

本当に 本当に 素直に 楽しい。

ほかに なんにも 考えていないっていうのは

いつも 頭の中で 何かが蠢いている私としては 珍しいことなんです。


それもこれも 

共演者のおかげですね。

ヴァイオリン2本というのは 時として 恐ろしく 合わないことがあるのですが

ご一緒させていただいた みねりさんは

その点 懐の大きい 音色を持っている方なので 

とても 気持ちよく 弾くことができました。

なかなか お願いできない 通奏低音まで 入れて頂いて

くーっ。

そう パシフィック・モダン の お二人は

とても 素敵な演奏をなさいます。(しかも美男美女です。ちなみにご姉弟です。)

一度 足を運ばれてはいかが?


私も また ぜひ ご一緒させて頂きたいと思っています。

ありがとう!



そうだよね みっこ。

君のおかげだよ!

今回の再会は 神のお導きだな。

(「かみ」って入力したら 「紙」が出てきた…笑)

次のお話も出てきたし

これからは 途切れることなく ずっとずっと

一緒に勉強できるといいな。






実は おたく です。

2006-10-18 23:36:21 | Weblog
娘が お友達から せっせと コミックを借りてくる。
「(すぐ返すのが礼儀だから)お母さん!早く読んでね」 とくる。

コミック速読は得意なのだが そうはいっても
複数巻あると 10分20分という訳にもいかず

必死で時間を作って 読みまくる。
そうまでして 読む必要はないんだけど…(笑)。

話題作くらい 気配を知っておきたいと思う 
好奇心の塊 情報収集の鬼 なのでありました。

結構 面白いのがあって 娘と語っていると
がんがん アニメ化されていく。

確かに 日本のコミック 日本のアニメは 世界に誇れる文化だと思う。
ただ 確かに 子どもが 本を読まなくなっているんだ…

言霊を信じる私としては 寂しい限りである。


言葉って 大事だと思う。
時代の言葉 世代の言葉 あってよい。

でも

「うざい」「きもい」この言葉 何回も何回も言い続けてみて。
なんか 気持ちが 荒んでくるような気がしない?

楽器もそうだよね。
汚い音を弾き続けていると 苛立ってくる。

それに慣れちゃう その怖さもある。


音も言葉も 綺麗なモノだけにする必要はないけれど
綺麗なものは よいものは 大切にしたいと思う。

それは 間違いだろうか?


現代の若者の 日常用語に使われる語数はたった30 なんて 言っている人がいた。

言葉を使いこなせないということは 気持ちをちゃんと伝えられないということ
言葉の重みを知らないから 言葉を大事にしないから

いじめだけじゃない 人間関係のギクシャクを 作っているんじゃないかなあ。


ちなみに コミックに書かれている 擬音が 興味深い。
見ていないようで見てしまう 読んでいないようで読んでいる。
背景に溶け込んでいながら かつ 空気感を作っていたりする。
これの上手な人の作品は 臨場感があるね。

面白い。
う~ん ぷろふぇっしょなる!