岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

1 忌み嫌われし子

2019年07月16日 17時52分00秒 | 忌み嫌われし子

 


忌み嫌われし子



 幼少時代、私は幸せか不幸せかといったら、間違いなく後者だった。
 父親はよそで女を作り、私と母親を捨てて出て行った。残されたもの、それは借金だけ。
 まだ、私が五歳の頃だった。
 色褪せた思い出ではあるが、母親が狂ったように泣きじゃくっていたのをジッと見つめていた過去の記憶。そう…、怖い顔をした知らない男の人たちが毎日のように家の中へ上がり込み、泣きじゃくる母親に乱暴を働いていた。
 今にして思えば、あれは借金のカタとして強引に体を要求されていたのだろう。
 そんな悲しみに満ち溢れた表情の母親に、高校を卒業するまで私は育てられた。
「いい? あなたのお父さんは、私たちを捨てたのよ。あんな風にだけはならないでね」
 何かある度に、繰り返し言われた母親のそんな台詞。確かに正論だと思った。
 実際にこの年になった今でも、父親の事は憎んでいる。
 出て行ってから、連絡一つない父親。どこかで自由を満喫しているのだろう。自分で作り上げた義務を放棄して……。
 反面教師という言葉がある。
 人のふり見て、我ふり直せ。
 このような言葉の意味合い。身を持って理解しているつもりだ。
 だから自分で家庭を作る時は、思い描いた暖かい幸せな家庭にしたかったという想いが強い。
 何人かの女性と交際し、傷つけ、傷つけられてきた。今の妻、みゆきと出会い、初めて女性というものが信じられるようになった。
 こいつとなら私の子供を産んでもいい。そう本能的に感じた。
 そうして結婚まで、やっとの思いで漕ぎ着けたのだ。
 私にとって家庭を守り、幸せを維持するのは、義務である。義務を遂行して、初めて権利が生まれるのだ。
 男に生まれ、家庭を作りながらも挫折した奴はクズである。これは誰の前でもハッキリ言える。逆に、自分のお腹を痛めて生んだ子を虐待したり、捨てたりする女もクズだ。
 私の母親は、どんな種類の女になるのだろう。
 想像をしただけで未だ身震いがしてくる。
 悲しみと歓喜。この二つの感情しかなかった母親。
 いや、正確には、父親が出て行ってからだが……。
 ずっと…、誰からも必要とされない存在だと、自分で思いながら成長してきた。
 誰にも必要とされない人間。
 誰からも愛されない人間。
 常に私は、孤独であった。
 俗にいう本当の母性愛が欲しかった。父の背中を見ながら、楽しく子供時代を送りたかった。
 どんなに願っても、人間のすべてが平等ではない。
 子は、親を選べないのだから……。
 だからこそ親になった人間は、子供に愛情を注いでやらねばならない。これが私の義であり、主張でもある。
 今の自分を振り返ると、どうか。幸せである。今はハッキリと言える。だがいつまで続くのだろうか、この幸せが……。



 木島さんって、ほんと、いい人ですよね。
 優しいなあ、木島さんは……。
 木島さんって、面倒見がいいなあ。
 何かあったら、木島さんに言えば大丈夫だよ。
 木島さ~ん、これ、どうやるんですかね~。
 会社で言われるそんな台詞……。
 もう、うんざりだ……。
 いい人がどうした。優しいから何だというのだ。面倒見がいい…。そんなものは、私に頼っているだけだろ。何の努力もせずに……。
 疲れた。もう疲れきっている。みんながみんな、私に依存してきているだけだ。
 最近、会社の帰り道、そんな事ばかりを考える。
 電車の座席に座るサラリーマン連中。だらしなく口を開けてヨダレを垂らしているのもいれば、鼾を掻きながら寝ている馬鹿もいる。共通しているのは、みんな、疲れきった顔をしているという点か。
 その辺は私も変わらない。しかし、顔にわざわざ出したりしない。表情は常に笑顔で、怒ったりせず、明るい雰囲気でいられるように努める。
 家庭では俺に尽くしてくれる妻と、父親にべったりの娘がいる。
 好かれるのはいい。だけどみんな、私に何を期待しているのだろうか。そんな事を時折考えてしまう。
 どこにいても、本当の自分を出していないのではないか。表面的な私の行動や言動に、みんなが騙されている。
 本当は私自身、ストレスが体の中に充満しているのだ。
 できれば色々と好き勝手に物事を言ってみたい。好き勝手に欲望の思うまま、行動をしてみたい。
 生まれてから、四十年の月日が流れている。
 二十五歳で今の妻、みゆきと結婚。
 五年後の三十歳で、長女の佳奈が生まれた。
 佳奈という名は、妻のみゆきがつけた名前である。妻が昔、小説家を目指していたらしく、その時の主人公が、杉本佳奈。私は反対したが、妻の意見に押し切られた形になった。
 現在、佳奈は可愛らしく十歳の子供らしく素直に育っている。
 近所や会社でも、美人だと評判の妻。料理もうまいし、よく気も利く。
 周りから見れば、幸せそうな暖かい家庭に見えるだろう。
 午後九時半。ほぼ、この時間に、私はマイホームの玄関先に着く。
 インターホンを押す前に開くドア。
「おかえりー、パパ」
「あなた、今日もお疲れさま」
 家族総出での迎え。いや、本当なら一人足りない。
「ただいま」
 満面の笑みで、家族に微笑む私。
「今日は、あなたの好きなハンバーグよ」
「そうかい。それは楽しみだ」
「佳奈ねー、パパが帰ってくるまで、我慢して待ってたんだよ」
「そうか、そうか…。先に食べちゃっても良かったのに」
 私は、佳奈の頭を優しく撫でた。
 もしここに卓がいたら……。
 いや、人生に、もしなどないのだ。やめよう。思い出すだけやるせなくなるだけである。
 今日も、普段と変わりない一日が、終わろうとしている。

 結婚生活十五年も経つのに、妻は以前と変わらなくベタベタしてくるのが好きである。
 子供が寝静まるのを待つと、性行為を誘ってくる。
 確実にみゆきを何度もいかせる事だけに没頭し、私たち夫婦の性行為は終わる。
 会社での出来事などを話している内に、みゆきはいつの間にか寝てしまった。
 只今、夜の十一時。
 ようやく私のプライベートな時間が始まる。
 スースー静かな寝息を立てるみゆきに、布団をかけ、音を立てずに起き上がる。忍者のように足音を立てず、こっそりと寝室から出た。
 私たち夫婦の寝室の横と正面には、佳奈の部屋がある。
 足のつま先まで神経を尖らせて、静かにゆっくりと廊下を歩く。
 居間にある私のノートパソコンまで辿り着くと、ゆっくりと電源をつける。
 私専用のパスワードを入れ、起動をさせた。
 真っ暗なディスクトップの画面に、次々とアイコンが並び始める。私はショートカットで置いてある自分のブログのアイコンをダブルクリックして、自分で作ったページを開いた。

『ご機嫌パパ日記』

 私のホームページタイトルである。家族は、誰一人も知らない私だけの仮想空間。最近では、このような形式のページをブログとも呼ぶらしい。
 そもそもホームページなのか、日記なのか、掲示板なのか、分からないようなジャンルでもあったが、アメリカで爆発的に流行り、こちらに上陸。
 ブログとは、日本でもブレイクしている新しい形のホームページでもある。
 のほほんとした毎日の日常を、楽しく描く日記のブログ。
 ここでは、家族との楽しい食事の団らんのひと時などを中心に、記事を書き、ネット上にアップしていた。たまに、会社での、ほのぼのとした出来事などをも載せたりする。
 私のハンドル名は、気まぐれパパ。まあ、ブログ上で使う仇名のようなものだった。
 顔も名前も知らない人たち、老若男女が、様々なコメントを、私の記事に残してくれる。
 最初はお互いが、手探り状態……。
 ブログの記事を更新するのが、まるで毎日の日課のようになると、知らない人たちと様々なコメントのやり取りをし出す。
 私の場合、前日に書いた自分の記事に集まったコメントを眺める。いくつ、コメントが集まったとか、そういうのはあまり気にはしないのだが、多く集まると、やはり嬉しくなる。人間、誰だって寂しい生き物なのだ。多かれ少なかれ、誰かしらと依存し合いたいのである。
 ちょっとしたきっかけから始まったコメントのやり取りから、うん、この人とは物の価値観が同じだとか、思えるような人も中にはいる。まあ、私だけがそう思っても、向こうがそう思わないと、一方通行ではあるが……。
 お互いの記事を行き来して、気付けば、知らず知らずの内に、絆が深まるケースもあった。
 ブログをやり始めて、三ヶ月が経とうとしていた。不思議なものである。

 幸せだが、平凡な家庭を築き上げ、このまま年だけをとっていく。
 娘の成長を見守りながら、日々を過ごして行く内に、毎日の行動記録をつけたくなったのである。
 日記帳を買ってきて、つけるという習慣はなかった。今さら、会社が終わったあとで、いちいち日記をつけるのも面倒であった。
 そんな時、会社の部下からブログの話を聞いたのだ。
 仕事中でも、携帯電話を年がら年中いじっていた部下。さすがに私が注意すると、携帯をしまってはいたが、それでも暇を見つけてはこっそりと眺めていた。
 人間をあれほど夢中にさせる何かがある。その事に興味を覚えた私は、部下に直接聞いてみる事にしてみた。
「河合君…。君は一体、何をそんなに夢中になっているのだね?」
 社員食堂でランチタイム中、私はコーヒーを彼の分まで買って、隣に座った。
「いや~、自分、ブログ、持ってるんですよ」
「ブログ? 何だね、それは…」
「簡単にいうと、自分の日記みたいなホームページですね」
「ほう、それは携帯でも見られるのかい?」
「もちろんですよ。最近のパソコンの進化は、すごいですよ」
「う~ん、難しいから苦手なんだよね、そういうのは……」
「簡単ですよ。課長も、やってみてはどうですか?」
 まだ、部下の河合は二十歳そこそこである。色々なものが吸収できる羨ましい年頃でもあった。
「いや、満足にパソコンも使いこなせないしね」
「そんな事ないですよ。ほんと、簡単なんですから。今、ちょうど変なブログあったんで携帯から眺めていたところなんですよ。課長も見てみて下さいよ、ほら」
「分からないよ。私には……」
「携帯で見るだけですから」
 河合はそう言いながら強引に私へ携帯電話を手渡してくる。
 仕方ない。こっちから声を掛けた手前もあるし、少しぐらい彼に付き合ってみるか。
 私は携帯電話が表示する画面を覗き込んだ。

『忌み嫌われし子のスペース』 忌み嫌われし子
 我、孤高なり

 善人面にはもう飽き飽きだ。
 自分の好きなように生き、好きなように発言しよう。
 それにしても本当にウザイ奴が多い。うんざりだ。
 いずれこの我が、この世を君臨してやるぜ。

 何なんだ、こいつは……。
 背筋にゾッとするものが走る。
 世間を賑わすおかしな犯罪など、こういった訳の分からない輩が巻き起こすのではないだろうか?
「こいつ、危ない奴でしょ、課長」
「一体これは何なんだ?」
「いわゆるブログってやつですよ。知りませんか?」
「まったく。何しろアナログ人間だからね」
「課長もやってみたらどうです?」
「いや、一応パソコンを買ってはあるけど、家族の人間誰一人いじろうとしないしね。それにこんな危ない奴とかまでやっているような世界でしょ?」
「最初にこんな変なブログを見せた俺が悪かったんですねえ~。課長、すごい勘違いしていますけど、ブログってその人次第でいくらだって楽しいものにできるんですよ」
「君の言う意味合いがいまいち分からないよ」
「例えば娘さんの成長日記を書いてみるとか、あとは課長の奥さんのうまい手料理を紹介していくブログを作るとか」
「そんな事をして何になるんだ?」
「もう、課長ったら冷たいなあ。分かりやすいブログを見せますから、ぢょっと待っていて下さい」
 そう言いながら河合は器用に携帯電話を操作し、ジッと画面を見つめている。その集中力を少しは仕事に活かしてもらいたいものだ。
「はい、課長。お待たせしました。これを見てみて下さい」

『小鳥のお料理奮戦記』 チャーミー小鳥
 お手軽パスタの巻

 は~い、このブログを読んでくれているみなさん、ちゃお~!
 今日は簡単お手軽パスタのレシピを紹介するっす。
 まずは市販で売っているミートソースの缶詰と、トマトジュースと、赤ワイン、それと塩コショウだけで、おいしくパスタが食べられてしまうのだ。
 これらの材料をフライパンで煮込んで茹でたパスタの上に掛けるだけ。
 みなさん、是非試してみてね。

「課長、どうです? こういうのもあるんですよ」
「それは分かったけど、何が面白いの?」
「それは自分で面白さを探しながら作っていくんじゃないですか」
「う~ん……」
「これからは少しはパソコンを使えないと、時代に置いていかれますよ?」
「でもな~」
「娘さん世代だと、これからは必須になるだろうし、そんな時分からないで済ませる父親でいるのか、それとも教えてあげようって頼もしい父親でいるのかは、木島課長次第ですけどね」
「痛いところをつくなあ」
「いい機会だからチャレンジしてみましょうよ、ね?」
「でも、どうやったらいいか……」
 河合は目を輝かせながら立ち上がった。
「じゃあ、木島課長。こうしましょうよ」
「うん?」
「今日から曜日決めて、俺が課長の家に行って、色々レクチャーしますよ」
「おいおい、随分と急だな~」
「いつも課長には、世話になってるんで、少しは役に立ちたいじゃないですか」
 そう言いながら、満面の笑みを浮かべる河合。まあ、パソコンを覚えるにはいい機会なのかもしれない。
「課長、その代わり……」
「ん、何だね?」
「課長の奥さんのうまい料理を、また、ご馳走させて下さいね」
「ははは、前に来てくれたもんな。新築祝いの時だったっけ?」
「そうですね。もう、二年ぐらい経ちますかね?」
「そうだね。時間が経つのは、本当に早いものだ」
 少し無理して妻のみゆきの希望通りマイホームを購入してから、約二年の時間が過ぎていた。
「可愛いお子さんに、美人の奥さん。しかも料理の腕はプロ級ときてます。ほんと、課長って人々が望むものすべて何でも手に入れたんだなって、みんな言ってますよ」
「お世辞のうまい奴だな」
「ほんとですって。お世辞なんかじゃないですよ。だから課長、いいっすか?」
「まあ、いいけど、今日はさすがに無理だよ。妻に聞いてみないとね」
「了解です。いい返事、待ってますよ」
 こうして部下の河合と私の、奇妙な逆師弟関係が始まった。

 この晩夢を見た。いつもの忌々しいものではない。息子の卓の夢だった。
 いつになっても卓は幼い頃のままである。当たり前だ。卓の成長した姿など、私は見ていないのだから……。
 念願の初の子供。結婚して一年後に卓は生まれた。私が二十六歳の時だ。
 キン肉マンが好きだった私は初の男の子の名前に『卓』と名付けた。もちろん妻のみゆきは反対した。しかし自分の意見をごり押しする形で強引に決めたっけなあ……。
 目に入れても痛くないほど、私たち夫婦は卓を溺愛した。
 無邪気に笑う姿を見ているだけで幸せな気分になれた。
 一日の疲れなど吹っ飛んでしまう。子供には自然と大人を癒す力があるのである。
 そんな明るい毎日を過ごす中、悪夢は突然やってきた。
 まだ卓が二歳になった頃。
 突然何者かに卓はさらわれた。
 夜泣きがすごかった卓をあやそうと、深夜外へ散歩に出掛けた最中に起きた悲劇だった。
 背後から後頭部を叩かれ気を失いかけるみゆき。
 薄れゆく意識の中、卓を奪い取られ逃げていく人間の後ろ姿を見たと言う。
 警察へ駆け込みすぐ動いてもらったが、息子は見つからず時間だけが過ぎていった。
 さらった犯人からの動きはなく一週間後、川に浮かんだ卓が発見された。
 警察は愉快犯として決めつけ、結局犯人は分からずじまい。
 こうして私たち夫婦はただ一人の息子を失ったのだ……。
 卓を失ったみゆきの精神的な憔悴の仕方は酷かった。
 私もすべてを捨てて逃げ出したかったが、まず自分がしっかりしないとと何とか冷静を装い、毎日のように慰めの言葉をみゆきに掛けた。
 夫婦というもののスタートは二人から。子供ができると家族という言い方に代わる。私たちは家族から再び夫婦になってしまったのだ。
 何故人間は生きるのか。
 卓が生まれた時、その答えが分かったような気がした。親に支えられながら人間は成長し、大人になっていく。人生の伴侶を見つけたら新しい生命を生み出し、今度は自分が支える立場になっていく。未来永劫ずっとその繰り返し。その中に真の人としての幸せを感じる事ができる。ずっとそう思っていた。
 息子を失うまでは……。
 今の私たちはどうすればいいのか?
 そこに明るさなどない。あるのは深い悲しみのみである。
 いくら声を掛けても死んだ魚のような目である一点をボーっと見ている妻。
 親しい友人に色々と相談をしてみた。いい答えは見つからないでいた。
 ある日、友人の一人がこんな事を言い出した。
「いいかい、木島。女にふられた時ってさ、いくら仲のいい男友達が慰めたってその場凌ぎだろ? 女の傷を癒すには女じゃなきゃ駄目なんだ。おまえにしても、奥さんのみゆきさんにしてもさ。最愛の子供を失った傷は計り知れないだろう。俺じゃその傷の深さは分からない。でもさ、子供を失った事でできた傷は、新しく子供を作る事で必ず癒せるはず。少なくても俺はそう思うんだ」
 彼の言葉が正しいかどうかなんて分からない。しかし今のみゆきの状況を考えると他に方法はないような気がした。
 その晩必死に抵抗するみゆきを半ば強引に犯すように私は抱いた。
 その行為が終わっても、みゆきはただ泣きじゃくっていた。
 酷い罪悪感が私を覆う。だが仕方がない事なのだ。
 このまま時間だけ経っていくのをこれ以上堪えられなかったのである。
 そしてみゆきは再びお腹の中に新たな生命を宿した。
 ちょうど私が三十歳になった時、娘の佳奈が生まれたのだ。
 子供を失った傷は子供が癒してくれる。その通りだった。
 憔悴しきっていたのが嘘のように妻のみゆきは元気を取り戻していき、再び明るい笑顔で笑うようになった。
 今の我が家が笑顔でいられるのも娘の佳奈のおかげである。
 もし、ここに息子の卓までいたらどんなに楽しいだろうか……。
 つい、そんな想像をしてしまう。
「あなた、どうしたの?」
 気付くとみゆきが私を覗き込むように見ていた。
「ん、いや…。色々あったなあって……」
「……。そうね……」
 私の左腕にそっと頭を乗せながらみゆきは呟いた。孤立した薄暗い空間にいた私に対し、光を差し伸べてくれた最愛の妻。
 ランチタイムの時、河合が言っていた事を思い出す。
「娘さん世代だと、これからは必須になるだろうし、そんな時分からないで済ませる父親でいるのか、それとも教えてあげようって頼もしい父親でいるのかは、木島課長次第ですけどね」
 いつだって娘の佳奈の前では、頼もしい父親でいたいに決まっているだろう。
 私は今度、部下の河合にパソコンを教わろうと思っている事を妻のみゆきへ伝えた。
「そうね、私もそういうの苦手だし、いつまでも頼もしいパパさんでいて下さいな」
 みゆきは笑顔で了承してくれた。

 家族の許可をとった私は、週に一度のパソコン家庭教師を家に招くようになった。
 毎週水曜日になると、部下の河合がやってくるようになり、我が家は賑やかになる。
 でかい口を叩くだけあって、河合のパソコンの腕というか知識は、なかなかのものであった。
「いいですか? ここで、まず、右クリック。ここでこのファイルを開くんです。それから、コントロールキープラス、Ⅴを押して貼り付け。分かります?」
「い、いや……」
 何を言っているのか、さっぱり分からない。宇宙人語にしか聞こえない私はおかしいのだろうか。
「ほら、課長。そこじゃないって」
「あ、ああ……」
「それを選択して…。違いますよー。そこじゃなくて、そこ」
 いつの間にか、会社での立場が、完全に逆転している。
「あー、違う、違う。まったくー」
「あ、すまん、すまん……」
 こんな感じで私は、パソコンのブログというものを始めだした。
 二時間ぐらい掛けてパソコンのレッスンが終わると、妻のみゆきが、普段より豪華な手料理をたくさん作って待っていた。
「おほ、さすが課長の奥さん。素晴らしいご馳走じゃないですかー」
「今日は河合さんがいらっしゃるからって、うちの主人、あれこれ作れってうるさかったんですよ」
 いつもより上機嫌なみゆき。マンネリ化した日常に変化があったのが、嬉しかったらしい。
 娘の佳奈も、顔見知りすることなく河合に自然と溶け込んでいる。親しみやすいお兄さんができたように思ってくれているみたいで、非常に楽しそうだった。
 これは河合本来の持つ独特の明るさが、そうさせているのかもしれない。
 もし卓が順調に育って大きくなっていたら、私の横にこうして座る河合のようにパソコンを教えてくれたかもしれないのだ……。
 これで私がパソコンを意のままに使いこなせたら、大きくなった佳奈にも同じように教えてやれるかもしれない。
 週に一度のパソコンレッスンも、なかなかいいものなのかもしれないな。
 勝手な事を想像し、いつの間にかニヤけている自分に気がついた。

『ご機嫌パパ日記 その一』 気まぐれパパ

 はじめまして、初めてブログというものをいじる、気まぐれパパといいます。
 パソコン自体、慣れていませんが、みなさま、今後ともよろしくお願い致します。
 次回から、我が家の楽しい出来事などを、発表できたらなって思います。
 
 最初は訳が分からない状況でも、自然と慣れはやってくるもの。キーボードを打つのも、ままならなかった私が、四苦八苦しながらも、どうにか打てるようになってきた。
 こんなに面白いものを私は今まで何故、やろうともしなかったのだろうか。
 誰かがパソコンは何でもできると言っていたが、色々な事を覚えれば覚えるほど、そう実感する。
 週に一度だけ更新する私のブログ。もちろん河合がそばにいてこそできる更新であった。
 普段の会社内でも自然と親近感を河合に覚え、つい優しくなってしまう自分がいた。
 仕事中は真面目に受け答えする河合であったが、昼休みになると積極的に私の席の隣にやってくる。
「先日はご馳走さまです。最近、仕事のほう、順調じゃないですか」
「ありがとう。君が色々と、サポートしてくれているからね」
「どうです、最近は一人でもブログ、更新、できるようになりましたか?」
「いやいや、君が来てくれている時限定だから、まだ、その四のままだよ」
「たまには一人でやってみればいいのに…。コメントはありましたか?」
「コメントって?」
「嫌だな~、課長は…。コメントですよ、コメント」
「分からないよ。何だね、それは?」
「ハ~……」
 大袈裟な溜め息をつく河合。
「おいおい、何だよ?」
「いいですか? 課長が、書いている記事あるじゃないですか?」
「ああ」
「その記事の下に、コメントってあるじゃないですか」
「……」
 コメント…。そんなもの、あったか? パソコンの操作に必死に食らいつくのがやっとで、そう言われても分からない。
「課長のブログで、記事を見た人の感想ですよ。コメントがあれば、コメントって書いてある欄に、数字が出るんです」
「数字?」
「もらったコメントの数です」
「ほほう…。でも、私のブログなど、見る者がいるものかね?」
「ちょっと待って下さいね……」
 そう言うと、河合はポケットから携帯を取り出し、画面を見ながら細かい操作していた。
「ほら、課長。コメントあるじゃないですか。見てみて下さいよ」
 彼の携帯画面を見ると、ご機嫌パパ日記という文字が見えた。
「これは?」
「前にも言ったじゃないですか。携帯でも、ブログって見れるんですよ」
「え、そうなの?」
「ほら、実際にこうやって、見れてるじゃないですか?」
 携帯画面に写る私のブログ。こうして見ると、不思議な感じだ。
「ここですよ、ここ。えーと、課長の記事、その四にコメント、二つありますよ」
「どれどれ?」
 私は、彼の携帯を借り、コメントを見てみる。

『ご機嫌パパ日記 その四』 気まぐれパパ

 今日の我が家の食事は、外食です。私の部下も一緒に招き、近所の中華料理店に行って来ました。
 お恥ずかしい話、私は部下がそばにいないと、このブログの記事一つ、ロクに更新すらできないのです。なので、今日はいつもお世話になっているそのお礼も兼ねて。
 大きな車海老のエビチリに、娘は大きく鼻を膨らませ、大変、喜んでいましたね。奮発して来た甲斐がありました。


(新宿トモ)
 はじめまして。
 新宿トモと言います。気まぐれパパさんの家族、とても暖かそうですね。文章から幸せな雰囲気が、こちらにまで漂ってくるようです。

(気まぐれマダム)
 こんにちは、気まぐれマダムです。気まぐれパパ様、はじめまして。
 同じ気まぐれ同士、名前に釣られて来てしまいました。ほのぼのして、いい感じですね。またお邪魔させて下さいねー。

 いいようのない嬉しさが込み上げてきた。こんな私のブログを見て、感想を残してくれる人がいる。
「今度更新する時は、このコメントくれた人たちに、ちゃんとコメントもしないと駄目ですね」
「何で?」
「課長、例えばですけどね。課長はおはようって挨拶されたら、どうします?」
「それはおはようって返すに決まっているじゃないか」
「じゃあ、次にその人を自分が先に見つけたら?」
「それは、私のほうから挨拶するだろうね。あ……」
 なるほど、ブログの世界でもそのような事は常識なのか。
 コメントを初めてもらい私はこれだけ嬉しかった。相手だって私に興味がなかったら、コメントなどしないだろう。
 お互いのコメントのやり取り……。
 そういったものの積み重ねが、ブログの楽しみの一つでもあるのか。

 

 

2 忌み嫌われし子 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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