
2025/06/22 sun
2025/07/09 wed
前回の章
アンチポップのゲンは、今日の昼間イタリーノへ行ったらしくリーノランチを満喫したとホクホク顔だ。
「あ、そういえばゲンさんが言ってた向かいの熟女パブ。一人可愛い子いましたよ。ここ来る前指名して飲んできました。今度ここにも連れて来ますよ」
「岩上さん、ほんと手が早いなあ」
「早くないですよ。ほんとは気になる子がいたけど、何故か急に返事無くなっちゃったんですよ。その風穴を塞ぐのにも、他の女は必要です」
本当に小川絵美は、どうしてしまったのだろうか?
あれだけ仲良くやり取りをしていたのに、突然会話が途切れたように連絡が無くなる。
本音を言えば飲み屋で働く里代よりも、介護職で真面目に働いている絵美のほうが理想だ。
まあ連絡無いものを無理に聞くのも格好悪い。
どっちみち今日仕事へ出れば休みで、高校時代の恩師である榊先生の家へ行く。
久しぶりの再会をゲンに話すと「俺は今でも仲いい先生なんていないっすねー」と羨ましがられる。
ドアが開き永井聡が入ってきた。
シュールの営業も無事終わったようだ。
「岩上さんて仕事終わるのお昼の一時でしたっけ?」
「そうですけど何か?」
「明日のランチ、長八へ行きたいなあと。良かったら付き合いません?」
榊先生との待ち合わせ時刻は夕方。
仕事終わったあとの昼なら問題ないか。
俺は了承し、但しそのあと夕方から先生のいるふじみ野まで向かうからダラダラ飲む時間は無い事を伝えた。
「あ、聡ちゃん、俺も明日ここ休みだから長八行くよ」
「あら、そう。ゲンもおいで」
以前品川春美との約束を寝てしまい、すっぽかした事を不意に思い出す。
少し睡眠を取りたいが、下手に深い眠りになると先生との約束をすっぽかす可能性もある。
俺が来るのを楽しみにしている娘の由香ちゃんたちをがっかりなどさせられない。
こんな事になるなら今日ちゃんと睡眠時間をもっと取っておけばよかったのだ。
いや、今さら後悔したところで仕方ないか。
出勤時間が近付き店に向かう。
「岩上さん休むから、多分明日は大雨ですよ」
意地悪そうに平田が笑う。
「物騒な事言わないで下さいよ」
幸いこの日は暇だったので仕事中結構眠れた。
仕事明けは快適な天気。
ほら、見た事か平田の奴め。
やはり俺が雨男など気のせいなのだ。
長八へ入ると、すでに永井とゲンの姿が見えた。
先に食べていればいいのに、律儀に二人は酒だけ注文して飲んでいる。
「すみませんね、遅くなっちゃって。好きなもの頼んで下さいよ。店員さん、つまみでお勧めってあります?」
「そうですね…、本日でいえばソーセージの盛り合わせになります」
「じゃあ、それと……」
ついでにランチの定食も個々に頼む。
「俺はご飯半分でいいです」
「あれ、ゲンさん、食欲無いんですか?」
「俺は営業終えてそのまま店の中で寝て、寝起きですよ。そんな入らないですって」
店員お勧めのソーセージをつまんでいると、定食が次々と運ばれてくる。
俺はチーズとんかつを注文。
味噌カツと違い、チーズがちゃんとフライの中に入っている。
ゲンはかつ煮を食べた。
永井聡はソーセージの盛り合わせで満足したのか酒だけ飲んでいる。
「永井さん、本当にご飯いいんですか?」
「私、飲むとほんと食べなくなるんですよ」
「駄目です。俺はご飯お代わりするから永井さんの分ももらいます。塩でも掛けて胃袋に放り込んで下さいね」
「絶対に食べないですからね!」
「じゃあ永井さんは約束を履行できなかったので、壁に向かって『ホー、プッシュプッシュ』と言いながら鉄砲打って下さい」
「絶対に嫌です! そんな約束なんてしてない!」
「早くして下さい。時は金なりですよ」
「何で私が壁に突っ張りをしなきゃいけないんですか!」
中々面白い反応だったので、今度から永井はこうしてからかおう。
俺が店員を呼びご飯のお代わりを注文すると、ゲンまで続く。
「ゲンさん、ご飯はそんないいと言っていたのに、しっかりご飯をお代わりしてんじゃないですか」
「岩上さんが聡ちゃんにご飯ご飯勧めるから、俺も食べたくなったんすよ!」
会計時、全員の分を払おうとすると、永井が出すと支払う。
「いつもうちの澄ちゃんとかご馳走になっているから、ここは出させて下さいよ」
中々義理堅い永井の一面。
おそらくこのランチへ俺を誘った目的は、純粋にご馳走したかったのだろう。
確かに普通はこうして奢り奢られが、いい関係を築いていくんだよな。
ここは素直に彼女の好意に甘え、ご馳走になった。
ゲンも自分の分を出そうとしたが「ゲンはいいんだよ」と財布に金を戻させる。
帰り際とても苦しそうなゲンを見て、笑いながら解散した。
さて夕方ぐらいになったら、高校時代の恩師榊先生の自宅へ伺うか。
俺は眠い目をこすり、鳥の世話をした。
地下鉄ブルーラインの坂東橋から横浜へ。
湘南新宿ラインて池袋まで。
あとは東武東上線でふじみ野へ。
久しぶりのふじみ野駅の改札を潜り、先生の住むタワーマンションへ向かう。
オートロックのところにあるインターホンを鳴らして開けてもらった。
広い通路ですれ違う住人から「ご機嫌よう」と挨拶されたので俺も頭を下げて対応する。
上福岡駅にあったアパートから、先生がここへ引っ越して随分経つよな。
昔からこのタワーマンションの住人たちは育ちがいいと言うか、民度が高く感じる。
それがまったく嫌味に感じず自然体だから凄い。
エレベーターに乗り、先生たちのいる階へ。
静かで漆黒の分厚い絨毯の通路を歩いていると、まるでホテルへ来たような錯覚を覚える。
インターホンを押すと娘の由香ちゃんと真由ちゃんがすぐ出迎えてくれた。
「岩上のお兄ちゃん!」
幼い頃からこの呼ばれ方はまったく変わらない。
「おおっ! 由香ちゃん大きくなったなあ…。真由ちゃんにしても……」
随分と時間が経ったのかと子供たちの成長を見るとしみじみ感じた。
奥から榊先生が顔を出す。
「ほら、早く上がれ。みんな、岩上が来るのを待っていたんだぞ」
「あ、先生お久しぶりです。これ、崎陽軒のシウマイです」
居間に通されるとテーブルの上にはたくさんのご馳走が並んでいる。
「あら、岩上さんいらっしゃい。お久しぶりね」
先生の奥さんがキッチンから出てくる。
「うちのだけじゃなく、由香や真由も料理手伝ったんだぞ。有り難く頂け」
俺が高校二年生から三年生に掛けての担任。
先生にしてみたら、担任を受け持ったのは俺たちのクラスが初めてだったらしい。
ガキの頃、本当に先生には迷惑を掛け、たくさんの尻拭いをしてもらった。
高校時代の最後、何故俺はないてしまったのか?
榊先生が本当にいい担任だったからである。
卒業後、社会人になって上福岡の先生のアパートへ招待された時、産まれたばかりの由香ちゃんがいた。
あの時の子がもう今じゃ二十歳。
そして今、こうして俺の為に手料理を作ってくれた……。
定期的に先生のところへ来ては、由香ちゃんの成長を見てきた。
感慨深いものがある。
このふじみ野のマンションに引っ越してから妹の真由ちゃんは産まれた。
由香ちゃんと違い、真由ちゃんは小さい頃人見知りで中々俺に懐かなかった。
それがもう中学校三年生か。
いやー、時が流れるのは本当に早いもんだ。
どんな酷い目に遭っても、俺がブレずに来れた理由の一つに、先生の家族は間違いなく大きな影響を与えてくれている。
俺がお土産で持ってきた崎陽軒のシウマイが娘たち好評だったので、地元用の知り合いたちに買ってあった分すべてあげてしまう。
金物屋の吉岡さん、あとで怒るだろうな……。
「ほら、酒も飲むだろ? 好きなの飲みな」
高校時代とまったく変わらない榊先生。
感謝してもしきれない。
由香ちゃんたちが、俺の現役時代の事や、本を出した時の事を聞きたがる。
うん、そうだ。
俺はこの子たちの為にも当時必死に格好をつけて生きた。
「由香ちゃんがさ…、あの時リングで戦う姿が見たい。お兄ちゃんの小説が本屋に並んでいるのを見たい。まだ幼かった由香ちゃんはいつも俺にそう言ったでしょ?」
「はい」
「本当は凄い大変だったんだよ、格好つけるの」
俺の台詞にみんな大爆笑した。
家では誰もタバコを吸わないので、俺の為に置いといてくれている灰皿を持ってベランダへ行く。
外でタバコを吸っているところを大きなガラスのドア越しに眺める子供たち。
昔から俺がタバコを吸うと不思議そうに見ていたっけ。
また時間作って顔を出そう。
結局思い出話は尽きず、先生の自宅で夜の十一時半頃までお邪魔してしまう。
普段寝るのが異様に早い先生も、今日だけは無理して起きている。
暖かい理想の家庭がここにあった。
昔から先生は家族団欒の場を見せつけ「おまえも早く結婚しろ」と急かす。
俺はどんな状況下であろうとも、俺であり続ける。
こうしてまた笑顔で迎い入れてもらいたいから……。
もう横浜までは電車が間に合わないか。
三駅先だし川越へ寄ってから帰ろう。
俺も睡魔が襲ってきたので、川越駅近くの漫画喫茶へ入ってすぐ寝た。
目覚めたのはお昼手前。
チェックをして外へ出る。
今年の三月に群馬の先生のところへ行った帰り以来の地元。
相変わらずあれだけ嫌な思いをした実家にはまったく顔すら出していない。
おじいちゃんくらいには会いたかったが、それだと親父や叔母さんのピーちゃんと顔を合わせる可能性がある。
今はいいさ、このままで……。
久しぶりの川越の景色。
懐かしさを感じつつ、知り合いの店巡りをしてみた。
まず実家の近くにある吉岡金物店。
中を覗くと若旦那がいない。
配達で出掛けているのか。
道路を渡り、櫻井商店の櫻井さんところへ顔を出す。
「智一郎、昼は食べたの? よかったらシブヤさん行く?」
「あ、いいっすねー。行きましょう」
お昼はレストランシブヤで恒例のランチを注文。
ランチという名前のメニューで、トンカツ、串カツ、酢豚にもう一品とご飯が一つのプレートに乗ったものである。
ここの酢豚が最高なんだよな。
相変わらず美味いシブヤのランチ。
今回のランチはトンカツ、串カツ、酢豚、サラダ、鱧の竜田揚げ梅肉添え、ご飯、味噌汁となっていた。
櫻井さんはカツカレーを食べる。
さて、次はどこ行くか……。
隣りにある和菓子の伊勢屋はシャッターが閉まっていた。
始さんところ今日は休みか。
あ、そういえば前に財布を落としてから保険証を再発行していなかったな。
まず同級生の家である化粧品屋の加賀屋行き、おばさんに顔を見せる。
それから川越市役へ行き、保険証を再手に入れた。
再び大正浪漫通りへ戻り、加賀屋の隣りにあるスガ人形店へ顔を出す。
一つ上の先輩の須賀栄治さんが笑顔で出迎えてくれる。
俺が来たのを知り、栄治さんの娘のあかりちゃんがバンザイと両腕を上げながら駆け寄ってきた。
身体を持ち上げながら、高い高いをする。
「智ちゃん、豆腐食べてきなよ」
「え、豆腐?」
「そう豆腐」
何故か豆腐をご馳走になり、次の場所へ向かう。
同じ銀座通り沿いにあるコーヒーショップ大正館でアイスコーヒーを注文。
まだ夕方五時前なのに、櫻井商店の前を通り掛かるともう閉まっていた。
おそらくどこかへ飲みに出掛けたのだろう。
本日誕生日の吉岡さんは四十六歳になる。
帰ってきているかなと金物屋を覗く。
真面目に仕事をしているので隠し撮りをしてみた。
「おう、智一郎! 帰ってたのか。ちょっと待ってな…、仕事の電話だけさせて」
会話をしていて、本当に忙しそうなので店をあとにする。
崎陽軒のシウマイを持ってこなかった事に気付いていないほどだ。
そろそろ横浜へ戻るか。
いや、今回川越に寄った最大の理由をまだ果たしていない。
レストラン『トーゴー』の味噌焼きチキンを食べてから帰らないといけない。
今俺の全細胞がそれを欲している。
クレアモールの商店街から踏切を渡り、川越駅西口へ向かう。
これを食べたいが為にこうしてわざわざ回り道をしているのだ。
何だ、ありゃ?
駅西口の前に変なものができている。
駅の二階の通路が増設されて、向こうの道路まで行けるようになったのか。
また無駄な税金を使っているなあ……。
駅前ロータリーの向かいにある細い道を入っていく。
ようやくトーゴーが見えてきた。
俺がどれだけここの味噌焼きチキンを食べたかったか……。
ドアを開けて中へ入る。
マスターが俺の顔を見て笑顔で近寄ってきた。
「おー、岩上ちゃん、久しぶり!」
俺が十九歳の頃からの付き合いだもんな。
メニューを見るふりをするが、注文は鼻っから決まっている。
味噌焼きチキンだ。
数年ぶりに食べてもやはり美味い。
川越へ帰って食べるだけの価値がある料理。
俺の著者『新宿クレッシェンド』に出てくる洋食屋アラチョンのモデルがここだとは、未だマスターには話していない。
昔から食べ続けても一向に飽きが来ない味噌焼きチキン。
いつか絶対に、この味をパクって作ってやる。
マスターと近況を話したから川越をあとにした。
電車に揺られながらボーっと考え事をする。
久しぶりの地元へ戻って感じた事。
家族なんて俺にはおじいちゃんぐらいしかいないようなもんだけど、他の色々な人に何だかんだ支えられながら、腐らずにこれたのかなと思う。
しばらく離れていても、笑顔で迎えてくれる地元の近所の方々。
高校生時代から続く榊先生との絆。
こんな俺に懐いてくれるチビっ子な子供たち。
気遣ってくれる先輩方。
昔と変わらない味を未だ提供してくれる各飲食店。
時間が経つと共に変わってしまう事って結構あるけれど、変わらないものだってある。
考えてみたら先生の娘の由香ちゃんなんて、生まれた頃から知っていて、その子が二十歳になって手料理を振る舞ってくれるなんて、相当幸せな事だと思う。
これまで変に意固地になって地元川越には帰らないようにしていたけど、また時間作ってゆっくり過ごしてみるのもいいかもしれない。
家には帰らないけど……。
次、川越へ来た時は今回行けなかった店巡りをしよう。
まず呑龍のしょうが焼き定食。
柔らかい焼きそばも捨てがたいぞ。
そしてみどり屋の焼きそば。
加賀谷でおばさんが高い口紅買っているの見た事あるぞ。
絶対に外せないジミードーナツのミートソース。
幼稚園から通う俺の故郷。
ビストロオカダのロールキャベツとサーモンクリームコロッケ。
エスカロップも捨てがたい。
ラーメン十八番の特製醤油ラーメン。
今は十八番ラーメンと名前を変えたんだっけ。
とりあえず二日でこれは回りたいものだ。
俺が休むと下陰さんが嫌な顔をするからな。
次に川越へ行くのはいつになる事やら……。
考え事をしているとあっという間に池袋へ到着。
横浜まで四十分程度。
関内へ着くと、どこにも寄らずゆっくり歩いて帰る。
部屋へ戻ると最近イタリーノ不足だった事に気付く。
いつからリーノランチしていなかったっけな。
俺は自分が作成したリーノランチ表を見ながら物足りなさを感じていた。
これは改善の余地がある。
二千十四年は、まだ半分しか経っていないのに話題になった犯罪やニュースが多い。
俺は世間で話題になったニュースの人々の画像を仕事中暇な時に集めていた。
まず絶対に外せないのが兵庫県会議員だった野々村。
俺の独断と偏見によって、イタリーノの日替わりランチメニュー各曜日に画像を当てはめていく。
月曜日、冷凍食品に農薬「マラチオン」混入の阿部利樹。
火曜日、「STAP細胞」論文捏造改ざんの小保方晴子。
水曜日、作曲ゴーストライター問題の佐村河内守。
木曜日、不倫報道元グラビアアイドル政治家あやか。
金曜日、柏市連続通り魔事件のチェックメイト竹井聖寿。
土曜日、パソコン遠隔操作事件の片山裕輔。
新しいバージョンのリーノランチメニュー表を作り直す。
いかに俺のイタリーノ愛が、見る人に伝わるだろうか。
この新メニュー画像をフェイスブックへアップして、一人ニヤニヤする。
チッチとマゲの鳴き声が聞こえ、慌てて餌を補充した。
「丸一日以上放置したままだったよな、ごめんよ。すぐ取り換えるからね」
クリアカップの特製プールの水を入れ替えると、マゲがわんぱくに羽をバタつかせながら水浴びを始めた。