
2025/06/25 wed
2025/07/09 wed
前回の章
二千十四年の四月に五パーセントから八パーセントに引き上げされた消費税。
たかが三パーセント上がっただけでしょと、当初は思っただけだった。
買い物をしていても別段気にする事もなく変わりない生活を送る。
昨夜はオーナーである下陰さんに、八月七日をどうしても休みが取れないかお願いしてみた。
ブツブツ小言はこぼされたものの、七月十日以来の休みなので何とか了承を得る。
これで小川絵美とのデート確定、そして彼女の誕生日も同時に祝ってあげる事ができるのだ。
日差しの照り付ける真夏の中、俺はスキップでもするように心を弾ませながら帰った。
それにしても暑い。
部屋に帰って水風呂浴びようとしたら、電球が切れていた。
面倒なのでそのまま水を湯船に溜めて身体を冷やす。
ドアを閉めるとまるで視界が利かない漆黒の闇の中。
これはこれで面白いが、さすがに真っ暗の中じゃ色々と不便だ。
髪を洗う事も髭を剃る事も何もできやしない。
水風呂から出て、着替えを済ます。
横浜橋商店街に入った右手に百円ショップへ向かう。
少し歩いてから、財布も小銭入れも忘れた事に気付く。
ズボンのポケットを探すと、二百八十円あった。
うん、十分足りるだろう。
百円ショップへ行くと、運悪く電球が売り切れて一つも無い状態。
仕方なく商店街の電気屋へ入る。
LEDタイプの電球しかなくこれでいいかと値段を見ると、定価三千円何ぼとかふざけた金額のものしかない。
諦めて近くのセブンイレブンへ行く。
割高だがコンビニの電球を買うしかないだろう。
値段を見る。
何と二百八十七円。
もう一度ポケットに入っている小銭を手に取る。
ゲッ、七円足りないじゃないかよ……。
これ消費税が上がってなかったら、買えていたはずだよな。
無駄に歩き回り再び汗を掻いた俺は、電球を元に戻し負け犬のような気持ちで部屋へ帰った。
もうすべて後回し。
再度暗闇の中で水風呂入る。
一円を笑う者は一円に泣くと言うが、別に俺は笑ってなんかいないぞ。
何でこんな仕打ちを……。
消費税の馬鹿野郎。
このような実害を受け、俺は増税反対派となる。
考えてみれば全国民から買い物の際、三パーセント多く取り上げるなんてとんでもない制度だ。
おかげで俺は電球を買えず、暗闇の中で風呂へ入る羽目になった。
今度はちゃんと財布を持って買いに行けば済む話だが、これでまた行くのは負けのような気がする。
エアコンをガンガンに効かせ、寝転びながらインターネットをして時間を潰す。
面白い記事を見つけた。
二千八年時点で、中国人留学生へ対し、我が国が払っているお金の現状。
奨学金/月額142,500円(年171万円)
授業料/国立大学は免除、公立・私立大学は文部省が負担(年52万800円:現時点)
渡航旅費/航空券支給 東京-北京 (111,100円)
帰国旅費/奨学金支給期間終了後所定の期日までに帰国する場合は航空券を支給 (111,100円)
渡日一時金/25,000円
宿舎費補助/月額9,000円または12,000円 (年144万円)
医療費補助/実費の80%
上記380万円
年に380万円。
これが10万人、なんと返還不要
日本のこういうのって本当に無駄遣いだと思う。
国民から税金上げて搾り取ろうとする政策でなく、もっと無駄な出費を控えるように考えたらどうなのかな。
マスコミもこういうのをもっとちゃんと取り上げて、日本人全員に分かるようにしないと存在自体意味がどんどん無くなっていくような気がする。
過去の事を大袈裟にして、しかも捏造して取り上げ感謝がまるで無い国々に対し、日本はいつまでそんな政策をするのだろう?
俺は家の兼ね合いから地元川越の先輩である中野英幸さんがいるから、選挙で投票する為住民票を移していない。
だから以前横浜で財布を無くした際、免許証や保険証など再発行が本当に面倒だったのだ。
たった一票かもしれないけど、ここまで自分を犠牲にしてまで参加をしている。
本当に自民党にはしっかりして欲しいなと思う。
久しぶりにチッチとマゲを撮影。
平凡な日常な中の俺の唯一の癒し。
いや、小川絵美とのメールのやり取りも心の平安と安らぎを与えてくれているな。
毎日キチンと餌と水を変え、アクの無い野菜もちゃんと与えている。
マゲはビビりのくせに、何かとチッチにちょっかいを出す。
大人しいチッチがマゲのしつこさに珍しく怒った。
マゲがたまに小ジャンプしてチッチの背中に「グゲッ」と鳴きながら急に飛び乗るので、さすがに何度かそれを繰り返され「ピー!」と鳴き叫ぶ。
でも今は巣に入ってピッタリくっついて仲良く過ごしている二人。
眺めていると本当に面白い。
高橋ひろしから電話が入る。
「前にうちのボスが食事をしたいって言ってたじゃないですか。今日とかって大丈夫ですか?」
また引き抜きの話になるのだろうな……。
正直気が重い。
俺が下陰さんの元を離れるなんて事はありえないからだ。
ただ高橋ひろしや一原の顔を潰す事も嫌だった。
ここは食事は付き合うけど、はっきり断る。
このスタンスでずっと行くしかない。
「今日っていつ頃です?」
「いや、それがもうボスと自分と一さんも集まっているんですよ。今から大丈夫ですか?」
「分かりました。支度して向かいますけど、どこへ行けばいいですか?」
「都橋商店街分かりますか? 福富町と野毛の川沿いにある」
「ええ、とりあえずそこへ向かいますね」
何故そのまで俺に固執して引き抜こうとするのか。
その理由を確かめ、それに対しちゃんと断る。
それが筋なような気がした。
自転車で都橋商店街へ向かう。
湾曲した建物の中央くらいまで行き、高橋へ電話を入れる。
「あ、もう近くなんですね? お好み焼きというか鉄板焼の看板見えますか? そこにいるんですよ」
斜め先に看板が見える。
中を覗くと高橋の顔を確認できた。
「失礼します」
「おー、岩上君。さあ、そこへ座って」
一礼して腰掛けた。
高橋や一原も笑顔で俺を出迎える。
「岩上さん、とうとううちのグループに来る決心ついたんですね」
いつもの戯けた調子の高橋。
「何を言ってんですか。俺は今のオーナーに世話になっているので、動きませんと何度も言ったじゃないですか」
「まあまあとりあえず岩上君も何か頼んで。何かこの店、最近お気に入りなんだよ。何飲む?」
「えー…、では烏龍ハイを頂きます」
三人の視線が自分に突き刺さるのを感じる。
嫌な空気だ。
「俺はよー、そこそこ金は持ってる。総資産で言えば十八億くらいかな…。こういう事まで何で岩上君に話すか分かるか?」
「いえ…、正直何故自分を欲しがるのかすら分かりません」
俺は高橋ひろしから連絡を受け横浜に来た。
そして一原に下陰さんを紹介された。
それから一年と十ヶ月、下陰さんの元でただ働いているだけ。
「君がうちの店…、バチカでメニューとか作ってくれたろ?」
「あれは高橋さんには新宿時代からお世話になっていたから、何かできる事がないかなと思ってやっただけの話です」
「そう! そこなんだよ。普通はよ、そんな風に思っても行動に移さないんだ。それがどうよ? あのメニューになってから、売上がどのくらい伸びたか分かるか?」
「大袈裟です。元々手書きのメニューだったから、写真を添えてちょっとデザインしただけです」
「高橋からは聞いている。君が歌舞伎町でどのように店をやってきたか」
「もうゲーム屋自体、絶滅してますよ。昔の話です」
「いや、本当に店を盛り上げるのが上手いと聞いているぞ。なあ高橋?」
「ええ、岩上さんの店に当時自分も通っていましたけど、客の心を掴むのが上手いんですよね」
頼むから煽るなよ……。
何度も行かないと断っているだろ……。
「な、岩上君。みんなが君を買ってあるんだ。もちろん今のところより給料だって大幅に出すつもりだ」
「大変申し訳ありませんが、金額の大小でなく、恩義ある今のオーナーの元を離れたくないのです」
もうこれ以上誘われる事がないように、誠心誠意最新の注意を払い答えた。
「一つ聞いていいか?」
「ええ」
「岩上君はどうしたら、うちのグループへ来てくれるんだ?」
「ですから動きませんと答えたつもりですが……」
「そうじゃなくて、もし仮に動くとしたらの条件だよ。それを知りたいんだ」
「……」
下手な言い方をして、揚げ足を取られたら面倒だ。
「金か? いや、岩上君は違うか。そんなもんで動くタイプじゃないよな?」
「そうなりますね……」
「じゃあ何を望む?」
これは答えないと帰してくれなそうな雰囲気だ。
もし俺が下陰さんの元を離れる条件があるとしたら……。
ズバリ一つしかない。
「新宿で店をやらせてもらうなら…。多分そのくらいかと思います」
「店って何の店だ?」
「インカジ…、インターネットカジノになりますね。自分はそれしか知りません」
「いくらぐらい掛かるんだ?」
歌舞伎町で店を一から開く。
裏ビデオ屋と違い、ある程度の広さは必要だ。
過去大箱の店…、自分で働いたとなると一番街通りにあったワールドワン、そこがすぐに思い浮かぶ。
あの当時で家賃百八十万。
立地的には最高の場所だが、酒井さん系列の店を思い出せ。
歌舞伎町二丁目に渡る花道通りから向こうのホテル街やホストのある場所。
あっちなら数十万の家賃になるだろう。
契約金含めて約一千万。
中のパソコンなどの設備等で百万は必要。
サイトのポイントは酒井さんへすべてお願いするとして、店を運営する資金用に常に百万。
大きなOUTを出された場合のすぐ持ち出せるストック用の金で、三百万は欲しいところだ。
つまり最低一千五百万の金は、インカジ一軒やるのに必要になってくる。
「だいたいでいい。やるとしたらいくら掛かる?」
「一千五百万ですね」
「そうか、おい」
ボスは一原へ首を振り、バックをテーブルの上に置く。
ジッパーを下ろし、中から百万円の帯付きを取り出した。
「……」
テーブルに積まれていく百万円の束。
全部で十五個。
一千五百万円。
「俺は君の願いを聞いたぞ。いつから来る?」
「え? だからそれはどうやったら来るんだと聞かれたので……」
「それを岩上君は答えたのだろ? だからこうして俺はそれに対して答えた」
「……」
始めからある程度の金を用意してあり、うまくそうなるよう誘導されたのか?
「岩上さん、うちのボスは中々こう見えて懐が深いんですよ」
「俺からも下陰の兄貴には話通しますから。大丈夫ですよ、岩上さん」
高橋と一原が両サイドへ座ってくる。
取り返しのつかない事をしてしまった……。
悪い夢でも見ている気分だ。
部屋に帰ってからも、どこか夢心地で現実味がない。
ずっと下陰さんの元で働いていたかった。
馬鹿な誘導尋問に引っ掛かったものだ。
もうすっかり向こう陣営はその気になっている。
とりあえずすぐ辞める事はできないと出てきたはいいが、いつまでもそう誤魔化せないだろう。
こんな事、誰に相談すればいいんだよ……。
岡部さんや坊主さん?
いや、裏稼業のインカジのシステムすら知らない人に何の相談をするつもりだ?
餅は餅屋……。
歌舞伎町や池袋で数軒のインカジや裏スロ、それ以外にも飲食業を多数展開している酒井さんなら、話を聞いてくれんじゃないだろうか?
電話を掛けて相談に乗ってもらう。
「うーん、ポイントの話を簡単に持ってきてくれたと思ったら、今度は目の前に一千五百万置かれましたか…。岩上さんは本当面白いですね」
「面白くなんてないですよ! 俺は今の横浜のオーナーの元で働いていられれば、それで良かったんです」
「でも、向こうから条件を聞かれ、それに対して答えてしまったんですよね?」
「え…、ええ……」
「まあどうするかは岩上さんの人生です。決断は自分でするしかありません。ただ今回の一件は、チャンスといえばチャンスではありますよね」
「……」
「まあ岩上さんが店を始めるなら、私で協力できる事はしますよ」
「お気遣いありがとうございます」
チャンスか……。
今は亡きジャンボ鶴田師匠の言葉。
人生はチャレンジだ。
少しでもあの人のエキスを吸った俺。
全日本プロレスで左肘を故障し、夢は粉々に砕け散った。
浅草ビューホテルで働き、サービスと酒について学んだ。
歌舞伎町でゲーム屋や裏ビデオ屋などの裏稼業から、人間の欲望を目の当たりにしながら色々経験できた。
再び身体を鍛え、総合格闘技の試合にも復帰した。
異性に惚れ、絵を描いた。
ピアノを弾いた。
フラレたけど女々しかった俺は小説を書いた。
サラリーマンをしたけど向いていないのが、よく自覚できた。
だから岩上整体を開業した。
初めて書いた小説が賞を取り、全国の本屋へ並んだ。
ブランクがあったが、総合格闘技へまた復帰して負けた。
ここからずっと下降ばかりしていた俺。
自分なりにチャレンジして様々な事へ時間を掛けて頑張ったつもりだ。
自分で書いた小説が世に出たら、もっと景色が変わると思っていた。
しかし現実はまるで違う。
まさか印税は入ってこないし、見渡せば金をタカってくる連中ばかり。
いや、あの頃だけでない。
横浜でも同じような繰り返しをしている。
そうはいっても自身の性格や考え方などそうは変わらない。
高橋や一原のボスからの引き抜き。
自分を変えるチャンスなのかもしれない。
しかしもしポシャったら?
いや、それよりこれまで恩を受けた下陰さんに何て話す?
「……」
流れが動く時が来たのかもしれないな。
今までどれだけ負けてきた?
それでもこうして五体満足生きている。
『負ける事を恐れるな、だが負ける事を当たり前にしちゃいけない』
ふとこんな言葉が頭の中で浮かんだ。
しばらく筆を置き、執筆していない状況が続くが、来年…、ひょっとしたら今年ぐらいからまた作品を書こうと本能が欲しているのかもしれない。
時間の経過と共に俺は何かしらの経験を得て、少しは成長できたのだろうか?
自分では何一つ分からない。
だからこそ俺は作品を作りたいのだろう。
パソコンでワードを起動する。
「……」
駄目だ。
何か文章を書こうとしても、指が動かない。
多分まだ書く時期じゃないのだ。
どさん子ラーメン、姉妹、そして安達すみれの幸楽……。
実家から百メートル離れていないあの距離で三軒の全焼。
俺の作品でモデルにした店三軒が火事で無くなった。
俺はワードを閉じる。
無理に書かなくていい。
いずれ時が来ればまた勝手に書き出すはずだ。
思えば横浜へ来て約二年近くの月日が流れた。
その間十二分過ぎるほど心に余裕はでき、ゆとりある生活を楽しんだ。
気付けば無数に傷のついていた心は癒やされていた。
様々な人間と出会い、色々な感情を覚え、時には喜び、楽しみ、そして怒り、また苦しんだ。
過去すべてを飲み込んだ上で現在の自身が成り立っている。
確かに下陰さんのところでぬくぬくしながら、ぬるま湯に浸かった状態で日々を過ごしていた。
そろそろ明確な信念を持たなくてはならない時期が来たのかもしれない。
根底にある憎悪が無くなった訳ではないが、マグマのように煮えたぎっていたものが、今となってはようやく落ち着いたようだ。
堕落するのは簡単。
言葉にするだけも簡単。
しかし動き出すのは面倒。
さてこんな俺が今後何をできるのだろう。
こうした中でも時間だけは無情に、そして平等に流れていく。
下陰さんへ何も言えないまま、時間だけは過ぎていく。
ふと仕事を終えてから、気分転換に遠回りをして山下公園まで行こうと思った。
無性に海を見たかったのだ。
一ヶ月ぐらい仕事しっ放しなので、自転車に乗って向かう。
引き抜き話、仕事漬けの日々。
ストレスが溜まっていた。
癒やされる時間は鳥たちと過ごす事と、小川絵美とのメールのやり取り。
関内駅方面からグルリと迂回するような感じで山下公演へ。
初めて通る道はとても新鮮で、また心の中を小気味いい一陣の風が颯爽と吹き抜けていくようなリフレッシュさを実感した。
新宿でも川越でもここまで小気味いい場所なんて無い。
いつか絵美と一緒に来てみたいなあ……。
山下公園へ到着する。
自転車で十分程度。
横浜はこんな近くに海があるのだ。
知らない建物が見える。
地下のレストラン街の入口に強烈な興味を覚えた。
産業貿易センターというビルでパスポートセンターもあるようだ。
海外旅行など行かないからどうでもいいが、地下のレストラン街はとても気になる。
建物内はとてもレトロチックなお店が多く、『長八』の偽者の『どん八』というとんかつ屋まであった。
何故か作業着やワイシャツを二枚で千円で売っている変なお店もある。
他にはインドカレー屋、寿司屋、海鮮系の丼もの屋、そば屋、中華食堂などが。
この建物の二階にパスポートセンター。
地下にあるすべての店を眺めて思った事。
地下レストラン街って、一軒もレストランが無いやんけ。
散々迷った末、妙に家庭的な中華のお店へ入る事にした。
中華そば『たみや』の暖簾を潜る。
中華そば たみや | 横浜産業貿易センターB1 中華そば たみや
入口に日替わりメニューの一つに肉味噌と半ラーメンがあったので、それを注文した。
お店の従業員であるおばあちゃんの耳が遠かったせいか、何度話しても「え、何だって?」と聞こえないようだ。
仕方なく一度外へ出て、指で「これですよ」と注文を伝える。
店内には席数が結構あり、客なんて自分だけだったはずなのに、あとから来た男性客が何故か俺のすぐ隣の席へ座ってきた。
ひょっとしたらコイツ、筋金入りのホモかもしれない……。
警戒しつつ、肉味噌が来るのを待った。
変に身体を触られそうになったら、思い切り打突をぶち込んでやろう。
お待ちかねの日替わり。
運ばれてきたのは何故か肉味噌定食のみ。
半ラーメンも頼んだはずなんだけどなあ……。
「あのーおばあさん、俺、日替わり頼みませんでしたっけ?」
「何だって?」
俺は店の外へ連れて日替わりメニューを指差す。
するとおばあちゃんが「あ、私注文聞き間違えちゃったよ、ほほほ」と笑って誤魔化す。
聞き間違えたって、外で指差して注文したはずなのに…、まあいいか。
中々ヤバい店だな。
一口食べてみる。
予想に反して、味は結構美味しかった。
八百円と書かれた伝票を持ちながら、レジで千円札を出す。
またおばあちゃんがしでかした。
「あ、私、八百円って書いちゃったけど、本当は八百四十円なんだよ」
「……。べ、別にいいですよ」
出てから改めて外に表示してある値段を見た。
どう見ても、外のメニューも八百円と書いてあるが……。
この店面白いので、また行くかもしれない。
外へ出てから道路を渡り山下公園へ行く。
しばらく海を眺めた。
こういう公園を絵美と一緒に歩いて過ごしてみたい。
さて、そろそろ行くか。
帰り道は川沿いを走り、元町商店街を通過してから部屋へ戻る。
うん、これからこういったルートで帰るのも悪くないなあ。
いい気分転換になった。
二千十四年八月五日。
小川絵美の誕生日。
俺は彼女へ獅子座の絵を添付してメールを送る。
とても喜んでくれたので、一生懸命描いた甲斐があった。
明後日はいよいよ待望の休みであり絵美とのデートが控えている。
チッチとマゲの世話をして眠った。
ドーン、ドーンと激しい音が何度も鳴り起こされる。
何の音だ?
雷でも鳴っているのかなと思ったが、外の様子を伺う。
雨が降ったあとも無いし、定期的に音はなり続けている。
あ、花火の音か。
そういえばみなとみらいで花火大会とか平田が言ってたっけ……。
花火なんて浅草ビューホテル時代に仕事中見た以来だから、二十年近く見ていない事になる。
せっかくだから近くまで行ってみるか。
野毛方面に向かって歩く。
大岡川沿いに進んでいくと、妙に浴衣姿の女性たちの姿を見掛けた。
しかも自分の進んでいく方向とは逆。
野毛まで行ったところで花火大会が終わったという衝撃の事実に気がつく。
このまま帰るのも何か癪だな。
野毛をブラブラしていると、串カツ屋が目に入る。
串揚げ『北村』?
串カツじゃないのかな?
まあ多分同じ意味だろう。
よし、ここは串カツを食べようではないか。
L字型のカウンター席のみの店内。
入ると愛想が良くない小汚いオヤジが一人でやっているようだ。
串カツ三本、茄子三本、ジャガイモ、タマネギ一本ずつ注文。
ウイスキーが無いのでサワー系を頼む。
仏頂面の小汚いオヤジにも一杯勧めると、急激に饒舌となる。
結構現金なオヤジだ。
肝心の味はソースが美味いのか中々いける。
これだけ頼んでも会計は三千円弱。
中々リーズナブルなお店。
串カツも美味かったし、またここには来よう。
今度はホルモン屋とかも、この辺で探索しみようじゃないか。
あと二日で絵美とのデートだ。
俺は海方向を振り返り、彼女と花火を見たかったなと、すっかり暗くなった夜空を見つめた。