岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 59(続・馬鹿と阿呆編)

2024年10月08日 09時03分59秒 | 闇シリーズ

2024/10/08 tue

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新宿コンチェルト01 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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三時過ぎに、當間がアクビをしながら入ってくる。

俺は早速シフトの提案をしてみた。

「うん、いいんじゃないのそれで……」

面倒臭そうに當間は言った。

「じゃあ、これでやりますけど、あとで有木園さんにも伝えておいて下さい。休みの時だけ空いたほうに當間さんが入ってほしいんですよね。そうすれば、みんな休みを取れます。理想だと思いませんか?」

「何を言ってんの? 休みなんてある訳ないじゃん」

「は?」

「日払いの商売やってんだよ? 一日出て何ぼ。それが俺たちじゃん」

「それは分かるけど、何で休みがないんですか?」

「オーナーたちにあれだけ金を出させているんだよ? 昨日も百補充してもらったしさ。だから利益なんて出てないのに、休むなんてとんでもないよ」

この野郎……。

よく回るそのアゴを砕いてやろうか……。

また昨日も百万補充した?

つまりもう五百万もこの店に掛かったという事だ。

ほとんどこの馬鹿と有木園で使ったくせに、何が利益を出すまで休みを取れないだ。

自分で話している言葉をちゃんと理解しているのか、こいつは……。

「當間さん…、今、店の資金はその百万入れて全部でいくらあるんです?」

「そんなの店長である俺の仕事だから、岩上ちゃんはそこでパソコン打っていればいいんだよ」

「あのですね……」

「だいたいさ、店長は俺だよ? シフトとかさ、そういうのアイデアを出す分には構わないけどさ。決めるのは俺だよ。決定権は俺が全部握っているんだよ。分かってる?」

「何だとこの野郎……」

思わず立ち上がり、拳を握り締める。

「な、何だよ……」

ゆっくりその場で深呼吸をしてみた。

うん、少し落ち着いてきた。

また椅子に座る。

「何でもないですよ。いつもここに座りっ放しだから、たまには立たないと身体がおかしくなりますからね。で、店の資金はいくらあるんです?」

「百万だよ」

「昨日もらった以外の金で、端数分は?」

「うーん、いくらだっけなあ……」

「當間さん…。これから金は、俺が管理します」

「ふざけんなよ!」

金の話になると妙にムキになる當間。

馬鹿のくせに金だけは執着がある。

「ふざけてないですよ。別に俺が勝手に使うとかじゃなくて、風俗とはいえ、あくまでも会社なんですね。だから金額を把握しときたいんですよ。この金は何に使ったとか」

「あ、そう。なら、いいよ」

「あとですね。もうこれ以上、勝手に無駄遣いはやめて下さい」

「何を言ってんの? 俺なんか可愛そうなもんだよ。店長なのに、岩上ちゃんとかと同じ給料なんだよ?」

馬鹿でプライドが高い。

最低の人種だ。

ここまで人間的に腐った奴は、この歌舞伎町でもそうはいない。

種類は違うにせよ、この馬鹿に匹敵する奴は、ワールドワン時代運良く早番の責任者になった吉田と、裏ビデオ屋メロンを乗っ取った北方ぐらいだろう。

ゴマすりの吉田。

金の守銭奴の北中。

頭スカスカの當真。

もしこの三人がセットになったら日本は滅びるだろうな。

「とにかくこれからは何か使う時ちゃんと報告して下さい」

「あのさ、俺、店長なんだよ?」

「分かってますよ、當間店長」

小馬鹿にしたように言うと、當間の顔が真っ赤になった。

「ちょっとさあ、岩上ちゃんよ。図体デカいからって俺を舐めてんじゃないの?」

顔面神経痛に掛かったような表情をして俺を睨む當間。

どうやら本人はビビらせようと威嚇しているようだ。

まともに喧嘩さえしてこなかったのか。

「別に舐めてはいないですよ。こっちは何にいくら使ったか、パソコンに数字をつけるようなんですね。何でそれをそこまで嫌がるんですか?」

「あんま昔の事は言いたかなかったけどよ…。俺、関東で最大の族に入っていたんだぜ?」

村川たちから俺の事を何も聞いていないのか、このクズは?

それに本当にそうだったとして、だから何なのだろう。

「ああ、珍走団の事ですか?」

「はあ? 馬鹿だな。族って言ったら暴走族に決まってんだろ?」

「だから今は暴走族って、珍走団って呼ばれているの知らないんですか?」

「何だよ、そりゃあ? 格好悪いじゃん」

ニワトリだって三歩歩くまで忘れないのに、この馬鹿はもう怒っている事すら忘れているようだ。

「ええ、だからそうやって呼ぶようになったらしいですよ」

「ふーん。でもさ、岩上ちゃんよ」

「何ですか?」

「今までちょっと体がデカいからって、みんな喧嘩売らなかったかもしれないけどさ。族上がりには考えたほうがいいよ?」

コイツ、これで俺を遠回しに脅しているつもりなのだろうか?

一応まだ怒りは残っているみたいだな。

ニワトリよりはちょこっとだけ頭がいいのか。

「大丈夫ですよ。護身術ぐらい習ってましたから」

「あのさ、そういうレベルじゃないのね? 俺らがやってきた事っちゅうのは」

「へえ、何をしたんです?」

大方シンナーを吸ったぐらいだろう、この馬鹿じゃ。

何か歯も溶けているようだし。

「何をしたって、そんなのちょっと考えれば分かるじゃんよ」

「まあ、そんな事よりも今は、店の事を話しましょうよ」

「まあね」

「女の子はどうなりました?」

「ああ、岩上ちゃんが昨日うるさいから、今日夕方ぐらいに来るよ」

「本当ですか!」

「嘘なんてついたって誰が得するよ」

やっとこの馬鹿が初仕事をしたようなもんだ。

「最初にそれを言って下さいよ。夕方って何時頃です?」

「五時ぐらいかな?」

「すごいじゃないないですか、當間さん」

いつもテストで零点だった馬鹿が初めて三点取れたようなもんだが、妙に嬉しく感じている俺は、少しおかしいのだろうか……。

「まあね、俺がちょっと本気出せばね」

四百万使ってたった女二人かよ、このクズ。

「もうちょっと本気出して、明日は二人お願いしますよ」

これだけ吹っ掛けておけば、一人ぐらい連れてこれるかもしれない。

「うーん、まあ考えとくよ」

それだけ言うと、當間は店から出て行った。

何をしにここに来たんだ、あの馬鹿……。

 

ようやく仕事を終えて店を出る。

シフトを作った俺に、有木園はもの凄い勢いで怒鳴りつけてきた。

そんなに四時に来るのが嫌だったのだろうか?

働くのが嫌だったら辞めればいいのに。

まあ執行猶予中の阿呆じゃ、他に働き口もないだろうけど…。

だいたい楽して金だけもらおうなんて考え自体間違っているのだ。

同じ従業員なんだから、いる限り時間内はちゃんとやってもらう。

じゃないとあの店はどんどん沈没する。

すでにほとんど沈没しているようなものではあるが……。

休みの件をハッキリできなかったのが癪だが、まあもうちょっと様子を見てから決めればいいか。

川越に着いたら買い物をして、久しぶりにちゃんとした料理を作ろう。

考え事をしている内に駅に着く。

五分前に小江戸号が出てしまったので、次の特急券を購入する。

西武新宿駅の改札を通ると、駅長の間壁さんの姿が見えた。

電車に乗るにはまだ三十分ほど余裕があったので声を掛ける事にした。

早くこの問題も終わらせたい。

「先日はどうも」

「あ、お世話さまです。本当に先日はすみませんでした」

「いえいえ、もう助役の朝比奈さんとは何の問題もないです」

「そうですか。それは良かったです」

「ただ、駅長の峰さんですけど……」

「何かありましたか?」

俺は間壁さんにあれ以来の何の対応もしようとしない峰の現状を話した。

聞き終わると間壁さんは厳しい表情になっていた。

「そうですか。それは大変申し訳ございませんでした」

「謝罪したいという事で謝るのは分ります。でもいちいち言い訳をしていたら謝罪にはならないと思うんですよ」

「ええ、おっしゃる通りです。峰の件については私も謝りますので……」

「間壁さんが謝る事はないですよ。実際朝比奈さんとはもう普通に会話しているんですから。峰さん自身が理解しないと駄目なんですよ」

「そうですね。しかし彼も非常に反省はしています」

「でも峰さんは私から一度こっちに出向いて話しただけで、その時は冗談じゃないと帰ってます。それから何も連絡ないですし、それだけはそう言われても反省してるとは思えないんです。実際に間壁さんや福島さんに頭を下げられて、自分だって心苦しいですよ。多分間壁さんだっていい気持ちはしないと思います。それなのに何で張本人である峰さんはああなんだと言いたいだけなんです」

厳しい言い方だったが、自分の気持ちを理解してほしかった。

「本当に申し訳なかったです」

深々と頭を下げる間壁さん。

「もう間壁さん、そんなに謝らないで下さいよー」

「いえいえ、大変失礼な真似をしてしまい……」

「大丈夫ですって。間壁さんの顔も立てたいから、訴えるだとかギャーギャー騒ぐつもりは一切ありませんから」

その言葉にホッとしたのか、間壁さんは安堵の表情を漏らす。

「ええ」

「ただこのまま中途半端にさせるつもりはないんです。だから峰さんについては少しお灸を据える意味でも、ちょこっと言いますから」

「どうか、お手柔らかにお願いします……」

「大丈夫ですって。できればみんな笑顔で解決にもっていきたいですしね」

「ありがとうございます」

「あとこの件で小説も書き始めているんです」

「え?」

また間壁さんの表情が一変する。

無理もない。

普通に聞いたら、ただ西武鉄道の失態を中傷する内容の作品だと誰でも思うだろう。

「それも問題ないですよ。別に西武の悪口を囲うと思ってやってる訳じゃないですから。読んだ人が良かったと思えるようなものを作ってますので、そんな心配そうな顔をしないで下さい。中傷記事を書くのとは違います」

「そうなんですか。少しビックリしましたよ」

「完成したら間壁さんにちゃんと持ってきますね」

「それは楽しみですね。どんな感じになるのか想像がつかないです」

「確かにあの小江戸号の一件をメインに持ってく訳ですから、非常に地味で他の人にはどうでもいい事かもしれません。それをどう面白く書けるか。しかも面白いだけでなく、人間としてのテーマを色々と入れていきたいです」

俺と百合子の間でできた子供の為にも、この作品は残したかった。

俺にとって六作品目にあたる小説だが、エゴで消してしまったあの子に捧げたい。

「とても楽しみにしてます」

「それでは今日はもう帰りますので」

「気をつけてお帰り下さい」

「あ、間壁さん」

「はい?」

「本当はもうあんな電車の件なんて、もうどうだっていいんですよ。私のエゴでこんな風にしちゃって申し訳ありませんでした」

俺が小江戸号に乗るまで間壁駅長は深々と頭を下げたままだった。

あんなにいい人で親身になってくれる駅長が西武新宿駅にいる。

西武新宿線をずっと利用してきて良かったなあ。

心の底からそう思えた。

電車に乗って、外の景色をボーっと眺める。

そういえば百合子に仕事終わってこれから帰ると伝えるのをすっかりを忘れていた。

すぐメールを打ち始める。

 

《仕事終わったのでこれから帰りますよん。これから逢えるかい? 実は今、もう所沢辺りなんだけど、色々考えていてメール送るの遅くなった。ごめんね。 岩上智一郎》

 

今日はイブだけあって、駅構内で抱き合っているカップルの姿がよく目につく。

 

電車がもうちょっとで本川越駅に着く頃、百合子から返事が来た。

 

《もっと早く言ってよー。智ちんが逢おうって言ってくれるの、ずっと待ってたんだからね。もちろん今日は逢うに決まってるでしょ。連絡なかったから仕事が忙しいのかなと思っちゃったよ。早めに着替えて智ちんの家に向かいまーす。 百合子》

 

確かにもう少し早めに言っておけば良かった。

今日はイブなんだもんな。

俺の気遣い不足だと反省した。

ちょっとした気遣いで百合子が喜んでくれるなら、いくらだって気遣おう。

まだ子供をおろしてから何日も経ってないのだ。

あいつには笑顔でいてほしかった。

 

《了解です。ごめんな。でもそんなに急いでこないでいいよ。事故に遭ったら大変だしさ。俺は家で料理作ってるから適当な時間においで。 岩上智一郎》

 

川越の町並みもすっかりクリスマスモードで綺麗なイルミネーションがあちこちで飾ってある。

見ていて少しだけ華やかな気分になった。

寒いし今日は暖かいものでも作ってあげよう。

スーパーへ寄ってみる。

店内はジングルベルの音楽が鳴っていた。

俺は百合子に作ってあげたい料理の材料を買い物かごにどんどんぶち込む。

クリスマスイブに鍋というのも違和感あるが、彼女は鍋が好きだから問題ないだろう。

せっかくの機会だし、全日本プロレス仕込みのちゃんこ鍋を作ってあげよう。

作るのは久しぶりだったが、この腕がちゃんと覚えている。

できればもう一度、全日本プロレスのちゃんこ鍋を食べたいなあ……。

 

家に着いて料理の準備をしていると、百合子からの電話があった。

「もしもし」

「あ、智ちん。ごめんね。お風呂入って出掛ける準備してたら、今まで時間掛かっちゃった。これから家を出るから、あと二五分ぐらい掛かるけど大丈夫?」

「問題ないよ。気をつけておいで。今、料理しててさ、火を点けっぱなしだから悪いけど電話切るぞ」

「うん、じゃあ、あとでね」

「あいよ」

ご飯は炊けたし、サラダも作ってある。

ペンネハンバーグもできた。

グラタンもいい焼き加減だ。

鍋はもう少し煮込まないと駄目だから、時間的にもちょうどいい。

鍋を煮込んでいる間、クリスマス用のチキンをオーブンで焼く。

これは百合子とその家族用におみやげで持たせてやればいいだろう。

その他にジャガイモの芽を取り、フライドポテトを油で揚げる。

それが終わると鳥の唐揚げを作る。

ついでにサンドイッチも作った。

このぐらいあれば百合子の家族も喜んでくれるだろう。

サラダを食卓に並べたところで携帯電話が鳴る。

ちょうどタイミングがいい。

百合子からだ。

「もしもし、着いたのか?」

「うん」

「玄関まで迎えに行くよ」

携帯電話を切り、急いで玄関まで向かう。

ドアを開けると百合子が待っていた。

「まあ、上がんなよ。外、寒かったろ?」

「寒いねー」

「鍋作ってあるぞ。おまえ、好きだろ?」

「ほんとー」

「ああ、しかも俺の全日本時代のちゃんこ鍋を作ってみた」

「嬉しー、楽しみ」

居間に連れて行くと、百合子の表情が輝く。

「すごーい、これ智ちんがぜんぶ作ったんでしょ?」

「当たり前だろ。他に誰が作るんだよ」

「そりゃそうか。えへへ……」

昔はよく料理を作ったものだ。

よく親父に「女みたいな事をしやがって」と殴られても、泣きながら野菜を切ったよなあ。

百合子が見ただけでこうも喜んでくれるのなら、頑張って作った甲斐があるというものだ。

「もう見てたらお腹ペコペコ…。食べていい?」

「ああ、食べなよ」

二人で食べるには量が多過ぎるがとても優雅で楽しい食事だ。

ある程度食べてから讃岐うどんを入れる。

「え、うどんまで入れるの?」

「結構いけるぜ。俺の作ったちゃんこ鍋用のタレあるだろ」

「うん」

「それがまたうどんにも合うんだよ。色々なもの入れてるから鍋の中はいいダシが出てるしね」

「そういえばそうだね」

「ま、食べてみな」

「うん」

うどんを少しだけ口に含んで味見をするようにして食べる百合子の顔を俺は覗き込んだ。

「おいしー」

「だろ?」

「でももうお腹いっぱいだよ。苦しくなってきた」

「無理して食わなくてもいいよ。ちょっと待っててな」

先ほど用意しておいたお土産用のチキンやサンドイッチなどを持ってくる。

「ほれ」

「え、どうしたの?」

「これは持って帰って家族みんなで食べなよ」

「でも……」

「別にいいじゃんよ。イブになったのにちゃんこ鍋だけじゃ味気ないしな」

「智ちんの家で食べるんじゃ……」

うちの家族は、俺の作った料理なんて誰も口してくれない。

「うちはいいの。百合子が持って帰るの迷惑だというなら、仕方がないけどね」

「ううん、そんな事ないよ。ありがとう。大変だったでしょ?」

「たまにはいいじゃんよ」

そう言って優しく百合子に微笑んだ。

「ありがとう。本当にありがとう。ねえ、智ちん、あのさー……」

「何だ?」

「今日、泊まってってもいいかな?」

「ああ、構わないよ」

お互いが元の状態に戻ってきたなという実感が湧く。

何故、今の状態を保てなかったのだろうか。

幸せを感じる度、その後悔が付きまとう。

「智ちん、どうしたの?」

「い、いや、何でもないよ」

「何か考え事してたでしょ?」

「おまえが喜んでくれて良かったなと思っただけだ」

「へへ…。あ、そうだ。忘れないように、智ちんの作ってくれた料理、車に置いて来るね」

二人で百合子の車まで行く。

外はとても寒かったが、これで雪でも降ったらロマンティックなんだけどなあと思った。

そんな神様も甘くないか。

部屋に戻ると軽くシャワーを浴びてくる。

その間百合子は部屋を掃除してくれた。

シャワーから出ると、もう夜中の一時になるところだった。

「百合子、もう一時だよ。明日も仕事だろ?」

「うん」

「もうそろそろ寝よう」

「そうだね」

百合子に腕枕をしてやる。

質素で地味かもしれないが、こうやって異性と二人でクリスマスを過ごすなんて、考えてみたら生まれて初めてかもしれない。

疲れていたせいかすぐ眠りに落ちた。

 

自分の入場テーマ曲である地球を護る者(challenge of the psionicsfighters)が、鳴り響く。

眩い照明が照らすリングに向かい、俺は花道をゆっくりと歩く。

観客がブーイングを飛ばしてくるが、俺は通路で立ち止まり、あえて客を挑発した。

会場はブーイング一色になる。

非常に心地良い。

思わず笑みが出てくる。

出来る限りふてぶてしく堂々とリングに向かう。

会場中の観客の視線が、全部この俺に向いているのを思うとゾクゾクしてくる。

対戦相手はリング上から見下ろして、生意気な態度をとっていた。

身体中で会場内を意識していたが、全神経を対戦相手に切り替える。

騒がしい歓声が何も聞こえなくなる。

ゆっくりとロープをくぐり、ようやくリングインすると、テーマ曲が消えた。

レフリーに身体をチェックさせる。

反則行為などの説明を受け、ゴングが鳴り響く。

同時に相手が低姿勢で突っ込んできた。

後ろにステップバックしてガッチリとタックルを受け止める。

上から覆い被さり相手の自由を奪いにいく。

下から懸命に足間接をとろうと足掻く対戦相手。

まともに相手するのが面倒だった。

「悪く思うなよ」

ニヤリと笑って右親指を突き立てる。

そのまま真横から親指を相手の横っ腹に突き刺す。

「ギャー……」

強くなりたい。

そんな想いがこの技を編み出した。『打突』……。

人間の体に穴を開ける最低最悪な卑劣技……。

相手は悶絶しながらリング上を転げまわる。

横っ腹からあふれる血がマットを赤く汚していく。

俺はその光景を見ながら唇を軽く上に吊り上げワザといやらしい笑顔を作る。

リングの上から会場内を見回すと、場内はシーンと静まりかえる。

その時背後から強烈な打撃を喰らった。

「岩上、キサマはまだ分からないのか? この馬鹿野郎が!」

マットに倒れたまま、振り返ると師匠であるジャンボ鶴田さんが立っていた。

「つ…、鶴田さん……」

師匠の目に涙が光っていた。

「誰がそんな事をしろと教えたんだ? 人を破壊する為におまえは…、いや、人を殺す為におまえは試合をしてるのか?」

俺には鶴田さんのような強さがない……。

あなたのようにできる事ならなりたかった。

でも自分じゃ器が違い過ぎて、同じ事してたんじゃ、絶対に無理なのも自覚していた。

まともにやっても俺は強くない。

ならどんな形でも、あなたに少しでもいいから並びたかった。

あなたは誰もが認める完全なベビーフェイスだ。

だったら俺は完全なるヒールでいい。

とことんリングの上なら絶対的な悪党になってやる。

誰にも分かってもらえなくていい。

観客がブーイングを送ってくれて、自分の存在価値があればそれでいい。

頭の中で考えている事をすべて鶴田さんに伝えたかったが、言葉として口から出てこない。

何故だ?

何故、自分の主張が言えないんだ……。

ずっと思ってやってきた事が……。

「いいか、格闘技、プロレスは殺し合いをするものではない」

「……」

「人を壊す為でもないんだ」

「でも…、プロレスに対する今の世間の評価って、知ってるんですか?」

「それがどうした?」

「どんどん軽く見られているじゃないですか!」

「だからあの技を使ったとでも言いたいのか?」

「そうです。でもそれだけじゃないです。他の格闘家連中がずいぶんと偉そうな台詞をほざいているじゃないですか? 俺たちは真剣勝負でやっていると……」

「それで?」

「おまえらだけが真剣にやってんじゃねえって言いたいんですよ。俺に言わせれば何が違うんだと言いたいんです。もしそれでも自分たちとプロレスがやってる事が違って言うなら、実際に戦って分からせてやるだけです」

「どうやって?」

「おまえらが真剣勝負だと言うなら甘いと…。そう言いながら、関節決めて骨を折ったり筋を伸ばしたりしてるのか? 試合で真剣、危険だというのを売り物にしているけど、いつ試合で相手を殺すまでやっているんだと。実際にレスラーと他の格闘家が試合して大一番で負けてきたが、レスラー側はその団体で育てた日本人しか出せない。でもそっち側は外人を出してくる。日本人が出てきたとしても都合のいいルールを要求し、揉めてそのルールに近い状態で試合をする。やり方が汚いだけ…。そんなザマで偉そうに吹くなら俺がおまえら日本人とやってやる。自分はそうやって分からせてやりたいだけです」

「偉くなったもんだな」

「え?」

「ずいぶんと偉くなったもんだなと言ったんだ。いつからそんな偉そうな口が利けるようになったんだ?」

「……」

「かかってこい」

「い、いえ……」

師匠である鶴田さんに手を上げるなんて、俺にできる訳がない。

「老いた私を倒せないで、おまえに何ができるんだ」

分かってほしい。

『打突』は憎しみがある相手じゃないとできない打撃技である事を……。

「無理です。鶴田さんに俺が勝てる訳ないじゃないですか? そして手も出せません」

「以前おまえが言ってた『打突』とやらを使ってみたらどうだ?」

「あれは相手を壊す目的で繰り出すだけの打撃技です。鶴田さんにそれを打てる訳がない……」

当時レスラーとしては線の細い俺が、そのハンデを補う為に編み出した技。

でもこれを使用するという事は、ナイフで相手を刺すのと変わらない。

戸惑う俺に、鶴田さんが迫ってくる。

普段あれだけ優しい表情の鶴田さんが今は鬼のような形相をしている。

「やってみろ」

殺気を感じた。

『打突』を打たないと自分がヤバい。

本能的にそう感じた殺気を放っている。

右手が無意識に動き出す。

何をしてんだよ、俺は……。

「鶴田さん……」

恩師でもある鶴田さんに俺は、非人道的な技、『打突』を放ってしまった……。

「何だ、その程度か……」

「え?」

鶴田さんの顔を見上げると、何事もなかったように立っている。

馬鹿な……。

『打突』がまともに横っ腹へ決まったのに何故?

「以前にちゃんと言ったはずだ。何をやられても壊れない体を作る。レスラーはまずそこからだと」

強烈な打撃が俺を襲う。

一瞬で意識が切断された……。

 

身体が何をしても動かない。

俺は鶴田さんの一撃で完全にノックアウトされた。

俺などしょせんこの程度だ。

身体を揺さ振られているのを感じる。

誰だろう。

ひょっとして鶴田さんが気遣ってくれているのか?

しかしまぶたが重く目も開かない。

「ねえ、起きてってばー」

女の声が聞こえる。

「智ちん…、どうしたの?」

百合子の声だ。

さっきまで鶴田さんと向かい合っていたのにどうして……。

「ねえ、智ちん。大丈夫?」

心配させちゃいけない。

俺は懸命に目を開こうとする。

「百合子……」

顔を覗き込むようにして、心配そうな顔をしている百合子。

「大丈夫? ずっとうなされていたけど……」

「……」

「智ちん?」

「夢か……」

「夢?」

「現実じゃなかったんだ……」

そう…、ジャンボ鶴田師匠はこの世にとっくにいない。

俺が二十八歳の時だから、亡くなってもう五年も経つんだ。

何で今になってあんな夢を見たんだろう。

戦いのステージからはとっくに降りているのになあ。

まだリングに未練でもあるのか?

以前出た総合の大会の主催者サイドの汚さに嫌さを差して、もう懲りたんじゃないのか。

いや、堂々と戦えるなら、あの光輝くリングに向かって俺の好きなテーマ曲でまた入場したいさ……。

「どうしちゃったの?」

「師匠に夢の中で説教されたみたいだ」

「師匠?」

「以前、俺は全日本プロレスにいたろ?」

「うん」

「その時お世話になった師匠であるジャンボ鶴田さん…、夢に出てきたんだ」

「そうだったんだ。ずっとうなされてたから心配したよ」

「まだまだだな……」

「何が?」

西武新宿の一件から、どうやら俺は自分の思想が絶対だという慢心がどこかにあったのかもしれない。

今の自分に満足したら、そこで成長は止まる。

鶴田さんが俺の事を心配して夢に出てきてくれたのかな。

そんな気がする。

「現状で満足しちゃいけないって師匠に教えられたよ。いつからそんな偉くなったんだってね」

「智ちんは頑張ってるよ。私はそう思ってるよ。」

「ありがとう。でも俺はそれで頑張ってると満足した時点で、成長は止まると思うんだ。現時点じゃ、少なくても自分自身に俺は満足できないよ。もっと上に駆け上がりたい。思ってるだけじゃなく、行動も伴わないとね」

そうする為にも一日でも早くあの西武鉄道の問題にけじめをつけなきゃ。

あと『ガールズコレクション』も。

「すごいな、智ちんは……」

「何でよ?」

百合子は甘えた表情で俺にもたれ掛かってくる。

「別にいいじゃない、私が勝手にそう思っているだけなんだからさー」

「ところで今、何時よ?」

二人して時間をすっかり忘れていた。

時計を見ると九時を過ぎている。

俺は十二時に出勤だから問題ないが、百合子は完全に遅刻だ。

「おい、百合子。会社、大丈夫かよ?」

俺が言うより早く、百合子は携帯で電話をしていた。

「あ、もしもし…。はい…、はい。ええ、そうです。すみません。はい…。それで今日、体調もおもわしくないのでお休みをいただきたいのですが…。はい…、申し訳ございません。ええ、それでは今日はゆっくり家で寝るようにしています。それでは失礼します」

電話を切った百合子は俺のほうを向いてペロッと舌を出した。

「まったく……」

「えへへ…、ズル休みしちゃった。智ちんも今日休んじゃえば?」

「無理に決まってんだろ。しかも今日クリスマスだし…。そんな日に休んだら、どんなにいい言い訳考えたって疑われるだけだ。仕事終わったらすぐに帰ってくるよ」

本当の事なんて百合子に言えないよな、さすがに。

本音を言えば、今すぐにでも辞めてゆっくり二人でこうしていたいぐらいだ。

「分かってるよ。智ちん、仕事に対しては真面目だもんね。ちょっと言ってみたかっただけ」

「どっちにしろ俺は十時三十分の小江戸号か、五十八分の通勤快速で行くようだからな。じゃないと遅刻だ」

「じゃあ、五十八分ので行こうよ。少しでも長く一緒にいたいもん」

「分かったよ」

馬鹿と阿呆を二人相手に、また憂鬱な一日が始まるのか……。

 

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