2024/10/07 mon
前回の章
本川越駅に着いて改札を出る。
時刻は十二時を回り、日付が変わっていた。
電話を掛けようとすると、百合子の車がロータリーに停まっていた。
俺は駆け足で近付く。
「ごめんな、遅くなって……」
ドアを開けながら車の中に入ると、思わず言葉が止まってしまった。
百合子のうつむいた横顔を見た瞬間だった。
今日の手術後の時よりもさらに酷くやつれていた。
「百合子…、大丈夫か?」
「うん……」
「でも、すごい疲れきった顔してるぞ。体調は大丈夫? 痛くないの?」
「うん、大丈夫」
「そうか…、でも本当に無理はしないでくれよ」
「大丈夫だよ。ただね…、今日だけは家にいたくなかったの。親が私を心配するのは当たり前でしょ? 子供たちも変に私に気遣って……。でもそんな状態で家にいたとしても、どんどん悪い方向にいくような気がして……」
俺は男で彼女の苦悩は理解できないが、その気持ちだけは分かるような気がした。
「ああ、分かったよ。でもどうすんだ、これから? お腹は減ってないか?」
ゆっくり優しく話した。
「うん、平気。大丈夫。」
「じゃあ、俺の部屋に来るか?」
「きょ、今日は誰もいないところのほうがいいな……」
「ああ、分かったよ。その辺のホテルでいいか?」
「うん……」
静かに車を発進させて、近くのホテルに向かう。
ホテルに着くまでの間、お互い無言だった。
百合子の横顔を見ていると、何も言葉が思い浮かばなかった。
「ここは私に出させて」
「何、言ってんだよ」
「お願いだから…、ね?」
「うーん、分かったよ」
彼女の気持ちを素直に受け入れる。
ホテルの部屋に入りコートと上着を掛け椅子に座る。
タバコを吸おうとして慌てて火を消した。
百合子が妊娠中だった時、つわりのせいかタバコの煙でよく気持ち悪そうにしていたのを思い出したからだ。
「もうタバコ、大丈夫だよ。気にしないで吸って」
さり気ない百合子の気遣いが心に突き刺さる。
タバコを気にしないで吸っても大丈夫なようにさせたのが、俺のせいなのだ。
その為に失い、傷ついたものが多過ぎる。
「辛い思いさせちゃって本当にごめんな。身体、異常はないか?」
「うん……」
「無理しないで休みなよ。ベッドに横になったら?」
百合子をベッドに寝かせて、俺は再び椅子に腰掛ける。
一時間ほど昨日の出来事を振り返っていた。
いくら後悔しても二度と戻る事はできない悲しみ……。
もう彼女は寝たかなと思い、ベッドのほうを振り返る。
「お願いがあるの……」
振り向いた瞬間、百合子と目が合い、いきなり声を掛けられたのでビックリした。
まさかまだ起きていたとは……。
「な、何だ?」
「腕枕してくれる?」
「そんな事ならもっと早く言えばいいのに……」
俺もベッドに入り、右腕を百合子のほうにゆっくり伸ばす。
少し前なら当たり前の光景が、今では遥か昔の事のように感じる。
そっと右腕に頭を乗せる彼女を俺は優しく抱き締めた。
「辛かったろ? 大変だったろ? 我慢しないで思いっきり泣いたっていいんだぞ」
「……。うっ……」
声を殺しながら俺にしがみついて泣く百合子の姿を見て涙が出てきた。
懸命に涙を堪えようとしても我慢できなかった。
二人で抱き合って思い切り泣いた。
どのぐらい泣いただろう。
百合子の顔を見てゆっくり話した。
「俺もおまえも今日失った命…、いや、子供をずっと想いながら生きよう…。こんな辛いなら、強引にでも止めれば良かったよ。都合いい言い方かもしれないけど」
「私…、手術の前になっても…、受付の時でも…、泣いてでもいいからやめればよかった。なんでこんな事になっちゃったんだろって……」
自然と抱き締めている腕に力が入る。
「最後に言ったろ? 俺…、本当にいいのかって」
「……。もうね…、遅かったんだ……」
「何で?」
「前に智ちんへ電話したでしょ?」
「ああ……」
「あれから子宮口を広げる処置をしに行ったの…。二日間に渡って手術を行うようなもんなの。病院によって一日のところもあるみたいだけどね。だから智ちんにこれから病院に行きますって電話したでしょ?」
いくら妊娠の事に知識がなかったとはいえ、馬鹿な台詞を言ってしまったものだ。
あの時のはにかみ笑いをしたように見えたのは、そのせいだったのかもしれない。
「もう、すでに手遅れだったんだ…。ごめんな」
「ううん、しょうがないよ。きっとお互いに余裕がなかったんだし、おろした子には可哀想だけど、これで良かったんだと思うよ」
「……」
何て答えていいか分からず、何も言葉が見つからなかった。
「そんなに落ち込まないで」
「だって……」
「いつもの智ちんらしくないよ」
「あ、当たり前だろ……」
「もう…、元気出してよ」
あれだけ辛い思いをしたのに、俺を気遣ってくれる百合子。
何を自分自身落ち込んでいるんだ……。
今は自分の事より百合子を元気づけないといけないのに……。
「ごめんな。俺、本当どうかしてた……」
「しょうがないよ」
「俺だけはそれで済ませちゃいけないんだ」
「へへっ」
「何だよ?」
「ようやくいつもの智ちんらしくなってきたなって思って」
気がつけば朝の五時半まで、俺と百合子は延々と話をしていた。
お互い今日の仕事は辛い状態で迎えなくてはいけない。
それでも会話は止まらなかった。
「何でもっとこういう風に早く、話をできなかったんだろうね」
「そうだな」
「電車の件はどうなったの? 私、あれから何も聞いてなかったし……」
「ああ、小江戸号の件か……」
この話をするととても長くなるが、西武新宿駅での出来事を細かく伝えた。
「結局そのメガネの女の人が一番悪いんじゃないの?」
「そうだな。でも、その場の駅員の対処も悪いし、謝罪するのも遅過ぎる。俺は別に金銭を要求してる訳じゃない。反省しているのなら、ちゃんと謝れって言いたいだけなんだ。おろしてしまった子供に対して、俺がちゃんと正々堂々と生きないと申し訳ない。どこかで俺を見ていてくれって思っている。恥かしい生き方はできない。俺は俺らしく生きる。それがせめてもの供養だと思っている」
「うん……」
「実は今、小説を書いているんだ」
「小説?」
「ああ、百合子が手術終わった時、俺、パソコン開いてただろ? あの時も小説を書いてたんだ。今話した西武新宿の事がメインになっているけどね。ただ中傷的な内容じゃなく、できればみんなが笑顔で終われるようなエンディングにしたい。その為にも今、揉めている駅長の峰の件は、ちゃんとけじめをつけさせなければいけない。もうじき今年も終わる。みんな、笑って年を越したいじゃん」
「うん、そうだね」
そう言って百合子は最高の笑顔を私に見せてくれた。
ほとんど寝ずに彼女と別れ、仕事へ向かう。
本川越駅まで送ってもらい、小江戸号の特急券を買いに行く。
別れ際に言われた百合子の言葉が頭の中で蘇る。
「今日逢ってくれて本当にありがとう。私を見捨てずに付き合ってくれてありがとう。また逢おうね」
逢った時はやつれ酷い表情をしていたが、別れる時は笑顔になっていた。
その変化が分かっただけでも良かったと感じる。
「すみません。十一時三十分の小江戸、喫煙で」
駅員に口頭で伝えながら財布を取り出す。
何か違和感を覚えた。
「四百十円になります」
「あ、はい」
とりあえず金額を払って切符を受け取り、改札口を通る。
小江戸号に乗り込んでから、早速メールを彼女に打つ。
《頑張れよ。もっと早く今日みたいな素直さだしてたら、お互いいい方向に転んでたと思うぞ。でも顔つきが昨日今日で全然違って良くなってたから安心したよ。俺も色々話せてスッキリできたしね。本当に百合子は俺なしじゃ駄目な奴だ。眠いだろうけどあまり無理するなよ。体、ゆっくり休めて大事にな。 岩上智一郎》
メールを送ってから、先ほどの違和感を思い出す。
再度財布の中身を確認してみた。
俺は面倒臭がり屋でいつもいくらあるかキッチリ見ている訳ではないが、どう考えても三万円ほど中身が多い。
中の札を数えてみる。
十二万と七千円……。
どう考えてもおかしい。
十万以上は入っていなかったはずだ。
あいつが入れた以外思いつかない。
メールで百合子に確認してみる事にした。
《百合子、俺の財布に三万ぐらい入れただろ? 十万以上は入ってなかったはずなんだ。こんな事されても困るよ……。 岩上智一郎》
何でこんな真似を……。
窓の外の景色を見ながら今朝の様子を思い出す。
朝、目が覚めた時は十時半過ぎだった。
百合子の姿が横にいないので、焦って飛び起きたらシャワーを浴びていた。
ホッとしたものの会社の出勤時間遅刻だろと訪ねると、彼女は半日だけ代休使ったから大丈夫と言っていた。
そのまま俺はコーヒーを入れ、少し離して駅まで送ってもらったのだ。
どう考えても俺が寝ている間、百合子が財布にお金を入れたとしか思えない。
それにしても何であいつは何故……。
その時携帯電話に明かりが点き、Eメール受信中になった。
《バレた? 確かにお財布に三万入れました。智ちんに直接言ったら智ちんは絶対に受け取らないでしょ? 私、智ちんがいつもだしてくれてる分、私の財布分で今後の資金にとっておこうと、へそくってたの。入居費用に家電だって家具だって買い足すはずだったし…。その中から昨日の費用も出したし…。だから智ちんが困る事なんてないのよ。ただ私の貯金計画も六月頃まで見越しての皮算用だったから微々たるものなんだけどね。だからそれは当たり前に受け取って。お願いだから…、ね? 百合子》
隣に乗客が座っていなかったら、泣いていたところだった。
あいつ…、こんな事思っていたならもっと早く言ってくれればいいのに……。
そうすれば、子供をおろせだなんて……。
本当に大馬鹿野郎だ。
そんな事に気付きもしない俺は、もっと大馬鹿野郎だ。
《危なく人混みの中で泣きそうになっただろ。もっと早く言えば良かったんだよ…。おまえは何でそうなんだよ? 俺は百合子を妊婦だというのに気も使わないで、俺たちの子供をおろさせて、散々ボロボロに傷つけた最低野郎なんだぞ? 金の事を言ってんじゃないぞ。そういう優しい気持ちを持っていたなら、あの時出して欲しかった。まったく自分が情けないよ。 岩上智一郎》
メールを打っていると、画面が曇ってよく見えなくなる。
目に涙が滲んでしまい、周りに悟られないようにするのが精一杯だった。
百合子に対して自分のした行動の愚かさを呪う。
スッキリしたつもりが、全然スッキリしてなかったのだ。
さらにメールを打ち続ける。
《もっと俺を罵ってくれればいいのに…。そのほうが楽だよ。俺は許されちゃいけない事をおまえにした最低な男だぞ。こんな周りまで巻き込んで、俺をこんな気持ちにさせて、どうしたいんだよ? 百合子をスッキリさせられたと思ってたのに俺の潜在的な…、悲しみの部分が一気に大きくなって…。まだ…、全然百合子の事大好きなんだって気付いた。その気持ちに気付くと、百合子にしてしまった事に対して自分自身呪ってしまうよ。馬鹿なのは俺だけだったんじゃないかよ。俺は生きる価値もない……。 岩上智一郎》
メールを送信すると、小江戸号は西武新宿に到着する。
これじゃ今日は仕事する気分じゃない。
でも現実からは逃げられないんだ。
自分自身を見詰め直して、いかに情けないかがよく分かった。
自信持って生きてきた分、ショックが大きかった。
それでも俺は前に出て、頑張っていかなければいけない。
自分だけじゃないのだ。亡くした我が子の分も、百合子の分もすべて背負って生きなくては……。
それが俺の宿命だ。
女は偉大である。
誰かが言っていた言葉。
今はそれがよく分かるような気がした。
仕事を終え、駅に向かう。
百合子からの返事はまだなかった。
改札を通り特急券を買おうとすると、喫煙席がすべて売り切れになっていた。
俺の後ろに列がたくさんできているので、仕方なしに禁煙席のボタンを押す。
「先日はどうも」
背後から声を掛けられたので振り向くと、助役の朝比奈が笑顔で立っていた。
彼に対してはもう何も文句はなかったので、俺も笑顔で応対した。あとは駅長の峰がちゃんと謝れば済む。
「寒いですねー」
「そうですね」
「お仕事帰りですか?」
「ええ、年末だから忙しいですよ」
他愛もない世間話をしてから小江戸号に乗り込む。
電車が所沢駅を通り過ぎる辺りで、百合子からメールが届く。
《何、言ってるの。昨日、私がわがまま言って逢いたいって言ったら、見捨てずに一緒に居てくれたじゃない…。私、一緒に居てくれた事、感謝してるんだから。生きる価値がないなんて、情けない事言わないの。智ちん一人が悪い訳じゃないでしょ。お互いが話し合いで決めた事なんだから…。元気出しなさい。 百合子》
百合子からの激励のメールを読んで、いかに自分が甘えていたか自覚した。
彼女とは今後どうしていくとかなどの話し合いは何もしていないが、こんな状態になっても心の絆は切れてなかったのだ。
あんな酷い目に合わせといて、百合子は何故、俺に優しくしてくれるんだ?
そう考えると余計心が痛む。
周りに乗客がいるのに涙が滲む。
ここで泣く訳にはいかない。
涙を堪えながら、百合子のメールを何度読み返しただろう。
気がつけば小江戸号は本川越に到着していた。
家に帰ると、早速百合子に電話を掛ける。
無性に彼女の声が聞きたかった。
「ただいま、今、帰ってきた」
「おかえり」
「身体は大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫だよ」
「百合子、あんな事されちゃ困るよ」
「あんな事って?」
「俺の財布に三万入れた事」
「別にいいじゃない。全然おかしくないでしょ?」
「だって手術代だっておまえが全部出してるじゃないかよ。昨日のホテル代も……」
「何言ってんの。今までほとんどのデート代からすべて智ちんが出してきたでしょ。私に全然使わせてくれなかったじゃない。だから先の事考えてちゃんと貯めてたの。だから気にする必要なんて何もないのよ」
「そうは言ってもさ……」
泣いちゃいけない。
分かってはいるが、自然と涙が出てくる。
「も、もっと…,早く…、い、言ってくれ…、れば……」
「なーに?」
「もっと早く言ってくれれば…、俺は…、俺は……」
「どうしたの?」
全部俺の一人よがりで、百合子をこうまでさせてしまった。
いくら反省しても後悔しても、決して戻ってはこない。
「こんなんじゃ、俺はおまえに会わす顔がない……」
「何言ってんのよ。そんな事ないよ」
「俺は…、もうおまえに会えない……」
「何でそうなっちゃうの?」
「自分が馬鹿で…、いや、大馬鹿だという事に気付いたから……」
「智ちんも疲れてんだよ。とりあえず今日は早く寝て、ね?」
「う、うん……」
「智ちんには感謝してるって言ったでしょ? そんなに自分を責めないで」
「そうはいかない。だって俺は……」
「いつまでも過ぎた事を言わないの。分かった?」
「……」
「返事は?」
「うん…。悪かったよ。今日は百合子の言う通り早く寝るよ」
「そうだね。今日は早く寝て休んで」
「ああ、ごめんな。百合子は明日も仕事なのかい?」
「ううん。私、明日は休みだから、家でゆっくりしてるね」
「うん」
「じゃーね」
「ああ、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
携帯電話を切り、布団に寝転がる。
今日はとてもじゃないが、『とれいん』の続きはを書けそうもない。
百合子に言われた通り、ゆっくり休もう。
目を覚ますと朝の十時だった。
久しぶりにゆっくり寝られた。
百合子の気遣いと優しさに感動し、胸が詰まってしまった昨日の夜。
情けない限りだ。
俺は自分の子を宿した彼女を守れず逆に傷つけ、感謝している師匠に対してすら何の恩返しもできないまま亡くなってしまった。
タンベさんに啖呵切った雀會ですら途中で頓挫。
すべてに対して中途半端な状態だ。
このままじゃいけない。
最近の自分自身を振り返るとくだらない自己満足に陥っていた。
いつからこんな腑抜けになったんだろう。
今、何ができるかを考え、感情的にはならない。
難しく考えるな。
シンプルに生きよう。
シンプルな事すらできないでどうするんだ。
今回の一連の騒動で、一番辛い思いをしたのは百合子なんだ。
俺が彼女を癒さず、反対に癒されてどうする?
百合子に今の正直な気持ちをメールで表そう。
《昨日はごめんな。俺、色々考えたけど、百合子には償わないといけない。百合子が俺と逢いたいなら逢おう。逢って百合子がまた逢いたいって言ったら、また逢おう。もし百合子が気持ちの整理がスッキリついて、逢わなくても大丈夫だと割り切れたなら、俺はおまえに逢いたくても我慢して、笑顔でありがとうと言いたい。だから百合子はもっと自分の気持ちを素直に出してくれ。今の俺の考えです。 岩上智一郎》
送信してから急いで仕事へ行く仕度をする。
十時半の特急に間に合うかな。
時計を見ると十時二十分。
本川越駅までダッシュで走り、小江戸号の切符を購入する。
家から五百メートルぐらいの距離を走ったぐらいで息切れがするなんて、俺も体がなまったものだ。
指定席に座り、息を整える。
百合子はまだ家でゆっくり休んでいるだろうか?
逢って抱きしめたいという感情が今にも爆発しそうだった。
西武新宿駅に到着して店まで歩いている時に、百合子からのメールが届く。
《おはよう。償うとか償わないとか、そういうのじゃなくて…。そうしたらまた改めて始めてみようよ。逢いたいっていう気持ちから…。焦らないでお互いが、自分たちがどうしたいのか一緒に考えてみようよ。今、私…、やっぱりすごく智ちんに逢いたいと思ってるよ。とりあえず今日も頑張ってお仕事行ってきて。いってらっしゃい。 百合子》
読んでいて全身に力がみなぎるのを感じる。
北中の裏ビデオ屋メロンを辞めてから知り合い、今までの間に色々な事はあったが、百合子は俺をずっと見守ってくれていた。
この先、生きていくにしてもずっと横にいて欲しいのは百合子以外、もう考えられない。
本人の目の前で素直にありがとうと言いたい気持ちでいっぱいだった。
あの忌々しい『ガールズコレクション』に着く前、百合子の携帯電話に掛けてみる。
三回のコールが鳴り、百合子が出た。
「おはよう」
「おはよう。もう新宿に着いたの?」
「うん。まだ少し時間に余裕あるから電話してみた。昨日はおかげさまでゆっくり寝られたよ。あれから前向きに考えるようにしたんだ」
「うん」
「まず今の仕事に対しての身の振り方を考えてるんだ。百合子とああなる前に、もっと考えて行動しなきゃいけなかったんだ。いつも仕事の事とかでピリピリしてたしね。おまえが不安になって当然だよな。もっと自分自身の為になって、生き甲斐を感じられるような生き方をしたい。変なプライドを持ったせいで、百合子を傷つけ過ぎた」
あんな店に何の価値があると言うのだ。
先日の當間の何度もおろしたと言う台詞。
責任感も何も、俺は給料をもらっていないのだ。
「全然そんな風に思ってないよ」
「ありがとう。でも俺の言う償いとは、その辺の自己の改善からだと思っているんだ」
「考え過ぎだよ。私は充分、智ちんの事を評価してるよ。でもね、すごいなぁと感じる智ちんだけを好きな訳じゃないよ。優しいところや弱い部分も、たまらなく好きなんだからね。これからも色々な事があると思うけど、焦らず前向きに頑張ろうよ」
「そうだな……」
「でも智ちんだけが頑張るんじゃないからね。少しは私にも頼ってほしい。一緒に頑張っていこうよ。ね?」
「ああ、ありがとう。元気になった。お、もうこんな時間か…。とりあえず仕事に行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
心のつかえが一つ溶けたような気がした。
百合子のおかげだ。
もう今年も終わる。
せめて西武新宿の件だけは、いい感じで終わらせたい。
みんなが笑って済ませる事ができるように……。
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