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岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

9 ゴリ伝説

2019年07月16日 19時01分00秒 | ゴリ伝説

 

 

8 ゴリ伝説 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

「しょうがねえ奴だな。ちょっと待ってろ……」私はあの子が近くを通り掛かるのをジッと待った。少しして通り掛かったので、「すみません」と声を掛け、目を合...

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 何事もなく大宮へ着いた私たちは、デパートの駐車場へ車を停め、屋上へ向かった。
 真夏の夜空の中、大勢の人がビールを片手に賑わうビアガーデン。楽しそうな雰囲気がこちらまで伝わってくる。
 ゴッホは辺りを見回しながら、先を歩く。すると、向こうのテーブルから一人の男が、「お~い」と手を大きく振っている。
 真っ白のワイシャツ着て、ネクタイを締めている男。同じテーブルの人間も似たような服装だった。会社の同僚たちの集まりだろうか? 男だけでなく、女も似たような格好で一緒にいる。それにしてはおかしい。ゴッホの仕事は印刷業でワイシャツネクタイとは無縁の職場である。
 妙な違和感を覚えたのはそれだけじゃなかった。二十名ほど同じテーブルで飲んでいるのに、たった一人の男しかゴッホに手を振っていない。他の誰も、振り向こうともしないのだ。
「何、ゴッホ。あそこのところでいいの、待ち合わせは?」
「ああ、そうだよ」
 私たちがそのテーブルまで行くと、数名がこちらをチラッと見ただけで挨拶一つしようとしない。私だけでなくゴッホにも同じ態度なのだ。明らかに変だ……。
「神威、紹介するよ。俺の友達の上辺ね。年はうちらより三つ上だけど、気さくでいい奴だよ」
「どうもはじめまして、ゴッホとは中学時代の同級生の神威です」
 三つ上と聞き、敬語を使い話した。
「そんな敬語なんて使わないでいいよ。岡崎と友達なら、俺とも友達だからさ」
「そうそう、この上辺は堅苦しいの嫌いなんだよ。タメ口で構わないんだ」
 二人はいつぐらいからの付き合いなんだろう。今まで聞いた事もない人間だったので、始めは大人しく様子を見たほうが懸命かもしれない。
「最近俺さ、競馬に凝っちゃっててね。先週も『GⅠ』外しちゃってさ」
 単なる大ボラ吹きなだけかもしれない。こんな真夏に『GⅠ』はないのだ……。
「仕事も最近忙しいしよー。まったくビールがうまいや」
 話を聞いている感じ、悪い人間でもなさそうだ。それにしても、この二十名ほどの集まりは一体何なのだろうか?
「ねえ、ゴッホ。周りの人たちさ、誰も話してないけど、俺ら場違いなんじゃないの?」
「ああ、気にしないでいいよ。こいつらはそういう連中だからさ」
「気にしないでいいよって、そうもいかないだろ? 同じ席で飲む訳だしさ」
「いいんだよ。向こうが挨拶一つもないなら、こっちだって同じ。それが礼儀ってもんだろうが」
「いや、違うと思うけど……」
 相変わらずゴッホの理論はいまいち分からない。
「ところでこれって何の集まりなの?」
 上辺に聞いてみた。
「ああ、結婚相談所の一次会のあと集まった同士たちなんだよ」
「……」
 よく雑誌の折込みにある『結婚相談所』のハガキを思い出した。なるほど、だからみんながみんな、よそよそしいのである。しかし、ゴッホがこの集まりとどう関係があるのだろうか?
「で、ゴッホは何で彼と仲良くなった訳?」
「いや~」
「それじゃ分からない。何で?」
「俺も実はちょっと前に入っちゃってさ……」
「……」
 半年間、ゴッホを放っておいた私自身に何故か責任感を覚えた。まさか『結婚相談所』にまで手を出していたとは……。
「で、上辺とは気心が合ってね。なかなかいい奴だよ、彼は、うん」
「いい奴は分かったけどさ、肝心の相手はどうなってんの?」
「何か高い金だけ取られてさ。やっている事、ねるとんパーティーと変わらないんだよね。いや、まだあっちのほうが親切かな。だから俺は最近この集まりには行ってないんだ」
「いくら払ったの? この相談所に……」
「入会金で五十万だよ。高いだろ?」
「……」
「ん、どうした?」
「あのさ……。何で俺にひと言、入る前に言わないんだ?」
「いちいちおまえの許可取らなきゃ、俺は自由に行動もできないのかよ?」
「いや、そういう問題じゃなくてさ……」
「何だよ?」
「いや、いい……。とりあえず俺たちも何か飲もうよ……」
 こうして不思議な結婚相談所の二次会に、私たちは紛れ込んだ。


 先に言っておいてほしかったが、ここまで来たら仕方ない。私は、このような相談所に集まった人間を一人一人観察する事にした。
 まず女性陣。ハッキリ言って大して可愛くもないのに、みんながみんな気取っている。私が軽く声を掛けると、「ふん」って感じでそっぽを向かれるぐらいだった。
 そして男性陣。ハッキリ言えば、気持ち悪い連中ばかりだった。みんな、どこかナヨナヨしていて、女の顔色ばかり伺っている。
 面白いと感じたのが、女一人を挟むように二人の男が座っている席だった。
 互いにその女を狙っているのがはたからも見え見えだ。普通に考えたら、男同士は一人の女を巡るライバル同士である。それが会話を聞いていると、不思議な行動をしていた。
「よく芸能人の『加藤紀子』に似てるって言われません?」
 右側の男がニヤニヤしながら話す。普通ならもう一人の男など会話に入れないようにするだろう。邪魔な存在でしかないのだから。それをその男は、ライバルの男に向かって、「そう思いませんか?」と笑顔で話し掛けているのだ。
 もう一人の男も似たようなもので、「ええ、似てますね~、へへ」と答えている。
 間に挟まれた女も、「うん、よく言われる~」と鼻を高くして自惚れていた。
 普通に考えれば、『加藤紀子』にそっくりなら、わざわざこんな結婚相談所などに登録などしないだろうし、こんな集まりのビアガーデンにも来ないだろう。それにどう見ても、『加藤紀子』とは程遠い顔立ちだった。
 まあ貴重な集まりに参加できたのだ。私も適度に楽しめばいいか。ゴッホと上辺は、何の話をしているのか知らないが、夢中になって熱く語り合っていた。
 暇を持て余していた私は、近くにいた女に声を掛けてみる。
「お姉さん、あのさ……」
「……」
 完全に無視状態の女。一瞬だけこちらを向いて、すぐ向こうを向く。確かにこの中で私だけカラーが違うのは分かる。それにしても少し失礼じゃないだろうか。
「ねえ、あの……」
 もう一度声を掛けてみるが、女は完全に無視をしている。さすがに苛立ってきた。
「おまえ、馬鹿じゃねえの。ドブスが気取ってんじゃねえよ。おい、ゴッホ。こんな腐った場所にいると、おまえまでおかしくなるぞ。野郎同士で飲んでいるほうがまだマシだ。とっととこんなところから撤退しようぜ」
「あ、ああ……」
「他に俺らと一緒に飲む奴いるか? まあ、いねえか。じゃあ、行こうぜ」
 私が背を向け歩き出すと、ゴッホと上辺が黙ってあとをついてくる。そのあとから一人の男がついてきた。
「あ、あのー」
「ん?」
「あなたは底が知れない。聞いててスカッとしました。良かったら私も一緒にいていいでしょうか?」
「別に構わないけど」
「よろしくお願いします」
 また変なのは加わってきたなあ……。
 とりあえず私たちはビアガーデンをあとにして、近くのバーへ入った。

 私と結婚相談所所属メンバー三名による奇妙な飲み会が始まる。
 ゴッホと上辺は、気が合うのかいい感じで会話が弾んでいた。あとからくっついて来た妙な目の細い男が、私の顔をまじまじと見ている。
「いや~、あなたは本当に底が知れない。あのタイミングであの台詞、なかなか言えるもんじゃないですよ」
「別にそんな驚くような事じゃないから……」
「いえいえ、私はですね。あなたのあの台詞から、只者ではないなと悟りました」
 結婚相談所で女を捜している奴から、そんな褒められてもあまり嬉しくない。
「あのさ、あんたも高い入会金を払ってあそこにいた訳でしょ?」
「ええ、払う事は払いました。でも、私は伊達にお金を払った訳じゃありません。例えば今日のパーティーですが、スタッフがちんたらと怠慢なんですよね。そこで私はハッキリと金を払ってんだからと文句を言います」
「……」
 この男はどうでもいい事を何故、ここまで熱を入れ話すのだろうか?
「ちゃんと聞いて下さい! 私はいつも感情のままに行動できたらって考えていたんですよ。だから先ほどのあなたの台詞に痺れた訳で」
「ねえ、ゴッホ……」
 相手をするのが面倒になってきたので、私はゴッホへ話を振った。
「あ、何?」
「おまえ、何であんなのに入る訳?」
「う、いや……」
「五十万も払ったんでしょ?」
「だからそれは最初だけで、あとでパーティーとかあると、また逐一金を取りやがんだよ。阿呆らしいから、俺はそれ以来行ってないんだって」
 だとすれば、ゴッホは五十万をドブに捨てただけのような気がする。
「今日いた女の面子見たけど、あんな程度の女しかいない訳でしょ?」
「まあ……」
「せめて入る前にひと言、相談してほしかったよ」
「済んだ事だ。もういいじゃねえかよ」
「まあ、いいけどさ……」
 私とゴッホの会話を聞いて、他の二人はシーンと黙ってしまった。
「あの神威さんって言いましたっけ?」
「ん?」
「良かったら、これからも会って色々とお話しませんか? 良ければ電話番号の交換をしたいなと思いまして……」
「あ、俺、携帯電話持っていないんだよね」
「え、その胸ポケットにある携帯は?」
「あ、これは会社から支給されているやつだから、番号教えちゃ駄目なんだよね」
「じゃあ、次に会う日にちを決めて」
「ごめん、俺、そこそこ忙しいからさ」
「じゃあ、自宅の番号でも……」
「おまえ、うるさいよ。ゴッホ、帰ろうぜ」
「ん…、ああ……」
 こうしてゴッホの『結婚相談所事件』は幕を閉じた。

 あれから二年ほどゴッホの伝説的な事件は何も起きず、平和な時を過ごした。気付けば私たちは、二十九歳と三十路まであと一歩になっている。
 一つ自分の中で変わった事といえば、再び体を鍛えだし、七年ぶりに総合格闘技の試合へ出場した事だ。この冷たい世間の中、プロレスの地位が、どんどん虐げられていくのを黙っていられなかったのである。
 しかし、自分一人が奮闘したところで、何一つ変わらない現実があった。
 こんな時、ゴッホとくだらない会話をすると、気分が非常に紛れた。そんなゴッホは相変わらず彼女がいない状況である。
 今までのゴッホが起こした女絡みの件を頭の中で整理してみた。
『雪の振る中四時間待ちぼうけ事件』……。
 通勤時、同じ電車に乗ってくる女をひょっとして自分に気があるんじゃなかと思い違いから始まった悲劇である。男らしくアタックしたはいいが、雪の中で四時間も待たされた挙句すっぽかしを食らう。
『館山留美江事件』……。
 中学一年の時同じクラスだった彼女。たまたま廊下を通り掛かったところを友達が、「ゴッホさん、通ったよ」のひと言で惚れていると勘違い。しかもそれを十九歳になって、中一の事を蒸し返す。私が電話で彼女を誘ったまではいいが、次の日しつこく電話して断られた。
『垂直落下式ブレンバスター事件』……。
 まあ、これはゴッホのふられ話とは少し違うな。
『バレリーナ事件』……。
 レストランで働く奈美にひと目惚れ。私まで付き合わせ協力させるが、本人目の前にすると何も言えずじまい。あとになって勝手に電話を掛けまくり、ジ・エンド。
『パーティーのあとイノキにアタック事件』……。
 これは場の流れでしょうがなかったのだろう。
『結婚相談所事件』……。
 思い出す必要もないな。
 これ以外にも、所沢の三人娘の件など数えればキリがない。
 様々な動きを見せてきたものの、彼は未だ彼女ができていなかった。ゴッホに彼女ができない問題点はどこだろう? 顔が悪いとか性格が駄目とかひとまず置いといて、どうすればいいのか考えてみる。
 一番簡単なのは、真面目に仕事して金を貯める事。これが一番の近道だが、彼は同じ業種を三回も転々としていた。一番初めの帝国印刷でずっと頑張っていれば、今頃給料も待遇も良かっただろうに……。
 まあ辞めてしまったものを振り返っても仕方がない。
 ここまで彼に関わってきた。私はどうしてもゴッホに彼女を作らせたいという気持ちが潜在意識の中にあるのだろう。
 久しぶりの日曜休みに、そんなくだらない事を考えていると、ゴッホから電話があった。
「あ、神威さ。俺、DVDプレイヤー買ったんだけど、よく接続の仕方が分からないんだよ。ちょっと家まで来てくれないかな?」
「簡単だよ。ビデオの端子あるでしょ?」
「口で言われたんじゃ分からないって。とにかく来てくれよ」
「しょうがねえなあ」
 私はブツブツ言いながらも、ゴッホの家へ向かった。

 ゴッホの家へ入るのは久しぶりである。ひょっとしたら、垂直落下式ブレンバスターをした以来かもしれない。玄関先まで迎えに来るゴッホ。
「おう、よく来たな。まあ上がりなよ」
 居間まで案内されると、ゴッホの母親である『ゴリママ』もいた。
「あら、いらっしゃい」
「あ、お邪魔します」
 ゴッホが言うには、このゴリママ。よく私の事を「本当に神威君は変わっているわね」と口癖のように言っているらしい。この男は自分の母親に、何て私の事を説明しているのか不思議である。
「何、ゴッホ。プレイヤー取り付けるの、居間のテレビでいいの? 部屋じゃなくて」
「ああ、ここでいい」
 私はゴッホの耳元で、「いいのか? ここだと、エロDVD見れないだろ?」と囁く。
「いいんだよ。お袋もパートで出掛ける事多いから」
「いいのか、それで?」
「ああ、いいんだよ。お袋の金で買ったんだし」
「そ、そっか……」
 取り付けを始める事にした。端子を繋げばいいだけなので、すぐに終わる。
「こんな簡単なんだ?」
「だから言ったじゃん、電話で」
「ちょっとこの映画見れるかやってみて」
 私はリモコンの説明をしながら、色々と教える。元々来た時間が夕方だったので、いい時間になっていた。
 その時、お盆に夜食を乗せたゴリママが来て、「はい、勉君」と言いながらテーブルの上に置く。
 ゴッホは、「ああ」とだけ言い、無言でそのままご飯を食べ始めた。
「……」
 しばらくその様子を見ていたが、どうやら私の分の食事はなさそうだ……。
 常識的に考えて、お世辞でも普通は、「神威君、食べてく?」ぐらい聞いてもいいんじゃないだろうか? 私の考えが間違っているのか?
 私のところにゴッホが来た場合、腹が減って食事する時はもちろん彼の分まで出す。ゴッホもゴッホである。私の事を何も気付かず、しかも今日に限って言えば、わざわざプレイヤーの取り付けで呼び出されたのである。少しぐらい「こいつの飯は?」ぐらい言ってくれても良さそうなものではないだろうか。
 いや、親も親なら子も子……。
 彼の駄目っぷりは、親から受け継いでいるのかもしれない。さすがにこの場に居づらくなり、「俺、そろそろ帰るよ」と立ち上がった。
「あ、ちょっと待ってよ。もうじき食べ終わるから」
「……」
 この男はこんな台詞しか出ないのだろうか……。
 だとすれば、人として非常に悲しいものがある。
「ちょっと待ってて、一緒にコーヒー飲みに行こうぜ」
「……」
 いや、こっちは腹減ってんだけど……。
 今さら何を言っても、彼には伝わらないだろう。私は諦め、ゴッホが食事を済ますのを待った。

 ゴッホと近所のファミリーレストランへ行く。
 私が食べ物のオーダーをすると、「何だ、神威、腹減ってたの?」と涼しい顔で聞いてくる。
「食ってないからな」と、嫌味っぽく言うと、「俺はコーヒーだけでいいや」と悪びれる様子もない。
 注文した品が届き、食事をしていると、ゴッホはニヤリとしながら一枚のプリクラをテーブルの上に置いた。
「何これ?」
「よく見てみろよ」
「……!」
 私は、自分の見たものが信じられなかった。何とそのプリクラには、ゴッホと女が一緒に写っていたのだ。仲良さそうに肩を組んで写っているものもある……。
「へへへ……」
「何だよ、これ? いつ撮ったんだよ? 誰、この子?」
「おいおい、聖徳太子じゃないんだから、質問は一つずつにしてくれよ」
 何故か余裕ぶっているゴッホに殺意を覚えた。ゴッホの家で帰ろうとしたのを無理に引き止めたのは、これを私に見せたかったのだ。
「じゃあ、聞くけど、この子は誰?」
「あ、俺の彼女に決まってんじゃん」
「え、いつの間に……」
「まあ、一昨日だな」
「どこの子よ?」
「今の会社で一緒に働いている子なんだけどさ」
「何歳なの?」
「何歳に見える?」
「ちょっと下ぐらい?」
「いや、うちらより一つ上なんだよ」
「って事は三十か」
「見えないだろ?」
「ああ……」
「可愛いだろ?」
「ま、まあ、そうだね……」
 よく見れば、ごく普通の顔立ちである。しかし、ゴッホと楽しそうにプリクラを撮る女なので、何故か非常に綺麗に見えた。
「何だよ、ちゃんと言えよ」
「ああ、可愛いんじゃないの」
「だろ?」
「やったの?」
「当たり前じゃねえか」
 知らない内にあのゴッホがここまで進んでいたなんて……。
「同じ会社って事は、OLなんだ。まだ独身なんでしょ?それともバツイチ?」
「いや、人妻なんだけどさ」
「ふ~ん……。えっ!」
「まだ人妻なんだけど、俺にぞっこんだからさ」
「あ、あの……」
「よく今の旦那の悪口を聞くんだ。だから今度、家まで行ってさ、ひと言ガツンって何か言ってやろうかなと思ってんだよ」
「いや、あのさ……」
 こいつ、自分でとんでもない事を言っているのを気付いているのか?
「ん? 何だよ。人が気持ちよく話しているのに」
「それはさすがにやめとけよ」
 私は心の底から心配して言った。
「何で? 男ってのは、やらなきゃいけない時ってあるだろ?」
「いや、そういう事じゃない。そんな事してみろ。おまえ、莫大な金を取られるだけだぞ?」
「だから、俺は……」
「とりあえず落ち着け、な?」
「充分落ち着いているよ」
「いや、そうじゃなくてさ。落ち着いて俺の話を聞け。別に俺は何も浮気が悪いだなんて崇高な事を言うつもりはない」
「ふざけんなって。おまえ、俺にヤキモチでも焼いてんのか? 俺のは浮気じゃねえよ」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「れっきとした恋愛だよ、恋愛。お互い相思相愛ってやつかな」
「言いたい事は分かる。そうじゃなきゃ、こうはならないからな。でもさ、落ち着いてきいてくれよ。いくら相思相愛でも相手が人妻な以上、これは誰がどう見ても浮気なんだ」
「何だよ、空気の読めない奴だな」
「読めなくてもいいよ。俺が言いたいのはさ、旦那のところへ怒鳴り込むなんて、息巻いているけど、それだけはやめろって言いたいだけ」
「うるせえな。そこまで言うならやめといてやるよ」
 この男、人が心配で言っているのに何て言い草だ……。
 このあとゴッホは、永遠と自分の自慢話を夜中までした。

 ゴッホの浮気発覚から、一週間が過ぎた。
 彼の初の彼女…、いや、彼女と呼んでいいのだろうか? 何はともあれ、人並みの幸せを初めて味わった事には違いない。そういう意味では、良かったと感じる。それにしても、物好きな女もいたもんだ……。
 朝から私は競馬新聞を読みながら予想していた。平の一レースから予想を立てている内に、ひょっとしたら今日はバンバン当たるんじゃないだろうかという錯覚にとらわれてくる。今日は休みで家にいたので、馬券を買うのが難しい。今から新宿へ向かってもいいが、それも面倒だ。そんな訳でゴッホを場外競馬売場まで誘う事にした。彼も多少は競馬をやるのだ。
「あ、ゴッホ。今日って暇?」
「何で?」
「競馬を予想している内に、どうしても買いたくなっちゃってね」
「おう、奇遇だね。俺もこれから立川に、馬券買いに行こうと思っていたんだよ」
「じゃあ、一緒に乗っけてってよ」
「別に構わないよ」
「今日は例の人妻と一緒じゃないの?」
「人妻なんて呼び方するなよ」
「他に何て呼べばいいんだよ?」
「『美穂』って名前だから、美穂さんとか言えばいいよ。俺は『ミポリン』って呼んでいるけどね。ほら、『中山美穂』に似てるだろ?」
 あの時、プリクラを見ただけだが、どう考えても似ていなかった。人間、のぼせ上がると、怖い台詞を普通に言えるものなのか。私も気をつけないと。
「それって名前だけじゃん……」
「そんな事言うと、迎えに行かないからな」
「分かったよ。で、そのミポリンさんとは今日会わないの?」
「今日はさすがに家にいないとまずいらしいんだ。あとで電話するとは言ってたけどね」
「できれば一レースからやりたいから、早めに迎えに来てよ」
「分かった。すぐ家を出るよ」
 今日の休みはゴッホと一緒に立川競馬場へ。行く途中、ゴッホののろけ話を散々聞かされるのは勘弁だが、一人で行くよりはいい。
 競馬新聞を片手にゴッホの車へ乗り込み、私は何度もレースデータを見直した。
「おいおい、そんなしけた新聞なんて見てないで、俺の話を聞けよ」と上機嫌のゴッホ。
「何だよ?」
「いや~、今週も一回会ってさ、またホテルへ行ってバコバコだよ」
「いいよ、そんな話…。特に聞きたくもない」
「冷てえ野郎だな~。人がどれだけ幸せかっていうのを聞かせてやろうと思ってんのに」
「そういうのをのろけって言うの。第三者からしてみれば、聞きたくないの当然でしょ」
「俺が初めて彼女作ったもんだから、ヤキモチ焼いてんだろ?」
「あのさ……」
「あ、ちょっと待って。ミポリンから電話だ。話し掛けるなよ」
 話を遮り、ゴッホは満面の笑みを浮かべながら、人妻からの電話を取った。まったく自分勝手な奴だ。私は放っておく事にして競馬予想に集中した。

 一体、この男はどれだけ話せば気が済むのだろうか?
 隣に助手席で私がいるというのに、さっきから五十分ほどニヤニヤしながら電話をしていた。普通なら、「今、横に友達いるから」と手短に用件だけ言って済ませればいいものを……。
 完全に私が横にいるなんて頭の中から忘れているのだろう。
「そうそう…。でね、俺的にはやっぱこう思うんだよね。メンチカツに醤油を掛けて食べても、それはそれでいいんじゃないだろうかとね。うん、そうそう。人それぞれ、価値観は違うだろうし、俺は俺だもん。ミポリンも自分の考えってあると思うしさ。うんうん。あ、それでね……」
 さっきからずっとこんな調子で、どうでもいい話を延々と繰り返している。
 もうじき一時間が過ぎようという頃、ゴッホの声のトーンが下がってきた。
「え……。あ、ああ…。でもさ…、まあそうかもしれないけど……。え、ん…、ああ……。それにしたってさ…、えっ? まあ言いたい事は分かるよ? でもさ……」
 私は競馬新聞を読みながら、聞き耳を立てていた。
「えー、ちょっとそれはないんじゃないの? うん、それは分かるけど……。うん。ああ、そうだけどさ…。ああ……。うん、分かった……」
 一時間が経過して、ようやく電話を終えるゴッホ。左手で携帯電話を握り締めたまま、この世の終わりとでもいうような暗い顔をしている。
 はたから見ていて、今の電話でふられたんだなと分かった。
 いつもの見慣れた光景。
 いつものゴッホ。
 そう、それが今回だけたまたま何か運命の歯車が狂い、十日ほど神様が幸せな時間を与えてくれていただけなのだ。
 ゴッホはひと言も発しないまま、黙々と車を運転していた。もうじき立川に到着する。
「おい、ゴッホ」
 さすがに見ていられないので、横から声を掛けた。
「ん?」
「今日は俺の予想に全部乗れ。ひと通り、全レース馬連三点で予想したから、全部俺の予想通り買えよ。絶対に当ててやるからさ」
「ん…、ああ……」
「何だよ、暗いな」
「ああ…、突然終わりにしようってさ……。いきなりあんなのありかよ……」
 そう言ってゴッホはうな垂れた。
「おいおい、ちゃんと前見て運転しろって」
「あ、ああ……」
「まあ、しょうがないよ。相手は人妻だ。そういう場合もあるよ」
「でもさ、俺たちあんなに愛し合ったんだぜ?」
 どれだけ愛し合ったかは分からない。しかしそれをいくら力説したところで、向こうが終わりと言っているのだから、ゴッホは受け入れるしかないのだ。
「気持ちは分かるよ」
「最初はあんなに楽しそうに話をしていたのによ」
 そう、私を一時間も放置した状態でな、多分、天罰だ。
「向こうも何か都合があるんだろうよ」
「それにしたってよ。あれだけ愛し合い、俺は向こうの旦那にも怒鳴り込んでやろうってぐらい意気込んでいたのに……」
 何を言おうが、たった十日しか会っていないのである。それに実際に会った回数は二回ぐらいだろうか? それをいかにも自分の女扱いしては駄目だろう。相手は人妻なのだから。
「いや、だからそれはまずいって」
「ん…、ああ……」
 おそらく私の考えでは、相手のミポリンとかいう人妻は遊び慣れた人間で、ゴッホのような素人童貞タイプを弄んでみたかったんじゃないだろうか。弄んだはいいが、案の定、ゴッホが一気にハマりだしたので、これは危ないと思って急遽別れを告げたと……。
「まあとにかく立川に着いたら、俺の予想通り、マークシートを塗り潰しな」
「ああ……」
 少しして私たちは立川の場外馬券売場へ到着した。

 私の指示通り、マークシートを塗り潰していくゴッホ。私のマークシートと違う部分は賭ける金額だけだ。
 私は各三千円ずつ購入していたので、一レース三点で九千円。それを十二レース分だから、純粋に十万八千円掛かっている。ゴッホは各五百円ずつなので一万八千円。
 一レースが惜しくも外れ、二レース、三レースと立て続けに外れる。
「何だよ、全然おまえの予想、当たらないじゃないかよ」
「そんなのしょうがねえじゃねえか。すべて当たってたら、誰も仕事なんかしてねえよ。まだたった三レースだろ。もうちょっと我慢しろよ」
「もう四分の一消化だぞ」
「いいから見てなって」
 続いて四レースが始まる。ここでドラマチックな結果が生まれた。三点予想の一番倍率の高い二頭が、鼻差でゴール前に突っ込んできたのだ。私とゴッホのその時の興奮といったら、言葉じゃ言い表しようのないものだった。
 ついた倍率は七十八倍である。互いに飛び上がって喜び、ゴッホから先ほどふられたショックなど微塵も感じなかった。
「やったー、やったよ。俺、こんなすごいの当てたの初めてだよ」
 いや、ゴッホが当てた訳じゃなく、ただ単に私の予想に乗っただけでしょと言いたかったが、野暮な事はやめておく。
 ゴッホは五百円買っているから、七十八倍で三万九千円。馬券を機械に入れ、現金を手にすると、「やったよ!」とはしゃいでいる。こちらは三千円買っているのだ。計算すると、二十三万四千円になる。
「へ、その程度で浮かれやがって。ゴッホとは違うのだよ、ゴッホとは」
 私は意気揚々と馬券を入れた。
『この投票券は的中しておりません』
 機械の音声が聞こえてくる。
「へ?」
 もう一度入れ直してみた。
『この投票権は的中しておりません』
「……」
 そんな馬鹿な。何度入れても機械は金を吐き出してくれない。馬券を手に取り、じっくり見てみる。
「そ、そんな……」
 本来なら二十三万円以上に化けるはずだった肝心な自分の馬券。マークシートのつけ間違いで一つ違う番号になっていた……。
 ゴッホでもしないような凡ミスをしてしまった私。とて自己嫌悪に陥り、錯乱しそうになる。何故、あの時ちゃんと確認しなかったのだ。後悔してもしきれない自分がいた。
 落ち込むだけ落ち込むと、そばで無邪気にはしゃいでいるゴッホを見て苛立ちを覚える。
「人がこんな無様な負け方をしているのに、おまえはよくそこまではしゃげるな!」
「だって嬉しいもんは嬉しいじゃねえかよ」
「さっきまでふられて泣きそうだったくせに」
「勝っちまえば何だっていいよ」
「おまえ、目の前のピンサロぐらい奢れよな」
「ああ、お安い御用だ」
 余裕のあるゴッホを見ていると、何故かイラっとする自分がいた。

 

 

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