
2024/10/02 wed
前回の章
四日ぶりの歌舞伎町。
滑り出しは順調である。
あとは當間がどの程度、店の改装を済ませているか?
あと有木園の動きは?
西武新宿線小江戸号に乗り、景色を眺めながらそんな事を考えていた。
自分のノートパソコンに作ったホームページのデータを入れ、今日はそれを四人のオーナーたちへ見せるつもりだった。
オープンするまでに、まだまだ大事な事はたくさんある。
肝心の店で働く風俗嬢は、どのぐらい集まったのか?
そこが一番の肝である。
どんなにいい宣伝をしても、いい女がいなきゃ、その店は崩壊するだけ。
その点に関してはオーナー連中の人脈や、裏本を作っていた當間のツテがあるので安心していた。
今日の打ち合わせでは、働く女の子の写真を数枚持って帰りたい。
その為自分のデジカメまで用意している。
どんなに凝ってホームページを作っても、女の写真がないと味気ないものでしかない。
歌舞伎町へ到着すると、また焼肉屋『伊幸伊』に集合する。
俺はパソコンを開き、ホームページの型はこんな感じでできていると説明をしてみた。
「岩上ちゃん、女の子の写真が全然ないじゃん」
「だからそれは実際に店の女の子の写真がないと、無理じゃないですか」
「これだけじゃいまいち分からないからさ、適当にネットにある女の写真使って作ってよ」
當間は平気で馬鹿げた事を抜かす。
「當間さん…、勝手にそういった画像を使うと、著作権の侵害等で後々面倒臭い事になるんですよ?」
「大丈夫だよ。いちいちそんなもの見ないでしょ」
「そういう問題じゃないですよ。勝手に許可なく他人の写真なんて使える訳ないじゃないですか」
案外この男っていい加減かもしれない。
今後、少し用心しながら接したほうがいいな。
「バレなきゃ問題ないのに、固いなあ」
じゃあ、バレたら誰が責任を取れるって言うのだ?
よせって。
あまりイライラするな。
今は仕事の件でここへ来ているのだから。
揉めたところで誰も得などしない。
「今日はこんな感じで進んでいますって言うのを俺は伝えたまでです。それよりも當間さんや有木園さんの進行具合はどんな感じなんですか?」
「とりあえず有木園のお兄さんには、情報館の人間やレンタルルームと接触はしている」
「レンタルルームってどんな感じなんです?」
有木園の兄に尋ねてみる。
「よく風俗行くと簡易ルームあるでしょ? 狭い部屋に小さめのベッドがあって」
「ええ」
「あんな感じでシャワーもついて、部屋だけ時間で貸すって感じのところかな」
「値段はいくらぐらいなんです?」
「使う時間によっても料金は変わってくるけど、だいたい一時間だと二千円ぐらい」
「では、そういった料金も込みで、料金設定をしないといけないですね」
「そういうのはあとでいいじゃん」
また當真が余計な口を挟んでくる。
「當間さん…、料金決めないとホームページだってシステムの部分が書き込めないし、話にならないですよ。それに店で働く女の子の集まり具合はどうなってんです?」
「オーナーの有木園さんの知り合いが一人、とりあえず決まったかな」
「そんなんでどうするんですか? 一週間でオープンさせるんじゃなかったんですか? うちらの給料だってオープンしないと入ってこないんですよ?」
「分かってるって。ほら、焼肉焼けているよ。せっかくご馳走になるんだから食べなって」
「……」
目の前のビールを一口飲んでから、黙って肉を食べた。
そんな俺たち従業員のやり取りを無言で眺めている四人のオーナーたち。
「當間さん、店舗の改装はどんな感じですか?」
「店舗のほうなんだけどさあ。知り合いの奴がまだ動かなくてね」
「え? 何を言ってんですか? あと三日で一週間ですよ?」
「分かってるって! それまでに何とかすればいいんだろ」
「本当にお願いしますよ」
この男と一緒に仕事をしていくなんて、本当に大丈夫なんだろうか?
つい感情的になってしまう。
一応一週間後にはオープン予定なのだ。
いや、こんな状態でどうやってオープできる?
働く風俗嬢の確保。
それに料金設定。
それが決まらないと、店の広告や割引券すら作りようがない。
これでは何の為に歌舞伎町まで来たのか意味が無くなってしまう。
「あと三日で店舗の改装。それに料金は最低でも決めて下さいね。あと女の子の確保も」
「分かってるって」
面倒臭そうに答える當間。
一抹の不安を感じつつ、俺は歌舞伎町をあとにした。
地元へ戻ると始さんと共にパソコンショップを巡り歩く。
自分が欲しいスペックのパソコンを店頭価格で購入するとなると、二十万円の予算をどうしてもオーバーをしてしまう。
始さんの言うように自作でパソコンを作るのがベストだと思った。
CPUやメモリー、ハードディスク、マザーボード、そしてグラフィックボードなどを話し合いながら決め、値段を合計すると十五万以内に収まる。
これならデジカメとプリンターも買えるな。
「始さん、二万ぐらい余るんですけど、良かったら娘さんにせがまれているものとかってありますか?」
「ん、何で?」
「いや、忙しい中こうして付き合ってもらっているんで、経費の中で一緒にしちゃおうかなって」
「おまえのポッケに入れればいいじゃねえか」
「いえ、あくまでもこのパソコン費用の中でうまく誤魔化して納めたいので、残ったらオーナーに戻ってしまうだけです。それなら予定より安く済むので、始さんの手間賃代わりにどうかなと」
自分の家業と平行して、時間を作ってもらっているのだ。
このぐらいしても罰は当たるまい。
「うーん、そっか。何だか悪いな」
「いえ、こちらこそ一緒に手伝ってもらって感謝していますから」
「実は上の娘が新しく出たPSPを欲しがっているんだよな」
「プレステーションポータブルってやつでしたっけ?」
「ああ」
「じゃあ、それも一緒に買って、領収書を一緒にしてしまえば問題ないですよ」
「智一郎…、悪いなあ」
「いえいえ、気にしないで下さい。まだパソコンを組み立てるって仕事や、ホームページ作成の件も残っていますから」
まず自分の仕事だけはキッチリしておこう。
いい加減な當間らと一緒に仕事をするって事は、たくさんの問題点が出てきそうだ。
始さんの家に向かい、パソコンの組み立てを始める。
この辺になると俺はほとんどお手上げ状態なので、そっち方面に詳しい始さんがいて非常に助かった。
「おい、智一郎。ホームページの件だけどさ。店の女の写真は?」
「それがまだ集まっていないようなんですよね……」
「え、じゃああと三日でオープンなんて無理だろ?」
「…ですね……」
「早いところオーナー連中をせっついて何とかしなきゃなあ」
「そのつもりで話はしてきたんですが……」
それでも今日歌舞伎町で話し合った事を思い出すと、不安でいっぱいになる。
しかし、もう走り出してしまったのだ。
今さら後戻りはできない。
毎日のようにパソコンでデータを作り、着々と進行させていく内に一週間が過ぎた。
當間に任せた店舗も新しくなっているだろうし、有木園が情報館の類はすべて抑えているはず。
一日も早く店をオープンさせ、うまく成功させたいものだ。
現時点で給料というものがまるで発生せず、電車賃すら出ない状況。
できれば新宿へ行くのですら遠慮したい感じだ。
あれから三日経つ。
當間もその間でやってくれているだろう。
祈るような気持ちで小江戸号に乗り、近況を報告しに歌舞伎町へ向かう。
「……」
目の前での進行具合を見て、思わず俺は固まった。
想定していたのとはまったく逆の展開に、驚きを隠せない。
一週間もあれば、すぐに店舗なんて綺麗にできると豪語した當間。
結局『フィッシュ』だった店舗は何一つ変わっていなかった。
この一週間、こいつは何をしていんだ?
「當間さん、何も変わっちゃいないじゃないですか」
「いやー、まいったよ。知り合いのマレーシア人の『ゴウ』って奴に金を渡して頼んだんだけどさ。パチンコに入り浸って何も仕事しないんだよね」
「はあ? そんなのすぐやらせればいいじゃないですか」
おまえがその男に勝手に頼んだんじゃないか。
そう言いたいのをグッと堪える。
「それがさ、昼間だと〇〇連合の幹部が東通りにいつもいるでしょ」
「それが何の関係あるんですか?」
「いや、ゴウの奴、借金あってさ、あそこから。だから顔を合わせられないんだよね」
まるで焦点のズレた事を淡々と話す當間。
そのいい加減なマレーシア人に仕事をお願いしたのはおまえだろうと、つっ込みたくなる。
「もうこっちは女の子の写真があれば、すぐにでもホームページ完成するんですよ。店用のパソコンだって用意できたし、あとは店舗だけじゃないですか」
「岩上ちゃんもさ、たまには歌舞伎町に来て手伝ってよ」
「はあ? だから俺は俺の引き受けた仕事をちゃんとやってるじゃないですか」
「パソコンの事なんてこっちは分からないからさ」
だから俺が引き受けたんだろうが……。
「あと女の子の写真ないんですか?」
「う~ん、まだ揃ってなくてね」
「じゃあこの一週間、何をしてたんですか?」
「だからゴウの奴がさ……」
「一刻も早くお願いしますよ」
言い訳ばかりの當間にうんざりしながらも、諭すようにお願いした。
本当にこんな奴と組んで大丈夫なのか?
早くから感じた不安が確信に変わりだす。
それから毎日のように打ち合わせと称し、歌舞伎町へ呼ばれたが、店舗の改装はほとんど進んでいない。
無駄に過ぎていく日々。
さすがにオーナーの一人である村川へ文句を言った。
風俗を一週間で始めると言いながら、俺は一円も給料をもらっていないのだ。
それに歌舞伎町へ来る電車賃だって往復で特急料金を含めると、二千円ぐらいになる。
「まあ店舗の事は當間に任せたからなあ。給料が欲しかったら、一日も早くオープンさせてくれよ」
村川はうまく責任転換するので話にならなかった。
二週間もあれば余裕でオープンできると踏んだ『ガールズコレクション』。
それが未だ改装工事さえ済んでいない現実。
『フィッシュ』の間取りなど四坪ぐらいの狭さなので、業者に頼めば二日もあれば終わるはず。
當間のグダグダ感には嫌気が差してくる。
そんな状態であっという間に一ヶ月が過ぎた。
普段は大人しい百合子も、俺のしている行動を責めるようになる。
当たり前だ。
今、彼女の体内には俺たちの子供が育っているのだ。
それを何の収入もなく、毎日のように電車賃だけ自腹で消えていく。
将来に対し、不安になるのも無理はない。
無責任な當間は「俺が一番可哀相だよ。こうやって岩上ちゃんには会う度嫌味を言われるし、ゴウの奴は『もっと金をくれ』って仕事もしないしさ」と訳の分からない事を言っている。
もう辞めよう。
こんな状態で何が生まれるのだろう?
そう思った俺は、村川に辞める決意を伝えた。
「おいおい、おまえが抜けたらどうするんだよ?」
「だって給料は出ない。當間さんはあんな調子でこれ以上何をしろって言うんですか?」
「しょうがないだろう。あいつが頼んだって外人がいい加減な奴なんだから」
「それと俺の給料が出ない事とはまったく関係ないじゃないですか。毎日こうして歌舞伎町まで出てくるのだって金は掛かるし、話なんてほとんど進展しないじゃないですか」
「分かった分かった…。とりあえず五万円やるから。當間とかに言うなよ」
「いえ、そういう問題じゃなくて……」
「おまえが抜けたら話しにならないだろうが。いいから取っておけ」
強引に五万円の金を渡す村川。
一ヶ月準備で駆けずり回り、たった五万の金しかもらえないなんて冗談じゃない。
電車賃だけで数万掛かっているのだ。
焦りと苛立ちは、必然的に當間へ向かう。
会う度當間には店内改装を早く済ませるよう文句を言った。
「もし當間さんがゴウって奴に何も言えないなら、俺が直接会って話します。もう金を受け取ったんでしょ? パチンコに使ったとかそういうのはそいつの勝手ですから。訳の分からない事を抜かすなら、事と次第によっては力づくでも動いてもらいます」
「だから深夜になるとちょっとずつやってるじゃん。俺だって一緒にやってんだよ」
「じゃあ何でこんな一ヶ月も掛かっているんです? どこがプロ顔負けなんですか? いい加減にして下さいよ。あとデジタルカメラもパソコン代金の中から工面して買っておきましたから、女の子の写真も撮って置いて下さい。じゃないとホームページが意味ないですから」
「分かったから……」
當間の杜撰さには呆れるばかりだ。
意味のない打ち合わせを終え、時計を見ると夜の十一時を回っていた。
遅くなるのは予め予想していたので、夜の九時に西武新宿駅に行き、前もって小江戸号の特急券を買っておく。
自動券売機でなく駅の特急券売り場で買うと、通常の切符よりも三倍ぐらい大きな切符になる。
小江戸号は朝の通勤時間の上りと、夕方からの下りの時間帯は混雑する時間で切符も売れ切れる事が多かった。
特に喫煙車両の四号車はほぼ乗る直前に行くと、席がなくなっているのが現状だ。
帰りの時間を予測して前もって買っておく。
それだけで四号車の窓際の席が取れ、ゆっくりタバコを吸いながら帰れるのだから。
俺はよく事前に大きな切符を購入する事が多かった。
改札を通ると左手には小江戸号の切符を求めて、券売機の前にたくさんの人が並んでいる。
無常にも電光掲示板に表示されるあと何席という数字は、並んでいる人たちに対して蜘蛛の糸を垂らしているようにも見えた。
その情景を見る度、前もって購入しておいて良かったと思う。
真っ直ぐに小江戸号に向かって歩き、切符を取り出して見せると、担当の駅員が薄めのハンコを押す。
西武新宿からの乗車口は、各先頭の一号車からか七号車のみであった。
俺は一号車から乗り込み、真ん中にある四号車へと向かう。
ここまではいつもの日常と何ら変わりはなかった。
俺の切符は『2A』。
こちらから四号車に向かって右側の窓際の席だ。
四号車まで辿り着いて自分の席に座ろうとすると、俺の席に女性の荷物が置いてあった。
見渡しても持ち主の女性は近くにいない様子だ。
多分トイレかジュースを買いに行く時に席を間違えて置いたのだろうと思い、荷物を隣の席『2B』に移動しようと思った。
手さげの部分をつかもうとして、慌てて思い留まる。
もし最悪の場合、「勝手に荷物を触った」とか「セクハラだ」と騒ぐ馬鹿もいる。
バックのところに切符が二枚さしてあったが、よく見てみたら小江戸号の四号車『2B』切符と、通常の乗車券だった。
とりあえずこの場は何もせずに相手の女性を待っていればいいかと判断する。
俺は通路を通る客の邪魔にならないように立って待つ事にした。
相手が戻ってきたら荷物をどかしてもらえば済む話なのだから……。
三分ほど時間が経ち、白のハーフコートを着た茶色の髪のメガネを掛けた女性が席に戻ってきた。
その女性は俺にまったく気づかない様子で黙って『2B」席に座り、荷物をどかそうとする気配は微塵も感じられない。
この位置で立って待っているのに視界に入らない訳ねえだろ。
俺は少しムッとしながら女性に言葉を掛ける事にした。
「おい、姉ちゃん。荷物どかしてくれ。じゃないと座れねえよ」
言い方は少し乱暴だと思ったが、相手の態度を見ていたら、これぐらいでちょうどいい気もした。
どっちにしてもこれで相手が、俺の座席から荷物をどかしてくれればいい話なのである。
しかし予想に反してメガネの女はキッとこっちを睨みつけてきた。
「はあ? あんた何言ってんの? ここは二つとも私の席だから」
訳分からない返答に思わず面食らってしまったが、ここは毅然としないといけない。
自分の切符を相手に見せながら話し出す。
「なあ、よく聞いてくれよ。俺の切符はこの席なんだよ。見ればわかるだろ。Aになってんだろ? 分かったらサッサと荷物をどけてくれ」
「あのねー…、私はここの切符と隣の席は子供料金の切符だけど、ちゃんと買ってんの。ゆっくり座って行きたいしね。それで隣の席の切符は無くしちゃったけど、駅員さんがいいって言ったの。だからここは私の席なの。分かった?」
切符を無くしたけど座っていいなんてそんな事、果たして西武の駅員が言うだろうか? 十年近くずっと小江戸号に乗ってきたから、そんな台詞は信じられない。
「じゃあ、俺の席はどうなってんだよ。この席の切符を都合よく無くしたって言ってるだけだろ? そうじゃないと何故、俺の切符がこの席になるんだ? いいか? 切符を持ってるのは俺なんだから、そこの荷物どけな」
「何時に切符買ったんだよ!」
切符の大きさを見れば一目瞭然だった。
小さい券売機はすぐ発車する事前の切符しか買えない為、俺の買った切符のほうがどう考えたって先に購入しているはずだ。
しかも朝の時点でこの席を購入しているのだから。
「時間を言ったところで、おまえが恥をかくだけなんだぞ。そんな事どうだっていいから、とっとと荷物をどかせよ」
「じゃあ、駅員呼べよ。駅員呼んで来いよ!」
まるで話にならない。
そう判断した俺は駅員を捜す事にした。
回りを見渡すと場内の客がほとんどこちらに注目している。
「おい、駅員呼んで来いよ!」
女の錯乱状態が酷い。
外で電車を待っている人たちも注目していた。
いい赤っ恥だ。
「おい、早く駅員呼んで来いよ!」
「……。おまえ…、誰に口利いてんだ? 自分が抜かした台詞、忘れんなよ」
「いいから呼んで来いよっ!」
メガネの女はさらに大声で叫んでいる。
周りの迷惑も考えられない本当にただの馬鹿な女だ。
文句を言いながらも、図々しく座席に座ったままのメガネの女。
反対に俺は立った状態で話している。
さらに男と女の図式。
はたから見れば、俺が悪者にしか見えないだろう。
相手にせず電車の外を見ると、駅員が歩いていた。
場内の客はともかく外にいる人たちでさえこちらに注目しているのに、何でこの駅員は気づきもしないんだ?
俺は四号車と三号車の間のデッキに行き、窓を叩いて駅員を気づかせようとした。
そこで駅員はようやく気づき、こちらを不思議そうに見る。
「すぐに来てくれ」
俺が声を出しても電車の外にいる向こうには聞こえてない様子なので、さらに大きい声を出しながらジェスチャーも加えアピールした。
駅員の姿が見えるまで俺はデッキで待ち、一緒にメガネの女のところへ向かう。
駅員が直接言えば、あの女も言う事を聞くし簡単に治まるな。
「駅員さん、言いましたよね?」
四号車に着くなり女は喚きだした。
こいつには社会的常識というものがないのか?
女は興奮しながら捲くし立てている。
俺は駅員にまず切符を見せて確認してもらう事が先決だと思い、話の途中で口を挟む。
「すみません、ちょっとこれ見て下さい。ここは俺の席ですよね?」
「駅員さん! 私にいいって言いましたよね?」
勢いが止まらない馬鹿な女。
後々の事も考えると、駅員の確認は大事な要素になってくる。
まずは女を制さないといけない。
「お姉さん、ちょっと待って。落ち着けって。駅員さん、この切符はこの席でしょ?」
「は、はい、そうですね」
駅員が私の切符を確認した途端、女はまたすごい剣幕で喚きだした。
「ちょっと駅員さんがいいって言ったんでしょ? ここ二つとも私の席でしょ?」
その剣幕に押されたのか、駅員は座っている女の目線に合わせるように腰を下ろしだす。
困った顔をしながらオロオロとしていた。
「ええ、おっしゃいました。はい…。はい、そうですね。大変申し訳ありません」
「おい駅員さん、何考えてるんだよ。この席を何とかしてくれって、さっきから言ってるじゃん。何の為に呼んだんだって」
何故この状況でまず女に謝るのか理解できなかった。
これじゃ他の乗客には俺一人が悪者に見えてしまう。
駅員は俺の胸辺りに手を出して静かに制しだした。
「落着いて下さい、お客さん」
ひと言だけそう言うと、その駅員はまた女のほうに向いて座りペコペコしていた。
一瞬カッとなったが、ここで怒っても仕方ない。
座って女の対応をしている駅員は通路を塞いだ形になっている。
そこへ乗客が通り掛かっても、駅員はまったく気づかない様子だった。
「ええ、すいません。はい……」
「おい、駅員さんよ、どうでもいいけど、後ろ通してやんなよ。客がさっきから通れないで困ってるよ」
「あ、はい。すいません」
駅員が立ち上がり客を通している間、メガネの女は俺に向かって勝ち誇ったように怒鳴りだす。
「あんた、一体何時に買ったんだよ。言ってみろよ」
自分の目つきが険しくなるのを感じる。
俺は間違っているのか?
どこかに自分の落ち度がある?
いくら考えても見当たらない。
「時間を言ったら、おまえが公衆の面前で恥をかくんだぞ」
「何時だって言ってんだよ。言えよ!」
「えー、お客さまは何時に切符をお買い上げになったんですか?」
駅員までメモ帳を片手に、切符を購入した時間を聞こうとしてくる。
本当に馬鹿か、この駅員は?
何でこんな簡単な問題をここまでこじらせてしまうのだろうか。
どんどんイライラが増してきた。
「買ったのは九時。俺は窓際に座りたいから、ちゃんと前もって買ってるんだよ」
「はい、九時ですね」
「そんなのいちいち確認しなくたって切符の大きさ見れば、すぐに分るだろ?」
メモ帳に九時とわざわざ書く駅員。
買った時間が分かったところで何をしたいんだ?
公衆の面前でここまで恥をかかされた俺に対し、どう責任をとってくれるというのだろうか?
「お客さまは……」
メガネの女に駅員が声を掛けた時だった。
ドアが開き、年配の駅員が四号車に現れる。
やっと話の分かる駅員が来てくれたか。
ひと言メガネの女に荷物をどかすよう言ってくれればいいだけの話なのだ。
「お客さま……」
俺にも聞こえないぐらいの小声で、年配の駅員は女に話し掛けた。
馬鹿な女はどんどん興奮して手がつけられなくなっている。
座席についている備え付けのテーブルまで手で引っ叩いている状態だ。
「おい、駅員さん。どうでもいいけど、早く荷物をどかさせてくれ」
年配の駅員はメガネを掛けていて、ガラスの奥から鋭い視線を俺に投げかけてくる。
「お客さん…。これ以上、電車を遅らせる訳には行きませんから」
「はあ? 何だと……」
年配の駅員の言葉が信じられなかった。
今の言い分じゃ、俺が揉めて電車を遅らせている事になる。
このままじゃ小江戸号の乗客全員に逆恨みされてしまう。
体中が熱くなった。俺が電車を遅らせていると言うのか……。
「あなたのせいで、この電車は十五分も遅れているんです。落ち着いて下さい」
「ふざけんなっ! 誰がこんなちっぽけな事で電車を遅らせろと言った? 周りの客に迷惑だろ。サッサと発車させろ。ふざけんな!」
年上の人に対する言葉使いではないのは百も承知だった。
今は客としての立場、自分自身間違ってないという理念を持ちたい。
後ろで馬鹿な女がギャーギャー騒いでいる。
「こんな馬鹿な女、放っておいて早く発車させろ!」
これだけ怒鳴っても、駅員は女の事を気に掛けていたのでさらに続けた。
「早く行けって! こんなのほっとけよ!」
強引に駅員二人を俺の前に行かせ、入り口の一号車に向かって歩き出した。
女の声が背後で聞こえたが、気にせず駅員二人を後ろからせっつきながら通路を進む。
三号車、二号車、一号車を通りながら他の客たちの視線が突き刺さるのを感じる。
一号車を越えて一番端のデッキに着くと、二人の駅員は何も言わずに電車の外へ出てしまう。
ひと言文句を言いたかったが、これ以上電車を遅らせるのも嫌だったので、そのままデッキで立ちながら待っていた。
當間の馬鹿が適当な事ばかりやっているから、こんな不運に巻き込まれるんだ。
誕生日の翌日警察にパクられた。
原因不明の頬の腫れ。
扁桃腺の手術。
仕事を始めようとしたら、まったく金が入ってこない。
挙句の果てに、変な女には絡まれる。
何なんだよ、この負の連鎖は……。
本当に三十三歳になってから、ロクな事がない。
『車両点検があった為、電車が遅れてしまいました。まことに申し訳ありません。只今より電車が発車します』
嘘の車内アナウンスが鳴り響き、ようやく小江戸号は静かに発車した。