コピーライターを目指す人の日記

言葉と、人と、文章を書くことが、僕はきっと好きです。

共感回路の話

2014-08-19 22:29:04 | 日記
脳の前頭葉に
“共感回路”というものがあるらしい。

文字通り、他者との共感を生む回路。

昨日と一昨日の日記で
書いたことを踏まえ、自分に対してこう思う。


どうやら僕の“共感回路”は人より少し働き過ぎなんじゃないか。

共感できているかどうかは別にして、
「共感しようとする意思」がどうにも強いような気がする。


先日、「渇き。」という映画を見て体調を崩した時も、
そういえばピークに達したのは
登場人物が内臓をえぐられ叫び声をあげたシーンだった。


人よりも共感回路の働きが強い。
そう考えると今まで悶々としていたことに
合点がいくことが多い。

人の表情から情報を読み取ろうとする意思は
きっと人よりも強いだろうな、ぐらいには以前から思っていた。
(特別強いってほどではないけれど。)


余談になるかもしれないけれど、
僕は人の目を見て話すのが苦手ではない。
けれど、数秒間じっと見つめることはしない。

それは自分のためというよりも
相手のために。

数秒間じっと人に目を見られることは
あまり気持ちのいいことではない。
不快に感じる人だっているだろう。

時々、何秒間も見つめ続けることのできる人がいる。
非常に生意気だけど、
「相手の気持ちを推し量ることをあまりしない人なのかな。」
と思うこともある。

時々、さりげなく視線を外すことは
気づかいであると僕は思う。



ちなみに“共感回路”は一般的に女性の方が強く、
男性はオンオフの切り替えができるらしい。

確かに「切り替え」の心当たりは完全にある。

ある程度慣れて、
「人の気持ちを推し量ることをしない人」だとわかると、
僕は途端に「共感すること」を放棄する。
もちろんそれまでに慎重に相当の時間をかけるけれど、
僕の「放棄している姿」が「その人にとって不快ではない」と
わかると完全にオフにする。


初対面以上の人には
「共感しようとする意思」が強いように思う。

だから大勢の人と
遊ぶことがあまり好きじゃないのかもしれない。
その度に共感しようとしていたらかなり疲れるだろう。



この仮説があっているかはわからないし、
自分に酔っている人間の文章に思われるかもしれないけれど、
この気づきは今後の僕の人生においてのヒントになるように思う。


明日の座右の銘は
「融通無碍」

今日書いたAmazonレビュー
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