土崎港☆下酒田町BLOG☆201○

来年は…。「土崎港曳山まつり」下酒田町のex.曳山実行委員会が発信するブログです。

【土崎港曳山まつり2010回顧20】第25号車 南幕洗川

2010年10月25日 | 振り返る
25号車 南幕洗川

◎外題:
盛者必衰 光焔(こうえん)乃倶利伽羅峠


◎見返し:
ちゅら海に 爆音響かせ 鳩逃げる


◎場面の解説:
寿永2年(1183年)、平氏は平維盛を総大将とした十万の軍勢を北陸へ派遣、
加賀越中の国境・砺波山にて源義仲軍と対峙した。
義仲は平氏軍の背後に樋口兼光を配し、火牛の計を用い夜襲をかけた。
平氏軍は敵の気配が無い南へ退くが、そこは倶利伽羅峠の断崖、
次々と谷底へ転落し、軍の大半を失った。
この敗戦を機に平家は衰退し、京より西国へ落ち延びた。





◎委員長名:
浅野貢氏

◎20日夜の曳山置き場:
東北森永乳業秋田事業所駐車場
(旧国道)

◎囃子:
旭鳳会

◎動画
・御幸曳山


・携帯動画


◎御礼札:


いよいよ7月の祭典回顧もラスト3つに。
そしていよいよの南幕洗川さん。

今年一番の興奮でした。素敵、南幕さん。

このブログでも何度となく書いてますんで、
「もうわかったよ!」なんて声も聞かれそうで、
とはいえ、やはりワタクシが一番好きな武将のお話。

個人的感情ですみませんが、書かないことには気が済まずで。

あ、南幕洗川さんは旧国道、森永乳業のあたり。
ジャスコの裏手とか。

最近すっかり町内(曳山実行委員会)ブログを
私物化してしまってますね、すみません。
いいのでしょうか?

いいことにしましょう。



さて、倶利伽羅峠は
過去にも何度か曳山の場面としても登場しており、
やはり「火牛」のインパクトや、
義仲公一番の見せ場っていうこともありますね。
いい場面です。

当初解説のみを見た感じでは
「平家よりのスタンス」かとも思え、
なるほど、そうとも考えるか、
なんて思いましたが、
人形の配置を見ればやはり木曽義仲軍が

「いいもん」=「正義」

で、いいんですかね。
この場面はやぱ「義仲のもん」ですもんね。
(なんて勝手な解釈)

いつかはやってみたい。

岩を大きくし、上に義仲&兼平を配備、
中・下には谷に落ちていく平家、なんて。
そんな場面作ったら、楽しいかも。


以仁王の令旨に応じ、平家追討に立ち上がった
源義賢(義朝=頼朝義経の父の弟)の遺児、義仲。
10万とも言われる平家軍に対し、
圧倒的な数的不利の状況ながら、
秘策「火牛の計」をもちいて見事勝利しました。


加賀越中国境(現在の富山石川県境)の砺波山・倶利伽羅峠を
舞台とした戦い。

日中はなにも起こさない様見せかけ、安心させ、
日が落ちてから相手が油断したすきに奇襲をかけ、
平家を混乱に陥れたわけです。


中国の古い戦術を真似た義仲の「火牛」は
実際にはありえない、って説もあり、
後世の創作だと言う話もありますが、
まぁ、常識的には確かに難しいとは思いますよ。
動物に火ですもん。

賛否ある中、これまでもいろいろな実験、
検証がされているようですけど、

いや、いいじゃないですか、
「あった」で。
楽しいし、夢がある。

仮に無かったとしても
形は違えど何か似たような戦略だったのだと思いますし、
ホントに頭に松明をつけた牛が暴れ狂っていたのかもしれない。

木曽で育った自然児・義仲のありえない発想。

なにより、もう核心なんて
今になってはわからないことなんですから。


と、意味無く徐々に寄りの写真でお伝えしました。
楽しい。自己満足。

平家はこの大敗がきっかけとなり、
安徳天皇を伴い西国に落ち、
逆に義仲軍は上洛を果す、わけです。



メインの人形である
樋口次郎兼光は義仲の幼馴染で四天王(他に兼平、根井、楯)の一人。
この戦いでは平家の背後に周り、
逃げ道を無くすと言う大事な役割を担いました。

父は義仲の育ての親でもある木曽の豪族、中原兼遠。
去年当町内に登場した今井四郎兼平、
さらには諸説ありますが、女武者で有名な巴御前らの兄であり、
また「愛」の兜、NHK大河でおなじみの直江(樋口)兼続は
彼の子孫だと言われています。


余談で、去年も書きましたが、
後の世、兼続の盟友と言われた石田三成の祖は、
義仲を討った石田為久との説もあるので、
なんとも縁深いというか、
世の中とは不思議なものですね。


そして、やっぱり

LOVE義仲。

上記の通り、平家を追討し上洛。
征夷大将軍(征東大将軍)にもなりましたが、
残念ながらうまく歯車がかみ合わず、
天皇・公家たちに疎まれた結果、
最後は頼朝軍勢に粟津で討たれ、
その天下は短命に終わったのですけど、
彼が歴史に残した功績は大きかったと思っております。

彼のもとに優秀敏腕のきれる策士がいてくれたら、
もう少し時代は変わっていたかもしれません。


詳しくは昨年の当町内の解説のところをご覧下さい。



そういえば、9月の通称サミットでは
倶利伽羅峠の祭りをやっているという関係者の方もお越しいただいてて、
祭の駅に展示してた顔出しに

興味をもってくださり、
お声がけいただきました。
嬉しかったですね。

「義仲さんとなんか関係のある町内なんですか?」
と、質問され、ちと困惑もありましたが。

いや、好きなだけなんです。


さてさて、義仲公の話になれば、
まだまだ話は長くなりそうなんですが、
もう月末ですし、やることも多々あるもんで、
今宵はこの辺にしときます。


最後にこれまた何度か登場してます

大津・義仲寺(ぎちゅうじ)にあるお墓。

隣にはあの松尾芭蕉さんが並んでおられます。
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」
合掌。

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