飴チョコひとつぶ

ちょこちょこっと書いていきます。

歴博でお買い物

2006年04月28日 22時21分52秒 | 映画・展覧会
 昨日の記事、国立歴史民俗博物館でみた「日本の神々と祭り」企画展示。
図録も買いました。読み応えありです。図録にかける「なみなみならぬ意気込み」がページ数や中身に感じられたからです。

「日本の神社に関する研究は、それぞれの専門領域ごとに行われてきた傾向があ ります。本研究は歴史学、考古学、民俗学、建築史、美術工芸史、植生景観史、 神道学など幅広い研究分野の研究者が協業することにより・・・・神社全体の歴史   的、文化的、資料価値をあきらかにしようとした」

という趣旨なんですね。ふつうに厳島神社、出雲大社、伊勢神宮にでかけて、これほどのお宝をみられるか、いえぜったい見られません。

 国立歴史民俗博物館は、はるばる行かないと行けないくらい遠いですが、ミュージアムショップがかなりおもしろい。全国の博物館の図録が買えるのです。私は「京都の棚」から「平安京図会」(300円)を購入。現在の京都の白地図に、かつての大内裏が書かれています。この地図を片手にすれば、現在と昔の京都の二重写し
で風景画みられそうです。あとは、歴博ブックレット「動物妖怪談」を。子どもたちが大好きな河童、天狗、狐を古典籍のさし絵で見せてくれます。いちのひめに良い土産になりました。文は第一話 「天竺・震旦渡来の狐 玉藻の前」からはじまって、終わりの第十話は「とりで締めます」ダジャレですね。鷺の話でおしまいです。
 
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What is a shrine?

2006年04月27日 23時15分20秒 | 映画・展覧会
 昨日「ダ・ヴィンチ コード」を立ち読みさせてくれたお礼に買った本は「神社の系譜 なぜそこにあるのか」(宮元健次 光文社新書)です。
 なぜそれを買ったのか?それは今日国立歴史民俗博物館の企画展示「日本の神々と祭り 神社とは何か?」を見に行くためです。それにしても神社企画、
「なぜそこにあるのか?」とか
「神社とは何か?」
とかストレートな疑問文で私たちに迫ってくるところに神社の今日的問題があるように思います!って大げさでしたね。
 でも、身近なわりに意外と知らないという事実、知っておいたほうがいいかもという自覚、こんな状況がめぐってきたということでしょうか。

 展示では出雲大社、厳島神社、伊勢神宮、八坂神社の4つが取り上げられていました。出雲大社は「神社の始原について考える」、厳島と伊勢は「神社の有する建築、美術工芸に関する技能の保存伝承機能に注目して」、そして八坂神社は「神仏習合と華麗な都市祭礼の歴史を伝える」というそれぞれのテーマに沿ってありました。
 この4つの神社、全部行ったことがある!一番感動したのを覚えているのは出雲大社です。あのいやらしいくらいにぶっとい注連縄、どっしりとした社殿。神社といえば、朱色でなんとなく女性的な優美な印象を持っていましたが、そんな既成概念がふっとぶような構えでした。もっとも今回の展示で知ったのですが、慶長期には本殿の柱に彩色されていたんですって。赤いときもあったんですね。

 一番心に残ったものは、やはり私も女ですから、美しいもの!お宝です。神宝ですね。伊勢神宮の神宝の数々。金色に輝く玉纏太刀(たままきのたち)にみとれてしまいました。水晶、瑠璃、琥珀、瑪瑙(めのう)などが鞘にくっついていて、柄のほうには、小鈴がついてるの。こんな美しい太刀ははじめてみました。もちろん実戦用ではない、かざりの太刀ですが。ファンタジー大好きのいちのひめに見せたら、きっとまたこの太刀をもとにお話をつくるだろうなあ、と思いました。あの鈴は音がでるのかしらん。出たらどんな音だろう!それと楯。檜板黒漆塗でただ真っ黒な板なんだけど、とても深い色をしていてこれまた美しい。漆塗りって触るとあたたかいんですよね。触りたいなあ。

 あと、目新しいものは植生景観の調査です。イメージで、境内に生えてる植物って何百年たっても変わってないかんじがしてますが、ちょっと調べればそうでもない。八坂神社は今はクスノキの常緑広葉樹が多いけど、幕末、明治初期にはマツが多かったんですって。絵図や、写真、そして発掘調査で植物を調べて、建物を囲む景観を特定していくんですって。面白いですね。

 画像はおみやげに買った、平家納経のクリアファイル。今回はじめて平家納経を見て感激しました。こんな美しいお経を企画するなんて、また厳島神社のような華麗な建物を発想するなんて、清盛入道ってやっぱりすごいな!と純粋に思いました。このファイル、どこで使おうかな。


 
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立ち読み

2006年04月27日 04時59分45秒 | 書物の類聚
 間に合った。「ナショナルジオグラフィック」の「ユダの福音書」特集が届く前に、「ダヴィンチ・コード」読了できた。映画が始まる前に読了できた。文庫版で上、中は義母から借りて読むことができたけど、下巻をどうすればいいか。義母のおうちに行くには時間がない。図書館でリクエストしていては、1年先になってしまうかも。

 というわけで、二日間にわたって立ち読み!を強行しました。体力のない私がするものだから、かなり疲れました。一年生の緊張からか9時には寝てしまうにのたろうと一緒に就寝タイム。「サザエさん」なんかで、立ち読みしていると本屋の店主がちりはたきでパンパンしにくるけど、そういうのは今時ありませんでした。難敵だったのは、ビデオです。映画化の本のコーナーにならんでいたから、「死んだほうがらくなのに・・・」と何度もつぶやく「子ぎつねヘレン」の宣伝映像!これが集中力を最初のほうは妨害されました。

 でも、本の展開がとっても面白かったからいつの間にか没入できました。87ページまでA書店、172ページまでB書店、そして最後までのC書店。三軒の本屋さんのご好意で読むことができました。ささやかなお礼としてC書店で新書一冊かいました。
 
 
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プレイゴルフ

2006年04月24日 21時47分33秒 | 子ども類聚
 にのたろうはだんごむしが大好き。もっともっと小さかったときは、ビンの中にだんごむしをたくさん集めて、うごめくだんごむしを見つめていました。

「おともらち(お友達)・・・」ってよく言ってました。

昨日公園で遊んだときは、小枝をパター、だんごむしをボールにして、だんごむしゴルフをしました。ちょっと残酷だけど、コケが生えてるような木立の下でね、だんごむしゴルフ。私は解説者になって
「3打目、おっとグリーンにうまくのせました!」
ところがるだんごむしを実況解説。
 
 「アリス」の女王みたいでしょ。

それから、ありの行列のところに死んだ羽虫をおいてあげて、運んでいくか観察したり、かまきりのたまごも見つけました。

 いちのひめは、たんぽぽやら雑草を集めてきざんで、秘薬を作っていました。
春ですねえ・・・
 
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「船場」は物語の宝庫!

2006年04月23日 23時31分35秒 | 書物の類聚
 「中央公論」5月号から連載がはじまった『錦』(宮尾登美子)を図書館で読みました。着物で高級な帯といえば「龍村」、その初代龍村平蔵(1876~1962)がモデルというのだから読まないわけにはいかないでしょう。読売新聞に連載スタートにあたって宮尾さんのインタビュー記事があったので知りました。

 「着物に親しんできた私たちの世代にとって、高級な龍村の帯は娘時代からあこがれの的・・・」
うんうん、そうですよね、と懐かしく読みました。
 嫁入り道具で着物をそろえるのに、しばしばひいきの呉服屋さんがうちにたくさん反物やら帯をもってきました。
「わあ、いい帯やねえ」
「そら、龍村のんですから」

こんな会話もよくでました。作中では「菱村吉蔵」で、第一回は大阪船場で生まれた吉蔵の家が突然逼塞するところまで。続けて読んでいきたいと思っています。

 同じ号には、「『細雪』とその時代(2) 船場という共同体」という記事もあります。先月号からの連載の第二回目。谷崎潤一郎の『細雪』をひきあいに出しながら、モデルといわれる松子夫人、紡績で景気がよかった時代の船場と芦屋の関係などが紹介されています。一冊の雑誌に船場を舞台にしたものが二つも!

 何故今「船場」なのでしょうか・・・
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チキチトはどこ?

2006年04月20日 21時35分09秒 | 書物の類聚
 「画像のいきものは、ピカチュウの裏進化した姿です」
なんてのは嘘で、「まぼろしの小さい犬」(フィリパ・ピアス作 猪熊葉子訳
岩波書店)の表紙の絵です。Antony Maitlandという人による挿絵。

 これはチワワちゃんです。名前はチキチト。主人公のベンという少年は犬を飼いたいと思いつめるうちに、心の中でまぼろしの犬、チキチトを飼い始めます。チキチトの姿を見るために、ベンは授業中でも、家の中でも、電車の中でも目をつむります。果ては歩いているときにも目を閉じてしまうから、とうとう事故にあってしまうんだけど。

 目を閉じれば信じられないほど小さい犬、チキチトにあえると分かったベン少年、現実の世界から目をそらす、というよりもある一面の真実を見ちゃうんですね。

「すわっている人たち、つり皮につかまっている人たち、人ごみにおされてただ上をむいている人たち、ベンならずともみんな目をつぶって、つらい時間をがまんしていた」

「ものを見てつかれるんじゃないんだよ。見ることにあきたんだよ。見えるものといったら いつも同じようにかわりばえしなくてさ やたらにかさばって、ばかでかいばっかりで 大きすぎるし、たいくつだし、とりえがないし、それがまた、いつもおんなじようにたいくつな、かわりばえしないやりくちをくりかえしてるものばかりなんだもの」

こんなことがわが子の口から出たら、ちょっとショックだなあと思いました。
 車の後部座席で、だまりこくっているいちのひめに気づくことが時々あります。
「何してるの?」と尋ねると、「空想してるの」と答えます。
 彼女も何か心の中で飼っているものがあるのかなあ。

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慣れないことをするしんどさ

2006年04月20日 00時15分28秒 | 子ども類聚
 にのたろうの給食スタートにあわせて、ランチョンマットを縫いました。こんな直線縫いなのに、すぐに出来ないんだなあ。

 それからクラスの食事会の案内状を3時間もかけて作りました。キリトリセンの下線がひけない!カットの絵がいれられない!さらに難題は時候の挨拶!

 学級通信でも時候の挨拶はぜったい省きます。いきなり本題に入るのが私の書き方。しかし、こういう公のものになるとどうしても必要ですね。

 ランチョンマット、たった一枚の案内状、時間がかかったわりには「労多くして益少なし」でした。
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「六甲おろし」の暗号

2006年04月15日 23時11分40秒 | 書物の類聚
 『死者の書』の自注ともいえる「山越しの阿弥陀像の画因」には、日を拝む
日想観について書かれていました。四天王寺西門は、極楽東門に向かっていることで、「西の方海遠く入る日を拝む」人が群集していた、との説明の後

「今も尚若干の人々は、淡路の島は愚か、海の波すら見えぬ、煤ふる
 西の宮に向って、くるめき入る日を見送りに出る。」

この西の宮は兵庫県西ノ宮のことではきっとなくて、西方浄土の極楽東門のことだと思います。それにしても西ノ宮、日輪・・・ん??
 
 「蒼天駆ける 日輪の 」

われらが阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」の歌詞にあるではないですか。
なんと今の今まで「六甲おろし」の歌詞が日想観によっているとは全く知りませんでした。「蒼い空を 太陽が駆けていく」これは「・・・画因」の文中「大空の日を追うて」と一致するではありませんか!
 そうか「六甲おろし」の歌は、西方浄土に憧れる気持ちが織り込まれていたのですね。だから、みんな熱狂して歌っていたんですね。こんなサブリミナル効果があったなんて、すごい!!これからは「六甲おろし」は熱唱するのでなく、和讃するといいましょう。

 いったい阪神タイガース応援歌「六甲おろし」に日想観をしのばせた作詞家は誰でしょう?佐藤惣之助さんという方。ネットで調べると、なんと私の出身大学の
第二校歌といわれている「人生劇場」の作詞家でもありました!
 「六甲おろし」と「人生劇場」の作詞家は同じ人物である。

 関西に生まれ育った私は「六甲おろし」を幼いときから耳にし、歌い、そして
こちらに出てきて、大学で同じ作詞家の「人生劇場」を歌っていたなんて。私の人生は佐藤惣之助さんの歌で満ち満ちているではありませんか!知らなんだ・・・

 折口信夫は、図らずも私の人生で不明だった場所に光をあててくれました。有り難いことです。郎女ではないですが、思わず

「なも 阿弥陀ほとけ」とつぶやいてしまいました。 

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『死者の書』を読んで

2006年04月14日 18時30分49秒 | 書物の類聚
 「した した した」岩伝ふ雫の音

 「こう こう こう」人の声

 「ほゝき ほゝきい ほゝほきい」鶯の声

 「つた つた つた」足音

 「あっし あっし あっし」足踏みの掛け声

 「ちょうゝ はたはた」機織の音

古典の何がおもしろいって、やはり擬音語の多様性にびっくりするところがあります。この「死者の書」の映画、本、どちらもその楽しく美しい擬音語に出会います。そしておどり字「ゝ」がたくさん見られます。
 横書きだとこの踊り字の居場所がなくなるんですよね。ちょっとかなしいですね。

 今の中公文庫の版に載っているかは分かりませんが、私が借りた昭和61年17版の本には「山越しの阿弥陀像の画因」という折口氏自身による「死者の書」着想成立が語られています。これがまたとても面白かったです。
 映画でも原作でもたびたびあるのですが、二上山の二つの峰の間に沈む太陽をみて、郎女が陶然とするシーンがあります。
 
 「何時と時をさすことは出来ぬが、何か、春と秋との真中頃に、日祀りをする
  風習が行はれてゐて、日の出から日の入りまで、日を迎へ、日を送り、又
  日かげと共に歩み、日かげと共に憩ふ信仰があった」

女たちがしていた「野遊び」「日の伴(とも)」と、日祀り信仰をあわせて考えられたのですね。とかく月を愛でることは今でも共感できるのですが、あらためて
太陽、日輪を仰ぎ見るという点に驚きもし、たしかに太陽を祀るほうが古い形かも、と思いました。

 さらに、女が野山をめぐる「女の旅」について折口氏は、旅路の女の数々の辛苦の物語によくある「盲目」という要素について

 「日を祀る修道人が、目眩(めくるめ)く光りに馴れて、現し世の明を
  失ったと言う風の考へ方があったものではないか知らん。」

と、つぶやきます。とても興味深い独り言ですね。古典版「君の名は」の「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」の盲目深雪がうかびます。やはり太陽を直接みるのはよしましょう。

 ばらばらのものを重ねてみることができた折口信夫はやっぱりすごいなあ


 
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頭寒足熱読書法

2006年04月14日 17時02分46秒 | 書物の類聚
 図書館で折口信夫の「死者の書」を借りました。川本喜八郎さんの人形アニメーション映画「死者の書」の原作です。映画のパンフには川本さん、ものすごく難解な小説で、シーンをばらばらにして、つなぎなおしてやっと分かったとありました。私は映画を先に観たおかげで、わりに理解できました。あらためて映画の編集の力、川本さんの作品の読解力に驚きます。
 子どものことで、うろうろと考え、こんなときに読書なぞ、と思っていましたが、いや、こんなときだからこそ、集中力が必要な本を読もう!しかもいっぺん読んだら、休憩できない状況に追い込んだそういうスタイルで!と思い直しました。
 
 風呂に本を持ち込みました。手ぬぐいは持参不可。湯船につかって、一度本をめくったら、終わるまで手は本以外触れない。水につけたら拭かねばならぬ。でもタオルがないからふけない!図書館の本だから、ぬらしちゃいけない、線もひけない、時間がないから、一回で読み取るぞ!の意気込みです。

 これが結構楽しかったんです。よく女優さんが「お風呂に本を持ち込んで」なんて優雅なことを言っていますが、私のお風呂読書はそんな甘いものではないなあ。
でも苦肉の策と思ってやったことでしたが、結果、集中して読む、のぼせるから速読気味になる、そして風呂には長時間はいったことになる、と一石二鳥でした。
 お酒だ、キャンドルだ、そしてタオルだ、と言いはじめては風呂読書の堕落のはじまり。ちょっとやみつきになりそうです。
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