たろうくん(太郎)のつぶやき

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エッセイ「心変わり・変節」

2017-10-02 20:54:42 | エッセイ
エッセイ「心変わり・変節」

平成29年10月1日は、御霊神社のお祭りでした。毎朝出来るだけお詣りさせて頂いております?此の所体調が、悪い時などはお休みする事があるようになっていました⁉️昨日の短歌は、最初(前の日に)辞世の句として書き出したものです。寝る前に風呂にはいります🛀が、其れから句の事が気になり始めて、「あの部分はこのようにしたら良いなぁ〜」と何故か想いが浮かび、辞めようかと電気を消すと次々に修正の句が思い浮かび、修正を重ねて、此れならば良いだろうとの短歌が漸く出来上がったのです。次の日30日は、東京迄出かける予定でした。
朝起きて、メモに書いておいた短歌をInstagramに画像6枚と共に投稿してから出かけました。予定では、8:29分の城山手のバスに🚌に乗るつもりでしたが、8:46分頃の京王八王子駅行きに乗る事となりました‼️
前日29日に、娘に抱っこしているみなとくんと二人の孫(ゆうとくん・はるとくん)を保育園に送り家の前を通り過ぎて、靴流通センターと100円ショップのある大きな駐車場で、Uターンして家に帰りました。その時に「何故、通り過ぎるの❓」と娘に聞かれました。何時もならば、家の前で娘と抱いている孫を降ろしてから、「八幡様へ行く」と言って出かけるのです。ですが「今日は、行かない」と答えたのです⁉️妻には、家の神棚へお供えしている「お榊とお米・お塩・お水」も辞めて神社への御参りも辞める」と言って有っていたのです。
しかし、心変わりした出来事があったのです。東京へは、PanasonicのSC−UA7ミニコンポ/スピーカー🔇を試聴したいのが第一の目的でした。PanasonicのSC−UA7の案内に載っていたのは、Panasonicのシエーバを売るためのページでした。此処には、SC−UA7を置いていなかったのです。諦めて、ソニーショツプ銀座へ前日に電話📞して訪問しました。ソニーショツプに着いてエレベーターに乗ったのですが、目的の5階にエレベーターのボタンを何度も押しても「その階には、止まりません❓」の表示なのです。兎に角違う階に降りて、確か8階だったと思います、そこにおられた方にお聞きしました。11時に成らないとエレベーターは、目的の階に止まらない事が判りました。
5階に行き名前を伝えると女性の人が、「清水さんですね、此方へどうぞ」と近くの椅子に案内してくれました。「試聴したいヘッドホン、イヤホンのをご用意します」と言いって色々な最新モデルを持って来て下さいました。試聴しながら、色々尋ねたい事などをお聞きしました。11:20分ごろから、12:15分頃までだと思います。丁寧な対応で、非常に嬉しく思いました。帰る時に、後数枚残っている名刺をお渡したのです。すると「では、私も」と名刺を頂きました、その名刺の姓が「小林さん」だったのです( ◠‿◠ )「小林氏は、八王子城で討死された、小林土佐浄心という方がおられます。このお方は、津戸氏の下人だった方なのですが、戦で手柄を立て氏照公から特別に家臣に取り立てられご家来なになった方です。この恩を感じて最後迄、忠節を尽くされて討死されたのです」とお話しました。「大学はの学部は?」「史学部ですが、西洋史なのです」其れなら歴史の心は通じるのだと思ったのです。
次のイベント会場は、すぐ近くなのですが、「其処でしたら、12:15分頃には、此処を出て向かわれた方が良いでしょうね」とお気遣いして頂きました。
イベント会場は、六本木森ビルでした。時間前に着いたのですが、地下のスターバックスの近くの「Cホール」に来て下さいと案内のイベントにあったのです。でも、くら探しても、係りの人やCホールも見付かりませんでした。腰痛を抱えていた私は、遂に諦めて帰り次のイベント会場の新宿小田急本館へ向かいました。「山口和男」さんのパステル画の個展イベント会場へです。5:00前に着かないとお逢い出来ないと思っていましたが、3時少し過ぎに着けました。其処で、一時間以上滞在する事が出来ました。接客を終えた、山口和男さんにご家族についてお尋ねしたりして、私なりの考えをお話しました。真剣に聴いてくださり、時に頷いて下さいました。「私は、新興宗教の教祖の様な事を話すでしょう」と最後に言って帰りました。
早く帰る事が出来たのです、「あら、早いわね」と洋子さん⁉️西寺方のアルプスでお榊を買い求めました。帰る途中に志村カネ子さんにお礼を言う為に訪問しました、2万円も頂いたお礼です( ◠‿◠ )その時に志村カネ子さんのお宅でお榊を台所の水に浸して頂きました。そして、帰る時にお榊を受け取ったのです。志村カネ子さんは、お榊の下の部分を紙だと思いますが、包んで頂いて下さったのです。違うお心遣いなのです、「お水」と言われたお方のなされ方でした。「元気を取り戻したら、お水のお清めを始めるかも」と言われたのです。「屹とお元気になれますよ‼️」お水の復活が出来たなら一番に来たいなぁ〜と思いました。
御嶽神社のお祭りに5千円をお持ちした事、5時過ぎに御霊神社のお祭りに出かける事もお伝えしました。
5千円を用意して、ゆうとくんとはるとくんに「一緒に行くかい⁉️」と聞きました、ゆうとくんに、「何もお店が無いの買えないよ?」と言うと「行かない‼️」の返事です。しかし、じぃちゃんは判っています。色白のゆうとくんは、霊感が強いのです、霊スポットの様な場所が怖いのです‼️「はると如何する❓」と聞きました👂、ばぁばと一緒なら行くと言うのです。近くの城山病院🏥の駐車場に軽自動車を停めて、はるとくんの手を引きながら鳥居⛩を潜りました。左手にお礼の熨斗袋を持たせました。熨斗袋を振りながら歩くので「余り振らないでね!」と言い聞かせました。宮司さんは、兼任の八幡神社の梶原さんです。始まる前の僅かな時間に、地元の氏子さんとお話する機会に恵まれたのです。
田野倉さんが、私を「この人は、何時も掃除をしてる下さる方なのです」と言って下さいました。隣にいた人が、「稲刈りの動画を映していた人だ⁉️」と言いました。その方が、菊谷さんだったのです。
妙観寺で菊谷さんのお墓を写させて頂きましたが、500年以上も続いているお家なのです。私は、色々なお宅のお墓を拝見していますが、このようなに戒名が連綿と刻まれた墓誌を拝見できたのは、初めてなのです。お宅の前でも、野菜等を直売しています。篤農家で資産家なのですが、朝早くから畑に出て黙々と農作業されている姿を、皆さんはご存知なのです。この菊谷さんを教えてくれたのが、常盤聖一さんでした。「俺の家よりもずっと古い19代目の家があるよ‼️」其れがきっかけで、妙観寺の墓地へ行きました。その前に、菊谷さんのお宅で昔の事を尋ねしました❓「内の先祖のことは、妙観寺の墓に全部彫ってあるから見て良いよ」と言われたのです。
最初の大先祖は、田葛平内と刻まれていました。菊谷姓は北条氏照公から賜ったとされていたと記されているのですが、二代目の方からは、「菊田姓」が刻まれていました。菊田から菊谷姓を名乗るようになったのは、七代目の方からで、延宝年間からのようです。家紋は、菊の組合せでした。本土寺の過去帳の「24日の欄に平内」とだけ記されているのを見つけました、菊谷さんに「日蓮宗に関係されていたご先祖が、おられますか」とお尋ねしました。「確か、日蓮宗のに関係する記録も、有った様な気がします」と答えられたのです⁉️菊谷さんのご先祖についての調査は、此れから先も続けるつもりでいます。
田野倉さんは、ジヤリのダンプカーをされている「ジャリ屋」と札が、出ているお宅にお伺いしてからの知り合いです。此の田野倉さんも常盤聖一さんからの情報でした。お宅にお伺いすると、ご先祖の遺された棟札を気軽に、見せて下さいました。写真にも写させて頂きました、今も消えかかった部分の字の解明が出来ずに居ります。館町に移された御霊神社の氏子さんに「田倉」さんがおられます。検索すると「北条氏照家臣…」と出ていました、田野倉さんが、「昔は、田倉だったかも知れない」と言われたからです。御霊明神で紹介して頂いた田野倉さんとは、一族なのです。そして、八幡神社の参道にある田野倉忠男さんは、私の中学の先輩でした。参拝を終えて帰る時にお姿を見かけたので、声をおかけしてお話を聞くことが出来ました。先輩のお話は、大変参考になりました。日を改めて又お聞きしたいと考えています。
朝5時過ぎからこのエッセイを書き始めましたが、途中で掃除をしたり、洋子さんを迎えに行ったりで時間が経ってしまいました。何とバッテリーが、無くなりそうで中断となりました。
30日の御嶽神社の夜宮に行きたいと思っていたのですが、東京への予定があったので行けませんでした。其れだけでは、有りません?行きたかったのです。でも、そのためにはお金が必要でした‼️困っていしまいました❓ふと思いついたのが、神棚に志村カネ子さんから頂いた熨斗袋に入っているお金が、有ったのです。この熨斗袋のお金は、大切だからだと中を確認しないで、其の儘神棚の奥の左に立て掛けてある 、七枚の「八幡神社大祭大玉串」のお札の前に置いていたのです。其れが、1ヶ月程前の出来事なのでした⁉️エッセイ「心変わり・変節」の始まりだったのです❣️

10月1日(日)のつぶやき その2

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10月1日(日)のつぶやき その1

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