アトリエ・きき

ここから何が始まる?

おおさむおさむ、山から小僧が飛んできた。なんと言って飛んできた。寒いと言って飛んできた。

2017-01-17 13:14:12 | Weblog
寒い。寒すぎる。激しく寒い。極寒。・・・

もうすぐ二十四節気の「大寒」、一年で一番寒い時期に突入する。
ともあれ、うちは既に、我慢大会のような寒さだ。こんな家に住んでいる人間は珍しいに決まっている。北海道地方などでは、冬でもTシャツで過ごせるような室内温度にしてあるそうだ。
もっともそれは、そのくらいに保って体温を上げておかないと、外に出た時に耐えられないかららしい。

しかしここまで寒いと、もう逆に可笑しくなってくる。痛快に笑いとばしてやれ、みたいな気分になってくる。
まったく、笑い話である。朝は夫とふたり、リサイクルで買った分厚いコート(夫の場合)を着て、首にマフラーを巻いて、白い息を吐きながら食事をしているのだ。

ちなみに今朝のわたしの服装は、半袖シャツ、長袖シャツ、毛のとっくりセーター、父のおさがりの毛のポロシャツ、その上に、やはり父からまわってきた、中にフリースのついたジャンバー。
反射式石油ストーブを焚いていてこうである。しかし今年コタツは出していない!!! これすごい自慢です。

でもね、こんな生活をしてると、釜の蓋を開けた時のふわりとした湯気の温かさだとか、熱いコーヒーを入れたマグカップを両手で包んだ時の心地よさだとか、そんなものが、ほんとにしみじみとうれしくなるのである。あ~しあわせ、なんて、幸福度感得のハードルがぐんと低くなる。ストーブを焚いて上がった室温の1度(たぶんそんなもん)が、廊下から入った時とってもありがたかったりする。
もしかしたらこれは一種の豊かな生活とも言えるのではないだろうか。

笑えないのは、深夜黙々と書物などをしている時。 足先も指先も、凍りつきそうに冷たくなり、かじかんでどうしようもない。
「さ、さむい。さむすぎる・・。」と、一人震える声で言ってみたりする。

今も手指はかちかちだが、膝に猫のペリがいる~。ペリが乗っていると、アンカを抱いているようで、そこだけとても温かいのだ。いいこいいこ。
ペリもこんなところでまるまらねばならず気の毒だが、コタツもないので仕方ないのであろう。

極寒の生活、せめて目とハートにあたたかく、と、昨夜小さな花束を買った。 300円なり。冷蔵庫と同じなので、うちでは花もおそろしく長持ちする。玄関の正月用の花と千両も、まだぴんぴんしている。
寒さへの抵抗力もつくし、空気が乾燥しするぎることもないし、こんな暮らしも悪くはない。 (そう思わなかったらやっていけない!)

日記のタイトルを考えていて、ふと思いついたのが「おおさむこさむ・・」のわらべ歌。わたしは祖父からきいた。
昔たくさんいた小僧たちは、今どこにいるかなぁ。
・・・ん? うちに大集合か!?




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冬のシンフォニー

2017-01-05 23:50:40 | Weblog
世界に、力強く冷気のBass。

風が欅の枝のタクトを振れば、
霜柱立ち上がり、
凍った椿の葉が歌い、
苔はかすかなビブラートでそれに応える。

街の光の洪水は、胸踊るプロローグ。
夜に流れる回転木馬の残像は、
まるでとりどりの色のカノン。

回れ 回れ まだまだこれから。
夜はこれから。



どんよりした曇り空に奏でられるのは、第2楽章アダージオ。
時間も、風も、
歩をゆるめて内省を促す。


地鳴りのようなシンバル、
太陽がひとたび顔を出せば、
世界は再び色彩にあふれ、
野イバラの芽や水仙のつぼみ、凍った小川のセリの根が、
一斉に命に目覚める。

そして冷気のBassが、ほんの少し軽くなり、
冬のシンフォニーは、
太陽の動機と空気の展開によって、
終章に向かい始めるだろう。



足踏み 足踏み。

心はとどまりたくても、
待ってはくれない季節の流れ。

重厚な冬将軍の轟きが鳴り響いているその間に、
生き方のCDEを復習する。

やがて来る春にとまどわぬように。
明るい陽射しに、向き合っていけるように。

冬を恋うる気持ちを、封印することができるように。





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