アトリエ・きき

ここから何が始まる?

山の聲

2016-04-28 06:02:57 | Weblog
したたる若緑。

緑を見つめ、
緑に向かい、
緑をくぐり、
緑に包まれ、
緑を思い、緑を刻む。

季節は脈打つ。
この弓なりの国を、北に西に、進んでは戻り、戻っては進んで、
時のトンネルを、いとも簡単に越えさせてくれる。

わたしは見た。
山が山として、山に命を吹き込むのを。

わたしは聴いた。
山が山たるべく、山の歌を謳うのを。

誰が見ずとも、
誰が聴かずとも、
山は山を楽しみ、山であることをやめない。

山は山以外の何者でもなく、
山であることに迷いがない。

山に徹する山は、
何も語らない。

しかし千の言葉を持っている。

目を閉じれば今も、
川の流れに魂を宿し、
夜を夜明けへと、力強く渡る。










行く季節

2016-04-19 09:44:23 | Weblog
季語「山笑う」の季節が、行き過ぎようとしている。
こんもりとした表山、なだらかな稜線を描く裏山、日の出を演出する東山、それぞれのいたるところに、ぽんぽんと配置された山桜。その花の白が薄くなり、やがて緑に埋もれるようになれば、周囲の新芽も力強さを増した証拠だ。季節は、スイッチバック式に夏へのぼっていく。

車で少し行くと、川面に、両側から手を伸ばすような格好で枝を差し出す桜並木がある。かつてその道に毎朝通った。一日一日表情を変える風景が見たくて、毎日通った。
満開を迎えた日、草色やわらかな岸辺に腰を下ろして釣り糸を垂れる人がたくさん!
誰もが無言で、静かに水面を見つめている。でも一番に感じているのは、きっとまわりの桜のことだ。重そうなくらいゆっさりとした花枝が、その人たちを見守る。
それを端から眺めるわたしは、なんとなくしあわせな気持ちになる。

数日すると、古い木の橋げたにも欄干にも、花びらがたくさん降り積もり、まるで舞台装置の一角のようだった。
道端で忙しそうに箒を動かす人がいたが、こんな軽くてきれいなものを集めるなら、掃除だってきっと楽しい。

その日、ふだん何の動きのない老いた川が、ゆっくりと、一面の花びらを流れに乗せていた。いつもは、上流も下流もわからなくなるような川なのに。
あの時の風は、今頃どこを吹いているのだろう。

山笑う

2016-04-14 09:09:57 | Weblog
久しぶりに地元の桜道を何本か通った。景色ががらっと変わっている。
枝という枝すべてに薄白い花がついて、頭上が明るい。桜に挟まれた川面にはたくさんの花びらが落ちて、澱んだ色の水が、思いがけない日本画の(やっぱり油絵ではなく)落ち着いたバックになっている。

周りには、川べりをそぞろ歩く老夫婦、立派な望遠レンズを覗き込むカメラマン、釣れそうもない糸をのんびりと垂れる釣り人。いろんな人がいる。
車の窓を全開にしてみたが、残念ながら花びらは入ってこなかった。

大学の痩せた桜は、いつのまにか豊満な美女に成長し、夕刻、その下で歓談する人たちを楽しそうに見ていた。
桜があることで、人が集まる。会話が増える。世界が変わる。すごいエネルギーが、桜の周囲にはあるんだな。当の桜は、何も自覚していないのだろうが。

不思議な花だ。本数が多いということもあろうが、これが満開になると、あちこちでいろんな人の気持ちが動く。
木の下を歩いてみようとか、写真を撮ろうとか、お酒を飲もうとかお弁当を食べようとか。

誘われるんだろう。誘いに乗ってもいいんだと思わせるんだろう。 黄色いイチョウの下で宴会をする人はいないのに。(わたしは、おやつくらいは是非食べたい。)

家の近くの里山は、「山笑う」(俳句の季語)の時期になっていた。これについてはもう、わたしは表現する言葉を持たない。見てくださいとしか言えない。毎日毎日、山は表情を変え、その度にわたしは、「おお、今日が最高。」と思い続ける。
期間にして、一週間かな。いや、十日あるかもしれない。「今日が最高」は、意外に長く続くのだ。それがうれしい。

気づかないうちに春がやって来て、春を謳い、春は行く。
いつのまにか、冬は気配を消した。大好きな「冬木立」なんていう言葉は、既にまったく空気が違う。

あ。雨だ。雨音だ。
夜静かに聞こえてくる冬の雨の音が好きなのに、それを待っていた時期が長かったのに、やっと聞いたと思ったら、春の雨になってしまった。





さよならさくら

2016-04-06 11:58:26 | Weblog
さくらが仏壇にいます

庭のさくらんぼの木の枝です

東の山に 山桜が見え隠れしています

今年は会えなかった 憧れの花です

東北でいま さくらの開花が伝えられています

春を忘れない 変わらぬ木々です


わたしが見ても見なくても

花は咲き 風に揺れ 雨に打たれ

そして今頃 音なく散っているかもしれません


その中にわたしが

立っても立たなくても

花びらはやさしく 地にふりそそぎます


それをじゃましない存在でいられることを

うれしく感じます

きっと たぶん だいじょうぶ


いつか

さくらの木の下に腰を下ろし

吹雪のような花びらがうずめる空を

眺めてみたいと思います


かつて山裾の大木から

はらはらはらはら

尽きることなく舞い続けるさくらを

言葉わすれてみつめたことがあります


そんな時間を

また過ごしたいと願っています


花は

誰が見ても 見なくても

今年も変わらず咲きました


来年も変わらず咲いてくれることを

今年は少し 祈っています






恋愛障害者

2016-04-05 23:01:51 | Weblog
9年前にやった下のテストの結果が出てきた。
今日新たにやってみたところ、恋愛障害者1級には変わりなかったが、少しはマシになっている。ようだ。


☆恋愛障害者認定テスト☆

http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/bin/disable.cgi

[テスト結果] (9年前)
恋愛関係構築力: -5
恋愛幻想度: 290
あなたが今後の人生で出会う(顔と名前を知る)異性(同性愛者は同性)の数: 240人
あなたが今後の人生で経験する恋愛の回数: 0.013回
恋歴社会ドロップアウト指数: 59%
恋愛障害者認定: 1級

重度の恋愛障害が見受けられます。この段階ではもはや仮に恋愛をしたいと思っていたとしても身体が言うことを聞きません。恋愛障害を抱えているという現実を受け止めた上で、それでもなお人生を楽しく生きられる道を模索することが大切になってくるでしょう。もっとも、果たしてその時に恋愛以外で楽しいことはあるのかというのが次の問題になってくるのですが。

以上の結果に基づき、恋愛障害者1級の認定証(バナー)が交付されます。ご自分のサイト等でご自由にお使い下さい。




【恋愛障害者認定テスト】(今日)
love-disabled person authorization test. ver.0.10

[テスト結果]
恋愛関係構築力: 65
恋愛幻想度: 275
あなたが今後の人生で出会う(顔と名前を知る)異性(同性愛者は同性)の数: 113人
あなたが今後の人生で経験する恋愛の回数: 0.087回
恋歴社会ドロップアウト指数: 54%
恋愛障害者認定: 1級

重度の恋愛障害が見受けられます。この段階ではもはや仮に恋愛をしたいと思っていたとしても身体が言うことを聞きません。恋愛障害を抱えているという現実を受け止めた上で、それでもなお人生を楽しく生きられる道を模索することが大切になってくるでしょう。もっとも、果たしてその時に恋愛以外で楽しいことはあるのかというのが次の問題になってくるのですが。

以上の結果に基づき、恋愛障害者1級の認定証(バナー)が交付されます。ご自分のサイト等でご自由にお使い下さい。

(バナーは上に表示済み)





都会の灯り

2016-04-02 22:50:37 | Weblog
闇になりきれない空に

ぼんやり

手のひらに 乗せられそうで乗せられない

ジャンキーな宝石箱

でもそのひとつひとつに

愛があり 闘いがあり 暮らしがあり ドラマがある



すべてを呑み込む架空のインナーシティが 

深く 静かにひろがっていく



あの光は寂しい人の 

あの光はしあわせな人の

あの光は生まれたての

あの光は消え行く寸前の



灯り



言葉を持たない光が

たくさんのことを物語る夜に

重い荷物を背負い 風に吹かれながら

冬と春をぶら下げ

ひとり歩く



見下ろす光  見上げる光

灯りがやさしい