にゃび姐さん、踊ります!

着物・猫・郡上踊りと白鳥踊り。時々韓国にすっ飛びます。韓国語の勉強はいつ再開できるの?と悩みつつ実家の母をフォロー中。

無題・・・コメントしずらいでしょうねえ・・・けけけ♪

2010-07-27 22:39:06 | イ・ソラ
明日は私の父の命日です。

食道がんを宣告されてからたったの二ヶ月で逝ってしまいました。
折りしも2002年のワールドカップの真っ最中から始まり、高校野球神奈川県大会まで

アンセムの曲、ホッチリのBy the way、元ちとせの初アルバム
繰り返し車の中で聴くこれらの曲が私のその当時の記憶と直結です。

それがなんで「イ・ソラ」なのかというと
私のへたくそな訳詩に助言をくださったK某氏(韓国のニュースみたいだ^^)が

イ・ソラさんと彼女の父親との関係
ちょっと変わった子どもであった彼女
のことを教えてくださったので

それでです。

昔はよくあることだと言って気にしない人が多いのですが
私が三歳のとき父が私に向かって
「○子、おまえここのうちの(叔母夫婦)子になるかい?」と聞かれまして
泣いて嫌がりましたけど
それは
「お前がいらないんだよ」と言われたようで嫌だったんです。

折に触れ父が(なんと当時27歳だったのですよ~~~)
「女の子二人はいらない」と言ってたらしいので
(大人たちがしょっちゅう話していたので有名だったらしい)

自分はいつ捨てられるか怖くて
親に気に入られるように一生懸命勉強しましたし
家事も子どものうちから一生懸命しましたが
高校生になっても殴られて
大きくなるにつれて「出てけ~~」と言われることも多かったので
19歳で家を出てしまいました。
私が早く結婚しちゃったのはそういうこともあります。

幼い頃から自分の居場所、いる理由を探して
この世にいてもいいのかいけないのか
親戚が回りに多かったこともあってお葬式は沢山出ましたし
沢山のお骨あげをしましたし
自分の中で生と死はいつも隣り合わせでした。
にこやかに笑っていても、死は突然に訪れるものです。
朝目覚めないかもしれない。
私より先に旅立った大勢の知り合いはそういうことをごく自然に教えてくれました。

父が入院して、見る見る悪くなっていって
最後の頃、もう危ないからと病院に泊まりました。
そういうことのできる子は私だけだったんです。
その時暗闇の中で
「私を捨てなくて良かったね。私がいたおかげで、今この瞬間も一人じゃないでしょう」
と、ふと思ったのです。

「私を産んでくれてありがとう」とはまだ言えませんが(まだ言えないのよ~~^^)
自分がこの世に存在する不思議と
繋がっていく命の不思議さは学ぶことが・・・できたかな。



母、影うすい?

そう、私の中では薄いの~~~
だって父と私の間に入ってくれたことは無かったんだもん
母も私のこといらないんだな~~~って思ってました。
でも最近は私がいないと結構大変だとわかってますから
それにたった一人しかいませんから。

それでなんでこの日記が「イ・ソラ」なのかというと~~~

やっぱり「Amen」かなあ。
細かい部分の訳は難しいんだけど心に響いた曲
仏教徒なんだけど「Amen」
7集の6番目とともに

自分を許して肯定する曲
私にはそれが必要だったということ。
どちらの曲も聴くと時間が止まって、泣いて、また動き出します。


明日はきっと命日ということも忘れて仕事します(ハードな日だから)
そしてまた自分を許して肯定して生きていきます。

大体女の子が二人続いたからどうだってのよ。
私なんか男の子が三人も続いちゃったわよ~~~