楓荘日記

米女優サンドラ・ブロックの情報を中心に、洋画、日米ドラマ、本など、思いつくまま書いていきます。

CIA作戦

2010-05-07 01:19:20 | サンドラ・ブロック

以下のQ&Aは、原文直訳ではなく、抜粋または要約ですが、8割がた訳しています。

Q: 養子を迎える決心をしたのはいつ?

A: 「今だ!」みたいに決定的な瞬間があったわけではなく、ハリケーン・カトリーナのあとでニューオーリンズで多くの時間を過ごしているうちに、自然に自分たちの子供はここで、という気持ちになったの。手続きを始めたのは約4年前。どんな子が私たちのもとにやってくるのか、まったく分からなかった。性別も背景も。そんなことはどうでもよくて、私たちはただ、自分たちにふさわしい小さな子がやってくることだけはなぜか分かっていた。その後、4歳になったサニー(ジェシーの末っ子)が、突然、「おうちがいない赤ちゃんがたくさんいるから、うちに迎えてあげたほうがいいよ」と言いだしたの。その時は、養子縁組がまとまるかどうかは分からなかったので、希望を持たせないように、話を逸らした。

Q: プロセスについて

A: (セレブとしての特別のルートではなく)私たちは養子縁組を願うほかの人たちと同じ手続きを踏みたかった。山ほどの書類、家族背景のチェック、家庭訪問などとても時間と手間がかかったけれど、それは子供を守るためのことなので、やってよかった。

Q: ニューオーリンズから養子を迎えることがなぜ重要だったか

A: ニューオーリンズから、というよりは、アメリカ国内から迎えることが重要だったの。そして、ニューオーリンズはジェシーと私にとってとても大切な意味をもつ場所だった。

Q: 初めて息子さんに会ったのはいつ? どんな感じだった?

A: 正直に言うと、縁組の可能性が高いという連絡を受けたとき、私はパニックになったの。アワード・シーズンの真っ最中だったから。よりによってなぜ今?という感じ。このクレイジーな状況に子供を巻き込みたくなかったし、安全に守れるかどうか分からなかったけど、ジェシーから、養子を迎えようと思ったときのことを思い出したら、と言われたの。そして、初めてルイに会ったとき、外の世界すべてが静寂に包まれたわ。この子はとても小さくて、じっとしていた。それまで私がすごく時間を割き、気にしていたすべての些細なことは、もうどうでもよくなったの。ルイに会ったとき、私はただ、「ここにいたのね」("Oh, there you are.")とだけ言った。まるで、この子がずっと私たちの人生の一部だったかのように。その瞬間から、私はルイのことだけを考えるようになり、もう何も心配しなくなったわ。

Q: 家族への説明は?

A: 養子を迎えることを子供たちが納得してくれることが最優先で、みんな、大歓迎してくれたわ。そして、しばらく秘密にしなければならないこともちゃんと理解してくれた。私たちが打ち明けたのはほんの一握りの家族と友人だけ。ありとあらゆる工夫をして、シャワーも5分ですませ、ルイの安全を第一に考えたの。この子には最高の兄と姉たちがいる。

Q: 名前の由来は?

A: 「ルイ」というのは、最初に頭に浮かんだ名前のひとつで、彼を見たときに、ルイ・アームストロングの“What a Wonderful World”が繰り返し頭の中で聞こえていて、ぴったりに思えたの。ほかの名前もいろいろ当てはめてみたけど、いつもルイに戻ったし、この子もそれでうれしいみたい。

Q: 家族でお祝いは?

A: 新しい子供を授かったときに誰もが普通にできることはすべて、ひそかに行わなければならなかったの。アワード・シーズンの間、私は毎日パパラッチに追いかけられていたので、ルイに関する行事は、CIAの作戦みたいに事前に計画する必要があった。お医者さんの往診だけでも囮の車を使ったりして。でも、友達や家族の協力のおかげで乗り切れたわ。ルイの唯一のお祝いは、とても怖かったけど、愛に満ちた一日になったの。ある友人が、(ユダヤ教の儀式の)割礼を自宅でできるように手配してくれたのよ。大人があれだけパニックになるなんてめったにないと思うけど、小さな息子に対する愛と誇りで、私にとっては人生最高の瞬間になった。ルイの存在を秘密にしていた状況だからこそ、あらゆることが特別な意味をもったんじゃないかと思えるの。どこに出かけていても、ルイのもとへ戻ることしか願わなかった。お祝いに話を戻すと、いったんオープンにしたら、たくさんお祝いをするつもり。

Q: 秘密にしていた理由

A: ものすごくたくさんの理由があるわ。最大の理由は、当時の状況がちょっとクレイジーだったこと。家の外にはパパラッチが24時間体制で見張っていたし、アワード・シーズンの熱気の中にルイを巻き込みたくなかった。でも、自分が出演した映画との類似には微笑まずにはいられなかったわ。私は、自分が「私の息子」という言葉を使う日が来るとは夢にも思わなかった。長年一緒に仕事をしてきた人たちは、(授賞式用の)ドレスのフィッティングをなぜ自宅でやらないのかを訝しがっていた。私は、家はリフォーム中だと言って、近くのホテルで彼らと会っていたの。メイクアップ・アーティストも私の疲れた顔を不思議がっていたし、オスカーのドレスを選ぶときも、時間がなくてスタイリストを苦労させた。

 いろんな授賞式のとき、2~3時間の睡眠しかとれていなかったので、私はインタビューでもステージでも、自分が何を言ったのか覚えてないの。とにかく早くルイの待つ家に帰りたかった。私は、自分が願うような誠実さで彼を迎えてくれなかっただろう世界にルイを連れていきたくなかったの。そして、身勝手なんだけど、できるだけ長く、ルイを独り占めしたかったのよ。

Q: 新生児の存在を隠し続ける大変さは?

A: 大変だったのは、家から外に出たときだけ。ルイのことを打ち明けていた人たちが秘密を漏らすことはまったく心配しなかったし、実際に彼らは秘密を守ってくれた。大変だったのは、私がこの子をどれだけ愛してるかを誰にも言えなかったことよ。ミルクをたくさん飲んだこと、使用済みのオムツを捨てるためのにおいが漏れないごみ箱を見つけたこと、そんなことが私にとってはとても大切なことになったのに、それを家の外では決して言えなかった。でも、オスカーの夜、私は小さなクラッチに、両親の結婚式の写真と、3人の子供たちの写真、そしてルイの小さなライムグリーンの靴下を片方だけ入れていて、クラッチを開けるたびにそれが落ちたの。拾ってくれた人たちは、それが何かまったく気づかなかったわ。

*Part2へ続く


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