ぐうたらさせてよ!(安寝の日記)

日常/演劇/宝塚/SMAP

単調になったらお仕舞いだ。

大化の改新異聞四。(最終章)

2004年12月17日 21時50分34秒 | 小説書いてみました。
これで最後です。
大化の改新異聞一。 大化の改新異聞二。 大化の改新異聞三。の続き。
一。と二。微妙に直してあります。




古人は、瞼をゆるゆると開いた。今は一体どの時間なのだろう。真っ暗で、自分の姿すら判然としない闇の中、緩慢に起き上がる。身体がみしみしと、音を立てるようにきしんだ。酷く疲れている。どうして、こんなに疲れているのだろう。まるで長い夢を見ているようだ。懐かしい、悲しい夢を見ていたような気がする。
袴が、身体を動かすたびに板のように、ぱりぱりと音を立てた。顔も何かがこびりついて乾燥しているようで、気持ちが悪い。
手や足が、冷え切っている気がする。夏であるのに、震えが止まらない。
さっきの夢のせいか。
山背大兄王の、死に顔が思い出された。
あの反乱を、鞍作は大臣就任の初仕事として見事に鎮圧したのだ。
軽皇子の指示で兵士は動かされ、あっという間に山背大兄王の軍は蹴散らされた。
山背大兄王は、燃え盛る斑鳩宮で自害したと言う。
古人は、山背大兄王の死の報せを聞いて、泣いた。
同じ少年時代を過ごした彼を、そして蘇我の血が流れる一族である彼の死を悼んだ。
そして、いくら最も天皇の位に近い皇太子と言えど、蘇我一族・本宗家の前には無力な自らを悲しんだ。
なぜこうも道が分かたれたのか。あの頃は、学堂の頃は良かった、例えその身に苦しみを抱えていても、若さがそれを押し隠していられたのだから。
そのままでいられたら、きっと「こんなこと」も起きなかったのだ。
「こんなこと」?「こんなこと」とは?
「……あ。あ、あ…。」
次の瞬間、古人は完全に覚醒した。
「は…は…ううぅ…。」
自分の意思とは勝手に、全身が震えだす。歯の根が合わなくなる。
目が、ありえないくらい見開かれる。
殺される。殺される。
「い…やだ…。助け…て…。」
涙が、頬を伝う。呼吸が出来なくなる。
鞍作。兄のように慕った鞍作が。
あの時、一人の男の太刀が一閃し、鞍作の身体を切り裂いた。
そして、中大兄皇子の槍がその身体を貫き、見えた表情が忘れられない。
苦悶の表情の中に、諦めきれない力強さがあった。
彼は、確かに権力を一手にした政治家ではあったが、少なくとも大和国のためには良質な政治家だったのだ。まだ、やるべきこともあったはずだ。
鞍作は、無数の傷を負いながら中大兄皇子の槍を、自ら引き抜き、それを杖にしてなお立っていた。鬼気迫る様子に、誰もとどめを刺せない。
鞍作の眼光、そして磁場が周囲を圧している。
大極殿には、鞍作の、男たちの荒い息遣いしか聞こえなくなっていた。
すると。
鎌足が、中大兄皇子の斜め後ろに進み出た。
「中大兄様。」
緊張に立ち尽くしていた中大兄皇子が、ハッと身じろぐ。
鎌足は、跪くとそのまま、地面に落ちた太刀を拾い上げ、捧げ持った。
「これにて、とどめを。」
震えながら、中大兄皇子は頷き太刀を手に取った。
「一豪族でありながら、権力を恣にし大和国を我が物とせんとした逆臣、蘇我入鹿!!覚悟!!」
中大兄皇子の太刀が閃いた。
次の瞬間、鞍作の首は刎ねられ遥か遠くの玉砂利の上に転がった。
「鞍作…。」
そして、古人は狂気の叫び声を上げ、油断した舎人たちを跳ね除け、走り出していた。
背後に、古人を追いかけるようにいつまでも、鎌足の哄笑が聞こえていた。

古人は再び、凄まじい叫び声を上げていた。
恐怖に引き攣った声が、自分でも止められない。髪がバラバラと顔に掛かった。
冠はどこにいったのだろう。走るうちに亡くしてしまった。
冠でも何でもいい、私を止めてくれ。
古人は、とうとう咳き込んで前につんのめる。だが、それを機に叫び声も止まった。
突然、戸が開かれた。
女官が息を切らせ、立っていた。逆光で表情が見えない。外はまだ日があった。
古人は闇から光に照らされ、自分を取り戻す。
と、同時に自分の姿がはっきりと見えた。
べったりと、血の色に染め上げられた袴。乾いて変色し、腿に張り付いている。
涙に濡れた顔をまさぐり、その手に目をやった。
「あ、」赤いものが目に入る。「や、だ、」
血が。血が血が血が。鞍作の死に顔が甦る。
血に染まった主の姿に、少なからず女官も驚愕したようだった。
だが、彼女も慌てていて自らの責務を全うすることしかこの瞬間は考えられなかった。
「古人様、」女官の声が、古人には遠くに聞こえる。
「蘇我の…蘇我蝦夷様が、自害なされました…!!」
終わりだ。
古人の目の前が真っ暗になった。
自分は、蘇我蝦夷と鞍作に後押しされていた皇太子だ。
程なく宮廷に自分の居場所は無くなるだろう。
そもそも、どうして鞍作が死ななくてはならなかったのだ。
彼は、悪い人間ではない。確かに、政敵に対する冷酷さや、政治を妨害する輩への冷酷さはあるが、鞍作が正しいのだから仕方が無いのだ。
そうか。中大兄皇子は、皇極天皇の息子だ。本来なら、第一の皇太子であるべき血筋だが、現在の蘇我氏中心の体制ではそれは叶わない。
しかも、鞍作は文字通り女帝の「寵愛」を一身に受けている。中大兄皇子は、母と大臣の良からぬ噂を苦々しく思っていたのに違いない。そして、蘇我氏の傀儡である、古人自身に対しても。
このままでいれば、程なく刺客を差し向けられ、自分は殺されるだろう。
今までは、美術や工芸品に目を向けて政治のことなど気にしないようにしてきたと言うのに、そうも言っていられない。
何か。何か手立てを立てなければ。
混乱して、何が何だか分からなくなる。
「どう、すれば、いい?」
「古人様?」
女官が怯えたように、声を掛けた。
逆光で、彼女の身体の背後が発光しているように見える。仏像の光背のようだ。
次の瞬間、古人は閃いた。
「刀を、持ってきてくれないか。」
「古人様?!」
女官の顔が蒼褪めたのが分かった。彼女の考えていることが手に取るようだ。
「心配しなくていい、」安心させるように、無理やりに笑顔を作った。
「お前の考えているようなことではない。すぐに持ってきてくれ、でないと…間に合わない。」
半信半疑なのか、少し逡巡した後、畏まりました、と女官は立ち去った。
これでいい。これなら、少なくとも命は狙われないかもしれない。
それに敵意が無いことも示すことが出来る。
顔にばらばらと掛かった髪の毛を、ゆっくりとかき上げた。
バリバリと音を立てる髪の毛が僅かに湿気を残している。
鞍作。すまない。私は、生きる。
卑怯だと、生き恥を晒すと言われても生きてやる。
だから、だから。
女官が小走りに戻ってきた。飾り紐のついた赤い鞘の太刀を布の上に載せて、古人に捧げた。
「ありがとう。」
古人の笑いに、女官は安心したのか緊張を解いた。
すらっと、太刀を鞘から抜く。夏の日の夕暮れ、最後の太陽の光が反射して目を刺す。一瞬、嫌なものが脳裏に見えたが、首を振って耐えた。
そして、左手で長いざんばらの髪を無造作に掴む。
「古人様?」
「見ていてくれ。これが終わったら、すぐに僧都をお呼びするように。」
二度とは、普通の生活には戻れないだろう。それでも。
古人は、目を閉じ一気に髪を根本から切り落とした。はらはらと、髪の切れ端が板葺きの床に広がる。女官が、口に両手を当て声にならない悲痛な叫び声を上げた。
これでいい。
「私は…出家する。鞍作も死に、蝦夷殿も自害された。ならば、私が弔わなければならないだろう。」
女官が、涙ながらに頷いた。感動を堪え切れず、何度も古人の名を呼ぶ。
だが、これは建前だ。私は死にたくないだけの、弱い男なのだ。
それでもいい。
古くからの友に、裏切られた男にはこれぐらいの復讐しか出来ない。
奴らにとって、僧となった古人は悩みの種になるに違いない。
僧には簡単に手出しを出来ないはず、だと思う。
古人にとって、生き続けることこそが復讐だった。
「…湯浴みをしたい。このように血で穢れた姿で、僧都にお会いするわけには行かない。」
「畏まりました。すぐにご用意いたします。」
さっと、女官が立ち上がると、ふわりと甘い香りがした。
ああ、あと数刻もすれば、現世とも別れねばならない。
僧は、世人とは違う生活を送らねばならぬ身だ。
古人は、ゆるゆると立ち上がり、戸の外に僅かに出た。
湿気をはらんだ暑い風が、不揃いな毛先を揺らす。
遠くの山に、赤い赤い日が沈んでいく。たなびく雲が、夕日に輝き眩しいほどだ。
例え天皇が変わろうが、この世がひっくり返ろうが、飛鳥野の夕映えはいつまでも変わりはしないのだ。きっとそうだ。
今になって何故か、晴れ晴れとした思いである。
だが、その心とは裏腹に、自然と両の頬を涙が伝う。
古人は、それを拭いもせず、一番の星が出る頃までいつまでも立ち尽くしていた。

<了>




あとがき。

書きたかったんです、古人皇子が。
情けなくも逃げ惑う彼が。

最終的に彼は十年後に、自殺とも暗殺とも取れる死に方をします。
悲劇の皇太子。

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2 コメント

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読みました。 (しなたま)
2004-12-18 00:23:48
力作、ご苦労様です!

すっかり読ませてもらいました。んで、楽しみました。



ラスト、いいすね。

古人の心情と、落ちてゆく夕陽が見事にリンクしてるし!

古人は甘樫の丘の方を見てたかも知れないすね。



うあー。

しかも、最後まで、しっかり書いてるなー。





つーか、負けないんだから!!(裏声で 笑)
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しなたまさん! (海藤 輝)
2004-12-18 00:35:16
読了感謝感謝です!

ラスト、どうしようかとかなり迷いました(汗)



なぜかというと、怯えて逃げ惑う古人ありきだったから(笑)

特に今年の月組公演を思い出すと、(と言うか参考にしているので)懐かしく思うくらい…。

今更、書いたのは遅いのか

何なのか。

こっちも負けないわ!(緑川蘭子ボイス)
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