ぐうたらさせてよ!(安寝の日記)

日常/演劇/宝塚/SMAP

単調になったらお仕舞いだ。

大化の改新異聞二。

2004年12月15日 01時30分06秒 | 小説書いてみました。
大化の改新異聞一。の続き。少し長め。




血の味だ。血が。血が。
――古人様、危のうございます。
平然と告げる舎人が、二人がかりで古人の体を押さえつけ動けないようにした。
そして、血が。
初めは何が起きたか、分からなかったのだ。
古人の心は、「あの時」に返っていた。
――もう、見たくないのに。
瞬く間に赤い血が飛び散り、古人の顔に、着物に、降りかかった。
無意識に叫んでいた。
鞍作、鞍作と、まるで童子が母を求める様だっただろう。
鞍作とは、現在の大臣、蘇我鞍作入鹿(そがのくらつくりいるか)のことである。
彼は現在の皇極天皇より権力を持つと言われた、今を時めく大臣だ。
いや、大臣だった。たったの数時間前までは。
数時間前、大極殿では三韓の使者を迎える儀式を執り行っていた。
皇極天皇、蘇我鞍作を中心にして極めて恙無く進行しているはず、だった。
進行役は、神祇官である中臣連鎌足である。
大極殿には、殆どの皇族・貴族が揃って使者の来訪を出迎えるため待機していた。
折りしも、皇極天皇の実弟である軽皇子は伊勢神宮へ儀式を執り行うため不在である。
古人は、天皇の壇上に一番近い上座に座していた。
その隣には、中大兄皇子がいるはずだが珍しく参上していなかった。
大極殿の壇上には女帝が座し、玉砂利の敷かれた広い地面に家臣らがひしめいている。
遅れて大臣が儀式の場に現れたあと、蘇我家傍流の一族である蘇我倉山田石川麻呂が、三韓の使者が天皇に上奏する「上表文」を読み上げるため、前に進み出た。
慣れない大役に緊張しているのか、石川麻呂はぎくしゃくと天皇の前に進み出て、笏を懐に仕舞った。
上表文を持つ手が震えている。
「…紫雲たなびく彼処所(かしこどころ)におわします、皇極の帝に申し上げ奉ります…」
声まで震えている。古人は、気になって石川麻呂の方を見た。
額にびっしりと脂汗をかき、目は左右へと泳いでいる。
とうとう、つっかえた。
流石におかしいと思ったか、鞍作が石川麻呂に近づいてきた。
石川麻呂はそれには気付いていないようだ。
そのまま、今回の使者来訪の功労者である大臣の名前を読み上げる。
「…大臣、蘇我臣鞍作入鹿殿…!」
石川麻呂の声が、裏返った。
「どうした、石川麻呂。体でも悪いのか。」
大臣が、石川麻呂を案じた、その時だった。
「母上様、御免!!」
白い玉砂利の上に、刀鉾が閃いた。同時に女官の叫び声。
大極殿の下の柱の影から、四人ほどの男たちが飛び出してきた。
おのおの、刀を持ち、一人の人物に狙いを定めている。
そしてその中心には、槍を構えた中大兄皇子の姿があった。
「中大兄!!」
古人の叫び声が、引き金だったか、たちまち鞍作は男たちに囲まれていた。
大極殿には、武器を持って入れない。
普段、抜かりの無い鞍作も、この時ばかりは太刀を佩く訳には行かなかった。
だが幼い頃から鍛錬を欠かしたことの無い鞍作のこと、徒手空拳で立ち向かい、中大兄皇子の手首を鋭く素手で打つ。
重臣らが声を上げた。
中大兄皇子が槍を取り落とし、好機とばかりに拾い上げようとした鞍作の眼前で、信じられないことが起こった。
「鎌足…!」
顔を見上げた先には、口元を歪めて笑う中臣連鎌足の姿があった。
その足元には踏みつけられた槍。
古人はすべてを悟った。
これは、仕組まれていたのだ。中大兄皇子が、鎌足が、そして蘇我一族でありながら、鞍作を裏切った石川麻呂が。すべて鞍作を誅殺せんと、この日を計画したに違いない。
血の気の引く音が、古人の耳元で聞こえた。
どうして。私たちは古くからの友人ではなかったのか。
古人には、突然世界の色が変わってしまったかのように感じられた。
しばらく抵抗は続いたものの、数分もすると一人の男の切っ先が鞍作の身体を逆袈裟に切り裂いた。
「鞍作!鞍作!」
古人の身体を、舎人が押さえ込む。必死で抵抗したが、宮廷暮らしのひ弱な身体では太刀打ちできなかった。
「危のうございます、古人様。」
「離せ!離せェッ!!鞍作、鞍作ィ!!」
ゆっくりと、鞍作の身体が傾ぎ、高貴な紫の冠が落ちた。
髪が解け、顔にかかる。口元に血の色が見えた。
視界の隅に、石川麻呂が頭を抱え崩れ折る姿が入る。
「鞍作!」
しかし、流石に頑健な身体を持つ鞍作だった。すかさずとどめを刺そうとした中大兄皇子が繰り出した槍の柄を掴み、身体ごと押さえつけたまま、遥か壇上にいる皇極天皇の顔を拝した。だが、女帝は耐え切れないかのように鞍作の真っ直ぐな瞳から、目を逸らした。
その時古人には、鞍作の声にならない叫びが聞こえていたのだ。そして女帝の嘆きも。
最後の砦である、女帝さえからも裏切られた鞍作は、諦めたかのように中大兄皇子の刃に倒れた。
同じ蘇我の血族であり、兄のような存在であり、後見人でもあった鞍作は古人のすぐ間近で首を刎ねられて倒れた。
人の身体には、これほどまでに血潮が流れてたのかと思うくらい、凄まじい量の血が噴き出した。白い玉砂利に広がるそれは、じわじわと面積を拡げ古人の沓の先にまで迫り、ついに染みた。
古人は、ひたすら呆然としていた。
目の前に広がるのは、本当に現世の光景なのだろうか。
血に濡れた槍を構えたまま、息を切らす中大兄皇子。
羅刹の表情で鞍作の亡骸を見つめ、哂う鎌足。
未だ鬼の形相で刀を鞘に収めぬ男たち。
そして首の無い強張った鞍作の亡骸。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
怖い。怖い。怖い。
次の瞬間、古人は玉砂利を蹴って、大極殿から逃げ出していた。
皇極四年、西暦645年の夏である。




まだまだ続きます。

続き。

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