多重比較の物語

( ゜д゜) 二月も終わりそうっ!

ひっそりとブログアクセスを調べてみますと,なんだか,Tukey型多重比較に関する説明ページが人気あるみたいです。
なんか,そんなにTukeyが好きですか? と問いたくなります。
雪本的には,Bonferroni法を代表とする有意水準調整型多重比較法が好きなので,ほんのちょっぴり切なく思ってしまうのは秘密でしょうか?

でも多重比較法の歴史を眺めると,以下のような物語が考えられます。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

Bonferroniさん,Tukeyさん,Scheffeさんの三人が最初に存在しました。
それぞれ自分の観点から多重比較問題に対処していました。
しかし,多重比較問題が,差異を調べるという問題に焦点化されていくようになります。本来多重比較は決して差異を調べるだけに限定されたものではありませんが,使用者はその問題への興味を高めていくのです。
そうすると,元々差異の統計の文脈で多重比較問題を対処していたTukeyさんがその勢力を伸ばすことになります。

Tukey「我が時,来たり!」

こうして,多重比較といえばTukey派と呼ばれるほどの時代になってしまったのです。そのような時代になりScheffeさんは早々に姿を消しました。
Bonferroniさんは,そのような時代に対して,Tukey派の多重比較アプローチだけでは問題ありとTukeyさんに一生懸命に意見を述べます。
しかし,多くの統計ユーザーがTukeyさんを求め,Bonferroniさんを望むことは少なかったのです。

Tukey「負け犬の意見など,聞かん!」

―――結局,Bonferroniさんも多重比較の表舞台からその姿を消したのです。
差異の分析法以外の多重比較問題においてひっそりと活躍していたなどの噂も流れましたが,Tukeyさんにとっては関係のないこと。
覇者の道を歩いていきます。

時が流れ。
Tukey派による帝国が作られるようになりました。もはや多重比較を扱う資料にはBonferroniさんやScheffeさんの名前が省略されてしまい,一部の者が知るのみとなってしまいました。

しかし,Tukey帝国にも陰りが見えます。独裁的なTukey帝国では,異なる意見がでなかったため,発展の加速度が落ちてしまうのです。Tukey派が独裁となってしまったため,それ故に,Tukey派の問題点も浮き彫りになってしまったのです。
このままではTukey帝国がどうなってしまうのかという不安が蔓延してきた,その時です!

Bonferroniさん「―――ただいま」

差異の統計法以外の多重比較問題でひっそりと活躍をしていたBonferroniさんが,危機に陥ったTukeyさんを,かつての友を救うために戻ってきたのです。

Tukeyさん「我を笑いに来たか?」
Bonferroniさん「――違うよ」
Tukeyさん「―――――そうか」

いろいろな問題に対応できるBonferroniさんは実は非常に強力です。しかし,Bonferroniさんは,自分の我を通すのではなく,Tukeyさんの弱点を補う形でその能力を発揮していくのです。
Tukeyさんが実力を発揮する場面では,Tukeyさんの意見を通して,そればかりではなくよりTukeyさんの意見をサポートしたりしました。そしてTukeyさんが非常に苦手とする場面に対して,Bonferroniさんが自分の意見を述べるのでした。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

以上,多重比較を擬人化して多重比較の歴史を大雑把に述べてみました。
雪本は多重比較の歴史をちゃんと調べていないので,上記は正しい流れになっていなかったりしますが(意図的に変更した部分もあったりします),まあ,大雑把な流れを知るという意味ではいいのではないのかな?

なお,Tukeyさんは分布調整型多重比較法,Bonferroniさんは有意水準調整型多重比較法,Sheffe法は統計量調整型多重比較法を意味しています。よってBonferroniさんの中には,Bonferroni法だけではなくSidak法やらRyan法なども含まれたりしています。

ともかく,上記の「物語」からも分かるように,雪本はBonferroniさんが好きなのですよ。というか,Bonferroniさん万歳の立場の物語ということには注意して下さいね。Tukeyさんの立場の物語は全く異なる印象になると思いますので。

……というより,Tukeyさんがすごいいやなやつになっているよね。
ごめんね,Tukeyさん。ごめんね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )