当てはずれ
あなたは私が
考えていたような
方ではなかった
あなたは私が
思っていたほうからは来なかった
私が願ったようには
してくれなかった
しかしあなたは
私が望んだ何倍ものことを
して下さっていた
(星野富弘著『あなたの手のひら』より引用、偕成社)
聖書のことば
それで、そのために思いあがることのないようにと、わたしの身にひとつのトゲがあたえられました。それは思いあがらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。
だからキリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜならわたしは弱い時にこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二12章7〜10節
願 い
私たちは願い事をします。キリスト教の神さまに祈る人、八百万の神さまに祈る方、仏様に祈る方もいます。願い事が叶えば、ご利益があったということになりますが、祈りが聞き届けられなかったたという時は、どう受け止めるのでしょうか?
キリスト教では自分の願い事が叶わなかったときも、神様は祈りを聞いてくださったのだと受け止めます。自分の思ったようにはならなくても、神様が私たちに良いと思われたことをしてくださっているのです。
星野富弘さんは願ったこととは違うけど、結果的に自分にとってよかった、十分に幸せと思えるようになられたのです。神様は自分の祈りを聞いてくれなかったのではなく、自分にとって別の道があることを示して導いてくださったということです。
自分の思いから自由になることも、気持ちが楽になる生き方なのだと思います。
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