貧しさにはいろいろあります。
経済的にはうまくいっているように思われる国さえも、
奥深いところに隠された貧しさがあるのです。
それは見捨てられた人々や苦しんでいる人々が
抱えている極めて強烈な寂しさです。
「マザー・テレサ 愛と祈りの言葉」(PHP文庫)
聖書のみことば
そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
これを見た人たちは皆つぶやいた。
「あの人は罪深いところに行って宿をとった。」
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施します。また、だれかから何かだましとっていたら、それを4倍にして返します。」
イエスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
人の子は、失われたものを捜して救うためにきたのである。」
(新約聖書 ルカによる福音書19章2〜10節)
子どもたちにとって、夏休みがおわってまた始まる学校生活。ゆるんだ気持ちをキュッと締めると、お腹もなんとなく痛くなるような、心が重い9月の朝を迎えているかもしれません。
知らない人ばかりの中、初めて会う人たちの中、緊張している時に、「◯◯さん」と声を掛けられると緊張がほぐれます。硬くなっている顔もほぐれます。
「わたし」というたったひとりの存在を見つけ出してくれる方がいるだけで、私たちは変わることができます。
「急いで降りてきなさい。」
急ぐのは「わたし」ではなく、急いで来て「わたし」を探し出してくださったのです。
「もう大丈夫、あなたはひとりじゃない」と言うために。
不安の中にいる時、心の中に急いで来てくださるのはイエスさま。
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