・ 【爪木崎の灯台は自分より前方の灯台を説明しておりました】
野水仙の群落がある爪木崎の灯台に行きますと遠くに神子元島の灯台があります、下田の先は石廊崎を回る日本の動脈とも言える航路です
伊豆諸島の先端でもあり無人島や岩礁地帯も多く、これまでたくさんの船が座礁しております、4,5年前は居眠り運転の内航船が
赤沢の定置網を引っ掛けて赤沢の漁港が休業という事態も招きました、この灯台については説明が無く前方の神子元島の灯台について記述してました
陸地にある標識のような灯台で無く、海の真ん中にありますから行きかう船にとっては頼もしい存在です
・ 【釣り人の話で盛り上がる無人島の神子元島です】
「神子元島灯台とは、下田港南沖11kmにある神子元島(みこもとしま)に建つ灯台である。
幕末に江戸幕府と列強との間で結ばれた改税約書(江戸条約)に基づき建設された、条約灯台と呼ばれる8基
(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、劔埼、伊王島、佐多岬、潮岬)のうちのひとつ。
竣工は明治3年旧暦11月11日(西暦1871年1月1日)で、初点灯には三条実美、大久保利通、大隈重信ら明治の元勲と
英国公使ハリー・パークスが来島し立ち会っている。灯台建設の監督はスコットランド人のリチャード・ヘンリー・ブラントン。
下田から切りだされた伊豆石を精緻に積み重ね、目地には日本初の速成セメントが使われている。
石造灯台では日本最古の現役の灯台であり、国際航路標識協会 (IALA) が選定した「世界歴史的灯台百選」の
ひとつでもある。また日本政府により史跡に指定されている。等級は第3等群。
速成セメントに経年および風波による劣化がみられたため、耐震補強を兼ねた工事が1982年と1995年に行われた。
炭素繊維などを使って灯台全体を補強した。2007年から2008年にも電源設備を中心とした改修工事が行われた」
開国で灯台を作らされたのですね
爪木崎から海が360度に亘って見えます、伊豆諸島が広い海の上に点在しています
・ 【海が丸く見えます】
利島、新島、三宅島、式根島、神津島などの友人島や鵜渡根島や神子元島などの無人島まで見えます、もちろん大島も見えています
鵜渡根島とは
「伊豆諸島の利島と新島の間に位置する島である。行政区画は東京都新島村に属する。
かつてはニホンアシカの生息地の一つだった。
この島周辺には大きなサメが住み着いている。
御蔵島から利島に移り住んだミナミハンドウイルカが当島周辺や式根島、新島等にも住み着いている。
この島は今では無人島であるが、明治時代には養蚕を営む人が住んでいたので、島には今も神社があり、
そこに祭られている神鵜渡根后明神がこの島の由来にもなっている。
本島には磯場が点在し大型の、尾長メジナ、イシダイ、イシガキダイ、モロコ、カンパチ、ヒラマサ、マグロ、
カジキ、イサキ、シマアジなどが釣れ、釣り人が渡船を使ってしばしば上陸する。
しかしこの周辺の海域は時化やすく、年に50回くらいしか渡礁できない。」
神子元島とは
「伊豆半島南部の静岡県下田市の沖、下田港から南へ約11キロメートル、石廊崎からは東南東へ約9キロメートル離れた
太平洋上にある島である。下田市に属する無人島で、静岡県の最南端にあたる。
面積は約0.1平方キロメートル、最長部の長さは約400メートル、最高点の標高は32メートル。
形成された時期は定かではないが、元々は伊豆半島の一部であったものが周囲の沈下により島になったと
考えられており、本土からも近いことから伊豆諸島には含めないのが普通である。
古くから度々、神社の祠(ほこら)などが置かれては強い風や波により失われてきたとされるが、
流刑者や灯台の関係者を除けば人が定住していたとの記録は無い。
また世界歴史的灯台百選にも選ばれた神子元島灯台を擁する島として名高い。灯台の光はおよそ20海里
(約36キロメートル)先までも届き、周囲に浅瀬の多いこの海域の安全を今も守り続けている。」
そりや世界的灯台を前にしては何もいえませんが、こちらだって半島先端の灯台なのです
・ 【下田:爪木崎にあります灯台です】
野水仙の咲き誇る群落を抜けて丘を登ると岬の先端に出て眺望が広がります、灯台には登れません
航空母艦かなと思いましたけれど大きなコンテナ船かも知れません
・ 【航空母艦かコンテナ船か遠くて識別不能です】
天気晴朗なれど波高しですが、荒波に向かって微動だにしない航行です、どちらにしたって大きな船なのですね
野水仙の群落がある爪木崎の灯台に行きますと遠くに神子元島の灯台があります、下田の先は石廊崎を回る日本の動脈とも言える航路です
伊豆諸島の先端でもあり無人島や岩礁地帯も多く、これまでたくさんの船が座礁しております、4,5年前は居眠り運転の内航船が
赤沢の定置網を引っ掛けて赤沢の漁港が休業という事態も招きました、この灯台については説明が無く前方の神子元島の灯台について記述してました
陸地にある標識のような灯台で無く、海の真ん中にありますから行きかう船にとっては頼もしい存在です
・ 【釣り人の話で盛り上がる無人島の神子元島です】
「神子元島灯台とは、下田港南沖11kmにある神子元島(みこもとしま)に建つ灯台である。
幕末に江戸幕府と列強との間で結ばれた改税約書(江戸条約)に基づき建設された、条約灯台と呼ばれる8基
(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、劔埼、伊王島、佐多岬、潮岬)のうちのひとつ。
竣工は明治3年旧暦11月11日(西暦1871年1月1日)で、初点灯には三条実美、大久保利通、大隈重信ら明治の元勲と
英国公使ハリー・パークスが来島し立ち会っている。灯台建設の監督はスコットランド人のリチャード・ヘンリー・ブラントン。
下田から切りだされた伊豆石を精緻に積み重ね、目地には日本初の速成セメントが使われている。
石造灯台では日本最古の現役の灯台であり、国際航路標識協会 (IALA) が選定した「世界歴史的灯台百選」の
ひとつでもある。また日本政府により史跡に指定されている。等級は第3等群。
速成セメントに経年および風波による劣化がみられたため、耐震補強を兼ねた工事が1982年と1995年に行われた。
炭素繊維などを使って灯台全体を補強した。2007年から2008年にも電源設備を中心とした改修工事が行われた」
開国で灯台を作らされたのですね
爪木崎から海が360度に亘って見えます、伊豆諸島が広い海の上に点在しています
・ 【海が丸く見えます】
利島、新島、三宅島、式根島、神津島などの友人島や鵜渡根島や神子元島などの無人島まで見えます、もちろん大島も見えています
鵜渡根島とは
「伊豆諸島の利島と新島の間に位置する島である。行政区画は東京都新島村に属する。
かつてはニホンアシカの生息地の一つだった。
この島周辺には大きなサメが住み着いている。
御蔵島から利島に移り住んだミナミハンドウイルカが当島周辺や式根島、新島等にも住み着いている。
この島は今では無人島であるが、明治時代には養蚕を営む人が住んでいたので、島には今も神社があり、
そこに祭られている神鵜渡根后明神がこの島の由来にもなっている。
本島には磯場が点在し大型の、尾長メジナ、イシダイ、イシガキダイ、モロコ、カンパチ、ヒラマサ、マグロ、
カジキ、イサキ、シマアジなどが釣れ、釣り人が渡船を使ってしばしば上陸する。
しかしこの周辺の海域は時化やすく、年に50回くらいしか渡礁できない。」
神子元島とは
「伊豆半島南部の静岡県下田市の沖、下田港から南へ約11キロメートル、石廊崎からは東南東へ約9キロメートル離れた
太平洋上にある島である。下田市に属する無人島で、静岡県の最南端にあたる。
面積は約0.1平方キロメートル、最長部の長さは約400メートル、最高点の標高は32メートル。
形成された時期は定かではないが、元々は伊豆半島の一部であったものが周囲の沈下により島になったと
考えられており、本土からも近いことから伊豆諸島には含めないのが普通である。
古くから度々、神社の祠(ほこら)などが置かれては強い風や波により失われてきたとされるが、
流刑者や灯台の関係者を除けば人が定住していたとの記録は無い。
また世界歴史的灯台百選にも選ばれた神子元島灯台を擁する島として名高い。灯台の光はおよそ20海里
(約36キロメートル)先までも届き、周囲に浅瀬の多いこの海域の安全を今も守り続けている。」
そりや世界的灯台を前にしては何もいえませんが、こちらだって半島先端の灯台なのです
・ 【下田:爪木崎にあります灯台です】
野水仙の咲き誇る群落を抜けて丘を登ると岬の先端に出て眺望が広がります、灯台には登れません
航空母艦かなと思いましたけれど大きなコンテナ船かも知れません
・ 【航空母艦かコンテナ船か遠くて識別不能です】
天気晴朗なれど波高しですが、荒波に向かって微動だにしない航行です、どちらにしたって大きな船なのですね
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