しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

倶知安はレルヒ公園に泊まりました

2018年07月30日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                         【レルヒ大佐が日本にスキーを持ち込みました】

場所は新潟県だったと思いますが倶知安とはどういう関係だったのでしょうか?

「日本のスキー発祥100周年をきっかけに誕生したゆるキャラ レルヒさん。新潟の地で日本初のスキーを教えたオーストリアの軍人
 テオドール・フォン・レルヒさんがモチーフです。「日本元祖スキー漢(おとこ)」として、ウィンターレジャー活性化のために羊蹄山を登ったのです
 しかし4合目からは雪が硬く斜面もきつくなり、スキーをぬいで引きずっていくことになりました。
 中略
 小樽新聞の奥谷記者らは「頂上だ!」と声を上げました。しかしこの天候では長居は無用。万歳を叫ぶメンバーたちにレルヒは、
 ただちに下山せよと命じます。
 中略
 装備の劣った日本人たちは手足や鼻に凍傷をおい、急斜面では四つん這いに後ろ向きになって何度も転落を繰り返しながら、
 命からがらふもとを目指します。レルヒはといえば、底に金具を打ち付けたオーストリア製のスキー靴のために転落することはありませんでした。
 中略
 スキーをデポした五合半の地点からはふたたびスキーをはき、疲れきった一行が登山会事務所に到着したのは午後5時40分。
 おおぜいの人々に歓呼の声で迎えられました。これが、史上初の羊蹄山スキー登山です。
 この壮挙はすぐ小樽新聞で何度も紹介され、人々にスキーというまったく新しいスポーツを強く印象づけました。
 ニセコのスキー史にとって、レルヒらの山行がきわめて重要な価値を持つ出来事だったことには、変わりがありません。
 ※レルヒ中佐の項参考文献:
 『倶知安町百年史』(倶知安町)1993年、『レルヒ中佐のエゾ富士登山/ 武井静夫』(倶知安郷土研究会)1988年、
 『日本スキー・もうひとつの源 流/中浦皓至』(北海道大学図書刊行会)1999年 ほか」

冬の羊蹄山をスキーで登ったのがレルヒさんっだったのです、今もオーストラリア人が多い街としてニセコは賑わっていますのは
この件があったからでしょうか?


・             【レルヒさんを記念するモニュメントは全国にあるそうです】

「レルヒ少佐が新潟県にて、日本で初めて本格的なスキーの指導を行ったのが1911年1 月12日。 ... から、
 旭川空港にレルヒ像、旭川市春光台公園に北海道スキー発祥の地碑、倶知安町レルヒ記念公園にレルヒ中佐の像が
 建立されています」

これだけ全国に碑があるなら坂本龍馬位有名になってもよいですね


・              【立派な水の公園にあるレルヒさんですが】

僕は国道沿いの便利な所にあるトイレ付駐車場として利用させて貰ってます



仁木町はフルーツランドとして北海道では有名な所です


・              【ここは通過する町ではありません】

おじさん、おばさん、従妹が眠っているのです、今回2度目の訪問です


・              【北海道にも真夏がやって来ました】

これまで涼を求めてやってきて随分寒い思いをしてきました、僕の体は完全に寒冷地仕様になっていますからこの暑さでは何処にも行く気がしません


・              【余市の道の駅に行けば木陰がある筈です】

朝行くとまだ木陰が出来ていません、ピーカンの日光がアスファルトに反射しているだけです、車で休みに来た人が話好きで助かります
僕と同じ年なのにまだ仕事をしています、旅行も好きで海外にも行くそうです、会社が用意してくれるゴージャスな旅行もいいけれど
本当は僕のように気ままな旅行に憧れますが、女房が許してくれません

木陰を望むなら海岸へ出たら山の影になる所もあるからそっちの方がいいよ!と教えられた所は昔僕が利用したライダーハウスのそばでした

(今日は動かないで一日ここで涼んでいます)


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