・ 【65歳まで現役を通しました】
(いよいよ「退職」ではないけれど仕事は「引退」です)
サラリーマンになって45年良く辛抱してやってきました、ママへ65歳まで馬車馬のように働きましたので
この辺でお休みを戴きたいね、仕事に未練はないと言ったら嘘になるけれど今が辞める潮時なのです、
このまま続けると先に行って辞められなくなる人が多いのです、でも「花束」までプレゼントされると涙目になります
(プレゼントしてくれた女子社員に「ハグ」は無いのと聞いたらセクハラです!とピシャリでした)
最近の女子社員はおじさんに厳しいですね、減るもんではないのにね!
・ 【いろいろ苦労しましたが、ここまでやってきました】
納期が間に合わない、品質不良、お金が足りない、値上げ交渉、社員の離脱、赤字計上、人事に資金繰りと
いろいろありましたが、全部苦労話です、初めて会社に入った時はこんなに楽しい仕事をして
ボーナスまで戴くなんて信じられませんでした、新聞配達のアルバイト人生で経済的には恵まれませんでした
(会社とは素晴らしい所だと思ったものです!)
結婚して食っていけず開業間もない会社に拾われて、社長さんが僕を育ててくれました
・ 【老兵は去って行くのです】
(社長とも喧嘩しました、僕を一本立ちさせないと辞めますというので川崎での仕事を取って来てくれました)
ちっぽけな事業所で、始めは赤字のお荷物事業部でしたが、継続すれば「力」がついてきます、
そのうち親部門を吸収するように発展して会社も分離独立致しました
以来40年以上に亘って続けられたのが僕の自慢です、社員は来るもの拒まず、去るものは追わず
でやってきました、どんなに苦しくても社員は人材でして「リストラ」はしません、そして社員を派遣しませんでした
(自分で営業して、自分で創るを生業にしてきました、派遣は僕の代でお終いにしたかったのです)
お客さんから注文を営業がとってきて、技術者が製造して納入します、当たり前の事なのですが
技術革新に遅れずついていくのは至難でもありました、「ハイテク」はやりませんから「ローテク」を駆使して
隙間をつく作戦での営業です、40年の間には絶えずスクラップ&ビルドの世界です
お客様に提案する力がないと継続は難しいのです、昔の技術は通用しません技術者と言えども保守的です
一度身につけた技術の呪縛から離れられないのでした、それを無理に覚えさせてきました
お客さんも絶えず新しい提案を望んでいます、ボリュームが膨らむと結局、納期が遅れて
皆さんに迷惑ばかりではなく費用がかさんで赤字となってボーナスが払えない時もありました、
自分の技術レベルが追いつかず納期が遅れたこともありました
技術の高い社員の格差にも悩まされます、階段を一歩づつ着実に上げて行こうと思いますが
ある程度行くと同じような階段差を登れなくなる社員がいます、そうなると社員の行く末も心配になりました
子供が次々に4人も生まれて来ました(一人は藤沢のお墓に眠ってましてもう直ぐ僕もはいります)、
全部男の子です、大分県と栃木県の両方のお袋さんが入れ替わりに手伝いに来てくれました、
ママも働きながらの子育てだったから大変な苦労だったと思います
(息子合いたさに名古屋まで毎月バイクで二人乗りしましたね、あの時高速道路は二人乗り通行禁止でした)
・ 【仕事に未練がないと言えば嘘になります】
子育ては全てママ任せでして、ママからは「私は未亡人!」が口癖でした、子供の高校時代は喧嘩が激しくて
子育てを間違ったかな?と思うようになりましたが、大人になると兄弟は仲良くて安心です、
バブル期は毎日接待で飲み歩いて銀座から車を飛ばして帰りました、時には深夜にお客さんを家にまで呼んできまして、
ママには大変ご迷惑をお掛け致しましたが、それも遠い過去の事です
まだ仕事はできるんでないの!とママは励ましてくれます、1年掛けて後輩を選びました、会社を去る人もいましたが
去るもの追わずで新しい体制が出来上がりました、もう僕が出て行く場所はありません
月何日かは出勤しますが、完全な給料ドロボーとなって、裸の王様から年金生活者になります
(これまでに趣味を見出せていません、従って老後の暮らし方が判りません、趣味を見出す旅をしようと思います)
とりあえず本日キャンカーのサブバッテリー交換でした、寒い冬はキャンカー、休みの鉄道移動はJRの青春18切符、
暑い夏は原付バイクが放浪のツールです
(いよいよ「退職」ではないけれど仕事は「引退」です)
サラリーマンになって45年良く辛抱してやってきました、ママへ65歳まで馬車馬のように働きましたので
この辺でお休みを戴きたいね、仕事に未練はないと言ったら嘘になるけれど今が辞める潮時なのです、
このまま続けると先に行って辞められなくなる人が多いのです、でも「花束」までプレゼントされると涙目になります
(プレゼントしてくれた女子社員に「ハグ」は無いのと聞いたらセクハラです!とピシャリでした)
最近の女子社員はおじさんに厳しいですね、減るもんではないのにね!
・ 【いろいろ苦労しましたが、ここまでやってきました】
納期が間に合わない、品質不良、お金が足りない、値上げ交渉、社員の離脱、赤字計上、人事に資金繰りと
いろいろありましたが、全部苦労話です、初めて会社に入った時はこんなに楽しい仕事をして
ボーナスまで戴くなんて信じられませんでした、新聞配達のアルバイト人生で経済的には恵まれませんでした
(会社とは素晴らしい所だと思ったものです!)
結婚して食っていけず開業間もない会社に拾われて、社長さんが僕を育ててくれました
・ 【老兵は去って行くのです】
(社長とも喧嘩しました、僕を一本立ちさせないと辞めますというので川崎での仕事を取って来てくれました)
ちっぽけな事業所で、始めは赤字のお荷物事業部でしたが、継続すれば「力」がついてきます、
そのうち親部門を吸収するように発展して会社も分離独立致しました
以来40年以上に亘って続けられたのが僕の自慢です、社員は来るもの拒まず、去るものは追わず
でやってきました、どんなに苦しくても社員は人材でして「リストラ」はしません、そして社員を派遣しませんでした
(自分で営業して、自分で創るを生業にしてきました、派遣は僕の代でお終いにしたかったのです)
お客さんから注文を営業がとってきて、技術者が製造して納入します、当たり前の事なのですが
技術革新に遅れずついていくのは至難でもありました、「ハイテク」はやりませんから「ローテク」を駆使して
隙間をつく作戦での営業です、40年の間には絶えずスクラップ&ビルドの世界です
お客様に提案する力がないと継続は難しいのです、昔の技術は通用しません技術者と言えども保守的です
一度身につけた技術の呪縛から離れられないのでした、それを無理に覚えさせてきました
お客さんも絶えず新しい提案を望んでいます、ボリュームが膨らむと結局、納期が遅れて
皆さんに迷惑ばかりではなく費用がかさんで赤字となってボーナスが払えない時もありました、
自分の技術レベルが追いつかず納期が遅れたこともありました
技術の高い社員の格差にも悩まされます、階段を一歩づつ着実に上げて行こうと思いますが
ある程度行くと同じような階段差を登れなくなる社員がいます、そうなると社員の行く末も心配になりました
子供が次々に4人も生まれて来ました(一人は藤沢のお墓に眠ってましてもう直ぐ僕もはいります)、
全部男の子です、大分県と栃木県の両方のお袋さんが入れ替わりに手伝いに来てくれました、
ママも働きながらの子育てだったから大変な苦労だったと思います
(息子合いたさに名古屋まで毎月バイクで二人乗りしましたね、あの時高速道路は二人乗り通行禁止でした)
・ 【仕事に未練がないと言えば嘘になります】
子育ては全てママ任せでして、ママからは「私は未亡人!」が口癖でした、子供の高校時代は喧嘩が激しくて
子育てを間違ったかな?と思うようになりましたが、大人になると兄弟は仲良くて安心です、
バブル期は毎日接待で飲み歩いて銀座から車を飛ばして帰りました、時には深夜にお客さんを家にまで呼んできまして、
ママには大変ご迷惑をお掛け致しましたが、それも遠い過去の事です
まだ仕事はできるんでないの!とママは励ましてくれます、1年掛けて後輩を選びました、会社を去る人もいましたが
去るもの追わずで新しい体制が出来上がりました、もう僕が出て行く場所はありません
月何日かは出勤しますが、完全な給料ドロボーとなって、裸の王様から年金生活者になります
(これまでに趣味を見出せていません、従って老後の暮らし方が判りません、趣味を見出す旅をしようと思います)
とりあえず本日キャンカーのサブバッテリー交換でした、寒い冬はキャンカー、休みの鉄道移動はJRの青春18切符、
暑い夏は原付バイクが放浪のツールです
多才な方は羨ましいです、天は才能を偏って与えます、サトイモは昨日で食べおわりまして
売っているのと違って見習い様の手からアミノ酸も分泌するようで
ママが大感激しておりました、来年の梅の実が楽しみです
私も2年経ちますが、性格で全くボケていません
しいたけさんも大丈夫だと思いますよ。
来年から停年をエンジョイして下さい。
テニスをすると空振り、階段を走って降りれないですが何とかやっています
サンデー毎日暇はあるけれどやることない日々が続いています
伝書鳩が方向を定めるために上空を旋回するのと同じでまだ方向が定まりません
これまでは、自分で選んだり決めたりしてきたようですが、時代の流れに乗ってきたみたいなもので、終点まできて電車を降りたら、オレ何処へ行くんだたっけ?と訳がわからなくなります。わからなくても年金で生活できるのですが、それもむなしい感じが。
まずは放浪と穴掘りを中心に考えます、穴掘りは出てくる
岩のとの格闘でもあります
掘る作業もですがすのこを使って土をふるい出すのも時間が掛かります、
時間はあるのですからゆっくりやります
来年は、またお会いしたいですね。
先週、ジローさんの店に行きました。
多分このへんがしいたけさんの別荘近くと
思うあたりも走りました。
来年も元気でお過ごしされますように。
できるだけ短くです、ジローさんは元気でした、音楽も聴いて楽しく歌って愉快になれば
趣味になるのですが僕は聞いていると何故か音学になってしまうのです
飲むだけならば良いのですが、本年も宜しくお願い申し上げます